鏡のような水面の上
轟く風は導きの灯を超えるとさらに激しくなるようだった。ナミの声ももう耳に届かないからいつしか指示は伝言ゲームのように言葉が伝わってく。そうなるとどうしてもどこかで聞き間違いが蓄積してしまって、結果ナミの思惑とは全く正反対の方向に物事が進んでしまうこともしばしばだったが、こんな嵐の中では船がひっくり返らなければそれで御の字だ。
「ルフィ!!」
寸でのところでルフィが海に投げ出されるのは防いだが、小規模海賊団の厳しいところはまさにこういうところだろう。船自体の規模も小さいがまさか二人三人で動かせるわけもないので必然的に船長も含め能力者までもが甲板に出て動かなければならないのだ。風がちょっと強いだけならいい。だがこんな嵐の日は当然甲板にいても大波をかぶることもしばしばで、能力者にとってはかなり不利な条件下での操船となる。
髪の毛から滴り落ちる水がわずらわしい。かといってそれをぬぐいあげるだけ手に余裕もなかったから
ミズキは目に入る水も厭わずに手の感覚だけでルフィを甲板の上に引っ張り上げた。雨にたたかれ、風になぎ倒され、グランドラインに入る前から大惨事だ。
ミズキは改めてかつて自分が乗っていた船がまさにベテランであったことをようやく知ったのだった。当時は彼女が小さかったこともあるが、多感な子供の時期は大人に比べてより多くより激しく恐怖を感じるものである。そんな子供時代ですらここまで海に対する恐怖なんてものは感じたことがない。各個人の力量が不足している、とは言わないが、それでも経験を積むことで得られることはたくさんある。
ミズキは気を引き締めると摩擦ですでに血まみれになった手に布を巻きなおし全体重をかけてロープを手元に引き寄せた。
そうして必死の思いで船を動かすこと数十分。嵐はいまだに激しいが、船は海流をつかんだのかだいぶ安定した航路を取り始めていた。ナミは相変わらず厳しい表情で海を見ているものの、先ほどと比べてだいぶ指示は少なくなっている。
「おい
ミズキ!!」
「おおう!?」
突然、背後から声をかけられて猛烈な勢いで振り返るとゾロがいた。何!!と怒鳴り返すと船内に集まれだと!!とやはり怒鳴り返される。そのままゾロに引きずられるようにして
ミズキが船内に戻るとすでに指示が伝わっていたのか、全員びしょぬれだがすでに机を囲んで集合していた。
「ちょっと大丈夫?あんた手血まみれじゃない。先に消毒しときなさいよ」
「どうせまた切れるからいいよ」
「いいよ、じゃねぇよ」
布についた血は固まってどす黒く変色している。さすがにそのままだと気持ち悪かったので引き剥がすと固まった血がはがされて鋭い痛みが手に走った。涙を浮かべながらまたあとでする、なんてのんきなことを言うと馬鹿なことを言うんじゃないとばかりにゾロに腕をつかまれて無理やり椅子に座らせられた。
「手、出せ」
「・・・・ゾロできんの?」
「あったりまえだろうが!さっさと手出せ!!」
以前無茶な素人の外科手術をした本人だから、ちょっと茶化してそんなことを聞けばご想像通りゾロは額にしわを寄せる。もちろん、
ミズキとて傷口から菌が入って化膿するのはまったくうれしくない。今ちょうど空き時間とでも言うのならちょうどいいだろう。
ミズキが素直に・・・・というわけでもないがとにかく手を出すとゾロは血と雨水とでぐちゃぐちゃになっていた手のひらを真水できれいに洗って消毒をしてから、きれいな包帯を巻いた。思っていた以上に丁寧な処置だったので驚いたのは
ミズキだけだろうか。その変に関して一番上手なのはナミやウソップやサンジの方かと思っていたのだがそれはしょうしょう見くびりすぎだったようだ。
「さて、と。
ミズキはそれでいいとして。問題はこれからよ」
ミズキももちろんゾロに手当てをしてもらいながらナミの言葉に耳を傾ける。
ミズキの位置からナミの手元にある海図は見えにくかったが、世界地図ぐらいは頭の中に入っているのでさしたる問題ではなかった。
「いい、今私たちはここにいるの」
イーストブルーの位置さえわかっていなそうなルフィに、ナミは懇切丁寧な解説を加えるが、たぶんルフィはこれが世界地図だという認識もなさそうだ。彼の頭の中にあるのはシャンクスがいる偉大なる海と己の住むイーストブルーが存在するというただそれだけで、その位置関係など大して重要ではない。
「このレッドラインは見てわかるとおりグランドラインをさえぎるようにして世界を一周しているわ。だから話としてはこのレッドラインをどうにかしさえすればグランドラインに入れるはずなの・・・・でも」
「こりゃ山だよな、ナミさん」
「ええ、そうよ」
ナミが何を問題だといったのかといえば、彼女が地図を指差すとおりここから先の航路が一切描かれていないのだ。もちろんこの地図はまさかグランドラインを目指す海賊のために用意されたものではない。一般人はグランドラインへの入り方など知らなくていいし、知りたいと思うならそれはすでに一般人ではない。
「これをどうやって越えたらいいのかしら・・・・ねぇ
ミズキ」
「ってそこでおれに振るぅ?」
「だってあなたグランドライン出身でしょ」
ナミの言葉に
ミズキは慌てて真新しい包帯が巻かれた手を顔の前で振る。
「グランドライン出身=グランドラインから出たことないって認識でお願い」
そう言えばなるほど、とナミも納得したように頷いたが同時にこれで八方ふさがりだ。
「ほらよ」
「ん、ありがと」
手を開いて握ってを繰り返すと包帯が引きつる感覚が少々あったが仕方ない。とはいえたいした傷ではないからほんの数日あれば十分に治るだろう。それでもわざわざ消毒までしてくれたことに対して礼を言えばゾロは少し肩をすくめただけだった。
「・・・・・ってあれ・・・・船、動いてなくない?」
皆で頭を抱えたとき、ふと
ミズキは足元が揺れていないことに気付いた。長いこと船に乗っていると揺れているのが当たり前でむしろ安定した大地の方が違和感を感じるほどになるが、気付けば今揺れているのは体のほうだ。床に固定された机の上の水はほんの少しも傾くことなくしんと恐ろしいほどに静まり返っている。
ミズキの言葉にナミの顔はみるみるうちに青くなり、そして甲板へ飛び出した。彼女の予測が正しければ最早レインコートなど着ている意味はない。むしろこれから必要なのは船をこのカームベルトから引っ張り出すための櫂と人手だけなのだ。
「どうしよう・・・・カームベルトに・・・入っちゃった・・・・」
ぺたりと座り込んだナミは目に涙を浮かべてゆっくりとコチラを振り返った。事情を知る
ミズキは遠い目をしてぽん、と慰めるようにナミの肩に手を置いたが、男共は嵐が止んだそのこと自体に喜んでいる。全くもって、知らないということは幸せだ。
「・・・・・とりあえず・・・・嵐に戻ろうよ」
「・・・ッ!!全員櫂を持って!!ほらほら何してんのよ!!軌道を嵐に戻すのよ!!」
風ひとつないこの空間は、遠くに嵐が見えているとさらに異様さを増している。そんな中に響いたナミの怒鳴り声は何処までも遠くに届きそうだ。空は青く、そしてナミの顔も真っ青で男共は一体ナミが何に対しこれほど恐怖を抱いているのかさっぱりわからないが、航海士の彼女が言うことには逆らえないし、グランドライン出身の
ミズキもまた文句のひとつも言わずに櫂を引っ張り出してきているので御託を並べている暇はなかった。
本来帆船である以上風さえあれば櫂で船を漕ぐ機会などないに等しいが、時にはこうして凪の時間帯に船を動かさないといけない場合もあるので、どの帆船にもきちんと櫂は用意されている。本当ならこれの倍の人数が欲しいところだがさすがにそうも言っていられず男四人(うち一人は本来女だが今さらである)は配置に着いてせーので櫂を漕ぎ始めた。
ゆっくりと船が動き始める。
「おい」
「何?」
「あいつなんであんなに必死なんだ?嵐抜けたんだからいいじゃねぇか」
「ゾロはカームベルトって聞いたことない?」
「・・・・?」
明らかにそんな単語初めて聞いたという表情のゾロに
ミズキは苦笑して、カームベルトは凪の海、風が一切吹かないところだ、ということを簡単に説明した。どういう理屈かなんてことは知らないが、とにもかくにも風がないため帆船で乗り上げたら自殺に等しい。櫂があればともかく、風がなければ波もなく、すぐ隣では嵐が吹き荒れているというのに一向に進まないなんてなったら明らかにカームベルトに乗り上げたと言っていい。
「でもよ、そのカームベルトはグランドラインを挟んでるんだろ?だったらカームベルト越えればグランドラインに入れるんじゃねぇのか?」
「理屈ではね。そもそもカームベルトの幅も半端ないから大変だからそう簡単な話じゃないんだけど・・・・・いやでも確かに何もなければ越えらる」
じゃ、いいじゃねぇか、とゾロが言いかけたときメリー号は奇妙な揺れと共に櫂は水の感触を失い少し傾きながら風景が一点したのだ。うおわっ!!とウソップが悲鳴をあげて甲板を転がる。櫂を落とすな!という
ミズキの言葉に慌ててルフィが手を伸ばしたが、その先に大きな眼球があって、全員がピタリと体の動きを止めた。
「・・・・・おい」
背中を伝う嫌な汗がやけに冷たい。
「カームベルトは・・・・大型海王類の住処なんだよ・・・・・」
今度こそナミの目からは大粒の涙がぼろぼろ零れ落ちていた。
2012/10/10
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