浅き夢見じ暁の

暗中模索

 ベネット、という男がいた。今はサソリの支援者としてナエウス通りに人形のパーツショップを構えている。一般的に売られてるものから、マニアックな、ごく一部の特殊な人形にしか使わないようなパーツまでこの店にくれば大抵のものが揃っていた。
 ベネットの店は薄汚れたトタンに囲まれた真四角の箱であった。看板と、屋根と、破けてしまったビニールの軒先の骨が見えている。晴れた日は干したいものをそこにぶら下げているようで、時にはいくつかの台も外に置かれて風と日差しに当たっていた。
 ベネット自身はたっぷりの白髪となってしまった髪をたたえた壮年の男性である。まだまだ健康であるものの、さすがに時折腰にくるのか椅子に座ることも多くなった年齢、なのにタバコは切らさずすぱすぱと店の中で吸うので店はひどくヤニ臭い。よれよれのベストにワイシャツ、傷だらけの革靴で店の前の通りの人々を睨みつけてばかりいた。
 今はサソリの支援者をする彼は、かなり昔に一人娘を亡くしている。娘を生き返らせる方法を探す過程で大勢の人を殺し、この無法地帯ナエウス通りに流れてきた。はじめはサソリにも死者蘇生を求めたが、サソリはそれを知らないと否定する。代わりに娘の写真からそっくりの人形を作ってやり、いつか命を吹き込むといいと言われた時からベネットはサソリの支援をするようになったのだ。サソリは特に娘を作った意味はなかった。ベネットは今はハルシャをいたく可愛がっている。
「相変わらず臭いな」
「サソリ! てめぇどこにいってやがった! おい……ハルシャを連れてくるんなら事前に連絡しろっつったろうがよ」
「うるせェ」
 サソリはそれだけいうと店の中でハルシャの手を離した。以前誘拐されかけてからサソリは外にいるときハルシャの手を離さなくなった。ハルシャもサソリと手を繋いでいるといつもにこにこしているので今はそうするのがすっかり普通になってしまったのだ。
「ベネットじぃちゃん!」
 ハルシャはサソリの手から飛び出すと、雑多に物が置かれた店の中を走り抜けてベネットの懐に飛び込む。
「じいちゃん見て! これ、綺麗にできた!」
 ハルシャはポケットから指を取り出した。本物ではない。この間からハルシャが一生懸命に削っていたものだった。
「おお、見事なもんだな、そろそろサソリの人形を超えるんじゃねぇか」
 ベネットは灰皿ごとタバコをゴミ箱に投げ込むとハルシャから指を受け取り、それからハルシャの頭を撫でる。
「抜かせ」
「うかうかしてるとハルシャに抜かれるぜ」
「フン……おいベネット、話がある。ハルシャを置いてこっちに来い」
ハルシャ、部屋の奥に新しい腕がある。なかなかいい素材だぞ。店から出るなよ」
「うん!」
 ハルシャはベネットの言葉にパアッと目を輝かせるとあっという間に店の奥にある部屋に飛び込んでしまった。
 ベネットはそれをにこにことしながら見送ったが、奥の部屋の扉が閉まった途端に笑顔を引っ込める。ベネットはいつもそうだ、不機嫌そうな顔がデフォルトなのである。
「で? 話ってのはなんだ」
「傷口から……あふれる煙のような、奇妙な病気について知ってるか?」
「ああ、詳しくは知らねぇよ、オレは医者じゃねぇ。ただ最近ネットで少し話題になってんな。傷口から黒い煙が溢れ出す病気とか。黒煙病だっけか、正式名称じゃないらしいが」
「……」
「それがなんだ?」
「……ハルシャの」
「おい、まさか」
ハルシャの傷口にそれがあった」
 ベネットはうめき声をあげて椅子に座り込む。
「てめぇそんなときでも無表情とは随分冷てぇやつだな! ありゃ治癒しねぇと言われてる病気だぞ!?」
「この顔はもとからだ。表情なんざ動かし方を忘れた」
「そういう話じゃ……はぁ……」
 ベネットは大きくため息をつく。
 先ほどゴミ箱に落とした灰皿を取り出して、タバコに一本火をつけた。
「やめろ」
「我慢すんのはハルシャの前だけだ……でどうする」
「てめぇならなんか知ってるんじゃないかと思ったが……期待外れだ」
「殺すぞ」
 ベネットは薄汚れた部屋の空気をさらに汚すように煙を吐いた。
「……話題にはなっちゃいるが……大した発病率じゃねぇ……大体黒煙病っつっても全員がそれを見たわけじゃねぇし、噂にすぎねぇ与太話かもしんねぇぞ」
「オレの両親もその黒煙病だ」
「……つくづく運のねぇ男だな。まぁそれはいい、なら黒煙病ってのは本当にあるのか」
「ある。死の間際両親ともに目を凝らすと黒いモヤのようなものに包まれていた。部屋中がだ。それは父と母の体から出入りをしていた。まるで生きてるみたいだが、オレには触れもしねぇ。ありゃ、なんだ」
「わかったら医者はいらねぇ」
 ベネットは煙を細く長く吐き出した。
「医者も治せねぇ、なにせ原因がわからねぇんだ。おい、これからどうする。今のところ死の間際の痛みを和らげる方法しか表にゃ出てねぇぞ」
「……なにか、あるはずだ」
「執着するじゃねぇか。まぁこんなこと言いたくねぇが、ハルシャは諦めて新しい弟子を……」
 ベネットとて本気で言ったわけではなかった。だがサソリの心情を量るように煽り言葉を口にしたのだ。
 その瞬間、ベネットの手元のナイフが動く、いつの間にサソリはベネットのそばに立っていただろうか、確か机は挟んでいたはずである。
 サソリはナイフを持ってベネットの隣に佇んでいた。それは何の迷いもなくベネットの首に当てられている。
「もう娘と同じ場所へ行きたかったか」
 サソリは大抵のことを自身の傀儡を通して行うことをベネットは知っていた。それが念能力であることもベネットは知っていたが、サソリが生前に忍であったことは知らない。
 今までにそれなりの修羅場を潜ってきたつもりではあったが、ここへ来てまさか体の芯から震えるような殺気に出会うことがあるとは思いもしなかった。サソリは表情を動かすことなく、そして己の手を通して殺めることにも躊躇なくただ、淡々とベネットにその意向を訪ねる。死神よりも恐ろしい、何かがそこにいた。
「……てめぇが本気かどうか、確かめたかっただけだ」
 ベネットは震える声を押し留めてゆっくりと息とともに言葉を吐き出した。
 サソリはただ黙ってナイフを下げる。嫌な沈黙が流れて、ベネットは呼吸でもするかのように言葉を重ねた。
「まずは正しい情報を集めるべきだ。確かに一般のネットにゃ大した情報は出てねぇが、重要なのはこの世界には力を持ってるやつらが牛耳ってる世界がある。情報を抱えてるやつもいるだろう。そいつらに当たらなきゃなんねぇ。サソリ、まずはハンターの資格をとれ」
「ハンター? オレは狩人になるつもりはないぞ」
「違う世界の特権の一つだからだ。これを持ってるだけで手に入る情報が違ってくるんだよ。てめぇは金にゃ困らんだろうが情報には困る。ハンター専用のサイトならまともな情報も集まるかもしれんしな」
「てめぇは持ってんのか、そのハンターライセンスとやら」
「持ってるな」
「ならオレはいらん。とっている時間が惜しい。そのライセンスの力を貸せ」
「それが人にものを頼む態度か?」
 ベネットは呆れたように胸の奥から深く煙を吐き出した。それでもサソリの頼みを嫌だと断れないのは、ベネットもハルシャに入れ込んでいるからに違いなかった。
「……わかった。手伝ってやる。サソリ、お前はまず医学書を片っ端から漁れ。俺は医学はなんにもわからん、情報は集められても正確なところがわかんねぇんじゃガセに時間を取られてハルシャがその間に死んじまう。時間はねぇぞ」
「サソリー! 見て! ほら!」
 ハルシャは奥の部屋からばたばたと飛び出してきた。手にはベネットが先ほど言っていたいい感じの腕があるようだ。生身のパーツではなくかなり古い人形のパーツであった。約百年前のものだがいまだにその精巧な作りは現代のもの、それこそサソリの作にも見劣りせぬ見事なものである。作者不明のこのパーツは時折市場に出回るので人形師たちはこぞってこれを買いたがった。
 サソリはハルシャから腕を受け取ると「見事なもんだな。本当に百年前のものか疑いたくなる」とだけ言った。
「高かったんだ。オークションでようやっと競り落としたが……おい使うだろ」
「悪くねぇ、他にはあるか」
「片腕だけだバカ野郎。どんだけ高いと」
「バランスが悪くなるだろうが」
 サソリはベネットの言葉に呆れたようにため息を吐いた。
「えー! じゃああたし使いたい!」
「勝手にしろ」
 サソリはハルシャの頭の上に腕を置くと二人に背を向けた。
「傀儡の手入れをする。後は任せる」
 ひらひらと手を降ってサソリはベネットの店を出た。普段サソリが使っている拠点はここから歩いてすぐそばだ。
 ハルシャはベネットの店を訪れるとしばらくはベネットと遊びたがるので置いていく。暗くなるころにベネットが送り届けてくるのが今や習慣になっていた。
 店を出る瞬間、ハルシャが楽しそうにネジを漁っている姿が見えた。ベネットとハルシャはまるで祖父と孫のようである。となると、その合間の父は自分だろうか? どうもそれは癪に障る話だとサソリは思うのだった。
 
20250304