金鰲三強の一画である趙公明との戦いを終え、ひと段落着いたように思えた頃であった。
 聞仲が仕掛けてこないのが不気味であると常々言っていた太公望は金鰲島通天教主との和解を目指し、四不象と共に金鰲島へ向かった、少し後のことであった。
 ふらふらと周軍の陣の中を特に当てもなく歩いていた白琥は、神妙な顔をした天化に声をかけられる。
「なぁ白琥、ちょっといいさ?」
「何?天化」
 白琥は首をかしげて側に寄ると、天化は「出来れば人に聞かれたくねぇ」とうつむいたまま小声で言う。何か思いつめたようなその表情に、白琥は眉を顰めながらも、人があまり来ない物資を主に片付けておくテントの中に入ると、適当な木箱の上に白琥は腰掛けた。
「話ってのは妖怪仙人についてさ」
 天化はわき腹に手を当てながら言う。
 天化が手で触れたそこは、趙公明戦の四階で原形となった余化によって傷つけられた部分だ。その時の傷について天化は特に何も言うことはなかったが、妖怪仙人が最期の最期に作った傷というのは気になる。白琥は傷を見せて、と言うと天化はうつむいたまま手を離した。手にはべっとりと血がついており、そして傷口からは今もなお、新しい血が零れ落ちている。仙道の傷薬であればこの程度の切り傷三日もしないうちに傷跡すらなくなってもおかしくないというのに、未だにふさがる様子を見せないそれに白琥は顔をしかめる。
「血が止まらないの?」
「ああ、最初は動いてるせいかと思ったさ、でも趙公明との戦いが終わって、薬を塗っても全然治らねぇ。なぁ白琥、妖怪仙人ってのは何かあるんさ?俺っちただ始まりが人であったかそうじゃなかったかの差だと思ってたさ。でも、でも」
 天化はぎゅっと拳を握り締めて言う。
「魔家四将も余化も最期の最期で残したものがあまりにも大きい」
「言いたいことはわかるわ。そもそもね、妖怪仙人になる、仙人になるってことは何らかの特殊性がそこに存在するの。仙人骨みたいにね」
白琥は」
「私の場合は真っ白な毛並みよ。普通の虎は白くはない」
 そう言って白琥はその場で変化してみせた。輪郭が解け、解けた髪がふわりと舞、瞬きの間に白琥の姿は真っ白な虎になっていた。全長だけ見れば天化の身長をも越すだろう大きな虎は、くあっと大きな口をあけてあくびをする。
「……綺麗な毛並みさ」
 そうぽつりと呟いた天化に白琥は軽く尻尾を振った。
「妖怪仙人が妖ゲツになるまでには千年の間月の光気を浴びる必要があるわ。でも千年生き続けるっていうのは簡単なことじゃない。動物や植物ならそこには確実に何らかの特殊性、才能と言うものが存在する。余暇の場合は原形が刃物だったのよね。ならそれは多分ただの刃物じゃない。多くの人から愛されたものか、もしくは、呪われたものか。多分余化の場合は校舎じゃないかしら。多くの人に恨まれるものとして使われた刃物、傷つけたものを必ず殺す」
「!」
「ごめんなさい天化、貴方を脅したいわけじゃないの。でも妖怪仙人の最期はね、千年の月日を経て作り上げられた存在の証明でもあるの。だから__」
 白琥はそこで一旦言葉を区切った。口にしてしまえばそこで何かが終わってしまう、そんな空気を感じながら天化はなんとなくわかっていたその言葉の先を待つ。
「私には解決できない。何も、解決する手段を持っていない」
「そうか」
 天化もそうだろうとは初めから思っていたのだ。同じ妖怪仙人といっても白琥と余化は違う存在だ。趙公明も決して同じには成りえない存在。唯一の個、人と同じように彼らにも個というものがあり、その証明となるのが、原形が残す最期の傷なのだろう。
 その傷跡は気にしなければほとんど痛みはなかった。だがいつまでも止まらない血は、いつの間にか包帯ににじみ天化のズボンを赤く染め上げる。どうにも不気味な傷跡であった。すでに師である道徳真君にも、太公望にもこの傷のことは伝えてある。血が止まらないことも、そしてそのせいで時折莫邪の宝剣を握る手に力が入らないことも。
 天化は太公望たちの足手まといになるつもりはなかった。父である武成王を助け、武王を新たな王とし、殷を倒し周の興りを見守る。武成王・黄飛虎は再び王の側で比類なき武に優れた人物として武王を手助けしていくのだろう。そんなまばゆい未来が容易に想像できるほど、すでに戦いは末期へと迫っている。天化は仙道であるから、周を興したあとは基本的にはもう人間界に深く関与することはないだろう。
 だからこそ、天化はこんな時にこんな小さな傷で足止めされるのが許しがたかった。父を助けられる最期の機会、父を超える最期の機会を前にして、リタイアするなど天化のプライドが許さない。しかしこの傷は気持ちだけでどうにかなるものではない。
 ぎりっと奥歯を噛み締める天化を前に白琥はぎゅっと手を握り締める。天化は、傷口からじわじわと迫る未来を蝕むナニカに気持ち悪さを覚えながらも、あえて笑ってみせた。
「そうか……いや悪かったさ、白琥には関係ねぇのに変なこと聞いちまったさ」
「何の力にもなれなくてごめんなさい。でもきっと雲中子さまや太乙真人さまが何とかしてくださるわ。諦めないで天化」
 白琥とて何かできることならしてやりたいと思う。しかし自分の知識をもっても、宝貝をもっても、天化の傷を癒すことはできない。そのことに白琥も悔しさを感じながらも、あえて笑って見せた天化に白琥だけが悲しそうな表情を見せるわけにはいかず、きっと大丈夫だという言葉に合わせて少しだけ笑った。いや笑えたのだろうか、白琥にはわからなかった。
 しんと気まずい沈黙が流れる。お互いどうすべきかわからないこの現状に歯噛みしながら、解決策を模索してあがくしか他にない。
 殷と周の戦争はすでに間近になっており、天化にも白琥にもやらなければならないことがこれからさらに多くなってくるだろう。金鰲の三強の一画を崩したとはいえまだ聞仲と妲己が残っている。太公望は金鰲島のトップ・通天教主に和解を申し入れに行っているようだが、どうかその話が上手く進みますようにと、白琥には願うことしか出来なかった。
 その時であった。
「うわーっ!なんだあれーっ!」
 とにわかに周の陣内で兵士たちが叫びだし、その声はいよいよ大きくなっていく。
 はっと顔を見合わせた天化と白琥が慌ててテントを飛び出すと、皆が指差すように上を見上げた。
 空高くまで伸び上がった雲、その雲を押しのけて巨大な何かが西に向かって進んでいく。饅頭型をしたその巨大は島は今まさに太公望が和解を申し入れに行っているはずの金鰲島であった。
「おおい皆のもの集まれー!」
 ふいに聞きなれた声がして皆がそちらを向くと、そこにはスープーシャンに乗った太公望がいる。全力でとって返したのであろう、彼は大慌てで周の陣地にいる仙道を集めると、今まさに聞仲が金鰲島を動かし崑崙山脈を攻める目論見であることを告げる。
「聞仲が……?」
「うむ、今の今までどこに行っていたのか知らぬがついに動き出した。元始天尊様さま!どうやら聞仲は崑崙山ごと攻撃するつもりでおるようです。崑崙山も早く攻撃体制を整えばなりません!ここにいる道士も連れて戻りましょう」
 そう告げる太公望の口調にはもはや迷っている暇すらもない緊張感が混じっていた。白琥はぎゅっと芭蕉扇を握り締める。
(ついに金鰲島との全面戦争になるのだわ)
 金鰲十天君に通天教主、そして聞仲。すでに金鰲島との手を切っている妲己がここで手を出してくるとは考えにくいが、それでも崑崙の仙道だけでは手にあまる戦力が金鰲島にはある。恐らくは崑崙十二仙とて無事では済むまい。
「よいかナタク、楊ゼン、李靖、土行孫、蝉玉、そして白琥はわしらと崑崙に戻ってもらう。たが武成王一族は全員人間界に残ってもらうぞ」
「師叔!」
 その言葉に当然天化は食ってかかった。
「師叔!そりゃないさ、こんな時に俺っちだけ……」
「言うな天化!おぬしを外した理由はおぬしが一番よく知っておるはずだ」
 太公望はそれきり、ふいと顔を逸らす。そして白鶴童子には各地に散っている雷震子・金タク・木タクを呼ぶよう伝えると、太公望自身は元始天尊の宝貝に乗って一足早く崑崙山脈へと帰還したのだった。
 陣地に残った仙道は黄巾力士に乗って移動するために楊ゼンはメンバーを振り分けていく。
「楊ゼン、私は自分の足で移動したほうが早いから先に行くわ」
「わかった、道中気をつけて」
 楊ゼンの言葉に頷いて、白琥が原形に戻り今まさに飛び立とうとした時、天化が白琥の尻尾を思い切り掴んで引き止めた。
「ミギャッ!」
「わ、悪かったさ!」
 全身の毛を逆立てまん丸に見開いた目で天化をじっと見つめた白琥に、天化は思わず尻尾を手放し誤る。まさかここまで反応があるとは思っていなかったのだろう。しかし白琥にとっては十分すぎる一撃であった。
 慌てて誤った天化であるが、すぐに真面目な顔になって、白琥に言う。
「俺っちも連れてって欲しいさ!俺っちだって個恩論の道士なのに、こんなときに」
「だめよ天化。これは太公望が決めたこと。だから私は貴方を連れて行けない」
「そんな!」
「ごめんなさいね天化。貴方の気持ちはよくわかるけど、ここで生き延びることも修行よ」
白琥それは」
「……」
白琥!それってまさか、白琥は普賢真人さまと一緒に死ぬ気さ!?」
「……さぁどうかしら」
「待つさ白琥!」
 天化の言葉に白琥は答えなかった。そんなの許さねぇよ!という天化の言葉を背に受けながら白琥は飛翔する。何も答えないのは、決して何も考えていなかったわけではない。
 ただ、と白琥は思う。この時がついに来たのだという確信があり、どこか自虐めいた気持ちがあることも確かだった。
 聞仲や金鰲十天君と戦って崑崙十二仙もきっとただではすまないだろう。その時に白琥はどこにいるのか。白琥は安全圏から金鰲十天君や聞仲との戦いを覗き見るつもりは毛頭なかった。普賢が戦う、その時には必ずやその側にいると、決めたのは白琥なのだ。
 金鰲島よりも早く空を駆けながら白琥は静かに思う。
(太公望、ごめんなさい)



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2018.10.13