はっきりとわかるほどにシャルナークの表情が歪んだ。歪んだ、というよりも額に青筋が走った。イシスはそんなシャルナークの変化を見て、さっと使者の書を盾にするように自分の体の前において「ジンさん!!ジンさんなら読めるかも!!!」と半ば叫ぶように言った。


「発音できないって、どういうこと」


シャルナークの言葉の語尾には疑問はついておらずそれは答えろという圧倒的圧力を持っていた。イシスは古く今にも壊れそうな死者の書を丁寧に巻いて袋の中に収めながら言葉を選ぶ。


「発音できないっていうのは、その、僕は言語は得意なんだけど発音そのものがすごい苦手なんだ、えっとイントネーションとか、そのね、だから、現地語は読み書きできても、言葉が、あの」


ぴりぴりと肌が痛いのは、乾燥した空気だけのせいではないだろう。シャルナークの手に持たれた明かりが彼の顔に影を落としている。それがむしろ怖かった。風はない、が二人の呼吸でゆっくりと炎が揺れてそのたびに影も揺れた。
そうでなくてもシャルナークは最初からイシスに対しての風当たりが強い。これ以上下手なことをしゃべったら殺される、と思ったのか知らないが、イシスはゆっくり足を動かし始める。考えてみれば、ここまでに必要な罠を通り抜けた上、イシスが死者の書を読み上げられないとなるとシャルナークにとってイシスは必要ない存在だ。クロロやフィンクスたちにかけられている念の解除は死者の書があれば事足りる。さて、ここから先にどこにイシスが必要な場面があるというのか。イシスはそんなシャルナークの真っ黒な腹の底を読んだかのように慌てて言葉を続ける。


「べ、別に来る途中の道の全ての罠を回避したわけじゃないんだ!!僕がいないと君だって僕と一緒に生き埋めになるよ!」

「へぇ。道は覚えたし残りの罠がどこにあるかの予想がつくと言っても?」

「か、帰り道でまたミイラに襲われても君たちじゃどうしようもないだろ!?」

「オレは別にこんな遺跡がどうなってもいいからウボォーに頼むかな」


シャルナークの影のある笑顔が怖かった。シャルナークが一歩動くよりも早く、イシスが部屋を走り出す。明かりが無くとも、道を覚えているのかイシスは躓くことがない。


「おい!!」


シャルナークも慌てて走り出すと、一足早くスフィンクスのいる大広間に出たらしいイシスが「ウボォーさぁぁぁん!!」と叫ぶのが聞こえた。どうやらウボォーギンに助けを求めるようだった。
イシスがスフィンクスの足元を駆け抜けたとほぼ同時に、再び大きな地鳴りが聞こえる。スフィンクスは何も言わないが、明らかに空気が変わったのがわかって、シャルナークはあまり迷うことなく一気にスフィンクスの足の下を走り抜けてウボォーギンとイシスのいるところへ駆け寄った。


「早く!!」

「おいどういうことだ!?」

裏切り者には死を与えよ


イシスはスフィンクスのことなど気にも留めずに入り口へと戻ろうとする。シャルナークは少しだけ振り向いて、それから大いに後悔をした。砂をゆっくりとかき分けて姿を現したのは、アビュドスの遺跡に踏み入る際にも見かけた念で動くミイラだ。ウボォーギンが一瞬身を竦ませたが、これも結局先ほどのミイラと同じ死体が念によって操作されているものだと気づいて息を緩める。


「スフィンクスは死者の書の門番だ!!中に入って死者の書を読むことは許されるけど持ち出されることは許されない!!あいつら、どこまでも追ってくるよ!!」


イシスの急く声が通路に木霊する。


「追ってくるのはミイラだけ?それともスフィンクスも?」

「スフィンクスも!!」

「入り口にたどり着く前に遺跡が壊れる!あれが動くなら逃げ出すのは無理だ!」


死者の書を安全に持ち出すことを考えるなら、ここでスフィンクスまでにも追われるのは勘弁願いたいところだ。一般人であればミイラから逃げ出すこともままならずこの場で命を落とし、念能力者はここで念を使って墓守の念をかけられ死ぬ。たとえどんなに足が速くてもまるで迷路のようなこの暗闇の通路の中で後を追ってくるミイラから逃げ切れるとも思えず、スフィンクスもまた追ってくるとなると逃げ出すのは不可能に思えた。


イシス!死者の書は除念の書だって言った!?」

「う、うん!基本的にはあの町の念を抑えるためのものだけど、墓守の念ぐらいなら死者の書で・・・」

「ウボォー!」

「おう、任せろ!!」


ウボォーギンが歯をむき出して笑ったその瞬間に、彼のオーラが動くのがわかった。シャルナークはイシスと共に入り口に走り出す。ウボォーギンは一人それを見送るように、スフィンクスのいる広間に足を踏み入れた。
スフィンクスは特に何も言うことは無い。だが、ウボォーギンが広間に足を踏み入れた瞬間、彼の目からすぐ背後にあった通路への入り口が消えてしまった。
(絶、にはならねぇな。ってことはここにかかってる墓守の念は、この空間から出られなくなるってもんか)
背後を一瞥してウボォーギンは改めて巨大な石の塊であるスフィンクスとミイラに向き合った。シャルナークがあのときにウボォーギンに何を求めていたのかはわかる。町の念を解き次第必ず戻ってくるから、ここで足止めを頼む、とあの時シャルナークは言外に告げて、ウボォーギンもまたそれを了承した。墓守の念がどのようなものかまではわからなかったが、絶になったぐらいではただの石の塊とミイラには負ける気もしない。確かに絶状態では勝てる気もしないが、幸いにして念をかけられたこの大広間でならばしばらく暴れたり無かった分存分に暴れまわれるようだとウボォーギンは笑った。
















ウボォーギンが一人残ろうとしたのを止めようとしたイシスは、シャルナークに身体を抱えられて、真っ暗な通路をゆらゆらとはかなげにゆれる明かり一つで駆け抜けていた。シャルナークは来た道を全て覚えているのか、イシスから何も言われなくても正しい道を選択していく。


「シャル君!!」


イシスが、何故ウボォーギンを置いていったのだ、とばかりに非難の目を向けると、シャルナークの殺気が膨れ上がって、明らかな敵意をイシスに向けた。


「いいか、オレはお前を連れてジンって奴のところに行ってあの町と団長にかかってる念を解いてもらう。それが終わったら必ずここへ戻ってきてウボォーギンにかかった墓守の念を解くんだ。それが了承できないなら今ここでお前を殺す」


炎が移りこんだ翡翠の目玉は静かだったが、イシスがここで拒絶すればたやすくイシスを殺してしまったであろうことは想像に難くない。イシスはごくりとツバを飲み込んだ。まだシャルナークがイシスを殺さないのは、イシスが生きていた方がジンとの交渉がやりやすいからだ。


「オーケー」


イシスは震える声ではっきりと言うと、幾分殺気も和らいで呼吸がしやすくなる。イシスはハンターに近い仕事に従事しているといっても、命のやり取りを頻繁に繰り返しているわけではない。シャルナークの殺気だけで十分に身が震えた。
来る途中で目に付く罠を解除しておいたせいか、帰り道はほとんど時間がかからなかった。イシスとシャルナークの二人が墓を飛び出してもなお、通路の奥から唸り声と地響きが伝わってくる。月はだいぶ傾き始めていた。
入り口にたどり着いたところでようやっと地面に下ろしてもらえたイシスは若干足がふらついた。シャルナークに抱えられていたせいで、妙なゆれが身体に染み付いてしまっているようだった。シャルナークはそんなイシスに構うことなくさっさと停めてあった車に向かう。
行きと同じだけの時間がかかるかと思った道のりはシャルナークの随分と荒い運転によって、かなり短縮された。その代わりにシートベルトをしていてもうっかりすると外にすっ飛ばされそうな勢いにイシスは何度座席にしがみついたかは覚えていない。それでも死者の書が無事に存在するかの確認は忘れずに、ギーザにたどり着いたときにはイシスはへろへろになっていた。シャルナークは道中一度もイシスに話しかけなかった。
ギーザにたどり着くと、最初に車を停めてあった場所と同じ場所に停車する。そして荒い足取りですぐさまジンとクロロが閉じ込められていた地下牢に向かう。その途中、ほとんど誰にも会わないのは奇跡的だった。


「おう、遅かったな」


暗い地下牢の中にはぽつりぽつりと申し訳程度の明かりが用意されていたが、暗くて奥を見通すことは難しい。そんな中に響いたのはフィンクス声だった。ジンが何かに対して笑っていて、フェイタンが自国の言葉で何がしか悪態をついたのがわかった。


「おーう遅かったじゃねぇかイシス!どうだ、死者の書は見つかったか?」

「あ、うん、それは大丈夫。ウボォーさんが墓守の念にかかることになったから後で助けに行かないといけないんだけど」


イシスはそういいながら丸めた死者の書を取り出す。当時はまだいわゆる製本された形の本は存在しない。ほぼ全てがこのように巻物のような形もしくは薄っぺらい紙切れのままで保存されていたため場所をとらないという意味では便利だった。イシスは少々よれたものの、古いながらもしっかりとまだ形を保っているそれを懐から取り出す。これだけ月日が経っても崩れていないのは、これに念がかけられているからだ。凝をすればわかるが、文字の一文字一文字にオーラが揺らいでいる。


「団長は?」


シャルナークとウボォーギンとイシスが死者の書を取りに行ったときにはまだ牢の中にいなかったはずのフィンクスとフェイタンは、今は牢の中にいた。歴史の中の反逆者として捕らえられたのだろう。ジンと異なり手にはめられた手錠には神字が刻まれており、念は使えないようだった。


「連れて行かれた。処刑だと」

「はぁ!?」


シャルナークは愕然として、イシスに早くしろと急かす。折角持ってきたというのにこんなことでクロロが死んでは話にならないのだ。イシスはそんなシャルナークの視線に背中を押されるように、慌てて鉄格子越しに丸めてもだいぶ大きな死者の書をジンに手渡す。


「なんだよ」


ジンは手錠のかかった手でそれを受け取って広げた。


イシスが発音が出来ないんだってね。さっさと読み上げてこの茶番終わらせてもらえない?」


シャルナークはこういった、予想外の出来事というものをあまり好まない性質だった。ウボォーギンやフィンクスを初めとした強化系の面々はそれなりに何かあっても適当に楽しくやりすごすようだが、シャルナークはとにかく几帳面に自分が調べて決めたことから外れていくことが気に食わない。今回は想定外の事実だらけでとにかく苛立ちがたまっているのか、フィンクスも珍しいそんなシャルナークの様子に黙り込む。
ジンはしばし死者の書に目を通してそれからすっと真面目な顔をして顔を上げる。


「すまん、読めん」

「おい!!!」


何かを怒鳴ろうとしたのか、言葉にならなかったシャルナークが思い切り鉄格子を殴った。強化系ではないものの、それなりに鍛えられた拳が堅いはずの格子をいともたやすく歪めてしまう。


「読めないってどういうことだよ!」

「いや、ぶっちゃけオレ、ここの言語わかんねーんだよ。クロロは?あいつこれぐらい読めるだろ!」

「ああそういえば!」


少なくともジンはA級賞金首の幻影旅団の団長がこの歴史の中で処刑されるのを待とうとしているわけではないらしい。だがそれでもあまり余裕がないことは確かだった。すでに空が白み始め、墓荒らしの少々仰々しい処刑まで時間はそうないはずだ。


イシス!!お前さっさとクロロにそれ渡して読み上げるとこ教えてやれ!!あいつなら読めるだろ!!」

「なんだよその無責任な感じ!!僕だってジンさんなら読めると思ってたのに!!」

「そこそこ聞きゃわかるけどよ!細かい発音まではわかんねーよ!!」

「もういいよさっさと団長探しに行くよ!」


シャルナークはきびすを返して牢の入り口に向かう。そのとき一人の衛兵がやってきたが、その首を一瞬でねじ切れば衛兵の体がどう、と地面に倒れた。


「おおう」


イシスは一歩退いたものの、シャルナークがじっと剣呑な瞳でこちらを見ていることに気づいて慌てて死体をまたいで追いかける。本当はこれも存在しないもののはずなのだ。だがそれでもうつろな目をして虚空を睨むその死体は本物に見えた。


「なぁ、こいつらって血とか出るのか?」


シャルナークとイシスがクロロを探して出て行き、再び静かになった牢獄の中で、フィンクスがそんなことをぽつりとたずねた。




2014/03/11

戻る ホーム 進む