上等な車であった。クロロが丁寧に心がけて運転するまでもなく、ほとんど揺れのないそれはさすがゾルディック家の用意した車だ、といったところだろう。
 舗装されていない道と荒野の境目のようなところをかなりの速度で走り続けて五分、すぐにクロロが運転する車は、ヨークシン襲撃に合わせて幻影旅団がアジトにしている廃ビルの群れに到達した。元は第二のヨークシンとして、人を集めそれなりに大規模な都市を作る計画があったようだが、企画会社の倒産によりこの廃ビル群は完成したのである。途中まで出来ていたビルは悲しくも全て工事はストップし、今はホームレスや貧困者のたまり場となっている。そのビルの中でも特に崩れやすく、ほとんど人が入り込んでこない区画、それが現在の幻影旅団の借りのアジトである。
 クロロは車を止めると後部車両の扉を開ける。むわっと血の臭いが広がり、クロロは一瞬顔をしかめるが、先ほどよりもハルシャの顔色が良いことを確認して「止血できたのか」とサソリに問いかけたのであった。
 サソリはクロロの言葉に、無表情のまま「止血だけだ」と答える。

「人体の構造を知っていれば動脈の止血くらいはなんとかなる。あの女ほど緻密にはできないが、最低限、脳と循環器系・呼吸系それから手足……とくに手だな、そこに繋がる血管同士を無理矢理操作して血液を送るだけのことだ。意識があれば自分でやればいいが今はこいつの意識がないから俺が破損した重要な血管をオーラで覆って致命的な出血を避けているだけだ、誰でも出来る」
「……不可能ではないだろうがそう簡単なことでもないだろう」
「修行不足だこの程度できねぇなら一からやり直せ」
「手厳しいな」

 話しながらもクロロとサソリは手を動かし、ハルシャを安全に運び出す準備を整えていく。サソリが重要な血管をサソリ自身のオーラで覆って、クロロが運搬する。抱えあげた体はすでに冷たくなりつつあり、まだ暖かいのは手先と心臓から上になりつつある。瞬間的な大量出血により一気に血圧が下がってショック状態になっているのだ。現在もそれが続いており、普通ならばそのまま出血死だが、サソリが重要な血管を押さえているおかげで、最低限細胞が死なない程度には状態が保たれている。それでも洩れ出る血液の全てを止めることはかなわず、もう時間もないだろう。
 クロロは白かったシャツが真っ赤に染まるのも構わずハルシャを抱え上げ、その後ろからサソリがついてくるのを確認しつつ、できる限り揺らさないようにして、幻影旅団のメンバーが集まっている部屋に向かったのだった。

「マチいるか」
「……どうしたの、それ」

 クロロの呼びかけに答えたマチはカードゲームに興じていたようで、手元のカードを地面に置くとクロロとサソリのほうに近づいていく。他のメンバーも珍しくクロロが張り上げた声に、なんだなんだと顔を覗かせクロロが一人の少女を抱えて真っ赤に汚れていることに驚きを隠せなかったようだ。

「おい団長、一体なんだそりゃ」
 フィンクスの言葉に「説明は後だ、これが死んだら俺はサソリと一騎打ちだからな」と冗談交じりにクロロはそんなことを言うが、クロロの後ろに立っているサソリは無表情でクロロの言葉にぴくりとも眉を動かさなかった。

「マチ、契約だ、いくらでも構わないからこいつを治せ」
「契約って、別に団長からの命令なら断らないけど」
「いやこれは団長ではなく俺個人からの依頼だ」
「そ、……ってぐちゃぐちゃじゃん…。止血は?」
「俺がしている」

 マチが傷跡を見ながら聞くと、それにはサソリが答えた。マチはどこか感心したように「ふぅん」と頷いてから「わかったよ」と答えた。
「でもここじゃ安定しないから隣の部屋の、確か使えるベッド一台ぐらいあったでしょ。そこに寝かせて」
 マチがそういうとクロロは頷いて隣の部屋に向かう、マチも続くが、部屋から出る前に「あ、邪魔になるからこないでよ」とそこに集まっていたメンバーに一声かけることを忘れなかった。

「止血はサソリね、じゃあ縫い合わせたところから血を回すようにしてどこに血回してるの」
「脳と手だ。あとの器官には最低限」
 サソリの言葉に怪訝そうにマチは眉を顰める。通常こういった場合もっと優先する器官があるはずだが、脳はともかく手とはどういったことか。マチは視線でサソリに問いかけていたが、サソリはやはり無表情のままで何も言わなかった。
「……それじゃあ一部はもうだめかもね。でもまぁ、なんとかするよ。この依頼団長からじゃなくてクロロを通したサソリからの依頼?」
「そうだな。断るか?」
「断らないよ、クロロの依頼を受けたから」
「……そうか」

 マチははっきりと言うと、サソリはほんの少しだけ眉間の皺を緩めるのだった。その変化に気づいたのはクロロだけだろう。マチはすでに傷口の確認に集中しており、もう他のものは何一つ見ていない。

「一部の臓器細胞は死んでるから切り出す。そのほかはまだつなげそう、あたしがつなげたらもう出血はしないはずだから、順番に傷口を覆ってるオーラは外して。その代わりに腹腔に溜まった血液の除去を」
「……」

 サソリは無言でマチの作業を見ている。
 マチは返事はなかったがサソリは了解したものと理解し、素早く縫合をしていく。
 念糸縫合。変化形のマチは自らのオーラを糸に変化させることができる。オーラで出来た糸はマチの体に近ければ近いほど頑丈で、かつマチから切り離されてもかなりの強度を持ち、時には破壊された神経細胞や血管の細胞をつなぎ合わせることすら出来る。シンプルな能力な分、応用力が高く、マチが糸を張り巡らして戦っている姿はまさに本物のクモのようだ。マチ自身は操作系ではないが、操り人形のように、人間に糸を巻きつけて操縦することも出来る。シャルナークやハルシャほどの精度ではないが、ヨークシンでのマフィアとの戦いで見せたように一対多の戦いにおいてはそれだけでも十分相手を混乱させることも、同士討ちをさせることも自由自在だ。
 クロロはマチの能力についてはその程度までしかわからない。マチも自分の念能力は傷口を縫合できる、糸にできるとしか蜘蛛のメンバーにも伝えていないからだ。これは他のメンバーも同じだろう。共闘をする場面があるために自身の念能力のさわり程度は伝えておく。しかし全員がそのほかに誰にも教えていない能力を持っている。これは家族のようなつながりのある蜘蛛のメンバー同士にも教えない、秘儀だ。単なる馴れ合いの関係で無いことを知っているからこそ、生き残るために秘儀を持つ。そしてそれは絶対に他者にもらすことは無い。何れどこかでバレたとしてもそれをお互い口にすることは無い。
 これは念能力者として相当な力を持つ蜘蛛メンバーのみならず、他の多くの念能力者にも言えることであろう。自分の能力が誰かに洩れることはそれすなわち死を意味する。自身の念能力の秘匿は念能力者ならば当然のことなのだ。
 
「次」
「……」

 マチの手つきには迷いが無い。
 サソリはそんなマチの縫合を見ながら、マチはおそらくは強化形よりの変化形なのであろうと観察していた。マチの緻密な縫合は表面的名皮膚の縫い合わせに留まらず、普通の視力であれば到底見ることのかなわない神経の一本一本まで性格に繋げていく。凝を行っても神経まで視る事はできない上、どの神経とどの神経が繋がっていたかを確認することすらできないだろう。
 故にサソリはマチを強化形よりであると見る。視神経の一つ一つまでを強化し、常人では得られる視力を得る。それによる縫合で、神経までも正確につなぎ合わせ、完全に千切れた人体すらも元通りに修復してしまう。恐ろしいほどの精密さを要する能力であると同時に、医者になれば大成するであろう能力だ。現在の医学でも切れた手足を元通りにすることはいまだ不可能である。そういえば天空闘技場で千切れたヒソカの手足を治したのはマチであると誰かが言っていた気がする。
 サソリはマチの念糸縫合を細かに観察しながら、順次出血を抑えていたオーラを取り除きつつ、体内に溜まってしまったた血液を取り除いていく。多少の出血であれば、やがて血液は吸収されるだろうが、これだけの大量の血液を体内に残しておくわけにはいかない。
 クロロはいつの間にかいなくなっていた。治療に当たっては特に果たす役目が無いクロロは自分は不要と判断したのか、それともメンバーの念能力を見てしまうことに遠慮したのか、気配なくその場から立ち去っていたのである。サソリもハルシャとマチに集中していたためにふと視線を背後にやるまで全く気づくことはなかった。それほどまでに完璧な絶でクロロはその場から消え去っていた。

(小憎たらしい連中だ)

 サソリはそんなことを思いながら、マチの手元に集中する。マチは汗一つかかず、そしてその手元には何の迷いも無い。

 時間との勝負であったハルシャの治療は、マチの念糸縫合により本当にあっという間に終わってしまったのだった。

「終わったよ」

 ハルシャは身動きせずベッドに横たわったまま小さく呼吸をしているが、その顔色は先ほどよりもずっと良くなっている。
 腹部の出血は完全に止まり、血で汚れたベッドが痛々しい傷跡を象徴するかのようであった。腹部の表面の一部も縫い合わせてあり、それがまた緻密でかつマチのほとんど見えない糸で縫い合わせてあるために服の傷跡がなければ、死の瀬戸際をさまよっていたなど誰も思いはしないかもしれない。
 
「これであとは細菌感染とかに気をつけてれば大丈夫だろ」

 マチの言葉にサソリはやはり沈黙を返すのだった。


2018.05.28

S.D.Sランキング参加中