消えた 船
四方の海より集まった海流はレッドラインを一気に駆け上ると、今度は猛烈な速さで流れ下っていく。その海流のちょうどど真ん中に捕まったメリー号はもはやどんなに舵を動かしても周囲を囲む岸壁にぶつかることなどできなかった。(とはいえ舵は山を駆け上る海流に乗る前に折れてしまっていたので、実際は動かそうにも動かせないというのが正しいのだが)
これだけの距離を上ってくれば、当然下るにもそれなりの時間がかかる。海にいる以上航海士は気を抜く暇がないが、今だけはまるでどこぞのアトラクションを楽しむようにナミも、ただグランドラインへのさまざまな思いだけを胸にいまだ見えない進路を見つめている。
「すっご・・・・」
グランドラインの生まれ故、グランドラインを出るのは初めてだったから逆に言えばグランドラインに入るというのも初めてだ。つい先ほど海王類に食われかけたことなどすっかり忘れて、
ミズキも山を下っていく航路の先を見つめていた。
徐々に霧が立ち込めてきて、さほど距離を望むことはできなかったが、彼らが今見ているのはただ眼前に広がっている光景だけではないのだから、そんなものなんら関係なかった。
「・・・・・ん・・・?」
だが、そのとき不意にどこか遠くから何かの泣き声が聞こえた気がした。「鳴き声」ではなく「泣き声」だ。
空を見上げた
ミズキが見えるのは結局青い空だけ。ゾロもつられて空を見たが、結局何も見えず疑問符を浮かべる。
「おい、どうした」
「いや・・・・今さ・・・・」
ミズキがそこまで言ったとき、今度は誰の耳にも届くほどはっきりとした「鳴き声」が聞こえてきた。
ブオオオオオオオッ
激しいその音はまるで重低音を響かせる楽器のように、心の臓へずしんと響く。音を聞くまいと耳をふさいでも意味がない。直接体に響いてくる音に腹の底がひっくり返りそうだ。
「!!!」
ナミが何か叫んだのは口を見てわかったが、なんと言ったのかは聞こえなかった。下るにつれてどんどんと大きくなる声、息継ぎをしないのか一切の区切れなく響くその音に感覚が狂いそうである。
だが、そんな中で気づくと涙が出た。
ミズキ自身も相当驚いたのだがそれ以上にゾロの反応が激しくて
ミズキは自分がパニックになることすら忘れた。
どうした!と怒鳴られたけれど、
ミズキも何もわからない。ただなんとなく、なんとなく悲しく思えて涙が止まらないのだ。断続的に響く音はどんどんと大きくなっていったが、それと同時に悲しみもどんどんと増していくようだった。
「か べ だぁ!!!」
ふいに肩を叩く者があって振り返るとウソップがいつにも増して焦った表情で
ミズキとゾロに怒鳴りかけた。
ミズキがぼろぼろと泣いていることにぎょっとしたようだったが、すぐに正面を指差せて顔を真っ青にする。
目の前に広がる一面が絵の具で塗りつぶされたかのように真っ黒だった。ところどころ点、点と小さな白い色があるもそれがなんだというのか。見上げても横を向いても黒い。レッドラインを超えた先には海が広がっていると思っていたのだが、もしかしてそもそもの入り口を間違っていたのだろうか。
そんな最悪の考えが
ミズキの頭をよぎった瞬間、その黒い壁は鳴いたのだ。一瞬壁の一部が膨らんでそしてそれと同時にまたあの大きな声が、響き渡る。
ゾロもウソップも甲板の上で耳をふさいでしゃがみこんだがその表情を見ればそれは何の救いにもなっていないことがわかる。
ミズキの耳はあまりの音に一周回って静けさが訪れたかのように、何も聞こえず、ただ悲しさだけが喉の奥から込み上げてくる。
だけど不思議なほどに落ち着いていた。
サンジはそんな中でなんとか活路を見出したらしくどこかを指差して叫んでいる。聞こえなかったが、それを理解したらしいウソップとゾロが船室へ駆け込んでいった。舵などすでにないも同然だが、何もしないよりかはましかもしれない。
ミズキは突っ立ったまま呆然と黒い壁を見上げ、泣くだけで、その次の瞬間に猛烈な衝撃が走って船から体が放り出されるまで何もする気が起きなかった。
暗転した視界のと口に流れ込んだ塩辛い水に思わずむせこんで肺の中の空気をすべて吐き出してしまうとくらりと思考が揺らいだ。
水が渦巻いている。
下手に流れに乗れば浮かび上がれない一地点に引きずり込まれそうだったから、
ミズキは渾身の力で空中へ飛び出した。粘度の高い水から開放されただけでやけに身体が軽く感じる。
空中で一ひねりして船に着地しようとした
ミズキだったが、・・・・・・すでに目の前には船は愚かあの黒い壁さえどこにもなくなっていた。
「は」
ざぱん、と
ミズキの身体が水面に再び叩きつけられた。
さて、状況を整理しよう。
メリー号の全員が壁だと思ったそれは海王類よりもはるかにでかい鯨で、自分達はその鯨の注意を惹いたせいで鯨に飲み込まれてしまった。
「状況を整理するもなにもそんだけじゃねぇか」
ふぅ、と息を吐き出したサンジに、よくこんな環境で落ち着いて煙草を吸っていられるなとウソップが言ったが、サンジ曰く落ち着くために吸うのだそうだ。
サンジの口から吐き出された煙はもわりもわりとだんだんと薄くなりながら、空へと消えていく。空へと、消えていく?
「おれら・・・鯨に飲み込まれたんだよな?」
「んな当たり前のこと聞いてどうする」
「んじゃありゃなんだ」
ウソップが指差した先には青すぎる空が広がっていた。わざとらしい同じ形の雲がぽっかりとあちらこちらに並んでいて、勿論本物だとは思っていないが意味がわからなかった。
「そんなことよりルフィと
ミズキの奴がいねぇぞ。あいつらもしかして落ちたんじゃねぇのか?」
わざとらしい空を見上げているサンジとウソップもゾロのその言葉にようやっと二人の存在が欠けていることに気付いたようだ。だがそれでもルフィ一人で外に放り出されているよりは
ミズキも一緒なら安心である。海に強い彼女(海に潜れば彼、だが)なら安心してルフィのことを任せられる。鯨の腹から早く脱出しないといけないのは確かなのだが、それでも不安要素がひとつでも少ないことはありがたい。
だがそう考えているのはサンジとウソップだけのようで、ゾロは目に見えて苛立ちを募らせているようだった。カームベルトへ間違って侵入してしまってからこの方、どうにもこうにも
ミズキが情緒不安定に見えてしょうがないのだ。遠い目をしてみたり、突然泣き出してみたりと今までと比べて妙な節がいくつもある。
結論から言ってしまえば、実はこれら全てはゾロの思い違いであるのだが、今の段階ではゾロも、そして当の本人の
ミズキもそんな風に思われていることなど知ったことではない。
ゾロたちが胃酸の海に浮かぶ奇妙な鉄の島と奇妙なじいさんを見つけるまであと少し。
その頃
ミズキは、双子岬によじ登って消えてしまった全てに、唖然と口を開けたままだった。
「・・・・・まじで・・・・どうすんの・・・・・」
2012/10/20
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