太公望が黄天化と白琥に各々指示を出してから五日ほど経った頃、白琥は再び豊邑に戻ってきていたが、特に太公望のところへ顔を出すこともせず、市民に混じりごく普通の生活を送っていた。
 堅牢な城壁で囲われた豊邑は豊かだ。また城壁には兵士が常の十倍も配置されており、対人の軍としてならばかなり長期にわたって篭城戦ができるだろう。ただし対仙道となると話は異なってくる。果たして太公望の読みは当たるのか、と白琥は思いながら流れ者の薬師として仕事をしていた、まさにそんなときであった。
 青天の霹靂とはまさにこのことを言うのであろう。突如現れた巨大な鯨のような何かが城壁を大きく破壊しながら兵士ごと丸めて食らっていく。あれほど堅牢に作り上げた城壁はまるで積み木のように簡単に崩され、崩壊した瓦礫が城壁付近の家へと落下し、突然のことに被害は一気に拡大した。

「あれは……!」

 白琥は髪を止めていたかんざしを外すと投げ捨て借り家の中に飛び込む。そして壁にかけていた芭蕉扇を手に取ると、家から飛び出て豊邑の城壁を食らう巨大な宝貝を見た。恐ろしいほどの質量を食らいながらも全く体型を変えずに未だ食らい続けるソレ。城壁の上はすでにパニックであり次から次へと兵が飲み込まれていく。そして口から零れた城壁を構築する石材は崩壊し家を破壊していく。白琥は一回の跳躍で巨大な宝貝の真下の家の屋根に着地すると、大きく芭蕉扇で仰いだ。

「哈ッ!」

 その瞬間、ごうと風が吹き荒れる。落ちてきた石材がまるで紙のように風に煽られ空に舞い、今まさに家を潰そうとしていたそれらはいともたやすく城壁を越えて城壁の外へ吹き飛んでいった。同時に巨大宝貝・花狐貂もまた大きな風に煽られ、ぐらりと大きく姿勢を崩す。そのまま倒れるかと思いきや元々浮遊するタイプの宝貝のようで、花狐貂は白琥の風に煽られ城壁から吹き飛ばされながらも少しはなれたところで再び態勢を立て直す。

「城壁に近い者から避難を!急いで!城へ!外壁近くは危ないわ!城へ!」

 白琥は慌てふためく市民にそう叫ぶ。

「待ってくれ仙人さま!この下に息子が……!」

 それは男の悲痛な叫び声であった。

「ッ!巻き込まれたのね、まだ下にいるの!?」

 そう白琥が声を上げると少なくない市民が手を挙げ叫び声を上げた。
 予想だにしない突然の仙道の襲撃、まさかほんの数秒足らずであれだけの外壁を食らう宝貝の持ち主がいるとは太公望も想定外であっただろう。しかもあの宝貝・花狐貂の持ち主は周の市民に被害が出ることを全く気にかけていない様子だった。もしも聞仲であれば、外壁を破壊などせずに直接太公望や仙道を狙いに来るに違いなかった。少なくとも聞仲は仙道の力で人が死ぬことを朝歌の民であれ西岐の民であれ、厭う人物なのだ。と、いうことは、今ここへ来ているのは聞仲ではない。太公望の悪い予感は当たったのだ。聞仲が何らかの理由で西岐、改め周を攻めることが出来ずに別の仙道が来たということだろう。
 早くそちらに向かいたい気持ちを押さえ白琥は芭蕉扇を構えなおす。

「皆よく聞け!これより瓦礫を吹き飛ばすわ、その間に下敷きになった人を引きずり出して、そしてすぐ豊邑の中心地へ!町の中に留まっちゃだめ!いくわよ!」

 白琥はそう叫ぶと再び大きく芭蕉扇を仰いだ。その瞬間吹き荒れる風は重い石を持ち上げる。

「急げー!こっちだ!手伝え!」
「はやく!早く逃げるのよ!」

 突然の襲撃に慌てふためきながらも、町の人々は各々手を貸し合い、瓦礫の下敷きになって怪我をした者を引きずり出し急いで町の中央へ向かう。

「無理だ……」

 嘆く声がないわけではない。家は石造り、さらに崩れてきた外壁も重たい石で出来ている。それの下敷きになり生きているのは奇跡であり、大半は助かる術もなかったのだ。それでも確認しなければ前に進めない。それをわかって白琥は手助けをしたのである。

「何故……こんな……!」

 その場に膝をついて嘆く男は、先ほど息子が下敷きになったと声を上げた男であった。重い石に潰され息子はもはや原型を留めていない。わずかに残った布の切れ端も血をたっぷりとすい真っ赤に染め上げられていた。

「何故ですか仙人さま!何故息子は……!」
「逃げなさい、早く。その問いに私は答えられない。それでも貴方は生きているのだから今すぐに逃げて。でなければ私がここにいる意味がなくなってしまう」
「息子をこのままにしておけということですか!?」

 白琥の服にすがりつく男はたった一人の息子を亡くした悲しみに動けないのだ。

「誰か、手の空いている者は」

 白琥はすがりつく男をそのままに声をかける。恐る恐る何人かが手を上げた。

「悪いのだけれどこの人を連れて行って。私はこれ以上被害が出ないように仕掛けてきた仙道と戦わないといけないわ」

 息子を返してくれという叫びが耳に痛かった。悲痛な面持ちで二人の男が、嘆き叫ぶ男を抱え豊邑の中心にある武王の住まう城へと連れて行く。
 仙道とはおそらく城壁の外、豊邑の外で対決することになるだろう。少なくともそうすれば市民に被害は出ない。太公望ならそう考えるはずだ。
 城壁を食った花狐貂はゆっくりと豊邑の上空へと飛んでくる。今度は城壁など何の意味もないとばかりに町の上でぴたりと止まった。

「あんなところで動かれたら……!」

 白琥は家の屋根を飛び跳ね、急ぎ逃げよと指示をしながら、花狐貂の真下に来るよう全力で走る。真下から斜め上へ花狐貂を吹き飛ばすことは、芭蕉扇を持つ白琥なら可能なはずだ。
 次から次へと屋根の上を跳躍し、ようやっと花狐貂の真下へとたどり着いたときだった。鼓膜が震え、音が直接頭の中に流れ込んできた。

白琥よ、すぐに西岐城へ参れ、天化と武王の二人を人質に取られた』
「太公望!?」

 ぱっ、と白琥は西岐城を眺め見るが天然道士ではないため武吉ほどの視力はない。だが今のは太公望の打神鞭によるものだろう。風を使い、直接鼓膜を振動させたのだ。武王を人質にとられたということは天化はやられた、ということだろう。この宝貝は周の仙道の目をひきつける罠か、と唇を噛み締める。しかしだからといって何ができるわけでもない。白琥は虎に姿を変えるとそのまま宙を蹴り、花狐貂の上に乗る。ここからならばかろうじて西岐城の様子も見て取れる。
 屋根の上、両手を拘束された武王と武成王、太公望そして武吉が静かに座っていた。天化は、と思い目をやれば、ひどく傷をつけられた天化は西岐城の屋根の上に転がされている。すでに意識はほとんどない様子だった。


「あれが先ほど花狐貂を城壁の外へ吹き飛ばしたのは」
「そのようだな」

 花狐貂の上に乗る白い虎、くわえた大きな扇を見て魔礼青は低い声で言う。

「約束であろう、『もう一人町に潜む仙道を呼び出せ』と言ったのはぬしらであろう。すぐにあの花狐貂を城壁の外へ出せ」

「わかっているよ、でもあの虎がこちらへ来るのが先だ」
「……」

 太公望は静かに正面を向き、白琥に大きく手を振る。こちらへ来いという合図だ。虎になった白琥には西岐城の頂点、屋根の上での会話はよく聞こえていた。太公望が一時とはいえ投降した、それならば自分もいくしかあるまい。
 白琥は花狐貂を一度蹴って宙に駆け出すとそのまま一直線に西岐城の屋根へと向かう。そのときであった。
 先ほどまで沈黙を守っていた花狐貂が突如動き出したのである。どすんと大きな音を立てて町のど真ん中に下りると再びその大きな口を開けて、今度は町ごとくらい始めたのだ。

「貴様らァ!」

 白琥は振り向き様に大きく芭蕉扇を仰ぐ。吹いた風はありとあらゆるものを吹き飛ばす。町に降り注ぐ瓦礫も、そして花狐貂も例外ではない。

「!?」
「礼寿よどうした」
「あの虎の宝貝、とんでもない力だ、花狐貂が吹き飛ばされる」

 魔礼寿がそう言うが早いか、ぐっと地面から煽られ持ち上げられた花狐貂はそのまま街の家々の屋根を掠めながら城壁を破壊し今度こそ外へ追いやられた。それと同時に屋根の上に赤い衣を纏った女が降り立つ。

「さきに約束を破ったのはそっちでしょう、私は投降する代わりにあの宝貝は外へ追い出す。これで約束は果たされたわね?」

 ぎっ、っと魔礼寿を睨みつけるが、礼寿はまるで興味がないとばかりにリモコンを降る。姿勢を崩した花狐貂は再び宙へと舞うが、今度は城壁から内側へ入ろうとはしなかった。

「どうする?」
「……まぁいいだろう。そのうち崑崙の仙道どもがやってくる。無駄なエネルギーはこれ以上使う必要もない」
「そうだね、あの女も降伏したしそのまま外に浮かせておくよ」

 西岐城の屋根の上、白琥は太公望の隣に座る。普段はもっと高いところを飛んでいるのだが、今日はやけに空が近くに感じられた。

白琥よ」
 太公望が静かに問う。
「街の者はどうなった」
「助けられるものは助けたと思う。出来る限り西岐城に逃げ込めと伝えたから逃げられるものは逃げた。でも間に合わなかった」
「そうか」

 太公望の表情は一つも変わらなかった。ただ淡々と報告を聞いているだけである。
 白琥は西岐城の屋根の上に魔家四将がいるのを見て、西岐城に誘導したのは失敗だったかと一瞬ひやりとしたが、逆に考えれば魔家四将と人質がいる以上、西岐城が破壊されることはないだろう。今は周公旦を中心に避難指示が出ているはずだ。西岐城を中心にしたところにいればひとまずは安全だと思われる。
 屋根から見る豊邑の街は悲惨な光景を呈していた。幸いにして火災は起きなかったようだが、一歩間違えれば二次・三次災害によって多くの人命が消えただろう。白琥はできることはやった、だがそれ以上のことはできなかった。それを今悔いても仕方ないが、先ほどの男の言葉がちくちくと胸に突き刺さる。
 ああ、彼にとっての息子は私にとっての普賢と同じ存在なのだと白琥は思う。もしも普賢が死んでしまったら、千年の功夫を捨ててもきっと後を追う。同じように彼がもうあの場から動けなかったのは彼の世界そのものであった息子が死んでしまった故に、彼にとってすでに世界は終わったも同然なのだ。その悲しみに白琥は寄り添うことは出来ない。白琥は仙人で、今はまだなすべきことがある。一人の命をないがしろにするわけではない。だがそれを切り捨てても今は進まねばならないのだ。
 空がますます近くなってくる。
 いや、これは空が近くなっているのではなく雲が満ちてきているのだと白琥は気づいた。この暗雲はまさか、と思ったときに太公望が正面を向いたまま、そっと次のことを口にする。

白琥、武成王そして武吉……雷が落ちたら姫発を担いで逃げよ!」
「?」

 礼紅がその言葉に振り向いた瞬間。
 光が走る。
 轟音が響き渡る。
 幾本もの雷の光が西岐城に降り注ぎ、一瞬何もかもが見えなくなるほどの強い光と、鼓膜を破りそうな音が響き渡った。

「なんだ!?」

 突如西岐城を襲った雷に魔家四将の意識が一瞬それる。その瞬間に白琥は虎に姿を変え、武王を担いだ武成王の背を押した。

「おわっ!?」
「乗って!」

 武成王が地面に激突するよりも早く、白琥が真下で受け止めると、武成王がしっかりと白琥の美しい毛並みを掴むのを感じた。そのまま宙を駆け、武王と武成王を城壁の上におろす。

「武吉は!?」

 白琥の背に乗ったのは武成王と武王のみ、あと一人取り残したか、と舌打をする白琥であったが、その瞬間に武吉が傷を負った太公望を背負い西岐城の屋根から飛び降りるのが見えた。そんな無茶な、と言うよりも早く武吉は足をバネにして器用に着地すると、そのまま得意の足をもって豊邑の街をまっすぐに駆ける。その後ろを魔礼青の目に見えぬ剣戟が追った。
 叫ぶ暇も助ける距離でもなく、白琥も武成王もそして武王も遠くながら武吉に魔礼青の剣が直撃したことを見る。血が噴出し、豊邑の街路を濡らした。だがそれでも武吉は止まることなく太公望を連れて走り続ける。ぼたぼたと血のあとを残しながら、それでも絶対に太公望を離すことなくついには城壁まで走り抜けたのだった。

「やるぜ武吉っちゃん!」

「まだだ、白琥どの!すぐに俺を乗せて西岐城に戻ってくれ!天化がまだ__」
「大丈夫よ武成王、楊ゼンが来た」

 魔家四将はすでに動けない天化に興味はない様子だった。西岐城の屋根に一人置き捨てられた天化に近寄る影、それは崑崙山の天才道士楊ゼンであった。楊ゼンは魔家四将の動きに気を使いながらも倒れ意識朦朧とする黄天化に近づくと、自らの宝貝である哮天犬を貸し与えそのまま仙人界へと戻させたのである。

「武成王は武王を、おそらくここなら安全でしょうけど、私は楊ゼンと合流するわ」
「わかった、敵の仙道は任せたぜ、なんとしてもやっつけてくれ白琥どの」
「ええ、任されたわ」


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2018.09.11