海牛"モーム"
自分の目で見たもの以外は信じない、と言う奴がいるが、実際のところそういう奴は本当に自分が目で見たものを素直に信じるのだろうか。
今、ルフィとサンジの目の前では女が男になり男が女になるというそれこそ信じ難い出来事が繰り広げられているが、未だサンジは夢じゃないかとも思っていた。
だが
ミズキに続いて、リョウガという男の男が豚へ豚が男へ変わる姿まで見せられたらもう信じないわけには行かないだろう。とりあえず今までの自分の常識は片隅へ置いて、サンジはなんとかかんとかこの不可思議な出来事を丸ごと飲み込むことに成功した。とはいえそんな風に自分の常識と非常識だと思っていた常識との間に大きな線があるのはサンジとヨサクの二人だけで、そもそも常識と言う言葉が存在しないルフィは何の違和感もなくすでに
ミズキを受け入れていた。むしろそんなルフィの「お前不思議体質なのか?」「その頬のそれなんだ?」というあっちこっちからの猛烈な質問に参っているのは
ミズキのほうで、ぐいとルフィを席に押し込むとさて、とサンジの方を向く。
「さて、もうこれで満足?」
「ああ・・・グランドラインって海はそういうことが普通なのか?」
一拍置いて、そう聞いてきたサンジに
ミズキは知らない、と考える素振りもなく言い切った。
それも当然、数十年前から数多くの海賊が出入りしさらに海軍の優秀な科学者がありとあらゆる手段でもって解明を急ぐこの海は、相変わらず謎を秘めたまま。生まれてこの方数十年程度の
ミズキ一人が一体グランドラインの何を知ると言うのか。精々
ミズキでも言えることは、とにかくありえないなんてありえないといったところか。常識なんてものはさっさと頭から捨てて非常識こそが常識と受け入れられる精神がなければまずグランドラインで生きていけない。とはいえそれは逆もまた然り。グランドライン出身者は自分達の常識が非常識と知らなければ残りの四つの海ではとても生きて生けないのだから、随分とおかしな話だろう。
「女が男に変わる理由なんてどこぞの軍のお偉いさんにでも聞いて頂戴よ。あたしだって知らないんだから」
むくれたように言う
ミズキにヨサクはポツリと呟く。
「元に戻る方法ってあるんすかね」
「それよ!!」
ミズキはパチンと指を鳴らした。
「普通なら男溺泉に落ちちゃった女の子は逆の効果のある女溺泉にはいればいいんだけど、あたしの場合はもうちょっと事情が違うから・・・・とにかく元に戻る方法を探して情報集めをしたらなんか呪解泉ってのが存在するんだって」
「解・・・ってことはその
ミズキちゃんにかけられた呪いが解けるってわけだ」
「・・・・とあたしは睨んでる。何しろ人づてに聞いたもんだから確証なんてないし。でもあたしとしてはそれにすがるしかないから、あたしはその呪解泉をずっと探してるわけ。わかった?あたしの探し物は一般の海賊からすれば何の役にもたたないってこと」
「ああわかった」
ルフィは
ミズキの言葉に素直にそう答えるものだから、
ミズキは逆に怯んでしまう。どういうことだ、この麦わらの船長はこんなに物分かりよくなかったはずだが。
「探し物は見つかりにくいんだろ?だったら尚更おれらの仲間になった方がいいじゃねぇか。探すやつは多い方がいい」
確信をついているルフィの言葉に
ミズキは呆れた、というか頭を抱える。だからそうじゃないのだ。これはあくまでも口実であって、と悶々と悩む
ミズキに対して、ルフィは
ミズキが仲間になる!と言ってくれるのを待ち受けてじっとこちらを見ているものだから
ミズキとしては居心地が悪い。断っても結局大した効果は無さそうだし、と思ったところで
ミズキの視界に入るリョウガ。
ミズキはぱっと話を変えてルフィの意識を全く別のところにもっていったが、サンジだけは何か隠した風の
ミズキに怪訝な視線を向けていた。
彼女は何かしらの理由があってこの一味から距離を置きたがっていることはサンジももう充分わかっていた。彼女が言う探し物がある、というのも口実だろうし時折声を荒げたり表情を無くす彼女にはまだ自分達に言えない何かがあることもわかっていた。サンジとしてはできることなら、仲間だからこそ互いの全てを知り合う必要などないのだ、ということを
ミズキに伝えたかったが彼にはそれを伝える手段がわからなかった。まだ出会って日の浅い自分が口にしたところであまりに軽い言葉ではないか?時として間違いを伝えうる言葉でそんなことを言って彼女を傷つけはしないか?しばし悩みこんだサンジの思考は、唐突に飛んできたフライパンに邪魔される。ごん、と額にぶつかったそれとじわりと湧き上がる怒気にさすがのルフィも一瞬静まり返った。
「ルフィてめェ!!神聖な調理器具で遊んでんじゃねェぞ!?」
追い回されてまるで猿のように室内を逃げ回るルフィと、その猿ごと調理してしまいそうな勢いのサンジの二人の追いかけっこはそれから日が落ちるまで続いたのだとか。
そういえば、少々話がずれるが今の今までちょくちょく登場するヒビキ・リョウガの紹介が遅れていたのでここで紹介させてもらおうと思う。
額に黄色と黒のバンダナ、旅装姿なのだが実は単に方向音痴で家に帰れなくなっただけの彼の名はヒビキ・リョウガという。驚くなかれ、彼もまた
ミズキと同じく呪泉郷の被害者であり彼は
ミズキよりもさらに別の意味で悲惨な運命の持ち主だ。彼の落ちた呪いの泉の名は黒豚溺泉、曰くうん千年前黒い豚が溺れた泉であり
ミズキの前例からも分かるとおり、彼は水を被ると黒い小さな豚になってしまうのであった。くりっとした目が可愛らしいが、豚にしては性格はきわめて凶暴、そして最悪なことに湯をかけると人間に戻るのだがその際まさか服を着ているはずもなく時折素っ裸で彼は公衆の面前にさらされると言う大恥をかくこともしばしばだった。
そんな彼と
ミズキの出会いは呪泉郷。彼女が、いやそのときは彼が女に戻るための情報を集めて呪泉郷をうろうろとしていたときのこと。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ミズキは足元で転がっている一匹の黒い子豚を見つけた。周囲には人が住んでいるらしき家もなく、ここから現地の人が住まう集落までは相当な距離がある。ここしばらく女に戻る方法が分からずこの周囲をずっとぐるぐると回っていた
ミズキは大分このあたりの地理に明るくなっていたから、ここにこんな豚がいることの異様性がよくわかった。
ひょいと片手で子豚をつまみあげるとその衝撃でか、子豚はぱっちりと大きな目を開けて
ミズキのほうを見つめ返す。
「ぶきっ」
少々遠慮がちな泣き声と、自分の胃が久々の食べ物を見つけてぐるると蠕動運動を始めたのが分かった。ここしばらく何も食べずにうろうろとしていたためまだ何も食べていないと言うのに口の中に唾が溢れてくる感覚がはっきりとわかる。豚はそんな
ミズキの明らかに食いたそうな目を察知したのか急にぶききっぶきっと暴れだしたが
ミズキも久々の獲物を早々簡単に手放すわけには行かなかった。両足を縛って棒にくくりつけて、調理の準備を嬉々として始める。
薪を集めて小さな鍋に湯を沸かす。ぐつぐつと煮立ったそれに
ミズキはゆっくりと黒豚を放り込んだ。
途端。
男の悲鳴が二つ重なった。一人は放り込まれた湯の中のあまりの暑さにたまりかねて、もう一人は今まで一度も見たことのないまぁ・・・そのあれだ、男のナニを見て。
ミズキはそこらにあったものを片端から男に叩きつけて長柄提灯でその男を滅多打ちにした。食われかけた挙句にさらにそんな仕打ちを受けるとは、リョウガも受難の星の下に生まれてきているとしか思えないが、
ミズキは今でもその話をすると自分は悪くないと頬を膨らませて言うのだった。まぁどちらを責めてもしょうがないことは事実だ。とりあえずなんとか布を腰に巻いて
ミズキと距離を取ったリョウガはそこでようやく明らかに嫌そうな視線を向けてくる
ミズキに事情を説明できたわけだが、それはある意味
ミズキにとっては朗報だった。黒豚溺泉に落ちて、湯を被ると元に戻る。ならもしかして、と思い当たることのある
ミズキは即座に自分も湯を沸かして頭から被ったわけだ。結果としてはその目論見は大成功で、
ミズキは女に戻れたことを大変喜んだが、ここしばらく女への戻り方が分からず男としてたった一人でいたせいか少々自分の格好に気を使うのを忘れていた。
しばし飛び回ってはっと気付いてリョウガと顔を合わせた
ミズキは一瞬で顔を真っ赤にして、鼻血をぼたぼたと垂れ流していたリョウガの股間を思い切り蹴り飛ばしたのだった。まだ未発達の肢体はそれ故に艶かしいといおうか、とりあえずリョウガに幼女趣味が芽生えていないことだけを願おう。
そんな最悪の出会い方をした二人だが、目的は一緒と言うことでそれからはしばし旅を共にしたりリョウガが主に行方不明になって
ミズキ一人旅になったり、またリョウガと合流したりを繰り返していた。そしてグランドラインを不本意ながらも離れざる得ない状況に陥ったあの嵐の直前で偶然ばったり出会った二人は、一体何の因果か今こうして麦わらの一味の船に乗っているわけだ。
ヒビキ・リョウガという人物について多少わかってもらえただろうか。ルフィとサンジにヨサク、
ミズキとそれからリョウガを乗せた工船は、ヨサクの案内に従って着実にナミの向かった島、いや、今はアーロンパークと名を変えたそこに向かっている。
波に揺られて風に煽られて。でもどこまでも青い空に心を洗われながらどことなく静かで穏やかな日々を過ごすこと数日後の昼過ぎ、唐突に船が奇妙な揺れ方をして
ミズキはばっと立ち上がった。
「何だ!?」
サンジは傾いた船のせいで折角の料理が零れてしまわぬよう片足でテーブルごと持ち上げた。その脚力は感嘆に値するが今はあいにくとそんなことに気を使っている暇は無かった。
「こりゃあ・・・・」
「狙われてる、かな」
ある種の魚は海面付近に獲物を見つけると一旦深くまで潜り真下から一気に襲い掛かるという。小型の魚ならともかく実は大型の海王類にもそのような習性を持つ連中がいて、そいつらは少し泳ぐ方向を変えるだけで波が変わるほどだから先に気付ければたとえ海軍の軍艦のように大型の船でもなんとか逃げおおせることができるのだ。だが、一歩でも遅れれば。
ミズキは幼い頃から海の上で暮らしていたから、かすかな波の変化に気付かなかった海賊船が海王類に襲われるところを何度も見てきていたし、その揺れがどのようなものなのかも身体に染み付いていた。だから今も思わず立ち上がってしまったのだが、奇妙なことに船底の影は船を飲み込むどころか、ちょっとだけ船を揺らしてぴょこんと船の真横に顔を出したのだった。
ぽかんと口を開ける面々をくりっとした目の海王類がじっと見つめる。
「海獣・・・?」
こんなところにいるのも珍しい、というのはヨサクの反応を見ていればわかる。だが奇妙なのはどうも腹をすかせているらしいというのにこの海獣は全くこの船を襲う素振りがないことだった。
(・・・・・飼われてる・・・・・)
ということはつまり船を襲わないよう訓練されている可能性があった。海獣を躾け仲間にすることは不可能なことではない。が彼らは船を見分けるほど頭がよくないため、もしも海獣を躾けるならば全ての船を基本的に襲わないよう訓練し、ある種の号令に従ってのみある条件化の船のみを襲うように躾けるのが普通だ。
ということは刺激さえしなければ・・・・という
ミズキの目論見はルフィによってあっさりばっさり破られてしまうのだった。伸びた彼の手は海牛の顔面を捉えて海牛は一回転して海の中へ。だが即座に反転して飛び出てきたら今度はサンジに盛大に蹴り上げられる。
「ん?どうした
ミズキちゃん」
「いや・・・色々・・・・呆れた」
この連中は戦闘を回避しようという意識がまるで頭にないらしい。
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2012/04/22