雄大なる海を見下ろす
海はまさに鏡のようにしんと静まり返って生き物達の足音ひとつ聞こえてくる気配がない。水面を覗き込めばまるでそこに立つことが出来ると錯覚できるほど、水面は覗き込んだものの顔を映し出していた。凪の海(カームベルト)、と言うのはその名の通り風の一切吹き抜けぬ航路。風を動力源とする帆船では到底通り抜けられぬその水路を抜けてグランドラインから抜け出そうとした船は数多あったと聞くが、それらの船が無事カームベルトを抜けたという話はとんと聞かない。
ミズキは今そんな穏やかを通り過ぎたような世界を甲板じっと見つめている。遠く遠くの水平線まで島ひとつない。それもきっとこのカームベルトの航海を難しくしている要因のひとつなのだろうと思うが、そういったしみじみとしたことは船の底に生き物の鼻息が聞こえない空間でお願いしたい。
「おいっ!!おい
ミズキ!!てめぇ何やってんだ!さっさと配置に着きやがれ!!」
「・・・・いいじゃん。この際海王類の腹の中でグランドライン一周なんてのも趣があって・・・」
「何ぃぃぃ!!食われるのか!?おれは嫌だぞ!!海賊王になるのはおれだ!!」
「くぉらルフィィィィ!!!静かにしろてめぇぇぇぇぇ」
ふ、と遠くを見たまんまの目つきで
ミズキがそんなことを言うものだから、行動が逐一単純明快なルフィが彼の行動をストレートに言葉にしてくれて、その声に反応してかブオッと小さな(しかし人間からすればとてつもなく大きい)鼻息が船底から響いてくる。その音に全員が身を竦めて、ウソップは何でそんなに小声で泣けるんだというぐらい、全く音を響かせずに叫んで泣いていたのだった。
空が青い。
海も青い。
風は、ない。
船の真下には超が着くほどの大型の海王類がのっそりと、海から顔を出している。牛のような模様をしているが、目や鼻付きと言った細部を見るとどうも牛には似ていないから多分牛じゃないと思う。そもそも海王類の分類がどうなっているのかなんて知らないし、今は本当にどうでもいいことだった。
メリー号はまさにそんな超大型海王類が突き出している鼻の頭に乗っていたのだった。下から呼吸のためか姿を現した海王類の鼻に乗ったままうっかりと空まで持ち上げられてしまった、というのが正解で決して誰もこんな素敵な空中ダイブなんてしたいとも思ってはいないのだ。
ミズキの視界が高くて当然、水平線は多分鳥にでもならない限り人間では見えないところまで見えているが、こんなもの見えなくていいから、水面が近いほうがどんなにありがたいかと思う。
海王類が再び海に潜ったと同時に漕ぎ出して、再び嵐に突っ込むぞ、と今だ闘志に燃えている男たちに対して女たちは最早諦めの境地と言った表情で甲板から空を眺めている。
「ははっ、ほら綺麗だね」
「ええ、そうね」
まるで死んだ魚の目のようだ・・・・というのは語弊がある。何せ死んだ魚の目と言うのも意外ときらっきら輝いているのだ。勿論丸焼きにしてしまえば真っ白になってしまいもするが、死んだ生魚の目というのは今の二人には似つかわしくない。
ミズキもナミも残念ながらもっと光がない。
こういうときは思いのほか女性も力を発揮するものだと思うのだが、どうやら二人の常識を超えた事態にさすがに頭がショートしたらしい。逆に言えばこの船の男共は一切合切何も考えていないのかもしれなかった。
さて、そんな冗談はさておきとして。やがてザザァ、と風のない海で波の音が聞こえ始めた。その音に男たちは身構えたが、ナミと
ミズキは相変わらず遠くを見つめたままである。
「おい!!」
小声でゾロが呼びかけるが、一向に返事がない。嵐に突っ込んだら即座にナミの指示が必要なのだ。ゆっくりと下がり始めた高度にじりじりと焦りがますが、その次の瞬間そんな焦りすらぶっとぶような、ぶっとんだ出来事に出くわして、ルフィもゾロも、ナミもウソップもサンジも
ミズキも今だグランドラインに入っていないはずなのにグランドラインの狂気の片鱗を垣間見た。
ぶぇっくしょん、という効果音ではまだ足りない。そもそも人間にこれだけの音が出せるとは思えないが、聞こえた音だけを文字にしてみればそんな感じである。
つまり、くしゃみだ。
何がきっかけだったのかわからないし、そもそも海王類にくしゃみをするという概念があるのかもわからなかったが、とにかくメリー号を鼻の頭に乗せたそいつは盛大なくしゃみとそれに付随する鼻息で上に乗っていたメリー号をはるか遠くまで吹っ飛ばしたのだ。
若干臭い鼻息と船がすっ飛んでいく勢いに頭がおかしくなりそうである。だがそのおかげか現実に一気に引き戻されたナミは、頭をぶつけて呻いていたゾロに止めのもう一撃を加えて、さっさと帆を調節しなさい!と怒鳴ったのだった。
「くっそ理不尽な奴め・・・・」
止めを刺されようがなんだろうが、おきあがりこぼし並みの生命力で復活したゾロは、ゾロと同じように頭をぶつけて呻いていた
ミズキを引っ張ってマストの上に登った。実はこの行程の間、ずっと船は空を浮かんだままだったのだが、ゾロがマストに登った瞬間、水面が驚くほどに近くなっていて、彼は思わず怒鳴り声を上げた。
「着水するぞ!!捕まれ!!」
「え」
目を開けた瞬間船を襲ったのは、まるでコンクリにでも叩きつけられたような激しい衝撃である。水、と侮ることなかれ。場合によっては骨折するほどの衝撃を還してくれる水面だ、あれだけの勢いがあれば船を突き抜ける振動も並大抵のもので済むはずがなかった。
「ふぎゅっ!」
腕をつかまれてなんとか弾き飛ばされることだけは防がれるものの、舌を噛んだ上にマストからは完全に手が離れた。辛うじてゾロにつかまれている上で宙ぶらりんの状態で、今にも落ちそうなのだが思い切り噛んだ舌が痛くて、この現状を正確に把握できるはずもなかった。
「早く登れ!!」
「ま、まっへ」
足なんか引っ掛ける場所もない宙ぶらりんの状態で、懸垂でもやれというのか無茶言うな。というのが本音であったがそんな突っ込みをする前に気付けばゾロに無理矢理体を引き上げられていた。この男、まさかもう一人分の体重を背負って片手懸垂が出来るとは思っても居なかった。すごいとかありがたいという感想以前に脳筋か、と思わず突っ込んでしまって、それがどうやら顔に出たのかスパンと頭を引っ叩かれる。
「今舌噛んだところなんだから勘弁してよ!!」
「うるっせぇ!!失礼なこと考えてるんじゃねぇよ!!」
「あんたたち!!馬鹿やってないで早く!!ほら嵐に突っ込むわよ!!」
下方から聞こえてくるナミの叫び声にふと二人が顔を見合わせてから正面を向くと、荒々しい波と風が支配する空間が、もう目の前に迫っていた。
先ほどと打って変わった空の暗さ、風の強さは、海賊達をほっと一安心させた。それは自分達の平穏であったイーストブルーに戻ってきた、という安心であり、つい先ほどまではこんな嵐でも大変だ!と思っていたのが嘘のようである。
「さぁ気を引き締めていくわよグランドライン!!」
「でもよナミさん!!そのグランドラインに入る方法がわからないってのがついさっきまでの話じゃなかったか!?」
風のせいでサンジの声は
ミズキの立ち位置からではほとんど聞こえなかったが、大体何を言いたいのかは検討がついた。だが彼女はレイオンコートを羽織ったままにやりと笑う。
「問題ないわ。皆!!私の指示に従って船を動かして!!」
結局ナミはその場でグランドラインへの入り方を一切説明しなかったから、そこから先は全員がナミの指示にただひたすら従うだけだった。まぁ確かに説明されたところでこの世の奇奇怪怪をかき集めたようなグランドラインへ入る方法など理解できるとも思わないし、しなくたって別にいいと思っている。何せこの船には優秀な航海士がいて、船長はその航海しに全幅の信頼を置いているのだ。残りのクルーが一体何を疑う必要があるのか。
不意に目の前に現れたレッドラインのふもとに小さな小さな灯りが見えて、それと同時に不思議な光景が見えてきた。
ごおおおおお、と風ではない海がうねりを上げて山を駆け上る音だ。は、と唖然として見上げると再びナミに頭をはたかれてしまったが、手を動かしながらもゆっくりと湧き上がってくるドキドキが止まらない。最早ルフィは仕事が手につかないほど興奮していて、ナミは諦めているようだったが自分だって今から見える光景をただじっと見ていたいという願望は勿論あった。
船が海流に捕まって山を駆け上る。誰もが手を止めて黒雲を突っ切り光の中へ飛び出す瞬間を今か今かと待ち侘びた。
そして、小さな海賊団はついにグランドラインを目にしたのだ。
雄大な海は今まで見てきたどんな海よりも恐ろしくそして楽しげに横たわっている。高く高くから見下ろすからこれほどまでに島々が密集して見えるが、実際の航海はひょいひょいとすごろくのコマを動かすようにはいかないだろう。視界の端っこで黒い雲と風がうねりを上げている。あんなところで、突然に発生している嵐は、みなの目の前で唐突に消えてしまった。
これが、グランドライン。世界で最も恐ろしい海。さぁ、冒険を始めよう。
2012/10/19
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