浅き夢見じ暁の

黒い病

   ハルシャはサソリが望む形に育ちつつあった。傀儡の造形に優れ(ハルシャは傀儡ではなく人形と呼ぶ。この呼び方は実の両親へのこだわりでもあるようだ。)、人を殺すのに躊躇いがない。傀儡の芸術性について、サソリとハルシャは少しばかり意見が食い違うが、それもまた悪くないとさえ、サソリは思っていた。
 ぼんやりと明かりのついた部屋の中で、サソリはふと思う。これはかつてのサソリが求めていたものだったろうか。永遠に執着するよりも前、幾度となく明かりのついた部屋の中で両親と会話する場面を夢に見た気がする。あるいは両親がいなくともチヨバアがこうして傀儡の作り方をそばで教えてくれたら、と……しかしそこまで考えがよぎったところでそれがくだらない感傷であるように感じた。それは一度捨てた。今は別のもので満たされている。その感傷も記憶も、考えるに値しなかった。
 古びた裸電球の下、ハルシャは熱心にナイフで木を削っている。ごりごりごり、ざりざりざり……とナイフが木を削り続ける音が部屋の中に響いている。サソリは沈黙してその音に耳を澄ませていた。目はハルシャの手元を見てじっとその指が作り出すものを見つめている。
 先日手に入れた死体はハルシャに言わせると指の形が気に食わないらしい。ハルシャはなんとしても指だけ作るのだと主張してついにサソリが折れたのだった。まだハルシャは力の加減が難しいので、細かな部分を削るのは難しい上、怪我をしやすい。指先は傀儡作りの上で重要な部位であるから、他に覚えさせることが多いうちはこの作業に手をかけさせたくなかった。ハルシャと論争の末、サソリが折れて、ナイフの使い方を教えると、それからハルシャは三時間余り熱中して指を削っている。
 均一な肌にハルシャは小さな皺を刻んでいる。サソリからするとそこは重要ではない気がしたのだが、ハルシャは常にいかに人間に近づけるかを意識していた。
 サソリとて人らしいものにすることに興味がないわけではない。しかし生前の世界はヨークシンシティといった大都会に比べるとはるかに暗く、カメラなどの電子機器も発展していない。そういった中傀儡の精巧さはより武器としての性能に特化していく。ハルシャにとって人形とは武器ではなくまさしく芸術だ。皺をいかに人に寄せるか、カメラを通せばもはや人か人形かわからないほどの精巧さこそが、ハルシャの人形だった。サソリの人形の精巧さとはまた異なるのである。サソリはどちらかといえばより人形らしさを残した形を望む。ハルシャは人と見分けがつかないものを望む。どちらもまた評価に値する美しさを持つ。
 ふと、ハルシャの力の入れ具合が気になってサソリが声をかけようとした瞬間、ハルシャは「いたい……」と小さく呟いて指から溢れ出る血を見つめた。
「いたい……」
 ハルシャはサソリを見る。サソリは呆れたが、とにもかくにも感染を防ぐためにハルシャのそばに行くとハルシャの手を取った。
 その時にサソリの手の中で動くものがある。熱の高いハルシャの手、サソリの手に広がる赤い血、幾度となく見てきた傷口、その中に小さな黒いモヤがかかっている。それはサソリが手を伸ばしたとたんにハルシャの傷口に潜り込んで消えてしまった。
「サソリ」
 ハルシャは目を背けている。痛いから消毒が嫌いなのだ。
 サソリはわずかに手が震えるのを感じた。
 これは、この黒いモヤはこの世界の両親の傷口に見たそれだそのものだ。若くして命を落とす、傷口から病巣が増え続ける、奇病。医者はこれを治す術がないと言った。
ハルシャ
 わずかであったが声が震えていた。ハルシャは気づいただろうか。生前の最期の瞬間ですら恐れはなかった。チヨバアの指の動き、傀儡の配置、見えていても手が止まり死んだあの瞬間すら、体が恐れで震えることだけはなかった。
 この病は確実に人を殺す。医者は治す術を知らない。薬はない。進行し全身に病巣が広がって初めて奇病だとわかる。その理由も病が生まれるまでの経緯も、すべてが謎だった、ただいくつかの論文の中に確かに黒いモヤとも、煙とも、生き物とも表されるものが傷口に住んでいると言う。その再現性はもちろんないが、その記録は多かった。
 このままではこの子供が死ぬと理解した。それは自身が死ぬことよりもはるかに恐ろしい、己の永遠の美が潰える瞬間であると、サソリはその時に理解した。
「サソリー?」
 ハルシャは何も気づいていない。
 サソリは震慴する眼球を意図的に抑えて淡々と消毒液を傷口に振りまく。
「ぎゃっ!」
 ハルシャは大げさに呻いて椅子の上で暴れる。その拍子に足をぶつけてさらに騒ぐとそのまま突っ伏すように額を机にぶつけようとする。大げさな自分はもうだめだという演技であったが、サソリはその額と机の合間に自分の手を差し込んだ。
「……? サソリ?」
 ハルシャは今までそんなことされたことがなかったので驚いて顔を上げる。
「……いや……怪我はするな。痛みがあると細かな作業で手先が鈍る」
 サソリは言い訳をするように声をかける。その頃には自分でも震えが止まっていることに気づく。淡々といつもの調子でハルシャの怪我の手当てをするとそのまままた向かいの椅子に座る。同時にハルシャの手元から削り出している指を奪い取った。
「今日はここまでだ。集中力が落ちてる時に刃物を触るな」
「えー」
 不服そうに呻くハルシャをじろりと睨めつけ、サソリは立ち上がる。
「寝ろ。もう遅い」
「うーん、まだ眠くない」
「だめだ寝ろ」
 ハルシャは不服を申し立てながらも渋々と椅子から降りた。絆創膏を巻いた指を弄りながら、パタパタと隣の寝室へ姿を消す。
 サソリはしばらくの間裸電球の下で薄いカーテン越しの夜を眺める。
 サソリにとって唯一理解できることは、ハルシャほどの才能を持つ子供は今後サソリの人生の中で現れないだろうということである。あの病巣、詳細についてはなにもわからないが、あれを治す方法を見つける方が確率が高いとさえ思う程度に、サソリはハルシャ以上の逸材を見つけられる気がしなかった。
 サソリの永遠を残すためにはハルシャが生きていなければならない。
 サソリはゆっくりと立ち上がる。成すべきことを成すつもりであった。

 ハルシャが寝ているのはサソリと同じベッドである。はじめは一人で寝かせていたが、気づくと隣に潜り込んできてしまうので今は諦めてベッドを一つにしている。作りかけの人形を片手にうにゃうにゃと口にするハルシャの寝顔を見つめる。
 件の病巣については知識が少ない。サソリはまず一つ確認しなければならないことがあった。
 それはハルシャを人傀儡にすることでこの病を治すことができるのかどうかである。もしも人傀儡にすることで病を治ったとすることができるのならばてっとり早い。病について難しいことを考えずともハルシャなら傀儡になった自分の体を簡単に操作できるだろう。
 サソリは麻酔薬を寝ているハルシャに注入した。以前に熱を出した際、ハルシャがあまりにも寝ないので強制的に寝かせた実績がある薬だ。分量についても心得ているので非常に使いやすい。
 ハルシャはむにゃとも言わなくなり、そのまま深い眠りに落ちた。
 ハルシャの体を抱えて隣の作業部屋へ移る。死体を開く場所では感染症が気になるところだ。もちろん、病院のような衛生状態は望めないが、多少はマシなリビングの机の上にハルシャを寝かせる。
 アレは相当に集中しなければ見えないものだ。サソリは目を凝らしながらハルシャの足にメスを入れる。大きく切ることはない。指先程度の切れ込みをいれるとそこには黒いナニカが集まってきた。それは傷の大きさによって細胞から湧き出すようだ。亡くなる直前の両親はこのナニカに包まれているように見えることも多かったので、増えれば増えるほど、これは悪性のものとして働く可能性が高かった。正直なところわからないことの方が多いが、傷口から溢れるのであればハルシャを人傀儡にするよりも早くハルシャが死ぬ可能性も高い。意識を残したままの人傀儡にする場合と、チャクラを留めたままにする場合ではかかる時間も、条件も全てが異なるのである。少なくともハルシャを生かしたままでなければ意識は移行できない。死ぬ可能性が高い選択は可能な限り避けたい。
 サソリは簡単な処置をしてハルシャの傷口を縫い合わせると、またハルシャをベッドに戻した。
 そしてリビングの椅子に座り直し、机の上にこぼしたままになっているハルシャの血を眺める。
(少なくとも人傀儡にする選択肢はリスクがありすぎる。あるいは医療忍術の類であれば治すことができるか?)
 サソリは静かに思考を巡らせる。夜の闇が暗い思考を運び続けている。
ハルシャを生かすことが最優先だ。少なくともあの奇病が発病するのは二十五を過ぎた頃だと医者は言っていた)
 事実かはわからない。ただ時折現れるこの奇病についての論文には二十代半ばからの死亡が確認されるという。正確な情報が必要だ。
(この奇病について、アレについて正確な情報がほしい。まだ多少時間はある。ハルシャには怪我をさせないようにしながら生活するしかない)
 集中すると目が霞む、全身の力が抜けるような感覚がある。サソリは椅子に腰掛けたまま目を閉じる。
 静かなリビングの中、裸電球がパチリと弾けるような音を立てた。
 
20241204