ハルシャはそこからのことをほとんど覚えていない。微かに残った視界でふらふらとどこかを、覚束ない足取りで歩いていたのは知っているが、それが来た道を戻っているとは思ってもいなかった。何がどうなったのかもよくわからなかったし、自分が何をしているのか、ということも頭の中に靄がかかっているようで明瞭としない。今はとにかく目の前の道を進まなければ、という自分の意思ではない何かに頭を支配されているようだった。
ハルシャが少なからずそのようなことを考えていられたのは、シャルナークがハルシャにサソリの元まで案内させるため弱くハルシャを支配していたためである。自動操作の中でも本人の記憶に命令を出すタイプのもので、情報を引き出すことはできないがある程度行動を支配することができる。とはいえ、完全にシャルナークの操作の支配下に入れば一切がシャルナークの思うままになってしまう。自動操作はどうしてもオーラを少な目に注ぎ、完全に操作支配下に置いてはいけないのだった。故に、同じ念能力者である場合、操作の支配下から完全に離脱することも可能であった。
ハルシャは半ば操作され、半ば自我を保っていた。それでもシャルナークの操作に抗えるほどではない。細い路地裏を通り、壊れた鉄柵を潜り抜け、軋む階段を昇る。シャルナークはふらふらと歩くハルシャの幾分後ろを絶をしながら着いていった。
やがて辿りついた先はペンキの剥がれ落ちた看板がかかる一件の扉の前だった。最早ほとんど文字も読めずそこがなんだかよくわからない。ハルシャは恐らくとってつけただけの扉を軽く押して、ズカズカと中に入っていく。先ほども廃墟を通り道にしていたが、ここは違うようだった。明らかな殺気が、ハルシャが踏み込んだ瞬間に膨れ上がり、小さくなる。円を使っている様子はなかったが、遠くから様子を伺うシャルナークは背筋に寒いものが通り抜けるのを感じた。
(あ、これやばいかも)
相手の力量を見誤ったつもりはない。赤砂のサソリが相当の実力者であることは承知の上だったが、接触方法はどうやら失敗だったようだ。
シャルナークの携帯電話の画面には暗い室内が映し出されている。所狭しと並べられた人形と棚に挟まれるようにして二人の男がいた。一人は階段に座り薄汚れた茶のみを弄んでいる。白髪の目立つ初老の男性だった。そしてもう一人は欠けの目立つ机と椅子に腰かけた少年だ。真っ赤な髪と白い肌は暗い室内でもよく見える。その男の赤い目がハルシャの方を向く。


ハルシャ


シャルナークの携帯はそのまま操作対象の五感と繋がっているから音も拾うことが出来た。若干雑音混じりだが、声を発したのはサソリの方であるとわかった。
声はすでに声変わりを迎えた青年のものだった。気だるげな赤い目、短い赤い髪はところどころはねている。その姿はネットで見た写真とそっくり同じで、とても35歳の男の物とは思えぬものだ。
その男のことをハルシャが「サソリ」と読んだ瞬間、周囲の空気が一変した。一直線に向けられた殺気に、シャルナークは反射的にその場を引いて近場の屋上に着地する。


「どこか、らッ!!」


携帯の画面はもう真っ黒になっていた。針を抜かれたかハルシャが気絶したか死んだかのどれかだ。サソリとの関係性を考えて前者二つのどちらかだろう。それを深く考えるよりも早く、幾本もの針が的確にシャルナークの足を狙ってとんでくる。それらを全て避けたものの、屋上にはいつの間にか人形が集まっていて、すでに逃げ場がないことを確信した。
(操作されてるってことは、操れないよなぁ)
全ての人形(傀儡)はお互いの動きを絶対に邪魔せず、かつシャルナークの逃げ場を確実に奪っていく。元より武器は携帯と針ぐらいしか持たないシャルナークは、かなり不利な状況にありながらも相手の武器を奪いそれなりの応戦はした。だが数と一体一体の人形の精密な動きに翻弄される。
受け止めた、と思ったら人形の口から縫い針程度の細い小さな針が飛び出してきて、シャルナークはそれを間一髪で避けた。辛うじて頬を掠らせなかったが、掠っていたらその場でお陀仏だったろう。人形の関節がありえない方向に曲がって、シャルナークは反射的に堅で身を守る。一瞬でも遅ければ胴が引き千切れていたかもしれない。少なくとも念能力者でなければ死んでいたであろう一撃を受けきったものの、衝撃でむせたのは事実だ。全身にびりびりとした嫌な感覚が走る。手がしびれてアンテナを取り落とした。小さなアンテナは一瞬で廃墟の隙間に消えて、予備はポケットの中だ。取り出す暇はない。
荒く組まれたビルの間を飛び回りながらなんとか人形をまこうとするも、まるで複数の目がシャルナークを監視しているように人形達の追跡は決していなくならなかった。すでに1km近く移動しているというのに人形は足を止めない。十中八九サソリが操作していると考えられるのにサソリの姿も見つからない。
シャルナークは額に浮かんだ汗も拭う暇なく、朽ち欠けたベランダで折れ曲がった鉄柵をねじ切る。頭上からの追撃をぎりぎりでかわして頭部に鉄棒を思い切り突き刺した。人形の腕から伸びた刃がシャルナークを狙うが、たとえ至近距離でもたやすく当たるほど柔な鍛え方はしていない。軽くかわしてシャルナークは建物の中に逃げ込んだ。ふとそこで、頭部を破壊した人形が今だ動くにも関わらず追ってこないことに気付く。
(・・・・目か!!!)
いつもならこんな簡単なこと、もっと早く気付いてもおかしくなかった。何故こんなにも遅くに気付いたのか、とシャルナークは絶をしたまま階段を駆け下りる。サソリは人形の目を介して自分を見ている。人形の目は全てサソリに繋がっていると思ってもいい。だから、あれだけ精密に、人形の死角をついてもかわされ、そしてこの場にいなくても人形を操れるのだ。サソリは恐らく最初にいたあの場所から一歩も動いていないだろう。
シャルナークは自分を追ってきた人形の数を頭の中で数えた。合計10、今一つの目を潰したとしてまだ9対の目が残っている。サソリの円については未確定要素が多すぎるが、それでも9つの目を潰しきれば、自分に勝機があるだろうと思った。気配を探っても建物の中にまではまだ人形は入ってきていない。人形の目が潰されたことでサソリもシャルナークを一旦見失ったはずだ。それでもまだ諦めたとは思えなかったからシャルナークは息を殺して、建物の中から周囲を伺った。














「まだかかってんのか?珍しく手際が悪いな。鈍ったんじゃねぇのか、人形師なんかやめたらどうだ」


適当なことをぺらぺらとしゃべるな、とサソリはベネットを睨んでからもう一度目を瞑る。10体程度の人形なら別にそこまで深く意識せずとも操るのは容易い。だが今回の対象はそんじょそこらの念能力者とは桁が違うようで、まだ見た目は若い割りにかなり上手く立ち回っている。鮮やかな金髪と緑の瞳は印象的で、人形にするのも悪くなかったが見るたびに不愉快になりそうだったのでやめた。
チラリと汚い床の上でうつ伏せになったままゆっくりと呼吸をして寝息をたてるハルシャを見る。ハルシャの首筋に刺さっていたアンテナがあの男の能力だろう。ハルシャがいつものように「父さん」ではなく「サソリ」と呼んだから気付いたものの、念そのものは非常に興味深い操作性を持っている。サソリ自身が人形しか(死体しか)操らないこともあり生者を操るタイプの念には興味があった。
ごろんとハルシャが寝返りを打った。操られていることに気付いて即座にその原因を探しアンテナを抜けば、ハルシャはそのまま崩れるように寝入った。特に外傷もなく、毒物を飲まされた痕跡もない。純粋にアンテナを刺されて操られただけだろうと推測して床に放置しているが、そのハルシャこそがサソリにとっての問題の一つだった。
よれよれのパーカーと擦り切れたジーンズ、中途半端に赤く染めた髪は再び地毛の色に戻りつつある。床が固く寝にくいのか時折ビクッと体を震わせて再び寝返りを打つ。規則的な呼吸音と共に時折なにやら寝言を言っているが、ハルシャの寝言は大抵馬鹿馬鹿しいものだったから聞く気もなかった。背は低く、緑の瞳はあちらこちらに興味を奪われてしょっちゅう迷子になるし、問題も引き起こす。そんな子供を、何故自分はつれているのか。ベネットにも最初笑われ、自分でも後ろからちょこちょこついてくる子供を未だに連れている理由がわからなかった。クルタ族の子供なら緋の目でも拝もうと思っていたが、純粋なクルタの血族でもない。ただの孤児だ。それを今の今まで連れ歩く理由がわからず、そして何よりも自分が今ここまであの金髪の青年に激怒する理由もわからない。それでも理由をつけなければならない。サソリには誓約と制約がある。だからサソリは「将来人形にする」「人形にする予定のものを傷つけられた」という理由をつけて今あの青年を追っているのだ。


「冗談はさておき・・・・どうすんだ、サソリ。お前本当におかしいぞ」

「うるせェよ」

「制約はどうする?誓約は?お前の念の根幹だぞ。下手すりゃ死ぬ。悪いことは言わねぇ。ハルシャはここに置いてけ」

「・・・・・」


ベネットの言葉にサソリは沈黙を返す。黙って目を瞑り操作に集中した。


「サソリ」


合間合間でハルシャの寝息が聞こえる。それも耳から追い出す。
やがて諦めたのかベネットの溜息が聞こえた。暗い部屋はしんと静まり返り時折ハルシャが何か呟くばかりで、サソリはただ意識を外に集中し続ける。


「・・・・・・どうなっても知らねぇぞ」


ベネットがぽつりと呟いた。








2013/11/26

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