Water

「事情はわかったぜミズキちゃん」

「いや、悪いんだけど男の時ミズキちゃんって言うのやめてくれねぇ?」


さすがにあれだわ、とミズキは腕を組む。椅子に座っていると言っても半ばもたれかかっているような状態だった。
ついさきほどようやく目を覚まし、ナミに事情説明と言う名の拳を頂いて本当の意味で目が覚めたサンジは、朝食準備のためにキッチンで忙しく動き回っていた。明け方、霧がかかり船を運航するにはあまり良い状態とは言いがたいが、ナミの航海術があれば問題はないだろう。霧に紛れてウイスキーピークを抜けた船は今順調にイガラッパより渡されたログポースに従って進んでいる。


「そんじゃ、まぁ・・ミズキでいいか。で、話をまとめると全身猫舌であると」

「うん」

「じゃあ熱いもんも食えねぇな?」

「・・・・考えてなかった」

「ちょっと試してみろよ」


サンジはちょうど煮込んでいる最中だったスープを小皿に取り分けてミズキに渡そうとした。だがミズキがその皿に触れた瞬間悲鳴を上げて手を離したため、サンジの懸念は確認する必要もなかった。幸いにしてサンジがまだ手を離していなかったから、小皿は床に落ちなかった。ミズキは先ほどまでの態度と打って変わって椅子から飛び上がると、溜めてあった水の中に手を入れる。


「・・・・・・冗談・・・・じゃねぇよな」


引き攣ったサンジにミズキは今しがた小皿に触れた指を見せる。指は通常では考えられないほど真っ赤になっており、これはもう火傷と言う他ない。


「我慢してなんてレベルじゃない。なんか体全体が熱に弱くなったみたいでさ、基本的に体温以上のもんに触れるのが辛い」


サンジは自分の手元の小皿を見る。確かに熱いといえば熱いが我慢できないほどのものでもない。なるほど、お湯を被らなければ元に戻れないミズキにとっては随分と厄介なものだと納得してから、サンジは皿の中身を腹に収めて煙草を口に銜えた。
シャンプーが押した総身猫舌のツボは、全身が猫舌同様熱いものに耐えられなくなってしまう症状を引き起こす。体温以上の物に触れると火傷してしまう体質に変わってしまうため、ある種病気と言ってもいいだろう。お湯に触れられないのは勿論、熱いものは口に出来ず、手に持つことも出来ない。お湯を被るというのが今のところ唯一分かっている女に戻る手段だったミズキにとっては、まさしく地獄だった。女にならなければ魚人空手も十分に使えず、撃水すら上手く撃つことができない。筋肉量としては男の姿の方が上だが、魚人空手や撃水と比較するとやはり単純な力技だけというのは幾分不利であった。


「しっかしミズキちゃ・・・あー・・・ミズキも随分と色々背負ってるな。物理的に」

「最後余計だろ」


ミズキは眉を寄せてサンジを見る。


「総身猫舌のツボって奴は元の体質に戻る方法はあるのか」

「さあね。それこそシャンプーに聞いてみないとわかんないし、だからおれはシャンプーを追わないといけないんだよ。全く七武海目前にして面倒なことをしてくれたよ・・・・」


まだ格上である七武海相手にハンデを背負っているのは正直なところ不安な要素が大きかった。アラバスタという国そのものが、話に聞く限りミズキと相性が悪いのに比べてさらに元の姿で戦えないという現状。ルフィの負けを信じているわけではないが、それでも戦力は大いに越したことはないだろう。


「まぁ・・・・砂漠の国って言うならむしろ人間の方がいいのかもしれないけどさ」

「魚人ってのは乾燥に弱いのか?」

「そういうのもいるけど、おれはそういうわけじゃないよ。でも・・・・ほら、水がない以上に淡水とかは辛いし」

「辛い?」

「そう」


ミズキはようやっと赤みのひいた手を水桶から引き抜いた。改めて座りなおして、コップを手に持つとその中に並々と水を汲む。


「人間ってさ、海水を飲んじゃいけないだろ?」

「ああ。逆に喉が渇くな」

「海産の魚人っていうか・・・海に生息するタイプの魚が元になってる魚人ってのはそれと逆なんだよ。人間は海水を飲むと喉が渇くんだけど、おれらは海水を飲まないと塩分が足りなくなるんだ」


そういいながらミズキはコップの中の水を一気に飲み干した。


「いつも塩分の濃い海水中で生活していると基本的におれらは淡水に触れるってことがない。飲むものは海水だし、生活水って奴も基本全部海水。だから海水を飲んだ分だけ塩分を調節するように体が出来てる。逆に言えば淡水みたいに塩分が薄いもの飲むと、塩分が排出されすぎて塩が欲しくなる」

「なるほどな。確かに塩は取りすぎも少なすぎも体調を崩すからな。って今は平気なのか?」

「うん」


ミズキは頷いた。


「今は完全に人間だ。だから水じゃないと飲めないし、むしろそのことに気付かなくて一人で航海してたとき海水飲んだときが大変だった」


それはまだミズキが男溺泉に落ちたばかりの頃だった。男から女に女から男への変わり方はわかったものの、ミズキはその本質的な意味を理解していなかったのだ。航海の途中雨が降り、男の姿のまま進むも途中喉が渇く。しかしミズキはそもそも淡水の重要性というものを全く理解していなかったため、航海中海水を飲んで丸一日喉の渇きに苦しむことになったのだった。いくら飲んでも飲んでも喉が渇く。このとき通常の人間であればあまりに塩辛い海水を飲むことすら戸惑われるかもしれない。しかし味覚そのものまで変化することはないから、ミズキは海水が塩辛いという違和感にすら気付くことができなかったのだ。
その後丸一日得体の知れない喉の渇きに苦しんだミズキは、脱水症状で意識を失う直前に商船に拾われ事なきを得た。回復するまでに一週間ほどその商船で世話になったのだが、ミズキはそこで初めて『人間は淡水でなければ飲めない』ことを知ったのだ。塩分が不要と言うわけではない。だが少なくとも多量の海水を飲めば脱水症状を引き起こし死に至る。


「差別とかじゃなくて、そういうところの違いってやっぱり生活にも支障でるだろうなとは最近思う」

「そうかぁ?そうも思えないけどな。少なくとも沿岸じゃ普通に暮らせるだろ」


ときどきミズキはふっと暗い表情をするが、それは大抵ヒトと魚人の話をするときだった。このときもそうで、サンジはそれに気付かない振りをしながら、普通に答える。深刻になる必要などどこにもない、だが、同時にそれを切り払ってもいけなかった。


「それよりこの船のコックとしてはお前の飯の塩分の方が問題だな。濃い目にしといた方がいいか?」

「いや、それは平気。おれも自分で調節するし、人間の時なら他の連中と同じで大丈夫だし。塩分は海水で調整する。海に居る以上枯渇することだけはないしな」

「あいよ、承知いたしましたオキャクサマ」


サンジはにかっと笑って、再び鍋に向き合った。


「ところで」

「ん?どうした?」

「うちの船って増えたの一人だけだよな」

「・・・?ああ・・・ビビちゃんとあとあのカルガモが増えただけだが・・・・」

「じゃああいつは誰だ?」


窓からほんの少し覗いた濃い紫色の帽子に、サンジも見覚えはなかった。




2013/09/28 Back Home Next  
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