浅き夢見じ暁の
弟子
本話には死体の克明な描写があります。ご注意ください。
やがて夜明けになる時分であった。サソリはかすかな物音にふと目を覚ますと目の前に小さな子供が瓦礫に姿を隠しながらこちらを伺っているのが見える。サソリはしばらくの間うすら目を開けたまま微動だにせずじっと相手の動向を伺っていた。ヒルコの中のサソリは正直なところ興味本位で近づいてくる子供を蹴散らすほど気が立ってはいない。それに面倒で眠かった。移動には随分と時間がかかり、バスを降り間違えたこれから先どうするかも決めるのに時間がかかる。今回の旅でも目的の逸材は見つからず苛立っていたこともあったのでサソリは黙って相手の動向を見守る。
子供はサソリ(厳密にはヒルコ)が動かないことを確認して、ゆっくりと近づいてきた。周囲をみまわしながらヒルコまで子供の足であと数歩というところまでやって来てからしばらく周りをぐるぐると回る。中のサソリは明確に子供の動向を察していたが、当然外殻であるヒルコは微動だにしない。子供はそれに気をよくしたのかさらに近づいた。
(……)
そんな腕の触り方をしたらどんなやつでも目を覚ますだろうに、子供にはそこを理解する力はないらしい。手元には大ぶりのナイフがあった。まるで浮浪者のような格好をしているというのに手元のナイフだけはやけに鋭く重ねて研いだ跡が見受けられた。子供はどうやらヒルコの腕を探している様子で頻繁に服の中を覗いている。
サソリは子供が何をするつもりなのか少し興味が出てきた。寝相が悪いふりをしてわずかに手を差し出してみる。子供はヒルコが動いたことに驚いて一瞬飛び上がったがしばらくヒルコが動かないと寝返りを打ったのだと把握してまた近づく。そして腕を見つけるとそこにまっすぐにナイフを突き立てた。
子供はなんと昼この腕の皮を剥ごうとしたのである! 子供のナイフの使い方には迷いがなく普通の人間の肌であればそれは見事に表皮一枚を切り取ることができただろう。
「あれ……これ……人じゃない……」
子供の口から動揺の声が漏れる。子供は即座にナイフを突き立てるのをやめると代わりに継ぎ目を探し始める。肘の関節より上のところを見つけると子供は何度か触ったり、捻ったりしてそして驚いたことに子供はヒルコの腕を外してしまったのだった。
通常傀儡の関節やその接続は造形師ごとに特徴がある。鍵のようにひねれば簡単に外れるものではない。ところが子供はいとも容易くその構造を見抜きヒルコの腕を持ち去ろうとしている。さらにはあの皮膚を剥ぐ技術は並みのものではなかった。
子供は腕を一本抱えるとそのままヒルコに背を向けた。だがサソリはそのまま子供を逃すつもりはない。ヒルコの尾が服の下より伸び上がると背を向けた子供に一直線に向かう。子供が気づいた時にはその体は宙吊りになっており、その拍子にナイフも落としてしまったのでもうどうにもならなかった。両足から逆さ吊りにされた子供は大いに唸り始めた。
「うううぅぅぅううう!!」
子供は必死に体を捻ってヒルコの尾から逃げ出そうとするが当然そんなことはサソリが許さない。サソリはヒルコの背を開けて外に出ると逆さ吊りの子供をまじまじと眺める。
サソリよりもより明るくピンクの混じった赤毛だった。手入れをしていないのかボサボサだが悪くはない。体を適当に触ると女であることもわかる。薄汚れすぎていてとても見た目では判断できなかった。
「ううー! あっ、はだきれい、ちょっとちょうだい」
「殺すぞクソガキ」
「やだーっ!!」
子供は騒がしく体をくねらせて脱出しようとする。
「おいガキ、テメェ名前はなんだ」
「おろしてー! たすけてー! かどわかしー!」
どこで覚えたのかそんな言葉を大声で絶叫するがサソリにはまるで響かない。
「今更罪状が増えたところで大した問題じゃねぇ。赤ん坊を傀儡にした時は仲間内からも散々言われたぞ」
「ポルノだポルノー!」
「最近のガキは早熟だな。だとしたらなんだ」
「いーーー!!」
子供は散々騒いでどうにもならないと分かったのかそのまま脱力して動かなくなる。
「ガキ、名前は」
「……ハルシャ」
「なんで人の皮膚なんざ剥ごうとした」
ハルシャは口を尖らせて沈黙する。
「さっさと答えろ、俺は待つのは嫌いだ。次に答えが遅かったらこのまま殺すぞ」
「父さんがぐずぐずしてるの。はだがあればげんきだもん」
ハルシャは慌てた様子で口を開いて大声で怒鳴る。それからまたヒルコの尾から抜け出そうと格闘を始める。
サソリは少しばかり思案してから指を動かしてヒルコの尾からハルシャを解放した。
サソリの視線程度の高さから突然逆さまに落とされたハルシャは頭から落ちて痛いと叫んだが、自分が解放されたことを知ると即座に身を翻して走って逃げた。逃げ足は実に見事なもので、しかもちゃっかりとヒルコの腕を持って逃げたのはなかなかの逸材である。
と、いってもハルシャ程度の逃走などサソリにとって児戯でしかない。サソリはヒルコとともにハルシャを追いかけ最終的に形を守っているアパートへたどり着いた。
外壁は剥がれかろうじて四角い箱としての外観を保つのみ。高くまで立てられたビルの合間に詰め込まれたせいで光は当たらず陰気な雰囲気が漂っている。黒黒とした水溜りを超えてハルシャがこの建物に入っていくのをサソリは見た。それからすぐに、一つの窓の向こうに人の気配が現れる。十中八九あそこがハルシャの拠点だ。
サソリはヒルコの尾を背に付け替える。尾は何かと便利だが、ヒルコの巨体はアパートような狭い場所での活動には適していない。やりようはいくらでもあるが、特に初めから攻撃性を持たれるという意味でもヒルコは人と話をするには不便だった。
サソリは玄関からではなく窓から家の中に侵入した。そこは二階であったがサソリには関係のない話だ。壁を何歩か歩いて登り、窓に手をかける。鍵はとうの昔に壊れており、鍵を開ける必要すらない。サソリは音も立てず部屋の中に侵入するとぐるりとあたりを見回すのだった。
ひどい悪臭がする。死臭に慣れたサソリですら頭が痛くなるような腐敗臭だった。確実に死体がある。
壁には多くの写真が飾られており、それらのほとんどは共通性のない人混みを撮影したようなものだった。ただ、サソリにはその写真の共通性が明らかだった。
その写真たちは何事もない人混みのなか、適当に誰かに焦点を当てたようなものばかりである。しかし写真に丸をつけられた人たちは全て『傀儡にするのに最適な人材』ばかりである。頑丈な骨格は傀儡にも影響する。皮膚のハリ、あるいは皮膚そのものを見れば健康状態もわかる。病気がなければないほど、皮膚が美しければ美しいほど傀儡もまた美しいものができる。体が大きいのもいい。仕込みを入れやすい。筋肉もつ強ければバネとして運用しやすい。とはいえ女子供も悪くない。体は小さいがいざ戦場に出せば男たちは惑うのだから。女はもとより美に気を使うから肌が綺麗なことが多いのも良かった。
「……さ……ほら……もってきた」
隣の部屋から小さく声が聞こえる。先ほどの子供の声だったのでサソリは耳をすませるが、声は引き続きハルシャのものしか聞こえない。
「て……おおきい……」
ハルシャは小さく囁くように言葉を発している。サソリはそっと隣の部屋へ移動する。ひどい血で汚れた壁の合間を縫うような気分になるほど、部屋は狭く物に溢れている。隣の部屋の入り口の近くに置かれたゴミ箱から一際ひどい異臭がしてサソリが覗き込むと、そこには完全に腐りきった人間の残骸が詰め込まれていた。一瞬何かわからなかったのはハエがたかりすぎていたせいだ。黒黒としたそれを視認するには全てのハエを蹴散らさなければいけなかった。
隣の部屋に音も立てずに入る。暗い部屋だ。もとよりこの家自体が灯りがない。電気も来ている様子がないので当然だった。 窓から差し込むわずかな灯りをもとにサソリが周囲を見渡すとやはりこの部屋にも写真が貼ってある。この部屋は異様だった。その多くがサソリ自身の写真だった。
「気色が悪い」
「わっ」
声を出したところでハルシャはサソリに気づいた。慌てて飛び上がると黒くなった何かに下に隠れようとする。サソリはそれを眺めてようやっとハルシャが向きあって語りかけていた何かの存在に気づいた。
それは黒くシミがこびりついたソファに座った二人の人間である。ただしもはや生きてはいない。
目の窪みの中でウジが頻繁に頭を出している。骨が剥き出しになった腕はもはやハエがたかる肉の全てがこそげ落ちて床に散らばっていた。それらはもはや床に染みついた黒いシミと化しており、指の形を残していた。ただそれ以上にこの死体は異様なところが目立つ。その顔はいく人もの皮膚を縫い合わせて必死に外形を保とうとした跡が見られた。足も骨が崩れ落ちてしまったから別の人間の足をもってきて縫い合わせたようになっている。この死体はつぎはぎなのである。元の要素はどこにあるのか、それはサソリにも暗すぎてあるいは惨状が酷すぎてわからない。幾多の死体の山を築いてきたサソリですら、この光景には吐き気がした。
ハルシャはベースが女と思しき死体の足元、スカートの後ろに隠れようとしていた。とはいえ布も千切れてとても隠れられる要素はない。
サソリはチャクラ糸を伸ばしてハルシャの体につなげる。
「わ、わっ、わわっ」
ハルシャは抵抗することもできずに女の下から這い出すことになり、そのままサソリが操る形で隣の部屋まで連れ出されたのだった。
死体のない部屋はまだ窓からかろうじて差し込む光で明るかった。とはいえビルの陰になる程度の明るさでしかない。ただそれでも分厚いカーテンのかかった死体の部屋より遥かにましである。
サソリは足が四本ある木の椅子に座った。残りの椅子は三本しか足がないし、壁のそばにあるソファーの黒いシミがなんなのか察することができたので触れたくもなかったのだ。そこまで綺麗好きでもないが、好き好んで死体と椅子を共有したい気持ちはない。ハルシャは床に座らせた。
「ガキ、隣の死体はなんだ」
「ガキじゃないガキ」
「殺すぞ」
恐ろしく口の悪い応戦である。サソリの尾がハルシャを掴み上げてまた宙吊りにした。ハルシャは一通り騒いでいたが。サソリが自分の顔の前にまでハルシャを持ってくるとハルシャはある所でぴたりと動きを止めてまじまじとサソリを見る。その視線が何かを確認している様子だったのでサソリはハルシャの好きなようにさせてハルシャの言葉を待っていた。
待つのも待たせるのも嫌いとはサソリの言である。常日頃より相方であるデイダラにいい含めてきたサソリがこれほどまでにハルシャの言葉を待っていたのは、彼が彼女に対して強く興味を持っていたからに他ならない。サソリはハルシャが皮膚を剥ごうとナイフをヒルコの腕に入れた瞬間から、この子供に対して強く興味を持っていた。ナイフを持つてはまるで素人であるにも関わらず、皮膚を剥ぐその手つきは慣れを感じる。さらにヒルコの腕をいとも容易く外して見せたその瞬間にサソリはハルシャに人形師としての才を見出していた。
ハルシャは長い沈黙ののち大きく息を吸って「サソリだ!!」と叫んだ。耳をつんざくような音であったのでサソリも顔をしかめた。
「はなしてはなして」
逃げ出そうとする動きではなく何か目的をもった行動にサソリはハルシャを尾から解放することにした。ハルシャは解放されるとすぐに隣の部屋に駆け込んで何枚かの写真を持って戻ってくる。
「ほらサソリ!」
ハルシャはサソリに向かって写真を突き出すと先ほどと打って変わったキラキラと輝くような目でサソリを見上げるのである。
サソリは差し出された写真をとり見聞する。パトロンに強く要望されて人傀儡をパーティーで披露した時の写真だ。サソリ自身も飾り立てられて表に立つことを希望されたことを思い出して腹立たしくなってきた。あの時のパトロンは初めからサソリを飼い慣らしたかっただけということが今ではよくわかる。
「ほら! 父さんと母さんがサソリをみたの。それでサソリのことがすきになって、ずっとおなじにんぎょうがつくりたくて、いっぱいころしてここにきて、ここでもころしてでもサソリとおなじにんぎょうつくれなくて……」
ハルシャは落ち込んだように言葉尻をすぼめた。
「父さんも母さんもサソリがきてくれたってしったらよろこぶ。だからいっしょにいこう。父さんと母さんはまだねてるけどいっしょにおこしにいこう。サソリがこえをかけたらおきる」
「バカなことを言うな。てめーの父親と母親は死んでる」
「しんでないもん! サソリがいってたって! ひふをはりかえてないぞうをいれかえてあたまのなかだっていれかえればえいえんにいきてるんだって、うごきだすんだっていってたもん!!」
ハルシャはサソリの言葉に泣き叫ぶように騒ぎ出した。地団駄を踏み強く腕を握りしめて生きてると叫び続ける。
サソリは彼女を冷静に観察しながら、どこか感傷的な思いで彼女を眺めている。かつてサソリもこうして奇妙な感情の錯綜の中に埋もれていた。
戦時中、帰ってきた遺体は綺麗なものだった。祖母は木の葉の白い牙を憎いと泣いたが、サソリはそれよりもあと少しで生き返るのではないかと漠然と思った。両親は寝ているだけ、だからすぐに起きる。胸に空いた穴は少しばかり大きく傍目から見て心臓もなかったようなのでまず心臓を用意しなければならない。かつて抱きしめてくれた体温を作るために細かく血を流さなければ。それでもサソリは両親が死んだことを同時に理解していた。もう二度と動かない、もう二度と声をかけてくれない、触れることも笑うこともない遺体を前にして死を理解しながらそれを受け止められなかった。
子供は大人が考えるほど愚かではない。死ぬということを目前にしてそれを理解できないことはない。けれども受け止める器はどこにも揃っていないのだ。サソリはだからきっと人形なれば生き返るのだ、体に傷が多いから眠いのだ。だって怪我をしたり蠍の毒が入ったらとってもだるくて眠くなるものと自分に言い聞かせた。
その日のうちにサソリの両親の死体は安置所から無くなってしまいとんと行方がしれなかった。慌てるにも戦時中、どうにもならない。二人は血継限界もちでもなかったので他里の忍さえ侵入していない事実が取れれば誰も長く死体の紛失を追わなかった。チヨバアだけがせめて墓にと探し回ったが、それがまさか孫の秘密基地にあるとは知らなかったのだ。
数ヶ月後、チヨバアはサソリが両親の傀儡に抱き抱えられている姿を見てその精神の歪な状態に気づく。しかしそこで支援し温かく見守るほど時制は甘くなかったのだ。人手不足でチヨバアですら頻繁に戦場へ赴く間にサソリは少しずつ修正されない歪さが増していく。それが完全に里の者たちとは全く異なる方向へ歪んだ時、サソリは里を出た。
サソリは聡く観察眼も鋭いので自分が里の他の人のように真っ直ぐ育たなかったことを知っている。どこか歪んでいるのかも、ある程度は認識している。しかし実感がない認識を元に自分を叩き直すほど殊勝ではなかったし、何よりもその頃には人傀儡を作ることに熱中していた。儚い命はサソリの手にかかれば永遠の存在に生まれ変わる。サソリはもはやそれで十分だと感じた。サソリの中で生まれ固まった価値を変えることに意義を見出せなかった。
サソリはハルシャを眺め、小さくため息を吐く。別にハルシャがサソリを同じ道を辿っているのを防ごうなどと思ったわけではない。サソリは永遠についての意見こそ修正はしたものの、他の人間に優しくしようなどとはかけらも思っていない。ただ、ハルシャに人形師としての才を確かに見出したのだ。彼女ならばきっと素晴らしい人形を作るだろう。直感ではあったがハルシャは操演の面でも優秀であると感じる。だからこの子供をこのまま永遠に両親に囚われたままでいさせることが不愉快だったのだ。
「ハルシャ」
「わああああん」
大声で泣き喚く子供の口を閉じる。涙と鼻水とよだれでベトベトになった顔に触るのはシャクだったがこちらの方が話を聞くようになりそうだったのでそうした。
「ハルシャ、よく聞け。てめーをオレの弟子にしてやる。その腕で両親をもう一度生き返らせろ。今のままじゃ永遠にあれは完成しない生き返りもしない。永遠の姿を取り戻す方法をオレが教えてやる」
ハルシャはしゃくりをあげながらも泣き止んだ。鼻水は今もサソリの手の上を伝っている。
「一時間だけ時間をやろう。オレの弟子として生きるか、両親の死体と生きててめぇ自身も朽ちるか。どうしたい」
ハルシャは一瞬目を泳がせたが次の瞬間には「いく……」と小さな声で呟いた。サソリはわずかな間で答えを出したことに驚いたが、その答えに満足そうに口角を上げたのだった。
20240927