さて、それから一ヶ月の間に起こったことについてはここでは省かせてもらおうと思う。念の修行に関しては今さら説明するまでもないだろう。
ハルシャはこの一ヶ月の間に念の基礎である四大行をほぼ全てイタチに教え込んだ。彼女自身が念の基礎を習ったのは随分昔のことであり、しかも覚えたほとんどが体感であったため随分と教えるのに苦労していたようだが、ヒソカの明らかな悪意の塊の手伝いもあってイタチの練は今では随分と滑らかで美しいものになっていた。練は念を使う基本である。これを完全に習得するだけでもかなり時間がかかるのだが、それを一ヶ月あまりでやってのけるあたり、イタチにも才能と言うものがあったのだろう。とはいえハルシャやヒソカのそれと比べればまだまだ不十分で、とりあえずしばらくは練を続けてね、とついこの間ハルシャに言われたばかりであった。
まだもう少し修練の必要はあれど、イタチの修行はとりあえず上手く行っていると言えるだろう。
だが問題はハルシャの方だ。


「体が覚えるまで繰り返せ」


呆れたようなイタチの言葉にハルシャは地面に突っ伏したままピクリとも動かない。一瞬もしかして本当に気絶しているのだろうかとイタチは思ったが、かすかにぶつぶつと何か呟いている声が聞こえてくるので一人寂しい反省会を行っているだけのようだ。
彼女の体術はそれはもう酷いものであった。傀儡を見る限り人体の動かし方がわからないというわけではないようだが、いざ向き合うと素人も同然の動きをするのだ。
イタチが軽く右手を挙げればあからさまにそちらに反応し、反対側への集中力がおろそかになる。そもそも大したスピードでないのに目が追いつかず、明らかに残像を追いすぎている。足と手は動かすタイミングがバラバラ。殴ろうと拳を振り上げても重心移動ができていないせいで、どんなに力を入れたところでイタチにとっては痛くも痒くもない。
最初はそんなものだろうと思っていたイタチも、一ヶ月たっても何一つ改善された要素が見当たらないハルシャに、呆れよりも半ば感動に近い何かを覚えていたのだった。
まさかここまで動けない人間がいるとは思わなかった、といったところか。
とはいえ念を教えてもらいっぱなしというのもイタチとしても寝覚めが悪いので、諦めずに付き合っているのだが、正直ここまでくるとイタチとしてもこれから先どうやって教えればいいのかわからなかった。
ひとまずは武道の基本として型を覚えさせてみようということで、ここ一週間そっくり同じ型をハルシャに繰り返し行わせている。ハルシャは文句の一つも言わず、サボりもせずに熱心に繰り返していたし、型だけ見ると本当に美しい動きをする。筋肉の一つ一つ、関節の繋がり、自らの体の重心がどこにあるかどのように動くかを完全に把握し、そしてその上でそれら全てを自分のものにしているのだ。本来なら数回では到底模倣しきれない型の細部までを、ハルシャはわずか数回イタチの動きを見ただけでそっくりそのまま繰り返した。そして一週間の間、それを何度も繰り返したのである。
イタチとしてはこれでハルシャの体が自然に反応することを期待した。いわば条件反射というものを身につけさせようとしたのだが、いざ戦闘になるとまるでだめ。その場で型をやってみろ、といえば出来るが、戦闘の中で応用してみろ、と言った途端振り出しに戻った。
イタチは顎に手を当ててしばしハルシャの今後の修行について考えていたが、ふと時計を見て試合の時間が迫っていることに気付くと、今だ地面につっぷしたままのハルシャの肩を叩く。


「時間だ、行くぞ」

「・・・・・ぅぇぃ」


小さく呻くような返事が返ってきた。

















天空闘技場の内部は今日も騒がしい。ハルシャはイタチの黒い髪を見失わないように人混みを縫って歩いていたが、結局やたら図体のでかい男に邪魔をされてイタチの姿を見失った。念糸はつけてあるので簡単に見つかるが、なんだか探すのも面倒になってため息を一つつくと一人で本日ハルシャの試合のあるリングに向かう。
汗臭さはその場に数分もいれば慣れてしまって、何も感じなくなる。とはいえ自身の匂いにはそれなりに気を使っていて、ハルシャは自分にその臭いが移ってやいないかと腕を鼻に近づけてみたが、麻痺した鼻は特に何の刺激も脳に伝えなかった。
控え室にいる女はハルシャだけだ。くわっ、と一つあくびをしてハルシャは番号を呼ばれるのを待つ。20畳ほどの広さの部屋の片隅にはいくつかロッカーが用意してあるが、ハルシャは一度も使ったことがなかった。荷物を持つのはあまり好きではないのだ。金もその他必要物資もその場その場で手に入れる、というのが彼女の旅のスタンスで、言い換えると性質の悪い追いはぎであった。
ポケットに手を突っ込むと、ほとんど金の入っていない財布と、ここしばらく開いてもいない傀儡の巻物が出てくる。あとは何もない。しばらく巻物をいじくって遊んでいると、音質の悪い放送がハルシャの番号を読み上げた。
億劫そうに立ち上がったハルシャを特に注視する人物もなくハルシャもまた無言で部屋を出る。こんなところにいるのが時々ふと馬鹿馬鹿しくなるのだが、接近戦、こと体術に関してだけ言えばここらにいる連中と同じくらいのレベルなのだから仕方ないだろう。
再び騒がしく煩い空間に足を踏み入れて、ハルシャは試合会場の入り口に向かって歩き始めた。だが、その足は己の名前を呼ばれてぴたりと止まる。


ハルシャ!!ほらキルア!やっぱりハルシャだよ!」


ついこの間聞いたばかりの声だ。ハルシャが振り返るとそこにいたのは思った通りゴンと、それからキルアで、ゴンは以前と変わらず元気に手を振っている。
ハルシャとしてはあのイルミがキルアの再びの外出を許したことに驚きを隠せなかったのだが、お互い深く干渉しないのがモットーなので、何も言わずにッこり笑って手を振り返した。


「ゴン、キルア!久しぶり!」


二人は器用に人混みをすり抜けてハルシャのところまでやってくる。ハルシャはあまり身長が高くない。一方のゴンとキルアは今まさに成長期の少年だ、ちょっと見ないうちに身長差を縮められた気がする。とはいえまだ自分のほうがちょっぴり上だろうかとハルシャは思った。


「二人ともここで修行?ゴンはゾルディックに行ったんだ?」


聞いてみたいことは山ほどある。ハルシャはゾルディックに足を運ばなくなって随分とたつが、あそこはなんとなく第二の家(しかし第一の家などとくに存在はしない)のような気がして懐かしいのだ。サソリと共にあそこで生活していた頃は屋敷を一軒宛がわれていたが、今はあの屋敷はどうなっているのだろうか。少しだけ思いを馳せているとそれに気付いたらしいキルアがにやっと笑って「お袋にハルシャのこと聞いたぜ」と言った。


「本当にイルミと修行してたんだな。てっきり冗談かと思ってたけど、ゴトーに聞いたらハルシャのための屋敷もまだ残ってるって言うし驚いたよ」

「えっ、まだあの屋敷残ってるの?どうせ行かないからさっさと誰か使えばいいのになぁ」

ハルシャのこと話したらお袋はハルシャがさっさとうちに来ればいいのにって言ってた」


キルアの言葉にハルシャは思わずぶっと噴出した。うわっきったねーな、とキルアが一歩下がってゴンが笑っている。


「いや、だからハルシャってオレの家族に相当好かれてんだなって思ってさ」


キルアはどこか含みを持たせた表情でにやりと笑う。ハルシャとしてはゾルディックなどという奇想天外かつあれ以上ない厄介なところに遊びにいくのはあまり気乗りしないので、「また気が向いたらね」と言う。だがイルミと会うのは悪くないと思った。イルミとはどうも気が会う。それにイルミは傀儡にしてみたい。


「そういえばゴンとキルアってもう1階突破したわけ?」

「ああ、オレたち50階からスタートだ!」

ハルシャは今何階にいるの?」


ゴンのストレートな眼差しが痛かった。ついでに言えばキルアの言葉をぐっさり胸に刺さった。


「・・・・・じゅっ・・・・・10階」


ハルシャの消え入りそうな声は、多分二人に届く前に本当に周囲の喧騒にかき消されただろう。







2013/02/08

S.D.Sランキング参加中