嵐の予感

 「振り返るなよ!行くぞ!真っ直ぐーーーーーッ!!!」

 金魚の暗い腹の中、風がごうごうと唸りを上げ潮が渦を巻く。嵐のようなその中で、突如その背を押される。渦巻く風に小さくなっていた帆が突如大きく広がって、それと同時に前が開けると、船長の号令と共にゴーイング・メリー号は金魚の腹の中から太陽きらめく大洋へと再び乗り出したのであった。
 麦わらの一味がリトルガーデンより抜け出すにはひと悶着あったが、その詳細は割愛する。リトルガーデンのログが溜まるのは一年。この自然豊かな島で一年過ごすことは難しくないが、修行をしたいわけでもなし、これから海へと漕ぎ出そうとしている海賊が一年間も同じ島に留まるなど、とてもじゃないが我慢がならない。
 ミズキはこのことをミス・オールサンデーが暗に告げていたのかもしれないと思いつつ、ため息を吐くのであった。
 だが麦わらの一味の、いや麦わらのルフィの強運と人運はこの逆境をも乗り越える。リトルガーデンで出会った二人の巨人の協力を得て、船は無事にリトルガーデンを脱したのであった。そして新に手に入れたログポースの指針に向けて一路アラバスタへと向かう。

 海を照らす太陽と、時折波間にきらりきらりと鱗を輝かせる魚の群れ。遠くではいるかが楽しそうに跳ね回っているのが見える。リトルガーデンでのひと悶着とはうってかわってうららかな空気の中、海を行く船は非常に静かであった。
 ゾロは何事か呟きながら船尾でバーベルを振り上げては振り下ろす。以前あまりに重いものを持ち込もうとした際、ナミに苦言を呈されたらしく、本人にとっては不服な重さのそれを「まだだ、まだまだだ」と口にしながら動かすのであった。サンジはキッチンに篭り、ルフィとウソップは騒がしく甲板を走り回っている。これのどこが静かなのだと言いたくもなるが、これが麦わらの一味における静けさ、であった。ルフィが沈黙し座禅を組んだ日にはきっと天地がひっくり返るに違いない。
 静けさの前の嵐とでもいえばいいのだろうか。いっそ不気味なほどに穏やかで、船は航海士の定めた航路をゆっくりと確実に進んでいくのである。
 男達はどこか興奮している様子であった。戦士としての生き様をありありと見せられたのだから当然と言えば当然なのだが、ミズキは今の姿こそ男であるものの、戦士の生き様にいまひとつ感じるところがない。これが男と女の違いなのかと思いながら、甲板から釣り糸をたらすのであった。リトルガーデンで十分に食材を手に入れたので、今のところ魚を調達する必要はない。だが異なる海域で釣りをして見たこともない魚を手に入れ酒のつまみにするのも一興。さてさて、とミズキがえさと共に釣り糸をたらせばものの数分で、奇妙な形の魚がつれるのだった。

 「うっわーおグロテスク!食べれる気がしない!」

 とミズキは叫ぶが、彼はなかなかのゲテモノ食いである。タイヨウの海賊団を離れ一人旅を始めた頃は、陸に上がってしまえば食料のとり方もわからず、かといって村で食料を分けてもらう術もわからず、食べられるものには何でも口をつけてきたのだ。それは釣れるものが限られている船の上でも同じ。それに見た目が悪いほど味は良いというどこぞの誰かの法則もあるのだから、気にせずに捌いてみればいい。

 「なぁにそれ。その触手・・・・食べれるわけ?」
 「さぁ?おれも食べたことないけど、案外いけるんじゃん。まぁサンジの手にかかればこれも美味しくなるってもんよ!な、ナミ?」
 「え、ええそうね」

 口の周りには触覚なのだろう触手が所狭しと並び、緑と紫という奇抜な色合いは一目見てもなかなか異様だ。ミズキが顔を近づけてみると、特に臭いはないものの、べちっと跳ねた粘液が鼻にこびりつく。  普段からあまり魚を食べることも少ないだろう砂漠出身のビビは、ことさらひどい容貌、悪魔のような魚を見て顔をしかめるが、ミズキはそんなもの平気とばかりに口から釣り針を外していく。
 ここのところずっと思い悩んでいた風であったビビは、奇怪なれど新しいものに少し興味を惹かれたのか顔が明るくなった。一方でいつもなら呆れた表情をするナミの顔色は冴えないままである。口調もどこかぼんやりとしていて、ミズキは怪訝そうに顔を上げてナミを見る。

 「ナミ?」
 「・・・ん?何?」
 「調子悪いの?」
 「・・・ああ、うん今までの疲れがどっと出たみたい」

 リトルガーデンに入る前、それこそグランドラインに突入してから、航海士であるナミの負担は相当なものであっただろう。それこそただの戦闘員に過ぎないミズキには計り知れないほどの負担がナミにかかっているのだろうが、何の知識もないミズキにもそして船長のルフィにすらも航海に関することで出来ることはない。
 船ではそれぞれがそれぞれの役割を持っている。そして各々必要な役割を適切にこなしてはいるが、そこにかかってくる負担は、状況次第で異なるものだ。初めてのグランドラインで全くわからない気象と戦いながら進むこと、それは航海士であるナミにとって最も緊張する一瞬であろう。 ほんの少し気象が落ち着いたところで気が抜けても、それは当然の話だった。

 「ナミ、少し休んだら?おれには航海士は・・・できないけど、潮の流れを読むぐらいならなんとかなるし、ビビもなぁ」
 「ええ私だってグランドラインの出身だわ。ここの恐ろしさは知ってるし、ナミさんほど上手くはいかないけど」

 ビビはミズキと目を合わせて、そしてナミの手をとる。

 「悪いわね、少しこれ見ててくれない?指針の通り進めば大丈夫。それにしばらくは気候も安定してそうだし」

 ナミは力なく笑って、ログポースをビビに手渡すのだった。
 恐る恐る受け取ったログポースにはアラバスタの文字が刻まれている。それを見て何か思いだすことがあるのだろう。ビビの表情がふっと暗くなった。
 ナミがそれを見て口を開く。

 「ま、これであとは行くべき道を進むだけになったってわけね。勿論船が無事に進めば、だけど。大丈夫よ、すぐに帰れるわ」
 「・・・・ええ。私は必ず国に帰らなきゃ」

 すっと顔を上げたビビの表情にはもうすでに、先ほどまでのような憂いはない。
 ミズキはナミとビビの言葉にただただ頷きながら、何か口にすることも出来ずに沈黙していた。
 ミズキには守るべき国はない。あったとしても今の魚人王国は、ミズキのような半端者に守られることをよしとはしないだろう。ミズキには帰らなければならない場所はない。この海全てが故郷であるから、特定に場所に戻る必要はないのだ。ミズキはビビを見ながらふと寂しさに駆られることがある。帰るべき守るべき故郷があるということに一抹の寂しさを覚えるのだ。ミズキには今更どうしようもないことであることは、確かなのだが、こうして人と違うものを見つけるたびに自分が一人ぼっちで、自分の進む道が正しいのかよくわからなくなっていくことが時たまあるのだった。
 
 「生きて、国へ」

 だが同時にビビの力強いその言葉に背を押されることもある。生きて、成し遂げることがあるのはミズキにも同じなのだから。
 ふっと一瞬暗がりに沈んだ意識を引き上げるようにサンジが声をかけた。

 「さぁてそんな三人に本日の元気の出るデザートはいかがですか」

 もしかして三人の様子を伺ってこのタイミングで出てきたのだろうか。だとしたらとんだムードメーカーである。サンジのおどけたような言い回しにくすりと笑ったビビとナミ、そしてそれにつられてミズキも笑う。

 「おれにも?」
 「勿論、ミズキちゃん」

 ウインクつきで差し出された皿の上には色とりどりのケーキとプディングそれにゼリー。所狭しと並んだそれらは、太陽を受けてまるで輝いているようだった。

 「ありがとサンジくん。でも今は遠慮しておくわ。・・・・あっ」
 「ナミ?」

 突然、何かを思いついたかのように顔を上げたナミを、ミズキは怪訝そうに覗き込んだ。

 「全く・・・!こんなときに!」

 苛立ちを隠さずに、立ち上がったナミはそのまま手すりに寄りかかりながら、上の階へと上がっていく。
 ミズキはサンジのトレーから一つ、ケーキを取ると「ちょっと助けてくる」と言って長柄をビビに預けて階段を駆け上るのだった。

 「ナミ!調子悪いんなら少し休んで__」
 「待って!」

 強い調子は有無を言わせぬ航海士のそれだった。思わず口をつぐんだミズキは、そのままぴたりと動きを止めてナミと同じ方角を見る。
 晴天、雲も程よく空に散り、太陽の日差しも暖かで気分がいい。風も穏やかだったが、ふと海に目を落としたとき、ミズキは表層より幾分下を流れる水流の動きが乱れていることを見てとる。

 「強い・・・・強い風が来るわ・・・・・」




 
2016.02.29

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