"尊敬すべきあなたで居てほしい"
言いたいことは山ほどある。この島の惨状はこのアーロンパークに来るまでの間、自分の目で見てきた。しかし感情的に怒鳴り散らしたところで何も解決せず、結局お前は相変わらず泣き虫だなと慰められるだけになるのは彼女が一番よく知っていたから、
ミズキは何度か自分を落ち着かせるために深く、息を吸う。
「一体・・・なんで」
「・・・・魚人こそが至高の種族だと、何度も言ったはずだ」
アーロンはまるで
ミズキが自分に対して何を言いたいかわかっているかのように、そう静かに呟くと
ミズキの次の言葉を待った。
二人だけではなく、この場にいる全員が沈黙を守っているのは彼らが
ミズキの発言を尊重しているからでもあったし、同時にこの先どうなるかわからないこの空気に不安を感じて息を潜めているからでもあった。アーロンは同族に手を上げない。しかし、彼女がどう動くかによってどうなるかは誰にもわからない。
チュウはチッ、と小さく舌打ちをする。昔からそうなのだ。
ミズキの思考は、どちらかと言えばアーロンよりもオトヒメのそれに近い。人間、という種族に関して
ミズキとアーロンが正面切って言い合うときは往々にしてタイガーが割って入らなければならない大騒ぎになっていた。それでも昔のあの子は泣き虫で、すぐに泣いたから慰めようもあったのだが、今の
ミズキは若干泣きそうになりながらも必死で踏ん張っていたから余計にどう声をかけたらいいのかわからない。
ミズキとアーロンの関係を一言で表してしまえば、恩人であり、育て親であり、旧友であり、理解者である・・・といったところだろうか。いやそれはここにいるごく一部を除いた全員に当てはまることだろう。チュウもハチもクロオビも、そしてアーロンも今日においてすら
ミズキを仲間と呼ぶ。あの子は仲間であり、家族なのだ。
だからこうして言い争っているのを見るのは辛いが、しかしどの道これはいずれ通らなければならない道だということは全員が頭の中で理解している。
グランドラインのどこかにいる
ミズキと、海を侵略するアーロン一味はどこかで必ずぶつからなければならない。それが今日であったというだけで、想定外の出来事とは言っていられない。
「ニュ〜・・・
ミズキ、あのな、アーロンさんは」
一歩前に出たハチを止めたのは他でもないアーロンで、彼は何も言わずに手だけでハチに下がれと言う。ハチはしぶしぶ下がったが、それでも心配そうな目で
ミズキを見つめていた。
ミズキは吐き出す息に言葉を乗せる。そうでもなければ、泣いてしまいそうだった。
「魚人は至高の種族だ・・・あたしだってそう思いたい!でも兄貴!それでも人の村をこんなにするのは違うよ」
「・・・・・」
「人間が憎くても、これじゃ世界貴族と・・・一部の人間が魚人を虐げてきた歴史をそのままなぞってるだけじゃないの!?」
「違う」
そこで初めて口を挟んだアーロンに、今度黙ったのは
ミズキの方だ。
「おれが、いや魚人が人間を虐げるのは自然の摂理だ。万物の霊長は、魚人であると何度も言っただろう」
「・・・・・・!」
「人間が魚人を虐げた歴史はあの下等種族の数が多かったからにすぎん。魚人こそが至高の種族、我らがあの下等種族を支配せずにどうする」
アーロンの言葉は淡々と、それこそ朝の挨拶でもするかのように口から吐き出されていく。彼はそれそのことを信じて疑わない。その恐ろしいまでの信念は彼が今まで生きてきた時代が作り上げたものだし、まさにアーロンそのもので
ミズキにはそれを真っ向から拒絶することがどうしてもできなかった。それでもこの間違いは正さなければならない。
だが、その間違いはもう話し合いとか妥協とかそういう平和的な解決手段ではどうしようもないところまで突き詰められてしまっているのだろう。アーロンの言葉からも、そして
ミズキの言葉からも両者は両者とも互いの言葉を理解するにはもう遅すぎると感じていた。
ミズキは語るのをやめた。ここはグランドラインではないが強者のみが生き残る海。たとえ口ではどんなに素晴らしいことを言ったとしても、力がない存在はそれを正義として他者に認めさせることは絶対に出来ないのだ。
もしもアーロンにほんの少しでも迷いがあれば、もう一度一緒に海に出るという道もあったかもしれない。しかしそうするにはお互いにちょっと遅すぎた。ここでなんとしてでも相手を止めてやりたいと思うなら、残された道は戦うことでしかない。
だから、
ミズキはゆっくりとその手に持った長柄提灯を構えたのだった。アーロンは何も言わずに
ミズキをじっと見つめる。
長柄提灯はリーチはあれど小回りがきく武器ではない。振り回せばバランスが悪い、大振りになりやすいとなかなかに難儀な武器であったが、一方で使い慣れたものほどありがたい武器は無い。
昔アーロンに教えてもらった通り、重心は体の中央に、そして視線は敵を見据える。そうして表情を引き締めるとアーロンもこれ以上話すことに意味を感じなかったのだろう、目前の戦闘に対して構えることこそないが戦うことへの意欲を垣間見せる。
先に地面を踏んで跳んだのは
ミズキだったが、見え透いたその攻撃はあっさりとアーロンの片手で弾かれ、彼女は一回転して地面に着地した。だが長柄の勢いは死んでいない。大きく弧を描いた石突が陸での起動の要である足を狙い、アーロンは今度はそれをしっかりと掴み取る。けれども、視線を上げたとき目の前に
ミズキはいない。
あ、と外野が思う間もなく軽い身体を生かした跳躍で
ミズキはアーロンの懐に飛び込むと防御させる間も空けずに魚人空手・唐草瓦正拳をみぞおちに叩き込んだ。空気を介することなく、直接体内を伝わる振動はアーロンの体内を揺らしかき回し彼の全身を猛烈な激痛が襲う。だが、彼女自身の魚人空手が不完全なものであることが最大の障害となって、アーロンは一瞬よろめいただけで姿勢を保ちなおすとその拳で
ミズキの小さな身体あっけなく吹き飛ばしたのだった。鮫の魚人は元来その性質から荒々しく、戦闘能力が他の魚人に比べて圧倒的に高いものが多かった。その重い一撃は、たとえハチが同じように
ミズキを殴ったとしても(彼に限ってそんな機会が来るとは到底思えないが)ここまでのダメージを彼女に与えることはできなかっただろう。
鈍いがはっきりと、何かが折れるような音がした。何か、ではない。恐らくは今の一撃で複数個所骨折しただろう。それ以上動かなければいいのに、と思ったのは恐らくその場にいた全員で、アーロンですらも呻きながらそれでも立ち上がろうとする
ミズキに同情と哀れみの視線を向けている。
ミズキはもう一度立ち上がった。
しかし肩で荒い息をする
ミズキにアーロンはそれ以上攻撃を仕掛ける素振りもなく、しばし沈黙が両者の間を支配して、それからアーロンはゆっくりと
ミズキに背を向けたのだった。
「・・・・」
「・・・おれは命じてお前を殺しはしねぇ。お前に勝ち目がねぇのはお前が一番わかってるだろう。諦めろ、
ミズキ」
そいつを小船に乗せてここから追い出せ、とアーロンがチュウに命じて、チュウはため息を吐いてそれに応じる。
「
ミズキ。お前はもうさっさと島から出て行け。お前と次に会うのは海の上にしよう」
そこならば、もう一度わかりあえるだろうとチュウは
ミズキの肩に手をかけたが、
ミズキはそれをやけに強い力で払い落とした。生意気なと思うよりも早くいつの間にこんなに強くなったのだろうと思う。先ほどの魚人空手もそうだ。昔一緒に船に乗っていたころと比べて遥かに強くなった彼女に、チュウだけではないアーロンも含めてこの場にいる全員が驚いたはずだ。
ミズキは呼吸をする度に痛む胸に手を置いて、ともすれば早く荒くなりがちな息を必死で抑える。そして、深呼吸をするようにゆっくりと息を吸い込むとアーロンに向かって彼女ははっきりとこう言った。
「なら・・・・あたしは残った半分の人間として兄貴を止めにきた」
彼女の言葉が一体何を意味するのかはのちのちわかってくるだろう。だがそれよりも何よりも一瞬で凍りついたその場の空気に、アーロン一味に入って間もないものは身の毛のよだつ思いだっただろう。アーロンの明らかな怒りと殺気に慣れているはずの幹部達ですら一瞬ぞわっと背筋を駆け上がる寒気を感じたのだから、下っ端が何を思ったのかは想像に難くない。
「
ミズキ!!お前何を・・・・!」
「チュウは黙ってて。あたしは、ここで逃げたらもう兄貴を兄貴と呼べなくなる」
そう言い切れるようになった
ミズキは、彼女の昔を知っているものからすれば成長したといえるのだろう。だが今、このタイミングでそのことを口にするのはあまりに危険だと誰もが知っていた。アーロンは
ミズキがそういうことを何よりも嫌っていたし、
ミズキ自身もいつもはあまり口にしたがらない事実だったからだ。しかしだからこそ、その言葉には
ミズキの逃げないという意思が何よりも強く反映されている。
背を向けたアーロンがゆっくりと振り返る。
2012/07/14
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