浅き夢見じ暁の
人傀儡
突然の昏倒はおそらく今までの小さな無茶が積み重なったものだった。
もともと十五歳で人傀儡になってから睡眠をとらずに二十年間生きてきたサソリの精神は恐ろしいほどに強靭である。加えて忍びとして育てられた経歴もあり、苦痛に対して耐える精神も培われていたことがあだとなった。痛みを無視してしまうのである。ハルシャを拾ってから、その生活を共にするようになり、サソリは傀儡に触れる時間を増やすためにもともと睡眠時間をかなり削っていた。それでもさほど苦痛に感じなかったのは感覚がマヒしてしまっていたせいだろう。そこに加えて、ハルシャの病気を解明するための連日の無謀な徹夜が一気に心身に降りかかったのである。/
今はベネットに言われるがままに部屋で休む時間を増やしているが、頭の中の焦燥感が消えずどうにも落ち着いて寝ることはできなかった。
ハルシャはようやっと得た理想の弟子であった。前世の世界で得た己の芸術の根本理念となる「永遠」に対する答えを得て、そして今生で初めて自分の技術を受け継ぐ弟子を得たいと感じたのだ。かつては弟子というものそのものが疎ましかった。自分の技術は自分の中で完結していれば良い、としか思う余地もなかった。だが、今は受け継がれゆく技術がある。弟子がいる。
サソリ自身の永遠はもはや必要はない。だが、ここへきて、かつての人傀儡の体さえあれば、と思わずには居られない日が増えた。
十五歳で傀儡になった時の痛みも苦痛もよく覚えている。途中で麻酔が切れて激痛に耐えきれずあわや意識を失う寸前までいったこともある。あのときは、それ以上に人形になりたいという狂うほどの切望に突き動かされていた。結果は、所詮人形のなり損ねだ。あの時に落胆した胸の痛みさえ(それが何よりもなくなってほしかったのに)よく覚えていた。
あの苦痛を思うとさすがのサソリでもたじろぐものがあった。あの時はあまりにも人形になりたいと強く願いすぎて、身体的な痛み以上にただひたすらに人の心というものから逃げ出したかった。
今は、少し迷いもある。ハルシャが自身の技術を継いだのなら、それを見届けて死ぬのも悪くはなかった。己の芸術も技術も信念も、ハルシャはすべ受け継ぐだろう。それでいい、そうでありたかった。
≡≡≡ ≡≡≡
サソリは冴えた目を落ち着かせるために、白湯でも飲もうかと寝室を出た。
ベネットの店は居住区として睡眠やシャワーを浴びるエリアと、店舗として商品を出してるエリアがあった。店舗として使ってる面積は広く、片隅には大きなキッチンがある。もともとはカフェかそれに類する店舗であったらしくそれを居抜きとして使っているからだ。
湯を沸かすには店舗区域に降りねばならぬ。廊下の先の扉からわずかに光が漏れている。ベネットにまた小言を言われる予感がしてサソリは舌打ちをした。
「聞こえてんぞ、馬鹿野郎。寝ろっつっただろうが」
「もともとそんなに寝てねぇんだよ」
「だから倒れるんだろうが。もともとってなんだ、あ? どんだけ寝てねぇんだ」
「さぁな。一時間以上は連続して寝ねぇ」
「今すぐ寝やがれ」
ベネットはため息を吐く。
手元には文字を羅列した紙が広げられていた。印刷したばかりなのか、紙は黄ばんでおらず、茶の飛び散ったシミもない。(この部屋の紙はたいていシミがついている)
ちらりと中身を覗き込めば、それが黒煙病に関するネットの情報の羅列だとわかった。印刷された雑多な文字列はあまり専門家が書いたとは思えないので、憶測を誰かがまとめたものなのだろう。ベネットはそこから今までに出てきた共通の事項や、参照するべき情報を追い続けている。ハンター専用のページは、ベネットにしか入れないのでそこでの情報の収集は全てベネットに任せている。ただ、医療に関わるハンターの集まる場所であってもなお、黒煙病の話は曖昧なものが多い。
「ハルシャは?」
「寝てる」
「意外と起きてて扉の向こうで話を聞いてたりしてな」
「そんな気配がわからねぇほど耄碌しちゃいねぇ」
サソリはそれだけ言うとベネットの向かいの椅子に腰を下ろした。
投げ出された紙を眺めてさほど役に立たない情報の羅列を眺めた。黒煙病は不明瞭な部分も多い病だ。ハンターからの情報であってもなお、その輪郭を表さない。
「ハルシャの病が治ってもてめぇが死んだら意味がねぇだろうよ。そんなに生き急いでたら早死にすんぞ」
「いや、問題ない」
「どこかだ。まだハルシャはてめぇの技術の半分も受け継いじゃいねぇだろうが。昔に語った永遠はどこに行った」
ベネットはサソリの言葉を鼻で笑った。まだサソリがベネットと出会って日も浅いころ、ベネットに自身の傀儡と永遠というものについて語ったことがある。その時はベネットに勧められて飲んだ酒の勢いだったが、はたまたベネットとは妙に会話がしやすかったせいか、随分と饒舌だったことを覚えている。酒は飲まずともデイダラとは芸術についてあるいは傀儡にいて話をしたことがあった。それに近しい感覚だった。だが、酒はまずかった。
「問題はない」
「だから、何が」
ベネットはいらだったように言う。だが、サソリは落ち着いている。自身の体がかつてのように不眠不休にも耐えられず、他人と同程度の強度なのだとすればまだやりようはある。そもそもサソリとて、自身を人傀儡にするまでは、やはり睡眠はとっていたのだ。人である以上、食って寝て休むことは避けられないことでもある。だからこそ、打つ手はあった。
サソリはベネットに書きなぐったような設計図を見せた。ベネットはけだるそうに、片手で煙草を持ったままその設計図に手を伸ばす。しばらくそれを眺めていたが、やがてベネットの唇はわななくように震え、火のついたまま指に挟んでいた煙草はじりじりとその身を焦がし続けていた。ベネットは重ねて目を見開き、唇を開いては閉じて、ようやっと意を決したように言葉を口にする。
「……正気か……?」
ベネットは今でこそ人形を作ることを生業としてはいないが、かつては人を殺しその死体から人形を作り歩いていた狂人である。サソリの人形に惚れてからはめっきりと自身で人形を作る機会も減り、もっぱら後方支援の役を担っているものの、今でも時折、一から削り出した素材で人形を組んではいる。だから設計図も当然のように読める。
サソリの設計図は、設計図というよりももはや殴り書いた備忘録のようなものだった。ざっくりとどこに何を仕込むかといういくつかの記録があるばかりで、詳細な計画などないに等しい。それでもベネットにはこの設計図が意味するところがよく分かった。
「正気か……? こりゃ、お前……自分を」
「もともとはそうしていた。十五の時か? 自分で自分を傀儡にしていな。寝る必要も食う必要もねぇ」
「いやでも、サソリ、お前今は」
「今は生身だな。事情がある」
「……」
ベネットは驚きかあるいは呆れか、口も利けないほどに呆然とした。結局煙草が根元まで燃えて、指に触れるか触れないかのところで正気に戻って慌てて煙草を机に押し付ける。
「……こまけぇ事情を聞くつもりもねぇが……自分で自分を傀儡に、か。一人でやったのか」
「そうだ」
「心臓とかはどうなってんだ」
「明かせねぇな」
ベネットは殴り書きのメモを眺めながら、ああでもないこうでもないと呻いたり勝手に内容を書き足したりする。サソリは特にそんなベネットを止めることはない。ベネットからこれはなんだ、あれはなんだと質問が飛んでも答えることはなかった。
「まぁ……お前がいいってんならいいんじゃねぇか。俺は止める義理もねぇしな」
「ああ、止められようが関係ねぇな」
サソリは涼しい顔で言う。
「しかしこんな技術があったとはなぁ。なぁ、こりゃ……」
「てめぇの娘を生き返らせるのは無理だ」
サソリはベネットの言葉を切り捨てた。
ベネットは眉を寄せる。
「意思ある人傀儡を作るにはいくつか条件が必要だ。お前の娘は死んでから時間がたちすぎている上に、傀儡師でもない。無理だ。これは死人を生き返らせる技術じゃねぇ」
「……そうか」
その日、ベネットはそれきりしゃべらなくなった。もう話す気力もないのか、はたまた五十年近く昔に死んでしまった娘について思いをはせているのか。サソリにはわからない。そしてサソリは知るつもりもない。
窓の外はまだ暗い。夜が更けていく。
20250730