浅き夢見じ暁の

誘拐、嫌い!

  サソリは生前妻も子もいなかったので子育てというものは本当に未知の領域であった。
 デイダラが暁に入った時の歳がおよそ九歳であったが、デイダラの子育てをしたと言うのは過言である。五歳と九歳ではもはや活動の範囲が全く異なっている。特にハルシャは幼少期に十分な教育を受けていないことから食事すら一人ではおぼつかない。
 サソリは短気であった。それはとてつもなく短気であったのでハルシャとの生活のうち何度となく教育を放置し、しかしあまりにもひどい生活になるためまた教育に復帰するということを繰り返す。そんなことを続けているうちにハルシャも食事をこぼさずに食べられるようになり、一人で風呂に入れるようになった。その頃のサソリの表情は完全に育児疲れした親のものであった。
 ともかく端から見れば見事な子煩悩な父親になったサソリは偶然拾った育児書を片手にハルシャを育てていたが、それでも毎日事件ばかり起きている。なぜ生前のように静かに傀儡を作ることに没頭していられないのか。ヒルコの尾を自分で操って滑り台にしているハルシャに才能を感じつつも、どうも腑に落ちないものを日々感じている。

 秋晴れ美しい空の下、サソリがヨークシンシティを訪れたのはハルシャの服を買うためであった。というのも先日ハルシャを連れて町中を歩いていたところ、誘拐を疑われて警察に取り囲まれたときのことはまだ記憶に新しい。

「……なんの用だ」
 サソリは剣呑な表情で睨みつけるように言い放つ。警官たちはそんなサソリを見下ろし、馬鹿にしたような目つきで「坊っちゃん、ちょっと身分証くれねぇか」と言った。
 サソリはその瞬間に完全に頭に血が昇って瞬間に警官の胸ぐらを掴み上げそのまま手と体を返すようにして放り投げた。サソリよりもはるかに巨漢が片手で投げ飛ばされたのを見て後ろに控えていた警官は唖然としている。
「どけ」
 地面に叩きつけられた警官はピクリともしない。サソリはまだ目の前に立っている他の連中に低い声を投げかける。
ハルシャの服があまりにもぼろぼろであるというのが警官がサソリを疑った理由だった。確かにその時のハルシャは汚れに汚れ裾もほつれた適当な服を着ていた。一応これでも洗っては居たのだが、古くなりすぎて洗っても一向に汚れが落ちないのである。警官が応援を呼び始めると、サソリは即座にもう一人の警官の顎を打ってハルシャを抱え逃走した。
 ヨークシンの警官はマフィアに従順だがそれでも個々人は優秀だ。追跡術にも長けており、サソリは路地を曲がった先にすでに警官が待ち構えているのを見る。しかしその優秀さは直立した壁をまっすぐに駆け上がり、通常の人間では考えられない距離を跳躍する忍には到底及ばない。
 サソリは路地の壁を蹴って屋上まで駆け上がると、そのままビルの上を跳躍してその三分後には警官を撒いていた。

 そんなことがあってから三ヶ月後、さすがにサソリ一人を追いかけるほど暇ではなかったのかサソリが隠れることもなくヨークシンシティの大通りを歩いていても何も言われることはなかった。
 サソリはいくつかの店を物色する。しかしそのうちに今まで感じたことのない頭痛に見舞われしばらくベンチに座り込む羽目になる。
 生前はファッションなどというものを目にする機会などついぞなく、いかに効率の良く武器を隠せる衣服を纏わせるかに執心するばかりだったのだ。ヨークシンシティにあふれる女性ものの衣服はきらびやかに数があり、広告に打たれている文字も何一つ意味が理解できない。すべて同じようだが全く異なるようで考えれば考えるほど頭痛がする。
 サソリは諸々のことを考えるのを諦めるのだった。
 女児の服などサソリに分かるはずもない。一緒に入ると見た目が若すぎる故か、不審な目を向けられがちなのでサソリはハルシャを服屋に放り込んで服を選んでこいとだけ申し付けると自分は店の前の通りで待っていた。
 通りを行く人をぼんやりと眺めている。ヨークシンの人々はサソリに特段の興味を抱くこともなく、サソリも今はあまり周囲に関心がなかった。かつては常に人の動きに気を配っていたがどうもこちらでは気が緩んでいるように思える。これでも一応指名手配犯なので注意はしているものの、どうも意識しなければならないレベルの張り合いがないのは事実であった。死線をくぐり抜けるようなことはほとんどなく、平穏な日常が続く中で、感覚が鈍っている。
 だからこそサソリは服屋の中でハルシャに不審人物が近づいていることに気づかなかった。またこの服やは二方向に入り口があることも知らなかったのだ。

 色とりどりの服が並ぶ店舗の中でハルシャはあちらこちらの棚を覗いたりハンガーにかけられた服を眺めては眉を寄せる。
 店の棚はどれも大人用に設えており、下からハルシャが覗き込んでもなにもわからず、さらに言えばハルシャは別段可愛い服を着たいわけではなかった。
 サソリがハルシャのことを見てくれて、人形作りのことを教えてくれるだけで良い。サソリは笑うこともなかったしほとんど褒めてくれもしないが、沈黙した両親と過ごしているよりもずっと楽しかった。
 服はいらない。服よりもっと人形のことを教えてほしい。ハルシャにとって望むことはそれだけだ。
 ふと思うのはサソリは自分のことが嫌いなんじゃないかということである。一つ一つのいたずらを通してハルシャはサソリとの距離感を見定めていた。もちろん、この時のハルシャはまだ子供であるからそんなに大層なことを考えていたはずもない。いたずらをする度にこれは怒らない、これは怒るの境界線を自然と探すのである。
 サソリは表情に乏しく沈黙したままハルシャに人形作りを教える。ハルシャにとって人形作りを教えてくれることは唯一の愛情表現であったから、その間と暫くの間は愛されてる実感を得た。しかし人形作りを教えてくれない時間が長いとハルシャはサソリは自分が嫌いなのかもしれないと思う。ここのところは人形作りをしない期間が長く、ハルシャは不安だった。挙げ句にこうしてたった一人で店の中に置き去りにされてますますどうしたらいいかわからない。
 きゅっと真一文字に口を結んで、ハルシャは洋服の間を歩いては好きなものを探してみた。特になにも見当たらない。どうしようかなと思ったが、何も思いつかなかった。
「お嬢ちゃん」
 頭の上から男の声が降ってきて、ハルシャは顔を上げる。柔和な顔の男が立っていた。
「お母さん、どうしたの?」
「だぁれ」
「お嬢ちゃんがお店で一人で気になってお店に入っちゃったんだよ。大丈夫?」
「……」
 ハルシャは大丈夫と言おうと思ったが、実際のところあまり大丈夫ではなかった。サソリは自分のことを嫌っているように思うし、服も選べない。ハルシャが小さく「こまった……」と言うと、男はますます優しく笑んだ。
「困っちゃったんだね。そしたら僕と一緒に少し店の外に出ない?」
「……うん。サソリ、いない?」
「サソリ? おとうさんの名前?」
「……おとうさん……じゃない……」
 ハルシャはますますしょげた。サソリはそういえばハルシャにとって誰なんだろうか。ハルシャは少し考えて頭がぐるぐるとするのを感じるのだった。
「とりあえず外に出よっか」
 男はハルシャの手を取って、ハルシャは入ってきた側の入り口を少し見てから男の方を向いた。少しだけ汗ばんだ手が気持ち悪い。
 店には二つの入り口がある。男は手を引いてハルシャが入ってきたものとは別の入り口から出た。途中レジの前を通ると店員はうつらうつらとしているばかりでハルシャのことには気づいていないようだ。ハルシャはそれを見ながら、サソリに何も言わなくてよかったかなぁ、でもあんまり話したくないなぁと思った。
 男が選んだ側の入口は人通りの少ない路地に通じている。そこには窓ガラスまで黒い車が一台停められており、ハルシャはなんとなく怪訝な気持ちでそれを見た。なんだかおかしいなぁ、と思うものの、その小さな懸念は男の手を振り切って逃げるほどではない。
「さ、ちょっと町をドライブしよう」
「……んー……したくない。かえる。」
 ハルシャはふと車には乗りたくないと思った。車は狭い上に臭くてあまり好きではないのだ。ハルシャが男の手を振りほどいて店に戻ろうとすると、男はあっさりとハルシャの小柄な体を抱え上げてしまった。
「やだー!! サソリー!!」
 ハルシャは叫んだがすぐに車の中に押し込まれてしまう。スライド式のドアが閉まっていく向こうで、ひどく取り乱したサソリの顔が見えた。

 ハルシャの悲鳴を聞いて、サソリは反射的に駆け出す。
 店の反対側に回り込むとハルシャを車の中に連れ込んだ男の姿、じたばたと男の腕の中で暴れているハルシャの姿が見えた。男がサソリを見つけて、「出せ!」と怒鳴るのが聞こえる。車は半分ドアを開けたまま走り出し、サソリは即座に車のタイヤを狙ってクナイを投げるが、瓦礫を避けるために大きく車がハンドルを切ったせいで当たることはない。
「チッ」
 サソリはチャクラ糸を飛ばす。車のナンバープレートに付着するが、これだけで車を操作することはできなかった。また、これはあまり遠くに行き過ぎれば切れてしまう。サソリが意識して伸ばし続けなければならず追跡としては弱かった。しかしわずかにでも方角がわかれば十分である。
 サソリはとっさにここに来るまでに見た街路図を思い出す。古く落書きばかりだったがおよその街の形は頭に入っている。車の横幅から動ける範囲も推測できれば、この路地から車の行く先もまた、いくつかに絞れた。
 さてサソリは戦時中の戦力不足の中とはいえ七つでアカデミーを卒業している。地形把握から、行動の先読みまで一通りのことは頭に入っている忍である。ここしばらくは平穏に身を浸していたが、久しい神経の昂りとに反して頭は冷静に車を追う道筋を考えていた。
 サソリはいくつかのあたりをつけるとビルの壁に張り付きそのまま屋上まで登り切る。老婆はサソリが突然壁を登ったのに驚愕し転んだまま起き上がれなくなったがそれはサソリの知ったことではない。
 屋上から見下ろせば件の車が大通りに出たのが見えた。まさか足のないサソリがすでに屋上から見下ろしているなどまるで思ってもない動きだ。警察に捕捉されないようゆっくりと走っている。
 さてどうしてやろうか、とサソリはしばし思案した。己で車に乗り込んでやってもよかったが、今やどの国でも警察が持っている銃は面倒だ。あの程度のものに当たるつもりはないものの、小さく連射が効くとなると生身のサソリではハルシャを守り切る自信はない。とすれば当然使うは傀儡である。
 サソリは不安定な足場に強い何体かの傀儡を選び、口寄せするとそれをビルの屋上から車に向かって、ポン、と投げ落としたのだった。
 手足を複数まとったそれは重力に従って落ちていく。そして車のボンネットに着地した。
 車が一瞬で安定を失う。横転されても困るのでサソリはフロントガラスを力任せに割るとハンドルを固定した。
 運転手は気が動転したのかブレーキを踏んで、その勢いで後部座席の男達は座席に顔を打ち付け、ハルシャは勢い余ってぽんと後ろから前へすっ飛んできた。
 サソリは傀儡でそれを受け止めると、車の中に毒ガスを噴霧する。濁った紫色の煙は逮捕などと生優しい形で連中を生かすつもりはないことへの証左であった。一人生きていれば構わない。運転手がガスを吸う前に腕の中に抱え込み残りはガスの中に放置する。傀儡は男一人とハルシャを抱えてあっという間に路地裏に消えた。

 男の末路については語る必要も無いだろう。
 サソリは男から一通りのことを聞き出すとあとは新薬の実験台として放置している。男の絶叫が騒がしかったため早々に声帯は潰した。
 ハルシャはあれからサソリと一度も目を合わせない。
 サソリは苛立たしげに舌打ちをする。ハルシャは怯む様子もなく沈黙していた。
「おい、何か言え」
「……あたしわるくない」
「何が悪くないだ。お前今さっき誘拐されかけたのを忘れたか? なぜ最初にオレを呼ばなかった」
「だってサソリ、ハルシャのこときらいだもん……」
「はぁ?」
 生前のサソリであればこの時点で手が出ていただろう。殴るという話ではない。殺す、という話だ。ハルシャとの生活の中で幾度となく苛立たしいことはあったが、今回ほど腹立たしいことはなかったかもしれない。
 それでもサソリはここで苛立ちに任せて殺すよりもこの子供に価値を見いだしていた。恐ろしいほどの傀儡の才能、彼女は戦場に立つ傀儡よりも芸術性により重きを置いている点はサソリと少しばかり主義主張を異にするが、そこは芸術家として受け入れがたくとも受け入れねばならぬ点であった。
 サソリはハルシャの言葉を待つ。サソリが嫌いだと思っていると断じるその言葉の意味を待った。
「……人形のことおしえてくれない……」
「……教えてるだろうが」
「ちがう。ハンバーグの日も、プリンの日もおしえてくれなかった」
 サソリはしばし考えた。ハンバーグとプリンの日とはなんだろうか。
 ハルシャは親からあまり話しかけられなかったのだろう。言葉をあまりうまく使うことができていない。年齢の割に語彙が少ないためにサソリはこうしてハルシャの意図を理解するのに苦労した。
「……一昨日と昨日のことか……」
 長らくサソリは考え抜いて、それが夕食のことだということを思い出す。そういえばハルシャにねだられてそんなものをこしらえた気がした。
 サソリは確かにここしばらくハルシャに傀儡作りを教えていないことを思い出す。なにせ良い素材が見つからず今はサソリもいまひとつやる気が出なかった。生前は忍の里さえ襲えば傀儡にしても悪くはない素材が一つぐらいは見つかったものだ。ところがこの世界は人は多いもののサソリの求めるような逸材はなかなかに手に入らない。その分こちらの世界ではサソリの傀儡への芸術性の関心が高く、それは構わないのだが、素材という点では不服が残っている。
 故に、サソリは暫くの間パーツの削り出しと修理に専念していた。これは細かな刃物の扱いが必要であり、ハルシャにはまだ任せられない工程でもある。思い返せば随分ハルシャには関わっていなかった。
「……ハルシャ、よく聞け。オレがお前に傀儡作りをここ一か月教えなかったのは素材がなかったからだ」
「……」
「人傀儡には素材が必要だがなければ作れない。細かなパーツの削り出しはまだお前には早い。いいな」
 サソリが口にしたのはそれだけだった。
 ハルシャはしばらくサソリの言葉を考えて、それからサソリが傀儡作りを教えないのはハルシャのことを嫌っているからではなく、ただ素材がなかったのだ、とようやっとのことで理解が及んだらしい。
 ハルシャはパァと顔を明るくするとサソリのそばまで来て言う。
「ぶどうのゼリーたべたい!」
 サソリはやはり殺してやろうかこのクソガキ、と思った。
 サソリはこの子どもの切り替えの速さにいつも置いていかれ気味だ。
 
20241118