浅き夢見じ暁の
人らしいもの
自身を人傀儡にするにはいくつか準備が必要である。傀儡にするための工房がまず第一だ。それからいくつかの特殊な素材も必要だった。
工房や素材はベネットに言えば何とでもなる。前回は衛生環境が整っていなかったせいで、左腕を傀儡にしてからしばらくして左手の付け根が腐り落ちるところだった。他人を傀儡にするならばともかく、自身をとなれば一筋縄ではいかない。時間がかかることもあり、体をいくつかのパーツに分けて傀儡にしていくのがベストだ。主に手足などの末端から作業が始まる。
今回は以前に比べ、神経となる部分や感覚をより人間に近づける計画であった。以前は主に戦闘用の傀儡であることから、細かな温度差を感じられるほどの精度を持たせていない。傀儡の限界温度に合わせたからだ。細かな五感を持たせることはその分処理機能としての中枢を食う。要するに核が巨大化してしまう。また、神経のようにチャクラを這わせることから、皮膚部分が分厚くなり、強度や補修といった面で管理も難しくなる。それ故に可能な限り五感に関してはシンプルな構造に留めていた。
しかし今回はより詳細な五感を持たせ、その一方で仕込みを減らす予定だ。ハルシャに合わせなければならないからだ。というのもかつての身体は七十度以上の熱闘でも問題ないが、ハルシャを七十度の湯につければタコよりも赤くなる。低温についても同様だ。サソリの傀儡の身体を基準にすればハルシャすぐに死んでしまう。また、ハルシャはよく熱を出した。その熱を早期に感知できなければ風邪が悪化する。食事についても毒物の独特の苦みが感知できなければハルシャが死ぬ。
人の子供と生活をしてよく分かったが、とにかくこの世界は子供を殺そうとしているのではないかと思うほど危険に満ちていた。特にハルシャのように好奇心が旺盛ですぐにどこかに行く子供は油断がならない。これを自分の技術を引き継げるレベルの傀儡師に育てるとなると、とふと思ってあきらめようかと思ったことが何度もあるほどだ。
かつては苦しみから逃れることを切望し傀儡の身体を手に入れた。今は弟子のために傀儡の身体を手に入れる。朽ちず、痛みもなく、睡眠も必要ない。その体がなければならない。そうでなければ、ハルシャを守ることができない。
工房を用意した、環境も、必要な素材も。かつては麻酔薬が十分に手に入らなかったため、かなりの苦痛に耐えなければならなかったが、今回はベネットの伝手もあり余分も含めて十分な数を手に入れることができた。
傀儡の手順については十分に頭に入っている。あとは神経の代わりになるチャクラだが、これも何度かの実験で何とかなるという方針は立っている。
「ハルシャ」
ハルシャは日がな一日、ベネットの店で傀儡をパーツを作っているか、もしくはサソリについて回っていろいろな店に出入りしたり、素材を手に入れるために遠出したりしている。サソリが一人でふらりと出かけることはめったにないが、それでもあまりにも危険な場所へ行く場合はベネットのもとへ置いていくこともある。昔はサソリがいなくなると寂しがりもしたが、今はベネットが一緒にいれば泣くこともなかった。
「んー」
ハルシャは設計図を描いているようだ。サソリはもともと設計図のようなものは不要で、頭の中で傀儡の設計をしていくことがほとんどだ。細かな数値については時折記録を残すものの、今まで作った人傀儡についてはほとんどがサソリの頭の中に入っている。
サソリはハルシャの様子を眺めながら、まだ字が汚いなと思った。設計図の図としてはわかるが、書き込まれた文字がまるで読めない。本人さえ読めればいいものであるとはいえ、字の練習は必要そうだ。
余談であるが、サソリの字はデイダラ曰くかなり達筆である。ただしそれはサソリが読める字を書こうとした場合に限られ、たいていの場合はほとんど起伏のない線のようになるようだ。角都は読めるようなので、達筆すぎるだけかもしれなかった。
「しばらく留守にすることが増える。仕込みがある」
「えー! あたしもやりたい!」
「だめだ。お前にはまだ早い」
「なんで!」
サソリの言葉にハルシャはしばらくぷんぷんと怒っていたが、代わりに、と適当な仕込みの備忘録を渡すとすぐにそちらに気を取られて先ほどの会話のことは忘れてしまったようだった。
「これ作るの?」
サソリが渡した備忘録は、ベネットに渡したものと同じ、サソリの傀儡の体の仕込みである。
ハルシャはしばらく備忘録を上に下に右に左にひっくり返しながら眺めていたが、やがて構造の核を掴み始めたのか、ふんふんと言いながら熱心に指で図を追い始める。細かな設計など書いていない、落書きにも近いようなそれからハルシャは何かを読み取ったらしい。ハルシャはしばらく眉をひそめてからサソリを見上げる。サソリはこの備忘録を見て何を言うかが気になった。
「サソリの傀儡じゃないみたい」
「はぁ?」
ハルシャの言葉はサソリの想像の斜め上を越えていった。サソリの傀儡で間違いない。確かにかつて作った自分自身とは構造面で異なる部分もあるが、これは確かにサソリという傀儡である。サソリ自身の集大成といっても間違いではなかった。それをあろうことか「サソリの傀儡じゃないみたい」とはどういう意味だろうか。
「ひふがあついし、仕込みも少ないし、かんせつとか、あといろいろ。サソリの傀儡じゃなくて、人間作りたいみたい」
耳のすぐそばで心臓が鳴るようだった。
ベネットはこの備忘録からサソリが何を作りたいのかを読み取った。それも当然だ。ベネットにはハルシャ以上の情報を与えている。だが、ハルシャはベネットよりも少ないわずかな記録から、サソリが「人間を作ろうとしている」と読み取った。
サソリの傀儡は戦闘に向く。戦時の忍という時代背景もあるのだろう。サソリにとって傀儡は自身の芸術観と信念を表す手段であり、ある種の憧れでもあった。傀儡はより人間らしく、ではなく傀儡らしい傀儡をサソリは望んでいたのだ。そうであるはずだった。
だがかつての自分を思い出してみれば、あれは人だった。あまりにも人に近かった。サソリという傀儡は人を捨てきれなかった自分の塊だったのだ。それを、まさか、この場において突きつけられるとは思いもしなかった。
ハルシャはわずかな記録から、今から作ろうとする傀儡の核を読み取ったのだった。
サソリが自分自身という人傀儡を作ろうとする中で、無意識のうちに人に寄せようとするその構造の癖まで、ハルシャは読み取っていた。
これを降ってわいた幸運と呼ばずしてなんと呼ぶ。今生において、いやこの先人傀儡として長い生を生きる中でこれを程の弟子を得ることはもうあるまいとさえ思う。
ハルシャを死なせるわけにはいかなかった。
ハルシャが死ねば、恐ろしい損失になる。傀儡という一つの芸術は、ハルシャがいることでより美しいものへと変貌するだろう。新しいものをハルシャならば生み出せるだろう。サソリのすべてをハルシャは余すことなく受け継ぐことができるだろう。
ハルシャを死なせるわけにはいかなかった。いつかサソリのすべてがハルシャに受け継がれ、それがこの先に残るまで。
サソリが内心どのように思おうと、サソリの表情は変わることはなかった。
それは昔からの癖のようなものである。表情豊かな忍は足をすくわれやすい。また感情によって思考が左右されれば冷静さが失われる。
サソリのとってハルシャは理想を突き詰めたような弟子だ。だがそれでもサソリは冷静に彼女の寿命について考えていた。
「それはオレの傀儡だ」
結局サソリが言ったのはそれだけだった。
窓の外はまだ暗い。夜が更けていく。
20250831