ストン、と闇の底に落ちていきそうな暗闇だった。ざあああと聞こえるのは風によって砂が舞い上げられる音だが、海の漣にも似ている。ランプに火をつけてもゆらゆらと、炎が揺らぐせいで目にうっとうしい。だが墓の中で円を使うとまた何が起こるかわからないのが難点で、シャルナークもウボォーギンも不愉快なほどにちらつく光と影にため息を吐いた。


イシス、貸して」

「僕だって持てるさ」

「明かりが低くてうっとうしい」

「・・・・さすがにちょっと傷ついたな」


シャルナークに手元の明かりを持っていかれたイシスは不満げだったが、特に反抗することはない。何しろ幾分高いところで掲げられた明かりのおかげでイシスとしても足元が見やすいためだ。
石が積み重ねられた廊下、ピラミッドと同じように随分と長くまで続いていた。ウボォーギンには少々狭そうだが壊せば生き埋めである。死にはしないだろうが、全身砂だらけになるのは勘弁して欲しいところだ。
元から空いていた穴を利用したのか、それともわざわざ掘ったのかは知らないが、いくつにも分岐点があってややこしい。イシスは壁に手をついて、時折壁に刻まれたヒエログリフを読みながら先へ進んでいった。選択の基準はわからない。ただいくつかの通路からは風が吹き込んでいたから、複数あった入り口とこれらの通路は全て繋がっているのかもしれない。


「うん、繋がってる。ほら、観光客向けにいくつかは立ち入り禁止が書いてあるだろ。あそこから先に行くと本当に危ないのさ。入り口も道もいくつにも別れている。ある入り口から入った場合には、その入り口の主様のところまで行く道順がきちんと示されてるけどね。それでも、現段階で通行許可が出てるのは一つだけじゃないかな」

「一体いくつの王様の墓があるわけ?」

「さぁ。僕にもわからないよ」


イシスはそういいながら、通行禁止と記された立て看板を至極自然に横にずらしてその先へ進む。そこから先、空気が変わったのがわかった。


「墓守の念がここにもかかってるね」

「今までのところは何もなかったの?」

「墓荒らしが入ったりその他の理由で念が解除されてるんだよ。こういう遺跡ではね、結構除念師が活躍するんだ」

「ふぅん、イシスの知り合いにもいるの?」

「ん僕の?・・・・・シャル君、狙ってるだろ」

「あはは、ばれた?」


イシスはくるりと振り返って、幾分高いシャルナークの目を見た。シャルナークは今までの様子からポロっとしゃべってくれることを期待していたようだが、さすがにイシスもそう甘くはないようだ。
除念師はその能力の特性上、様々な意味で狙われやすい。たとえどんなに小規模で弱い念しか解除できなくとも、通常であれば一方通行にしかなりえない念に対し別の形でのアプローチを出来るというのは大変な強みであるのだ。それ故かそのように特殊なある意味特質系よりも稀な念を持つ除念師という存在は数が少ない。狙われやすくなるのも当然のことで、除念師は通常自分の念を徹底的に隠している。それは周囲の人間も同じで、早々簡単には除念師のことを口にすることはない。
イシスも相手が幻影旅団であることを知ってか、それとも特に相手がシャルナークであることを知ってか口を噤む。
にやりと笑って「詮索はダメだよ」とだけ言った。
それから暗い通路の中をどれくらい歩いたかは覚えていない。きちんと足元まで舗装されているからそれなりに歩きやすいが、重苦しい閉塞感だけはどうしたってぬぐいきれなかった。


一つ


重苦しい声が響いた。少しだけ廊下を進めば唐突に高い広間に出た。墓の中が一体どのような構造になっているのかまったく想像がつかないほど、高い天井とそれから天井まで伸びる柱が整然と並んでいる。


問いに答えよさもなくば、ここで死を待て


空間に響き渡る声はその広間のもっとも奥から聞こえていた。


「さて、シャル君、ウボォーさん。今までの廊下に描かれていた文言が正しければここから先、広間に入ったらスフィンクスの問いかけに答えるまで三人の間で言葉を交わしちゃいけない。スフィンクスの問いに答えられなければ死ぬことになる。念は使えない。二人ともスフィンクスの問いに答える自身はあるかい?」

「ねぇな」

「オレはあるね」

「なら決まりだ。ここから先の道を行くのは僕とシャル君。ウボォーさんは広間に絶対に足を踏み入れないで待っていてよ」


イシスはそう言いながらまっすぐ正面を指差した。


「この広間をまっすぐに進めばスフィンクスが守るさらに奥の扉にたどり着く。そこで僕とシャル君はスフィンクスの問いに答える。死者の書は、僕の推測が正しければスフィンクスの守るさらに奥の部屋にあるはずなんだ。それを手に入れたら、あとは死者の書の念の発動条件にもよるけど基本的には呪文のようなものだから読み上げればいいんだ!」

一つ


もう一度、広間に大きな声が響き渡る。おそらくスフィンクスはある一定の範囲内に人間がやってくるとこの問いを繰り返すように出来ているらしい。イシスは広間に踏み込んだらスフィンクスの問い以外の答えに関しては一切口を利かないこと、とシャルナークに言い含めて彼の背を押した。
シャルナークが一歩通路より天井の高い広間に踏み入れると、今まで沈黙していたオーラがゆっくりと動き出すのがはっきりとわかった。纏しか身に纏うものが無いのは幾分心細いが、イシスが話すことによれば、ある一定の条件を満たさない限り墓守の念は発動しないらしい。最初にアビュドスを訪れたとき、念が発動したのは正しい踏み石の上を歩かなかったからだそうだ。
真っ暗だった広間にはちょうど真ん中に一つの道があって、その両脇には何度も火がつけられただろう松明の残りカスがかろうじて残っていた。シャルナークはそれの一つ一つに明かりを灯しながら正面に広がる暗闇の中に足を向ける。


一つ


深い重たい声は近づけば近づくほど大きくシャルナークの耳に届いた。全ての松明に明かりをつけると、その明かりは若干心もとないものの広間に影を作り、その空間の広さと最奥に鎮座するスフィンクスを照らし出した。
人の頭と、ライオンの胴を持つ化け物だ。ギーザのピラミッドの近くにも鎮座していたのと同じようにそれの素材は石であるようにも思えたが、つなぎ目はなく、輪郭はやわらかく変化する。目は黒々とした闇しか持たず光の無いそれがシャルナークを見下ろしていた。その身の丈はウボォーギンよりもはるかに高い。


問いに答えよさもなくば、ここで死を待て


スフィンクスはシャルナークに向かってはっきりとそのように告げた。シャルナークはしばし沈黙を守ってから「わかった」と答えた。これはスフィンクスからの問いに答えるか死ぬか、という二択だと判断した。


朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か


シャルナークは少しだけ拍子抜けしたように肩を落とした。典型的な謎かけだ。
だが今でこそネットが普及し様々な情報のやり取りが簡単になったから、このような謎かけも誰もが知るところとなったが、情報ネットワークがほとんど普及していない過去にはこの問いはもっとも頭の良いものだけが答えられる謎かけであったのだろうと思われた。
今では子供でも知っているようなその問いの答えは「人間」だ。朝から夜にかけて人の一生をあらわし、赤子が四つ足をついて、大人は二本足で天を仰ぎ、老人が杖をついた三本足で夜を待つのである。
シャルナークは一瞬だけ、スフィンクスの言葉の裏に別の意図が隠されていないかと思い迷ったものの、結局そのまま「人間」と答えた。


通れ


スフィンクスはシャルナークの答えに戸惑うこともなく、立ち上がる。スフィンクスの四足のその先に黒々とした更なる通路が見えた。スフィンクスの体の下を通るのは少々心配だったが、シャルナークが通り終わるまでスフィンクスは微動だにせず四足で立ったままだった。そしてシャルナークが通路に入るとスフィンクスがずぅんと重たい音を立ててその場に座り込む。スフィンクスが壁になってしまって出口はどこにもない。シャルナークは手元の小さなランプを照らしながら、出られる隙間はないかと思ったが、押しても引いても、巨大な石の塊と同義であろうスフィンクスはぴくりとも動かない。帰りはどうするのだろうかとシャルナークは首をかしげた。


一つ

問いに答えよさもなくば、ここで死を待て


再び低い声が聞こえてシャルナークはイシスの問答が始まったことを知る。


ある金持ちの男が死んだ。男には17のらくだと3人の息子が居た。長男にはすべてのうち1/2のらくだを与え、次男には1/3のらくだを与え、三男には1/9のらくだを与えよ


スフィンクスの問いはこれもまた典型的な謎かけであった。この答えの正解は長男次男三男の順に9、6、2のらくだを与えれば良い。もしも解答の過程を示せとなったら隣人かららくだを1借りて、合計18にしたところで遺言通りにらくだを分け与えるのである。9+6+2=17であるため借りたらくだは返す、と答えるのが正解だ。こちらもなかなか腑に落ちないもののそういう謎かけとして有名なものである。
だがイシスは平然とした口調で「9と7と1かな」と答えたのである。ぎょっとしたシャルナークの目の前でスフィンクスが立ち上がった。だが今度は決して通れとは言っていない。スフィンクスはイシスを殺す気で立ち上がったのである。


答えられない者には死を


スフィンクスは感情の一切篭っていない声で朗々と言葉を述べる。ほぼ真上からスフィンクスに見下ろされる形になるイシスは、それでも随分と落ち着いている様子だった。


最後の言葉を選べ。もしもその言葉が正しければこの手で潰そう、もしもその言葉が間違っていたら地面に埋めよう

「お前は、僕を地面に埋めるよ!」


スフィンクスはそれきりぷつんと黙りこんだ。イシスはそれを確認してから立ち上がったままのスフィンクスの足の間を通って、シャルナークが立ったままポカンとしている通路に足を踏み入れる。


「え、どういうこと?」

「うん、こういう仕組みなんだよ。例えばここで何も知らない者は正しい答えを言ってスフィンクスに道を空けてもらえるけど、帰り道がないだろう?スフィンクスの問いは間違っても最後の一言を許される。さっきみたいにね。そのときに矛盾する答えをスフィンクスに帰せば、スフィンクスは答えが出なくて動きを止めるんだ。スフィンクスは人に対し反応する念がかけられている。広間から出て行けば再び元のように座り込んで次の問答を待つんだよ」

「へぇ」


イシスの言葉はスフィンクスの言葉に対して大いなる矛盾を孕んでいる。イシスの言葉が正しければスフィンクスはイシスを潰さなければならない。だがもしもイシスを潰したら、イシスの言葉は間違っていることになるので地面に埋めなければならないのだ。この矛盾がスフィンクスを動けなくする、電子機器で言うところのバグにあたる。
シャルナークは半ば感心したように頷いた。考古学者、というもにについて深く考えてはいなかったが、こういった典型的な罠においては、シャルナークの培ってきた知識のほとんどが役に立たない。シャルナークは現代の電子機器で固められた篭城ならばたとえどこであれども時間さえ貰えれば陥落させる自信はあったはずだ。だが一方で現代の知恵の及ばぬ世界では、独特な知恵のまわし方が必要なのだと感じたに違いなかった。
イシスはそのままシャルナークをつれて通路を進み、最奥の部屋にたどり着いた。その部屋の中央には再び石棺があって、シャルナークがそれを動かすと、中からひとつに繋がった長いパピルスが出てくる。


「これが、使者の書だね。生命の循環を表すように端がない。うん、本物かな」


イシスはそういいながら円を描くパピルスの一面に描かれた文字をつらつらと目で追いながらぶつくさと呟く。
シャルナークにはさっぱりわけのわからない、絵のような文字が並んでいた。一体クロロはこれの何に興味があったのだろうと思いながら「それで、どうするの」と若干急かすようにイシスに問う。


「うーん・・・・ちょっと待ってね。念の発動条件は・・・多分これを読めばいいのかな」


イシスは指と文字を同時に使って、並んだ文字とにらめっこをしている。「明かり」とイシスが言うに任せて明かりをイシスの手元に近づければイシスは何箇所かの文字を確認してから頷いた。


「ここの一節を読む。それで除念の能力が改めて発動するはずだ」

「じゃあ読んでよ」


口に出せばいいんでしょ、とシャルナークはさらに急かす。なんとなく先ほどから暗闇が近づいてきている気がした。重たい闇が背中からのしかかってくるような錯覚を覚える。だがシャルナークの言葉に対してイシスの行動はひどく悠長だ。イシスはゆっくりと顔を上げて、それから若干引きつった笑みを浮かべた。


「僕、読めるけど発音はダメなんだよね」


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