"誇れ、お前は__"

ミズキの母親は人に恋をした人魚だった。その人こそがミズキの父親であり、彼は魚人島を訪れた一つの海賊団の船長であった。
ミズキの母親は魚人街出身で、彼女は孤児として魚人街へ来たから父親も母親も分からなかった。それでもとても美しい人だったということだけをミズキは聞いて育った。写真の一枚も残っていなかったからミズキが引き取られた先でその話を聞くだけだったけれども、当時は皆彼女に憧れていたのだという。でもそれは彼女が人間に恋をするまでの話で、ミズキの母親が人間に恋をしてから彼女への風当たりは一気に強くなった。特にその頃はちょうどゴールド・ロジャーが発端となった大海賊時代の幕開けであり、人間によって魚人島は激しく荒らされていた時期だったことも災いした。
魚人街はそもそも孤児の集まりが発端だが、その孤児たちのほとんどは両親を人間に殺されたり攫われたりした者たちばかりだった。そしてさらに魚人街が荒れてからは、魚人島の中でどうしても王族の人と共に生きようと願う思想を受け入れられない者たちが集まる場所となり、魚人街は人間と言うものの一切を拒むまさに魚人たちの負の怨念の集積地となっていったのだ。魚人街に住む者は魚人島とは一線を画したところに居たから、例え人間を嫌わずとも魚人街の者が魚人島へ行くことは難しかった。不可能ではない。だが、完全には受け入れてもらえない。そういう意味で後に魚人島へ移り住んだシャーリーの苦労は並大抵ではなかったはずだ。特にアーロンの妹という肩書きはかなり彼女を苦しめたのだろう。
ミズキの母親はそんな環境の中でミズキを身ごもることになる。人に恋しただけでなくさらには人の子を身ごもることになれば、彼女に向けられる視線はさらに厳しいものとなり日に日に繰り返される嫌がらせは段々と酷くなっていった。
それでも、ミズキの母親はほんの少しも絶望せずにミズキが生まれる日を楽しみにしていたとアーロンの妹であるシャーリーはミズキにいつもそう語った。
だけれども、その母親が何よりも心の支えにしていた男、つまりはミズキの父親が死んでからは彼女自身も進むべき方向を見失ってしまったのだろう。ミズキの父親はこれで最後にすると決めた航海を終えたら彼女を連れて陸へ上がるつもりだったが、その最後の航海で命を落としたのだ。待てども待てども帰ってこない男の訃報を聞いたのは、男が死んでから半年以上たった頃。海の森にぼろぼろになった一隻の船が流れ着いたという。中にはすでに白骨化した人骨が転がり、生きている者は当然居ない。船自体も何があったのかかなり老朽化しているようで、ほとんど原型が分からなかった。それでも恐らく船長室だろうというところで、辛うじて壁に貼られ残っていた男と、ミズキの母親の写真があったのだった。
虐げられることを良しとしていたわけではないミズキの母親の絶望はどれほどのものだったか。それでも彼女はミズキの存在を心の糧として死に物狂いで生き、そしていつしか精神を病んだ。


「半人、汚らわしい」


それはミズキが物心つく前から言われ続けた言葉で、もう何度言われたか覚えているわけがない。人間からすればミズキは半分魚なのだろうが、魚人からすればミズキは半分人なのだ。魚人島では人の血が混じっているだけで虐げられるには十分な理由だった。
白ひげの庇護の下とはいえ、人間により家族を失った魚人たちの怨嗟の念は積み重なり積み重なり、ミズキと母親に対する仕打ちはどんどんと加速するように酷くなっていく。
そして、ついに、ミズキが三つの頃、母親は限界を迎えたのだった。まだ母に縋ることしか出来なかったミズキは、実は半分人の血が混ざるため鰓が開くのが遅くこのときはまだ水中での呼吸が不完全なものだった。ミズキをこのまま海へ捨てれば人と同じように水の中で溺れ死ぬだろう。ミズキの母親は完全に病んだ精神の中でも彼女を思っていたから、最後の最後に遠い縁者であるシャーリーとそれからアーロンにミズキを託して暗い深海へ消えていったのだ。
ミズキはシャーリーから、母親のその後を聞くことはなかった。彼女はデメニギスの人魚であるからたとえ灯りが一筋も指さないところでも生きていけるのだろうが、彼女がそこまでして生きたかったようにはとても思えない。
シャーリーは魚人街に暮らしながらも人間に対する激しい恨みはなかったからすんなりとミズキを受け入れた。特に、ミズキの父親にも会っていることが大きいだろう。まだ小さいミズキをまるで妹のように可愛がった。
アーロンはひどい人間嫌いだったけれども、ミズキが自分は半分人間であるとさえ言わなければ彼女を受け入れていた。それは本当の意味で彼女を見ていないのかもしれないが、それでもアーロンの力と、恐怖の下に居れば少なくともミズキは魚人街の他者に危害を加えられるようなことはなかったのだ。彼はまだ鰓は開かずとも生まれたときから傍にある提灯をぎゅっと握り締めたままの彼女を魚人、と呼び見捨てることをしなかった。彼女が自身を人であると言うことをアーロンは嫌ったが、ミズキ自身成長する過程で何度も半分人であるが故に苦しんだためその事実を好き好んで自分から言おうともしなかった。
やがてミズキの鰓が開く頃、アーロンは彼女を自分の海賊船に連れて魚人島を出た。人間への恨みつらみが激しく表で噴出す魚人街の中で、これ以上ミズキを魚人街へ置くことは危険だった。それはミズキ自身だけでなく彼の妹であるシャーリーにとってもだ。
海上へ出たり海中で人間の海賊を襲ったりとアーロン一味は魚人街の連中からは歓迎され、魚人島の連中からは疎まれる存在であったが、その両者から疎まれるほか無いミズキを受け入れたのは当時彼とその一味だけだったからミズキはずっとその船にいた。クロオビもハチもチュウもミズキを本当の仲間として扱ってくれて、彼女にとって一番居心地のいい場所になった。


「誇れ、お前はおれたちの仲間で紛れもなく魚人だ」


それはアーロンの口癖だったし、ミズキ自身も今までの経験からそれを信じ込みたかった。だけれども、やがてアーロン一味がタイガーの作ったタイヨウの海賊団に吸収される中で、彼女は所詮半分は半分でしかないことを知る。それはけっしてタイヨウの海賊団で彼女が疎外されたからではない。ただタイガーやコアラ、そしてその他の人たちと会うことで本当の自分と見つめ合うことを教えられたのだ。
しかしたとえなんであれ、自分のことを受け入れてくれた人たちのことが好きだった。アーロンは人間を嫌ってはいたけれどミズキのことを決して虐げなかったから、あの人も好きだった。
タイガーが死んで、自分の弱さを知ったけれど、タイガーは半分人であり半分魚人である自分こそが魚人と人間の架け橋になると言ってくれてそれを信じたい自分がいた。理解すればきっと二つの種族は分かり合えると思っていたのに、ただ一人強くなるために海に出て必死で自分の思いを言葉にしたけれども、それでもその理解はあまりに薄く、心がだんだん閉じていった。
人間でもなく魚人でも人魚でもないどっちつかずの存在で、世界から宙ぶらりんになって、それは誰の庇護もない世界に一人で踏み出したときに突きつけられた真実だった。真に彼女を受け入れてくれる人はほんの一部なのだ。決して理解しあえない人間もいるのは、それは誰もが違う考え方を持っているからだと言い聞かせても、辛い。誰にも助けを求められなくて、心の奥底でいつも一人で泣いていた。
だから実は、男溺泉に落ちて本当に半分人間になったとき嬉しかったのかもしれない。あ、自分はどっちつかずじゃなくて人間でいられるんだって。









2012/07/23
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