酔い覚ましの思い出
「うっぷ・・・・・うえええ・・・・・」
飲みすぎた。気持ち悪い。だが不思議と眠気はなくて、皆が一様に甲板の上で寝ているのを傍目にふらふらと歩いて海へ身を乗り出し胃の中のモノを吐き出した。喉が焼け付くように痛むまで吐けばさすがに嘔吐感もなくなってと頭も身体も幾分かすっきりとする。ふぅ、と手すりに寄りかかるようにして一息ついて、
ミズキはしばらくの間空を見つめていた。
ミズキとナミの仲間入りを祝う宴だったが、夜の帳も下りればいつしか一人二人と眠りに落ちて星が美しく瞬く今となっては
ミズキを除く全員が幸せな眠りについている。ここはイーストブルー。一晩くらい見張りがいないところできっと大したことないだろうが、それでも念には念を入れておくのが賢い生き方という奴だろう。
ぎしぎしと軋む縄梯子を若干ふらつく身体でよじ登ってマストの天辺までくると、空がほんの少しだけ近くなり星の明かりに手が届くような錯覚を覚える。そんな馬鹿なことを考えていると唐突に星の光が翳って、
ミズキが目を凝らすとその光を遮るものは人の手だったから彼女は大層驚いた。
「ぎゃあっ・・・・・!」
大声を上げそうになって慌てて口を押さえる。
「んな驚くなよ」
「いや驚くし!?いっきなり目の前に人の手とかホラー以外の何者でもないじゃん!」
まだ心臓がバクバクと激しく鼓動を打っている。酒瓶を片手にマストの上の見張り台に上がってきたゾロは心外だとばかりに顔を歪めて
ミズキの隣に腰を下ろした。
「起きてたなら見張り任せて寝ればよかった」
「いいじゃねぇかどうせ一人の見張りなんか退屈なだけだ」
酒瓶の蓋は開いていたからつんとしながらどこか甘い香りが
ミズキの方にまで漂ってきて、むせ返るような気持ち悪さが返ってきた。
「ちょっ・・・向こう行って」
「あ?なんでだよそもそもそんな広くねぇから・・・・・ってなんだ酒がダメか」
にやりと笑ったゾロが憎たらしい。ダメなわけじゃない。ダメなわけじゃないんだが、聞くところによると自分は泣き上戸で、一定量飲むと誰彼構わず抱きついてわんわん泣く癖があるらしいのだ。自分では全く記憶にないが、昔うっかり酒を飲んだときになだめるのが大変だったとハチとクロオビに散々言われたのはまだ記憶に新しい。
「最初はちょっと驚いたが、あのクソコックにしがみついて泣いた理由が箸が転がっただのイルカが鳴いただのだからな。逆に気が抜けた」
「うわぁまたやっちった・・・。その後は・・・なんかしでかしたでございましょうか」
なにがなしに下手に出ながら聞けばさすがにそれ以上のことはやらかさなかったらしく、
ミズキは少しだけほっとした。実を言えばその後クソコックのにやけた表情に腹が立ったという理由でゾロが彼を海に叩き落し大喧嘩になり、その間
ミズキは抱きつくものがなくなってあろうことかマストに抱きついて泣いていたという実情があるのだが特に言う必要もないのでゾロは黙っていることにする。
「あーもう酒控えよう」
「でもなんだかんだで泣きながら結構飲んでたぜ」
「泣いてる最中の記憶がないから嫌なんじゃん」
不服そうに
ミズキが言えばゾロが楽しそうなのがまたむかついた。
「それより・・・・・お前の故郷ってどんなところだったんだよ」
「え?なんで急に」
「暇だ」
そんなの理由じゃないやいと言ってやればゾロは不平不満は聞き入れんとばかりの態度で
ミズキの頭を小突く。
「いいだろ。話せよ。魚人ってのはいつもはどこに住んでんだ?」
そんな態度にあえて話してやるもんかという態度をとってもよかったのだ。だがそのときは多分彼女自身も誰かと話していたい気分だったのだろう。一度話し出せば色んなことが思い出されてもっと自分のことを知って欲しい、もっと違うものに気付いて欲しいという気持ちが湧き上がって押さえられなくなる。
自分が生まれた魚人街のこと、海底一万メートルにありながら太陽の光が届く魚人島のこと、王族がいて富裕層があって人間社会となんらかわらない魚人の社会のこと、人魚のこと・・・・・ゾロは酒を片手に、時折相槌を打ちながらそんな
ミズキの話を聞いていた。
話して、話して、そのうちに彼女自身の中身が空っぽになる。
「あー!!」
狭い見張り台の中に座っていると身体がどうしても縮こまってしまう。
ミズキは唐突にそんなことを叫んで見張り台を飛び出し、バランスの悪いヤードに立って背伸びをした。
「すっきりした!!」
「おい。危ねぇぞ」
「ははっ、水の中で立つより簡単だよ」
ミズキの言葉から察するに水中で立つ、つまり水中で一定の場所に身体を維持するということは難しいらしいがそんなことこれから先も経験することはないであろうゾロにとってはそんなこと知ったことではない。戻れよと手を伸ばせば長柄を持ってヤーダーム(ヤードの先端)の方へ飛び跳ねて行ってしまう。ゾロとしてはいつ落ちるかと気が気でないが、海に落ちることは彼女にとっては別段怖いことではないのだろう。
くるり、と片足で回転して
ミズキはゾロの方を向く。
「でもありがとう」
「・・・・何がだよ」
「色々話したから。なんか落ち着いた」
「・・・・おれはおれの都合で聞いただけだ。グランドラインには魚人だっている。先に情報が欲しかっただけの話だろ」
見張り台の手すりに寄りかかって仏頂面のまま答える。つれない口調だが礼を言われたことの照れ隠しだろうか。酒を片手にそんな風な態度じゃ女の子に逃げられるぞと意地の悪い笑みを浮かべて言えば、ゾロは決まり悪そうにそっぽを向いた。
「・・・・アーロンとか、自分の生まれ故郷とか自分で言葉にしたら少しだけすっきりした。ナミはあたしが魚人であることを全然気にしてないけど、それでもなんとなくナミに悪いなって気分がずっと抜けなかったんだよね・・・でもナミにはナミの出会い方があって、あたしにはあたしの出会い方があった。あたしにとって、アーロンは倒さなきゃいけない人でもあったけど・・・・・」
「・・・・・兄貴って呼びたいならそう呼べばいいじゃねぇか。ナミの前ならともかく、おれの前でまで遠慮する必要もねぇだろ」
ゾロの言葉に
ミズキは拍子抜けしたような表情をする。でもすぐに笑って言葉を続けた。
「うん。そうだね。兄貴はあたしにとっては大切な人だ。その気持ちまで捨てる必要はないんだなって」
月明かりだけのマストの上では互いの表情の細やかなところまでは読み取れない。二人が心の奥底で何を思っているのか、波の音が静かに響いてくる船の上に沈黙が訪れる。
「さってと・・・ゾロ、ここいらでいっちょ酔い覚ましってどうよ。もう一度飲み直そう」
「酔い覚まし?・・・・っておい!!」
ゾロが手を伸ばしても当然届くはずもなく。
ミズキがとんと軽く足でヤードを蹴れば、彼女の身体はふわりと宙に浮いて、数秒後に響く水音。ゾロも若干心もとない足取りでヤーダームまで行くと、下で
ミズキが手招きしているのが見えた。ふざけてる、と思いながらいつも肌身離さず持っている刀ごとゾロもヤードを蹴る。頬に当たる風が冷たく気持ちよく、真っ暗な水面が近づいて、身体が冷たい水に包まれた。ぼこぼこ、気泡が身体を包んで水面に消えていく。月の光が揺らいで、肩に暖かいものが触れた。
「ぶはっ!!」
「ははっ!!」
先ほどよりも幾分低い声で
ミズキが笑う。口の中に入った水を飲んでしまったせいで喉が焼け付くように痛んだが、なんとなく懐かしかった。先に船体にかけられている縄梯子に手をかけた
ミズキを見ながら、ゾロは初めて出会ったときのことを思い出す。
「そういや、あの時もお前の髪は光ってたな」
「ん?男の時は光んないけど?」
「いや・・・そう見えた」
あの時はもっと酷い引き上げ方をされたんだけどな、お前覚えてないだろ。ゾロが笑うと
ミズキはなんとなく想像できると眉を寄せる。
甲板でいまだ起きてこないクルーのことなど気にせずに、残った酒で二度目の酒盛りをすれば、結局
ミズキが泣いて面倒だったというのはゾロの後日談である。
2012/08/12
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