浅き夢見じ暁の

育児と育成

 ハルシャは年齢は不明であった。誕生日も分からず、名前以外のことを理解していない。食事をきれいな所作で食べることもできなければ、文字の読み書きもできなかった。傀儡を作るだけならば列挙したものはどれも必要ないが、作った傀儡を記録したりする必要もあり、サソリはハンター文字を一つ一つハルシャに教えたのであった。同時に生前使っていた文字も習得させた。口寄せの術を使わせるためである。この世界でも口寄せの術は同じ術式で使えるようだが、あいにくとサソリはこの術式をハンター文字に直すとどうなるのかわからなかった。解読されにくい点も有利に働くので生前の知識をそのまま使っている。
 ハルシャは人と話をするのがよほど嬉しいのか、サソリにひっきりなしに話しかけ、ああだこうだとうるさくつきまとう。何度黙れと言っても次の日にはまたうるさくなってしまうので、しまいにはサソリも諦めてしまった。
 ハルシャはサソリに教えられたことをスポンジのように吸収していく。サソリの見立て通り傀儡の造形と操演に関してハルシャは類稀なる才能をもっていた。顔立ち、手足の造形の細かさやこだわり、そして仕込みなど、ハルシャはまだ傀儡について習って若いと言うのに新たなアイディアを次から次へと出しては傀儡を作っていく。人傀儡を作る上で重要な人体の取り扱いも見事なもので、ハルシャに任せれば実に美しく皮膚を剥ぎ、筋繊維を極力壊すことなく筋肉を取り出し、最低限の切断だけで臓腑を取り出すことができた。これほどの才はサソリの幼少期を彷彿とさせる。操演も実に素晴らしかった。特にハルシャは人の動作を真似ると言う点に強い関心があるようで、ハルシャに操らせるとまるで本当に生きているかのような挙動を示す。サソリはどちらかと言えば戦闘に使うのが主体だったので、ここで一つの芸術を見た。
 わずか数ヶ月の間に、ハルシャは立派なサソリの弟子となったのだった。まだ時計も数字も読み書きが怪しくサソリのことを待たせてばかりではあるが、サソリはそれを少しばかり許容する姿勢を取ったのだから、それだけでいかにサソリがハルシャを気に入っているかわかるというものだろう。
 ハルシャの方もサソリによく懐いている様子だった。いつの頃からか、ハルシャはサソリを父さんと呼ぶようになり、サソリもそれを許容した。少なくとも父が娘に教えるような内容ではないことを伝えているのは事実だが、少なくともこの二人は相性が良かった。
 緑が膨れ上がる夏の日、手に赤をにじませる冬の日、深い春と鮮やかな秋を越えてもサソリはハルシャを手元に置いていた。待つのも待たせるのも嫌いで、サソリ自身も自覚する程度には気が短いこの男が、これほどまでにうるさくてまだまだ時間も守れないような子どもを隣に置いている理由など、気に入ったからのただ一言に尽きる。
 サソリはハルシャの手をとって一つ一つ技術だけでなく、生活の知恵、人としての振る舞いを教え込んでいったが、特に人としての振る舞いはサソリが師ではいささか問題があった。もとより口の悪さには定評があり、他人が話をしていようが問答無用で殴りかかるサソリには他者への配慮はない。忍が丁寧に他者に配慮していたら自分が死んでしまうのだから、ある意味当然の振る舞いだが、二度目の生を得た世界ではもう少し配慮は必要だった。ともかくもハルシャは口も悪く手癖も足癖も悪い女の子に育ったのはそんな理由がある。サソリも時折なにかを間違えたかもしれない、と思うことはある。
 それはさておき、ハルシャは順調に成長していく。

 人形師の町、あるいはナエウス通りと呼ばれる場所の一画は決して治安の良い場所ではない。人形作りを生業とする者たちが住み始め集まるようになったそこでは生身のパーツも扱っていた。臓器売買の温床にもなっているが、マフィアはここでは大人しい。癖のある住民たちはナエウス通りに入り込んだ者たちを明確に選り分け、ここを居心地の悪い金儲けの寝床に変える輩のパーツを売り捌いていた。マフィアたちは重ねてこの場所を支配しようとしたものの、今の今まで成功してはいない。
 ナエウス通り七番街A棟にサソリの拠点とする古びたマンションがある。サソリはハルシャとの生活を営むための部屋と解剖や造形を行うための二部屋を借りていた。
 むき出しのコンクリートは寒々しいだけでなく体温を奪っていく。サソリは気にならなかったもののハルシャはここへ来た次の日に風邪を引いたので、サソリは慌てて部屋中にカーペットを敷く羽目になった。生活部屋の壁にはいたるところに適当なところで買い集めた統一性のない布が重ねられており、足元の絨毯はふかふかとした肌触りの良いものを選んだ。壁はともかくも足元はハルシャの足に傷ができたのが気になったからである。
 作業部屋は生活部屋とはうってかわってがらんどうである。解剖をすれば血が飛び散るのでいくつか板を持ち込んで、そこに座布団のように布を重ねて椅子とした。ストーブは用意しているものの、死体を解剖している間は腐敗が進むためつけるわけにはいかなかった。冬の寒い日、死体を傍らに仕込みを作るときは、二人羽織のようにハルシャを胡座をかいた足の上に乗せて作業をする。ハルシャはサソリの手元を見ながらうつらうつらとしたり、あるいは別のものを作って遊んでいた。
 ハルシャは片時であってもサソリから離れるのを嫌がったのでサソリは仕方なしにハルシャを抱きかかえて仕込みを作ることも多い。子供はあっという間に成長して体重も増えるので最近サソリは足が完全に痺れることも多くなった。
「サソリ! 見て! すごく綺麗にとれた!」
 その日、サソリとハルシャは解剖台の前で無謀な若者の死体を切り開いていた。マフィアの若頭らしいが、ナエウス通りで圧をかけるようになったため、サソリが殺したという経緯だ。
 ハルシャが話しているのは眼球の話だ。サソリは胴体の仕込みをしていたのだが、ハルシャが傀儡にしているこの男の顔が気に入ったと言うので顔の処理を任せていた。
「ああ、悪くない」
「そういうときはほめるの!」
 ハルシャは六歳になったばかりであるがすでに口うるささではサソリを圧倒している。サソリはため息を吐いて、皮膚を剥ぐ作業を中断すると「よくできたな」と呆れたように言った。ハルシャの顔がぱあっと明るくなり眼球を両手に捧げて踊るように部屋を回り始める。サソリから見ても見目は整った子供であることはわかったから、花畑であればどこぞの姫様と誉めそやしても良かったかもしれない。しかしここは解剖現場であり、この男はハルシャがトドメを刺したので立派な殺人鬼である。サソリはしばらくハルシャが部屋の中で珍奇な踊りを踊るのを眺めて儀式か何かだろうかとぼんやりと思ってから自分の作業に戻った。
「転ぶなよ」
 サソリが忠告した次の瞬間にハルシャは転んで眼球を潰したのでサソリは喉を鳴らすように小さく笑った。これが他の誰かだったら山椒魚に閉じ込めた上で三日は放置していたに違いない。我ながらすっかりと絆されたものだと思うのだ。
 
 あるいは拠点を離れて旅するようにほっつき歩くこともあった。荒涼たる砂漠に、人の立ち入らぬ森の中、あるいは聞き取れぬほどの多くの音にあふれた都会までサソリとハルシャは自由にほっつき歩いた。大抵そう言う時は人傀儡の素材が足りない時だ。あるいは金を稼ぐために賞金首を殺して回るようなこともした。ハルシャの傀儡術を鍛えるにもちょうど良かったのだ。
 ハルシャはこの歳にしてまったく人を殺すことを恐れなかった。人の血を見ても、腐りかけた死体にも、ハルシャが持つ感情はどうやら興味であるらしい。愛情も慕情も恋情も、悲哀も畏怖も、怒りもその全てをハルシャは正しく持っている。子犬を見て可愛いと思い、罠にかかった獣を見て可哀想だと口にしたのをサソリは聞いた。しかし人を殺す、傀儡にするとはハルシャの中で明確に区分された何かのようだ。サソリにもハルシャが何を考えて人を殺すのかまではわからなかった。ただハルシャは人形を作ると言う過程を楽しんでいる様子だった。
 今日のサソリは雇われである。マフィア間の抗争に駆り出され、屋敷に侵入してきた全てを殺すことが与えられた仕事だった。サソリはこのところ、生前に暁で受けていたような仕事を受けることが多い。ただ人を殺すよりも金にもなり、明確な殺意はハルシャがこの先戦闘に出るときに経験しておかなければならないものだ。
 ハルシャをサソリ自身と同じ指名手配犯にする予定は今のところなかったが、サソリと行動している以上、ハルシャが狙われるのは必須だった。サソリはかつて学んだ忍としての様々な知識をハルシャに叩き込んだ。もちろん教えていないことも多くある。あいにくとこの世界の一国一城と言う概念はサソリの生前のそれとは違うので、教えようにもあまり役に立たないのだ。いずれはとも思うが、わざわざ一国を相手にするのは面倒なので当面の間国崩しをハルシャに教える予定はない。また個人が戦争に赴くことがない世界なので、戦場における戦略についても教える機会がない。
 開けた広間でハルシャは自分で作った生人形(いきにんぎょう)の中にこもる。サソリもまたヒルコの中で少し離れた場所からハルシャの様子を観察していた。まだハルシャは状況を見ながらの移動が苦手なので、ハルシャの生人形は重装備かつ重く回避には適していない。代わりにライフルですら防ぐ装甲が幾重にも用意されていた。
 五名の男たちが銃を使って威嚇するも、生人形の装甲はものともしなかった。人形に近づくことすらできず、ハルシャは男たちを物言わぬ死体へと変えた。ハルシャはそこになんの抵抗もなさそうだった。

 親が子を愛するときに与えるものは、親の生育の環境に大きく影響するだろう。
 サソリにとって力とは己にとって大事なものを守り抜くのに必要な力だった。攻撃とは自身の傷を減らす最大の手段だった。力がなければ命すら守れぬ世界の中で生き抜いて、その力一つをよりどころに生きてきたサソリにとって、ハルシャが躊躇なく人を殺せるように力を与えることは最大の愛情と言っても過言ではない。死なせたくないからこそ、己の信じる形で持って力を与える。それがこの世界の大多数が信じる愛と異なっていても構わない。
 サソリにとって死とは、終わってしまうものとは最も忌むべき概念の一つである。真の永遠を理解したとしても、今のサソリにとってハルシャが死ぬということは自らの永遠が潰えることを意味しているのだと考えればそれは当然の反応かもしれなかった。
 息をするように人を殺す方法を教え込む。
 ハルシャは水を飲むようにそれを覚えていく。
 ただ唯一、今のサソリは必要に応じた殺しに留めていた。可能な限りハルシャを育てる時間を作った。今やサソリの作り出す傀儡はサソリ自身が作り続ければいいものではない。その技術が正しく後世に残るのであれば、サソリの追い求める永遠は形となる。ハルシャを育成することは今やサソリ自身が傀儡を作るのと同じ程度に重要な事項となっていた。
 
20241020