暗雲は未だ西岐城上空に留まっていたが、風に流され徐々に徐々に城壁の外へと移動しつつあった。これは落雷の根源である雷震子が宝貝・花狐貂を押し出すために豊邑の中心から移動したためだ。
 一時は白琥によって豊邑の上空より押し出された花狐貂であったが、再び豊邑を人質にとるために移動をしようとしていたのである。これを雷震子が止め、ナタクが到着し、さらに楊ゼンと白琥が助太刀に向かう形となる。
 西岐城上空にて、楊ゼンは哮天犬を黄天化に貸し与え、自身は白鶴童子の姿をとって魔家四将を追っていた。それに併走する形で合流したのは白琥であった。
「はじめまして天才道士・清源妙道真君楊ゼン」
「! そういう君は普賢真人さまの弟子の白琥だね。噂には聞いているよ虎に変化することが出来る道士がいるってね」
「あらまさか楊ゼンにそんなことを言われるとは思わなかったわ」
「そうかな、君は多分君が思っている以上に有名だよ」
「意外ね」
「元始天尊さまの直弟子でありながら、その後崑崙十二仙になった普賢真人さまに改めて弟子入りしている、そのこと自体を疑問視する声も大きいからね。それとも弟子入りと言う形をとっていながらももう仙人と名乗ってもいい身分なのかな」
「……どこまで知っているの?」
「さぁ、それよりも芭蕉扇の力を見せてほしいな。僕はこれからナタクに花狐貂を内部から破壊するよう言いにいく、その際あの内部の消化液が飛び散るはずだ。雷震子にもガードを頼むけれど、おそらく相当広範囲に飛び散るはずだからね」
「二重のガードってわけねいいわよ、それじゃあまた後で」
 白琥はそういうと宙を蹴り楊ゼンの側を離れ豊邑の街へと降りていく。すでに周公旦や武成王、そして武王・姫発が建物の下敷きになった人達を助けに走り回っている。
「周公旦、南宮褐、これからあちらの城壁近くは戦闘の中心になるわ。できる限り早く市民の避難を」
「承知しております、ですが、住む場所がなくなれば生活は続きません。どうか街の人々の生活もお守りください白琥どの」
「わかったわ、出来る限りそうするわ、失礼! 風が吹き荒れるわよ!」
 白琥は原型から人型へ変化すると大きく芭蕉扇を振るう。虎の姿でなければ空中を駆けることはできないが、一方で芭蕉扇を振るうのであれば人の姿の方が都合がいい。白琥はその都度戦場に合わせて変化を繰り返し戦う、それが白琥のスタイルだった。
「哈ッ!」
 掛け声と共に身の丈よりも大きな芭蕉扇を仰ぐように振るえば白琥を中心に風が吹き荒れ、その風は白琥から離れれば離れるほど強くなり、雷震子の風のバリアから洩れたわずかな消化液すらも全て城壁の外へ弾き飛ばした。
 城壁の外は畑が広がっている。貴重な食料源ではあるが今はそうも言っていられない。人命を第一とし、次に人々の生活を。殷の仙道が何の制限もなく力を揮えるのに対し、周の仙道には守るものが多かった。自由自在にとはいかないが出来る限りのことをするために白琥は再び芭蕉扇を振るう。風はさらに強さを増し、花狐貂の侵入を城壁の瀬戸際で防いでいた雷震子すらもあわや風の勢いに流されかけるほどであった。
 ナタクによって内部から破壊された花狐貂は、消化液を城壁の外にばら撒いて沈黙する。それで終わればよかったのだが、今まさに飛び出そうとした白琥はさらに数を増やした花狐貂が城壁の向こうに現れたことに絶句した。花狐貂は今度はばらばらに豊邑の上空へと散らばり、今度は豊邑全体を人質としてとってみせたのだ。人民への被害を最小限に抑えるという制限がある周の仙道に対しこの作戦は非道であるものの非常に有効だった。事実雷震子も、白琥も、豊邑全体を風で多い花狐貂から守ることは決して不可能ではない。だが人民への被害、それはすなわち人々の生活を守るということも暗に含められており、そうなると被害を抑えて宝貝を使うのは非常に難しかった。それほど雷震子と白琥の宝貝は強力なものである、ということでもある。
「雷震子!」
「おう白琥じゃねぇかついこの間ぶりってところか」
「ええ、でも今はそんなことを言ってる場合じゃないわ、一旦太公望の元へ行きましょう。相手が連携を取って戦う以上崑崙の道士にも連携が必要よ」
「わかった、太公望はあっちだ」
 犠牲の少ない城壁の上、太公望は腹部に大きな傷を負った状態で城壁に身を任せ座り込んでいた。
「おお雷震子に白琥よ、今まさに呼ぼうとしていたところだ」
「だと思ったわ、花狐貂を豊邑から吹き飛ばすのは無理、どうしても被害が大きくなる」
「わかっておる、そのためにおぬしらを集めたのだ。わしが一つ策を授けよう。その前に白琥よ、その足で一つ駆けて武成王を連れてきてはくれまいか」
「わかったわ」
 白琥と太公望の付き合いは長い。何故天然道士である武成王・黄飛虎を? と問うこともなく身を翻して彼の迎えに行く。武成王は周公旦らと共に建物の下敷きになった人の救援に当たっていたが、白琥が太公望が呼んでいることを伝えると、即座に兵を編成しなおし崩れた建物の撤去の命令を出す。なるほどこれが鎮国武成王と朝歌で名を馳せた男かと納得しながら白琥が少しかがむと、武成王は少し迷ったあと原型の白琥にさっとまたがった。
「振り落とされないで」
 ぐんと飛び上がる。しなやかなその足は力強く地を蹴り、次は宙を蹴りあっという間に太公望の元へと帰ってきたのだった。
「太公望どの遅くなってすまねぇな」
「よい、向こうもこちらが固まっている以上そう簡単には手出しできないからのう。よいか武成王も楊ゼンもよく聞け! わしが一つ策を授けよう」
 そう太公望は切り出した。

 太公望の策は一つに留まらぬ。これがだめならば次、次がだめならばさらに次と、味方の戦力をよくよく理解した上で、次から次へと策を出してくる。長い付き合いのある白琥ですらも驚愕するほどに太公望は策士であり、楊ゼンが恐れを抱くほどの智謀の持ち主でもあった。
「よいか、魔家四将は四人で居てこその連携プレーを見せるのだ。ならばその四人を徹底的に崩すほかあるまい」
「でも、どうやって?」
「現時点で最も厄介なのは魔礼青じゃ。あの分裂する剣は、同じ剣の宝貝を扱う黄天化を、知らなかったとはいえ簡単に切り裂いたからのう。よって楊ゼン、お主が奴を止めよ。魔礼青に変化をすればやつの分裂する剣も止められるであろう」
「確かに、それは可能ですが」
「可能ならば問題ない。ここからはいかに四人を分裂させるかの話だが、まず楊ゼンは白琥に化けて近づくのだ」
「白琥に?」
「そうじゃ、花狐貂を容易に吹き飛ばす芭蕉扇の力はやつらも知っている必然、全員の意識は多少なりとも白琥に化けたお主に向かう。その隙をついて雷震子の雷によって襲撃する」
「いいけどよ、それならわざわざ楊ゼンに化けさせずに白琥に直接行かせればいいんじゃねぇのか」
「いや! 白琥には他にやってもらうことがあるのじゃ。雷震子の雷によってできた一瞬の隙に楊ゼンは魔礼青に変化せよ。そして武成王おぬしは花狐貂を操る魔礼寿をその隙に捕らえるのだ」
 武成王はその言葉に頬をかきながら少し困ったような表情で言った。
「でもよ相手は仙道なんだろ。俺がいって役に立つか……」
「いや!わしはおぬし自身が評価するよりも高い評価をしておる。問題はないはずじゃ。楊ゼンが魔礼青に変化すれば必ずや礼青は楊ゼンと戦う、礼寿は武成王が、そして残った礼紅と礼海をナタクと雷震子で叩くのだ」
「なるほど……たしかにその作戦であれば連携プレーを崩せるかもしれませんね、しかし白琥はなにを?」
「白琥にはこの作戦が失敗したときのために動いてもらう。白琥の芭蕉扇は単に風を操る宝貝ではないのだ、その扇、」
「四十九度扇げばどんな火をも消すことができる霊水を呼ぶ、その霊水で魔礼青の見えない剣を可視化するのね」
「そうじゃ、魔礼青の剣は分裂しいくつもの刃になる点も厄介だが、その刃が見えぬのも危険ゆえ、雨水で斬檄を見えるようにすれば」
「剣を扱わない僕にも十分勝機はあるということですね、師叔。恐れ入りました、よくもまあこんなにも策を思いつくものだ」
 そのように言う楊ゼンの輪郭が溶けわずか瞬きの間にその姿は白琥と全く同じものになっていた。
「また腕を上げたか楊ゼン。これだけの変化ならば魔家四将とて見抜けまい」
「ええ、任せてちょうだいなんとしても引きつけてみせるわ」
 かつて太公望のところに妲己の姿で現れた楊ゼン、その時よりもはるかに変化の精度はあがり、また変化を終えるまでの速度も上がっていた。そしてなによりも楊ゼンの恐ろしいところは、変化対象の口癖から体の動かし方の癖まで全て写し取ってしまうところだろう。それは楊ゼンの変化に寄るものではなく、彼自身の鋭い観察眼と記憶力に寄るものである。もしも敵であったならばそれが何よりも恐ろしいと太公望は言うがその言葉を白琥に化けた楊ゼンは否定する。
「なにをおっしゃいますか太公望師叔。僕はあなたが味方で心底よかったと思っていますよ。もしあなたがあらゆる束縛を捨て汚い手を使ったのであればきっと聞仲すらもその知謀で倒せてしまうかもしれない」
「それは褒めすぎだぞ楊ゼン。わしはいつも汚い手を使っている」
「今はそういうことにしておきましょう。それでは僕はあなたの剣になって見せます」
「それじゃあいっちょいってくらぁ!」
 白琥の人の姿からさらに虎の姿へと変化した楊ゼンは風を起こし宙を駆けていく。雷震子は途中から一気に空へと飛び立ち、あっという間に雷の鳴り響く暗雲の中へと消えてしまった。そして白琥に化けた楊ゼンのみが、魔家四将の待つ花狐貂の上へと向かったのである。
「全員の視線が楊ゼンに向いたわ、私も行くわね太公望」
「うむ、わしは動けんでな、任せたぞ」
「頼むぜ白琥どの」
「ええ、私は雷震子の雷と同時に貴方を花狐貂の上へ、その後は一旦姿勢に降りる、万が一の時は……」
「いや、もう覚悟は決めた。もうあのくじらの化け物で西岐の民は傷つけさせねぇ」
 ばしっ、と拳を手のひらにぶつけた武成王は白い虎の姿の白琥ににやりと笑う。白琥はそれに対しすっと武成王に背を向けて背に乗るようにしめすのだった。

 その後の流れはおおよそ太公望の言うとおりとなった。白琥の姿をした楊ゼンに一瞬気を取られた隙、雷震子の雷が花狐貂を直撃し、それに併せて楊ゼンは魔礼青に変化を、同時に楊ゼンの反対側から武成王が魔礼寿を確保する。ナタクは太公望の策に乗ることはなかったが結論から言えば、四対四から一対一の戦いにうまいこと持ち込めたと言えよう。白琥は武成王を花狐貂に送り届けてからいったん地表まで降りると魔礼青の青雲剣対策として雨を呼ぶ。暗雲はすでに空に立ちこめており、さらに白琥が雨雲を呼んでも誰も気付かないだろう。全ては太公望の思惑通りに進んでいた。
(本当に恐ろしい方だ)
 魔礼青に変化したまま楊ゼンは青雲剣を何十合と交えながら、思う。ナタクの行動は楊ゼンにとっては予測範囲外であったが、最終的にこの形に持ち込めたことを考えると太公望は最初からナタクが自分の言葉を聞かないことも考えた上での計画であったように思えてくる。もし本当にそうだとしたら、誰よりもよく敵も味方も観察しているのは太公望なのかもしれなかった。楊ゼン自信もかなりのところ観察眼はあると自負しているが、とても太公望のような展望を持てるとは思えなかった。
(もしかすると本当に聞仲をも)
 太公望はその知略で持って倒してしまうかもしれない。かつて聞仲の圧倒的な力の前に敗北したときは、とても周が殷に勝てるとは思えなかった。だが太公望のそばにいる時間が長ければ長いほど、次こそは聞仲に勝てるのではないか、とそんな気すらしてくるほどだ。だが、その時の犠牲は果たしてどれほどのものになるのか。太公望はできる限り敵も味方も犠牲がでないように戦っている節がある。本当は戦などなければいいと思っているのかもしれない。それでも戦わなければならないほどに追い詰められて、追い詰められた先に、何を見いだすのか。楊ゼンはそのことに特に興味を持っていた。そして同時にその時は必ずや太公望の剣となって戦うことを決意したのである。
 青雲剣が弧を描く。同時に楊ゼンも大きく振りかぶりギンッと大きな音を立てて青雲剣同士が交差した。魔礼青の剣の腕は確かで、これに見えぬ複数の刃が重なるとなれば確かに恐ろしい。楊ゼンも今は魔礼青に変化しているからこそ、振りかぶる度に何十と重なる刃に追いついていられるが、彼の本来の宝貝では黄天化と同じ道をたどることは容易に想像できた。もうそう長いこと戦っては居られないだろう、できる限り早く礼紅と礼海を二人に倒してもらわねばならないが、二人の様子を見るほどの余裕を礼青が与えてくれるはずもなかった。
「ふん、楊ゼンよ腕が鈍ってきているのではないか?」
「それはこちらの台詞だな」
「何かを待っているな。くくっあのコウモリと空を飛ぶ小僧の心配なら捨て置かねば剣が迷うぞ」
「それはどうだろうな!」
 魔礼青に化けた楊ゼンはその言葉と同時にぐっと力を込め大きく礼青から距離をとった。追いかけてくる青雲剣の刃を、同じく青雲剣の刃で相殺し、その一瞬の隙にナタクと雷震子の様子を垣間見る。状況は芳しくないようだった。だが今変化を解くわけにもいかなかった。
 その時ぽつり、と楊ゼンの頬を伝うものがあった。
「雨……?」
 礼青は一瞬雨雲を見上げ即座にその意味に気付いたようだった。
「あの小娘か!」
「気付くのが遅かったな魔礼青、これで貴様の刃は全て見て取れる!」
 魔礼青の持つ青雲剣の分裂する刃は、決して存在しない訳ではない。見えないだけで確実にそこに存在するものなのだ。故に雨が降れば降るほど、刃は雨を明瞭に切り裂き可視化されていく。それは楊ゼンが変化した青雲剣についても同じことが言えるが、すでに何十合と己の宝貝と打ち合う礼青が自らの刃に気づけぬはずがない。これで戦場は整った。あとは、と楊ゼンが思ったときだった。
 耳障りな琵琶の音が花狐貂の上で響き渡る。楊ゼンは魔礼青に変化している故ただの耳障りな音にしか感じなかったが、その瞬間風が吹き荒れ雷鳴がところ構わず轟き、ピシャッと激しい光がいく筋も大地に落ちる。白琥の宝貝の効果によって、雷によってついた火は即座に消し止められたが、風はごうごうと呻りをあげ、空を飛ぶナタクだけでなく地表にいる白琥にまで襲いかかる。
「きゃっ! ッなんて威力……!」
 豊邑まで襲い来る風と雷をなんとか押しとどめるために白琥も芭蕉扇を振るうが、芭蕉扇の風をも押し返す勢いで風が吹き荒れ、豊邑の街を荒らしていく。
「雲中子さま、雷震子の羽にリミッターをつけてたわね……!? このままじゃ」
 豊邑の街はめちゃくちゃになるだろう。雷震子を中心に生まれた竜巻は城壁を巻き込み破壊しながら、ありとあらゆる方向へと勢いを増しながら進んでいく。
「魔礼海の黒琵琶ッ!」
 ようやっと一つ竜巻を相殺した白琥は城壁から内側には入れまいと、同じ規模の竜巻を生み出してなんとか豊邑に入れないようにするが、そろそろ白琥の体力も限界が近かった。
「この規模の竜巻を、起こすのはもう、ッ」
 だが不幸中の幸いと言うべきか、災禍の中心となっている雷震子に対しナタクが攻撃を始めたのである。ごく単純に雷震子が邪魔であったというだけなのだが、そのおかげもあって豊邑の街は救われたと言ってもいいだろう。
 ざぁざぁと雨が降り続く中、お互いにお互いを攻撃しあう雷震子とナタク、魔礼海の持つ宝貝が琵琶である時点でこのことを予想すべきだったのかもしれないが、はたして誰がこうなることまで予測できたというのだろうか。
 太公望と武吉そして武王は同士討ちをする二人の姿をただみていることしかできず歯がゆい思いをしていた。せめてあの場に行ければ、と思わないでもないが、なんの策もなく突撃すれば魔礼海の黒琵琶に操られるだけである。
 さて、いかなる方法をとるか。基本的に策を練っても時間が経てば経つほど予測できない事態が重なっていく。故に策士は常に戦場を見極め臨機応変に対応していかなければならないのだ。だが肝心の策士太公望は深い傷を負い戦場にでることができない。魔家四将が一対一の戦いに持ち込まれてもなお善戦しているのは、太公望が前線にいない、ということもあるだろう。
 しかしここで思わぬ伏兵として武王・姫発が現れたのである。魔礼海の黒琵琶に操られている雷震子であったが、そもそも雷震子が仙人界で修行を積んできた理由はすべては父親である姫昌のためだ。盗賊家業で名をあげようとしたのも姫昌のため、となれば家族の言葉に反応するのは道理であった。なによりも強く家族のためを思い、人ではない姿になったのだから姫発の罵倒に雷震子はピタリと動きを止めた。
 その一瞬の隙にナタクの攻撃が雷震子の後頭部に直撃する。遠慮容赦ないその一撃に悲鳴を上げた雷震子であったが、自らの声と衝撃のおかげでなんとか自分を取り戻すに至ったのだった。
 その様子を見てほっとした太公望であったがまだ油断はできない。魔礼海の黒琵琶も魔礼紅の混元傘も未だ攻略には至らず、礼青に変化している楊ゼンがなんとか戦場を保っている状態だ。戦況は徐々に太公望たちにとって悪い方向へと傾きつつあった。


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2018.09.15