浅き夢見じ暁の

襲撃

病院の治療費はベネットが口にしていた通り馬鹿ほど高い金額であったが、そのはるか上の金額で売れるサソリの傀儡のおかげで支払いに困ることはなかった。
 ハルシャ>は病院の薄味の食事に嫌気がさしたのか早く帰りたがる。サソリもこんなところでちんたらとしている理由がないため一通り体が動くことを確認すると、医者の言うことも馬耳東風、さっさと退院の手続きをして病院を後にした。顧客の半分が裏社会の者たちであるため、病院は二十四時間開いており、金さえ置いていけば退院の時間にもこだわりがない。
 それよりもせっかくの機会だとハルシャを医者に見せたのだが、結局医者は「いたって健康体だね」の一言であった。要するに体内に渦巻く黒い靄は一見すると異常をもたらすわけではないらしい。
「ねー、サソリ、ぶどうゼリーたべたい」
「黙って歩け」
 ハルシャはサソリの手を取ってゼリーが食べたいゼリーが食べたいとわめく。結局折れてゼリーを買うことになったのはサソリの方だった。片手にハルシャの手、もう片手にはゼリーの入った袋をもって病院からナエウス通りまでの道を歩いていた。

 ぼんやりと浮かんだ月はサソリの覚えがあるものと随分と形が変わっていた。それはつまるところサソリが寝込んでいた時間を示している。
 かつてはこのように深く寝込むようなことはなかった。人傀儡になってからは全く覚えがない。今改めてこうして生身の肉体を持つと、不便さを感じるばかりだ。かつての人生では大半の時間を人傀儡として生きていたのだから、当然と言えば当然だった。新しい人生では生身で生きていた年数がそれなりにあるのに、今でも時折、自分が傀儡であるような錯覚を覚える。サソリにとって血の流れる肉体よりも、チャクラで駆動する人傀儡の方がはるかに自身の体であるという実感が強いのだと実感する。
 病院ではベネットがすぐそばで銃の手入れをしていても全く目覚めることができなかった。それほどまでに体が深刻なダメージを追っていたのだ。今も強いめまいが時々訪れ、手足の震えがある。
 ハルシャはぶどうゼリーが楽しみなようで、半ばスキップをするように飛び跳ねていた。丁寧に引かれた石畳は足が引っかかるところもなく、ハルシャはスムーズに飛び跳ねている。
 暗い夜道、明かりはほとんどない。ここはナエウス通りへの接続地点で、廃ビルやら、怪しげな露天やらがずらりと並んだ場所だった。ぼろ布を被せたようなテント、何を煮込んで客に出しているのかわからない大なべを抱えた店主、明らかに違法薬物を取引する薄暗いバーの入り口。廃墟ではないが、明らかに治安の悪い場所だ。ナエウス通りは、こういった怪しげな店が集まった地域にぐるりと囲まれている。そのさらに外側には治安のいい街並みが広がっており、生活は街、露天街、ナエウス通りで天と地ほどの差もあった。
 時間も時間であったことから、出歩いている人はほとんどいない。しかしサソリが歩けば足音がする。サソリが足を止めれば止まる。明らかに誰かがサソリの後をつけていた。それも複数名だ。
 ハルシャはまるで気づいていないのか、ゼリーをいくつ食べるかについて指折り数えている。こんな夜中に食べると虫歯になるらしいので、そもそも食べさせる気がないのだがそれを言うと面倒そうだ、とサソリは思った。ハルシャは強情なのだ。
 ハルシャとゼリーの話よりも今は後をつけてくる人間の方が問題だ。大方、病院を出る連中を狙った人身売買か、恨みつらみ、金……あの病院の世話になる連中に関してはあまりにも該当する要素が多く、絞り切れない。
ハルシャ
「あい」
 ハルシャは返事をしてからビニール袋をがさごそと漁り始める。それから一つみかんのゼリーを取り出してサソリに渡そうとした。
「違う。オレから離れるな」
「あ! うん」
 すぐにハルシャはゼリーを袋に戻す。そしてサソリのそばに近寄った。しかし服は掴まない。動くときに邪魔になる可能性があるので服には触れるなとハルシャには言い含めてある。
 サソリが賞金首であることから、こうして狙われることは昔から多かった。ハルシャもそれなりに慣れているので、あまり怖がったりはしない。袋を抱えてじっとサソリの一挙手一投足に目を凝らしている。
「出てこい」
 サソリが暗闇に向かって声を投げかける。
 月明かりはまばゆいが、立ち並ぶビルが暗い影を落としていた。あえてその影の中で立ち回るあたり、こうした襲撃に手慣れている様子がわかる。ほんのわずかな影と角度から武器として鉄パイプやナイフまではわかるが、その刃渡りまでは不明瞭だ。相手は声を出さない。どこぞのごろつきではないし、賞金首ハンターでもないようだ。賞金首ハンターは名乗りを上げることも多かった。特に逃走の気配がない相手には、きちんと投降するよう説得する生真面目な連中が多い。

 サソリがわずかに左足に体重をかけると銃弾がサソリの頭部があった場所を通り抜けていく。音は小さく、消音装置を付けた銃を持っている。
(生死は問わず、か)
 サソリは千本を口寄せし、指に挟んで放つ。計二本のうち一本は通常の千本だが、もう一本は艶消しをしてある。この暗闇の中で二本交わすのであればそれなりの実力者だ。
「ギャッ」
 一本はかわされた。だがもう一本は仕留めたようだ。致命傷になったかまでは定かではないが、あの悲鳴は偽装ではないだろう。
 戦いに慣れてはいる、ただし素人の域はでない。経験豊富ではあるが、体系的な訓練は受けてはないだろう。
 サソリは今までに何度か銃を手に持つ機会はあったが、どうにも性に合わなかった。反動も大きく、弾は専用のものが必要でとかく運用に手間がかかる。その点、手裏剣だの、クナイだの、あとはただのナイフや石ならばそこらで調達できるのが良かった。だからサソリは銃を扱うことはない。だが、銃の構造はよく知っている。
 一人がやられたのを見て、男たちの間には動揺が走ったものの、すぐに立ち直ると路地裏や建物の合間に散りながら一斉にサソリに向かってくる。何名かが裏路地に消えてしまったのでサソリも目で追いかけきれなかったが、ひとまずは目で見える範囲の連中を叩くことにした。
 傀儡を口寄せし、そのうちの一体にハルシャを抱え込ませた。そのまま近くの建物を壁伝いに登らせ、壁の中腹で動きを止める。
 合間、サソリに迫ってくる輩はナイフを持っていた。サソリ自身は跳躍すると、ハルシャを抱えた傀儡と同じように壁につかまる。
 周囲の建物はほとんど廃ビルに等しい。窓ガラスは一応嵌ってるものの、薄汚れて中は見えない。この一帯は、そういったビルとビルの隙間に、多くの小汚い露店が並んで商売が行われている場所だ。今はどの露店も畳まれ店じまいの状態にある。壁に設置してあるものの、取れかけた換気扇、ベランダの柵はさびついて、ぐらついている。外階段も所々で階段そのものが抜け落ちて使い物にならなかった。
 連中の何人かが、汚れた窓ガラス越しにビルを駆け登ってるのが見えた。銃で狙われると厄介だ。ハルシャは傀儡の腹の中に入れてしまう。
 地上ではナイフを持った連中がサソリを取り逃して、我先にとビルの中に駆け込もうと踵を返したところだ。このような場面で背を見せるとは馬鹿らしい。傀儡の放った千本が三人の男に突き刺さりそのまま動かなくなる。
 銃声が暗いビルの合間に響き渡った。ハルシャを抱える傀儡のすぐ下だ。ビルの中は暗すぎて突き出された腕しか見えない。サソリを狙った銃口が火を吹くが、銃弾はサソリがいた場所にめり込んだだけだった。同時に傀儡が窓からビルの中へ襲いかかる。これで五人。
 集中して周囲の音を聞くと微かに遠ざかる足音が聞こえるのみとなる。どうやらサソリに敵わないと見て逃げたようだ。特段、追う気もなかった。今はとにかく休みたい。
 無理が祟っての昏倒、そこからろくな休息も取らずに動けばこうなることは分かりきっていた。サソリはビルから飛び降りたところで体がうまく動かないことに気づく。ハルシャの傀儡をたぐり寄せて、ハルシャを腹の中から出すと傀儡の肩に寄りかかった。
「サソリ」
 ハルシャは不安げな表情でサソリのそばにまで寄ってサソリの手を取った。あまりにも冷えたサソリの手に驚いてハルシャは一度を手を離す。それから恐る恐るもう一度その手を掴んで自分の頬に押し当てた。
「……ひえ……」
 熱を持っていたのか、逆に冷えているのか。サソリからはハルシャの反応がどちらを意味するものなのかわからなかった。冷えてる、という意味合いだったかもしれないと思う。
「……ハルシャ、お前が傀儡を動かせ。ベネットの店までだ」
「うーん……うん」
 ハルシャは眉を下げて困った顔をする。しかしサソリが「いいな」と言葉を重ねると、「わかった」と言って指を動かし始めた。
 人のいないビルの合間、路地に差し込むのはわずかな月明かりだ。サソリはかろうじて意識を失わぬよう、神経を集中させながら、身体は完全に傀儡に任せていた。ハルシャは傀儡を操りながら少し早足で路地を進んでいく。
 やがて廃材が増え、人のいないエリアを超え、今度は店が増えてくる。人体をそのまま展示し、ぶら下げているような露店だ。もともとは明るい色の雨除けテントのほとんどは破れ落ち、テントを支える支えしか残っていない場所がほとんどである。廃虚の合間合間に明かりを灯す店がある。

 ナエウス通りは別名人形師通りとも呼ばれる、人形のパーツを大量に扱った店が集まっている。
 しかし人形を取り扱うというのはどちらかといえば表向きの顔だ。ここは人形を媒体とした操作系の念能力者が集まる集落と言えるだろう。彼らの共通点は人形への執着から操作系の念能力を開花させてることにある。そして同時にそのほとんどが犯罪者であった。親しい者を失い、その再現として人を殺し人形にした経歴を持つというのは、人形への執着のあり方に一部共通するものがあるようだった。
 ナエウス通りの始まりはここにいる誰も知らなかった。ベネットはここへやってきて随分と長かったが、それでもすでに先客はいたし、先客のさらに前もいたという。とにかく、長い年月の間に、何人もの人がここへ集まり去っていった。
 ナエウス通りはスラムを越えた先にある、特殊な治外法権地帯である。マフィアですらここへは立ち入ってはいけない。ここには仲間の念能力者と、あとは客として金を落とすものだけが存在を許される世界だ。もしも一般人が何も知らずにここを訪れる、あるいはマフィアが利益を狙って支配下に収めようとするならばその全員が人形となって店頭に並ぶ羽目になる。
 サソリは本当に偶然にこの通りへとやってきた。もとより暁という犯罪者組織に長く所属していたこともあり、犯罪者が集まる場所を直感的に見つけやすかったのだろう。
 流れ流れたサソリは、ハルシャを拾うよりも前に、偶然立ち寄った大衆食堂でベネットに出会ったのだった。席数の関係から相席となり、その瞬間にお互いを同類と認識した。ベネットに話しかけられるまま、話に乗り、そしてナエウス通りへと辿り着いたのだった。
かつて暁にいたのも、後ろ盾のない流浪は困難を伴うからだ。組織に属しているという事は、組織の縛りに寄る面倒もあるが、生活や拠点の面で非常に有利に働くことも多かった。また、情報も集めやすくなるのは良い。いざとなれば雨隠れの里が隠れ蓑にもなる。同じ理由でサソリはナエウス通りに身を置いている。ナエウス通りは一つの組織ではないが、深いところに仲間意識を持っている。いざとなった時にハルシャの後ろ盾にも慣れるだろう。

ナエウス通りの景色が目にと届くようになったところで、ハルシャは目に見えてホッとしたようだった。まだまだ一人前とは言い難いハルシャは、やはりサソリが動けない状態でスラムを通るのは随分と緊張したはずだ。
サソリは未だ体を動かす気力も湧かず、ハルシャが動かす傀儡に寄りかかったままじっとしている。
「よう、ハルシャ。随分と景気が悪そうだな」
「うるさーい、マルコは黙っててよーぅ」
古い人形をメインで取り扱うマルコの店は、ナエウス通りの比較的入り口に鎮座している。アンティークな調度品を店の中に集めいることもあり、なかなかに重厚な店構えだった。ただそのアンティークな調度品は、隠し扉を取り付けてあり、違法な人体由来のパーツも取り扱っていた。ナエウス通りはそういう場所だ。
ハルシャちゃんは連れないねぇ。ベネットみてぇに俺にも懐いてくんないもんかね。よpなぁ、サソリ。情報でも買わねぇか。てめぇを襲った相手についてだがよ」
「…………いくらだ」
「そうだな腕一本でどうだ」
ここでの腕一本とはサソリが作った人形の腕という意味だ。サソリの人形は優秀な人形師が集まるナエウス通りであっても人気の高い商品である。
「指一本だな」
「最初に高く見積もっておくといいもんが手に入るねぇ。いいぜ、指一本で十分だ。連中、昔お前を襲ったマフィアの差金だな。本人たちは別にマフィアって訳じゃあねぇが、バックにはついてるぜ。チンピラどもにサソリの入院を教えたそうだ。どうもここのところ
お前のことを熱心に追いかけているようだから注意しろよ。殺すというより、お前が欲しいって印象を受けるがな」
「そうか」
サソリはマルコから話を聞いたきりしばらく沈黙した。
ハルシャ、帰るぞ。マルコ、あとでベネットのところに取りに来い」
「人使いが荒いねぇ。ハルシャに持って来させたら菓子でもやるところなのにヨォ」
マルコはけたけたと笑ってさっさと行けとばかりに手を振るのだった。


20250628