浅き夢見じ暁の
傀儡となる
己の身体を人傀儡にしたのは十五の時であった。あの時は今からして思えば技術もいささか不完全であったように思う。その時の最高の技術は、今からすれば時代遅れのものにも思えよう。しかしそもそもサソリ以外が人傀儡を作れないので、どんな時代の技術であれ人傀儡は唯一無二のものである。本人が傀儡になるというのであればなおさらのことだ。
今回は前回とはまた異なる状況ではあるものの、人傀儡への過程は大きく変更はない。末端部から傀儡化を進めていく。初めはそれこそ、義手や義足に近い。末端部の神経系と経絡系は順次核へと移植していく。核は神経と経絡の集合体だ。経絡系には特殊な……はて、これ以上先は伝える必要がないだろう。サソリの技術を引き継ぐのはハルシャ一人なのだから、ここから先は企業秘密というものになる。
(しかしベネットに手伝わせる場合、ベネットには構造がバレるな。あまり望ましい状況じゃあねぇが)
仕方ないと割り切るか、サソリにはこのほかにもいくつかこの段階に至ってなお迷っていることがあった。
核はより小さくする予定だった。もともとはこの核を小さくする技術が十五の時点では不十分だったのだ。核を小さくしすぎると、一部の経絡系がつ潰れてしまいチャクラを練る過程に支障があった。あまり時間がなく己自身に急かされていたこともあり、結局核はかつての通りとすることとなった。 デイダラ曰く「丸見えの弱点」であった。外部とチャクラをつなぐ関係もあったのは事実だが、デイダラに言われるのは癪だった。あとそんなに悪くはないとサソリ自身は思っている。繰り返しになるがデイダラに言われるのは何とも癪な話だ。
今回はさらに技術の向上もある。サソリは自分以外にも自立思考型の人傀儡は作ったことがあるのだ。実験的な要素が多かったが、結局自殺した個体がほとんどであった。余談だが自殺の理由は睡眠不足と幻覚だった。サソリには理解ができない現象である。
閑話休題、様々な経験から、今であれば核は眼球程度にまで小さくすることも可能だ。だが、どうにもサソリは自分自身を作るにあたって核を小さくするという強い動機付けが生まれず、その部分についてだけは結論を避けているように思う。
核を小さくしたくない、かつてのように露出した状態での核がなぜかより傀儡の操演の技術を上げる気がする。理由はわからない。ただ、直感的にそう思ってしまう。
デイダラとどこかで出会わないことだけを祈るばかりだ。
「ぜってぇ、傀儡化の過程は記録するぜ」
撮影機材を片手にベネットはサソリに言う。
たいてい、この話をするのはハルシャが寝静まる夜のことだった。裸電球の下でベネットは何度も「撮影して記録に残したい」と言い、それに対してサソリの回答はただ一つである。
「断る」
「ならハルシャを人質にとる」
「人質にとってどうする。人質にとったところでてめぇじゃどうにもならんだろうが」
「……」
今のサソリにとってハルシャがもっとも効率的な脅しになることを知っていながら、同時に自分自身の脅しにもなりえる存在であることを忘れているあたり、人がいいのか、抜けているのか。
ベネットはもともと、それなりにまっとうに生きていた人間だ。妻子を持ち、子供は学校に通わせ、良い父親だったと聞く。狂ったのは娘が死んだときからであり、それ以降は裏世界の住人だ。要するにもとを辿れば善良な人間なのである。本人は脅しているつもりでも、全く脅しになってないことを口にするあたり、サソリは間抜けだと思ったりもした。
「……ともかくだ。オレは絶対にお前の傀儡化の過程は見るからな」
「……勝手にしろ。言い争う時間が惜しい」
この議論はサソリが自分自身を人傀儡にするという計画を打ち明けてから何度となく繰り返された。最終的にサソリは言い争うことすら面倒になって、投げやりに勝手にしろ、と口にする。どこか呆れを含んだ口調だ。
デイダラも口うるさく、随分と喧嘩をしたものだ。だが最終的にはデイダラが折れることが多かった。単純な力量の差もあるが、経験の差からくる言葉繰りの巧みさがサソリの方が一枚上手だったのだ。だが、ベネットはこれでいてなかなかに口達者であり、かつ世渡りの方法を知っている。言葉尻をとらえて打ち返そうにも、やり返す頭の回転の速さも相まって、ベネットとサソリの口論の勝敗は五分といったところである。
とはいえ、流石に録画は断った。あのカメラの画面はどうも集中できないのだ。
傀儡化の過程の詳細は省くが、身体をパーツごとに分けて一つ一つ作業する他にできることはない。
どうしても傀儡化の過程を記録したいというベネットを巻き込み、約半年の時間をかけてサソリは全身を傀儡と化したのだった。
胸の核となる部分は、結局かつてのままとした。あまりはっきりとした根拠があるわけではないが、核をさらけ出すことこそが、自分にとってより優位性を持つような気がしたのである。
ハルシャは片手を傀儡にした時点で何かに感づいたらしい。はじめはなにかサソリ自身に調子が悪いところがあるのかと心配していた。しかし「傀儡というものそのものになることが芸術なのだ」とハルシャに言い含めれば、どうもそれで納得したようだ。一般的価値観とはずいぶんとずれてしまったが、サソリの理想の弟子である以上、本人の傀儡化に抵抗があってはとてもやっていけないだろう。
ハルシャは傀儡化の過程を自分も見たいと何度もねだっていたが、傀儡化の過程は非常に繊細だ。万が一にも一つ、何かを間違えればサソリ自身が機能しなくなる。見せてやりたいのはやまやまだが、現状ハルシャの理解力や作業能力を踏まえると観察させるにはまだリスクがあった。
多少のいざこざはあれ、この半年でハルシャは自ら傀儡について学ぶ時間を得た。
そしてサソリは、かつての通りの傀儡の体を得たのだった。
20250831