浅き夢見じ暁の
赤砂のサソリ
「すまない、君」
柔らかな口調で話しかけられサソリはふと顔を上げた。草をかき分けて足を引きずった男が近づいてきた。手足には傷、服には赤黒いものがこびりついている。血であることは明白だ。
隣の老婦人は今足を痛めている。とはいえ致命的な病ではなかったため、サソリは生前の知識を生かしながら痛み止めを作り定期的に届けていた。あいにくとこの世界の植物は生前のサソリが知るものとはまったく異なるが書籍を読めば容易に想像はつく。さらに今は生身の体もあるために自身でその効能の実践も容易だ。
サソリは小さな茂みに少しだけ隠れるようにしながら、抱えたかごを体の前に引き寄せた。小さく震えるとまるで知らない人に恐怖している子どものようだろう。
「おじさん……だれ……?」
弱々しく言葉を発する。隣の老婦人の前で不承不承と演技するのとは全く違った、目の前の相手の隙をつくための演技だった。サソリも生前は忍である。あの世界において忍は最高戦力ではあるが彼らの仕事は戦い殺すことだけではない。何かを装い、振る舞い、演技し情報を集め解析する。それらも忍にとっては重要な仕事だった。サソリとてそれらの手法のすべてを頭に叩き込んである。今は相手の情報を集めなければならない、そのために今の子供の姿は好都合だ。
弱々しく震える子供に男の口角がわずかに上がるのを感じる。今はまだ攻撃しようという意志はないようだ。怪我をしており化膿もしている。おそらくは近くで隠れる場所を探している。シャツの下には膨らみ、武器、この世界で一般人が取り扱いやすく殺傷力の高い武器は銃であることをサソリも知っている。銃であろう。弾数不明だが、服の下に隠せる程度のものだ。怪我の具合は致命傷ではない。ゆっくりとえぐり取られた痕跡がある、拷問だろう。爪の剥がれ方からもこの男は拷問から逃げ出したと推測するのが最も合理的だ。
「いてて、僕、どこかにお医者さんはいないかな。実はちょっと悪い人たちにいじめられてね」
相手はサソリを利用して町に近づくつもりだ。目の動きや全身の挙動から嘘は言っていない。医者を探しているのも本当だろう。
「お医者様……? うん僕知ってるけど……おじさん、怪我してる……おじさんもわ、悪い人……?」
か細く喉を鳴らすように声を出してかごをぎゅっと握りしめた。男はやはりわずかに笑う。一般人では気付かない程度に表情を隠しているがいいカモフラージュ相手が見つかったと思っている様子だった。
体の動きから訓練を受けているわけではないが修羅場には慣れている。そういった者たちはこの世界ではマフィアと呼ばれているゴロツキであることが多い。
(殺すか)
町から少し離れた茂み、周囲には男とサソリのみだ。サソリはかごの中の小石を手に握り込む。あいにくの武器は一つも持っていないし人形も手元にはないが一般人を殺すには小石一つで十分だろう。指で軽く弾けば、小石は弾丸よりも素早く男の額を貫通させられる。
サソリは何も知らないふりをして遺体を見つけたと報告すればいい。この男は確実に何かを町に持ち込むだろうという確信を得て、サソリが小石を手のひらから弾こうとした瞬間だった。
「おおい、サソリ! 今日夕飯を食いに来ないか!」
車が一台砂煙を上げて近づいてきたのだ。サソリは目を見開き、にこやかに答えた。
「アデルおじさん、ありがとう。でもねこのおじさんが、怪我してるみたいで」
あと一歩早く殺しておくべきだった。隣人のアデルにこの男をみられた以上、殺すタイミングは見計らわなければならないだろう。
アデルは男を見て慌てて車に乗せるとサソリも車に乗せて町へと運ぶ。
これが平穏の崩壊の始まりだった。
サソリは機を逸したのである。生前であれば不審な男への対応など即座にできただろうに、随分と平和ボケしてしまったらしい。殺すことに躊躇などないが、今のサソリはその後の隣人のことを思う余裕が生まれていた。
がたごとと揺れる車の後部座席でアデルが男に話しかけるのを聞いている。かごの中の石はまだあるが、ここで男を殺すわけにはいかないだろう。毒でもあれば怪我を理由に殺すこともできたが今はその準備もなかった。
男は親切な町の人々に迎え入れられて看護を受けている。サソリはその手伝いと称して男のそばにいたが、親切な女たちもそばにいるため殺すのも戸惑われた。いや、サソリほどの実力もあれば女たちに気づかれぬよう男を殺すことは容易く、その証拠など残るはずもない。ただ、女の一人が男に惚れている。自分に良くしてくれる女であったから悲しませるのも妙な気分だ。他人を慮る心などサソリは持ち合わせてはいなかったが、少なくとも子供の頃から良く知ってる世話人を無闇矢鱈に悲しませるほど傍若無人でもないのだ。
生前から人の心がないわけではない。子どものように両親を求めた。最後は肉親を殺すことにわずかな戸惑いもあった。カンクロウの言葉に永遠を見出した。サソリはただの無情な人殺しでも快楽殺人者でもない。存外面倒見は良く、通りすがりに無意味に人を害するのは面倒だとさえ思う程度の気持ちはあった。ただ世情、環境がそのようにサソリの全てを構築し、赤砂のサソリたらしめるのである。
平穏な世界で人を殺せば自分が面倒なことになるのは知っているし、緑と人に囲まれながら人形を作る生活も存外気に入っている。無駄な殺生でこの生活を壊したくはない。
……ただ、そのような中でも時折疼くように人を殺したくなる。より精巧な人形を作りたくなる。それは湧き上がって、理性に押し留められる感情であったが、サソリはそれに対しては否定的ではなかった。三十五年間の生の中で染み付いた感情が消えるはずもなく、また近づく人を殺すのは楽だ。無駄なことを考えなくていい。
サソリは男を観察する。丁寧にその行動の一つ一つを眺め、不審な動きをするならばそれにかこつけて殺してやろうと思う。ただ、それよりも早く事態は動いた。
夕日が大地の向こうに沈んでいく。さらさらと岩山からこぼれ落ちる砂の合間を黒黒とした車が走り抜けた。三、四、五と続く車は物々しい。
サソリは隣の老婦人と夕食の席についている。花と刺繍で囲まれた部屋は小さいながらも優しい空気に溢れ、温かなスープは平穏な世界そのものだった。サソリは老婦人の押しに弱かった。どうも婆さんの誘いは断りきれないのである。
婦人はにこやかに先日結婚式を上げてヨークシンシティに移り住んだ息子夫婦の話をしていた。この町は一時期こそ鉱脈の採掘で賑わったが今は廃れている。当時の町長が有能で、鉱山で儲かった金を水道を引くことに活用したおかげもあって、今は農業で暮らしているといっても過言ではない。なんとか食って生活もできる。だが夢のように儲かる場所ではなかった。若い人間から町を出ていき、残るのは老人ばかりの寂しい世界だ。
婦人は子どもの旅立ちが寂しいのか隣家で両親を失ったサソリを呼んでは夕食をよく誘ってくる。人形制作に集中したく断ることも容易であったが、サソリは唯々諾々と婦人に従っている。婦人の夕食の手伝いの皿を並べながら、馬鹿馬鹿しいとも悪くないとも両方の感情の合間にてふらふらと揺れていた。
窓の外からぐわわわわんと揺れるような音が聞こえてきた。サソリは窓の方に視線をやってそれが複数の車の音だろうと思った。大型のエンジン音が大地を揺らしている。
窓枠がガタガタと揺れ始め、それが収まると同時に遠くで悲鳴が聞こえる。銃声が響き渡り、窓枠は今にも壊れそうになっている。空気が激しく振動する。
「奥の部屋の机の下に伏せて」
サソリは婦人を窓の小さな部屋に押し込めると扉を閉める。
不審なあの男が来てから寂しい子どもを装って仕込みを入れた人形を持ち歩くようになった。修理も限界がある木の人形だがないよりはマシだ。こんなことになるのだったらヒルコも作っておくべきだ。まったく、平和ボケも甚だしい。
サソリは可愛らしい装飾の手鏡を鏡台から掴み取る。サソリ自身は壁の影に隠れて鏡を使い窓から外の様子を伺う。重装甲の車ではあるが、乗っている男たちは比較的軽装だ。防弾チョッキを着ているものも確かにいるのだが、大抵は銃を抱えているだけだった。黒いスーツの男たちが目立つ。マフィアか、何かの組織の連中だろう。
男たちは家に押し入り片端から殺しているらしい。男女に子どもの悲鳴が入り交じる。サソリは結局のところこの運命からは逃れられないようだ。
人形を地面に下ろし、そっと換気口から表に出す。周囲に気を張りながら指を動かせば懐かしい感覚が戻ってくる。このとき、サソリは自然と円を覚えた。
人形が窓のすぐ外で歩き出すと男たちは明らかに動揺した気配を見せる。今にも家に押し入ろうとして連中ですら、手を止めて人形に銃を向けた。
数は十三、仕込みは足りない、が。
サソリは指を素早く動かす。この人形は着地だけでも足が軋むほど貧弱な木造りである。よくしなる、人形にふさわしい素材は子どもに買えるほどではなかったのだ。盗むにしても言い訳が面倒で、関節の合間にクッションを挟みながら強度を増し、人の動きができるように調整しただけに過ぎない。
人形が地面から大きく跳ねた。大道芸のようなその動きに男たちは警戒しながらもそれをどのように理解すればいいのかわからぬ様子である。
空中で一回転する人形の腹がパカリと割れる。腹から縫い針が飛び出し、男たちの肌を傷つける。わずかな間を置いて一人が倒れた。鼻から血を垂らして口から泡を吹く。ありあわせの素材だが悪くない。ただ毒薬の調合環境も整っていなかったため、人によって効果の大小が異なり、縫い針では三人が倒れたまま動かなくなっただけだった。
男たちは怒号を上げて銃を乱射する。サソリの人形はそれよりもはるかに素早く、男たちの頭上へ跳んで、手首の中から鋭い千枚通しを抜き出した。
仕込み武器は全て家にあったものに限る。本当なら良いものを仕入れたかったがそんな時間も金もないのだ。サソリはまだ車すら運転できぬ年齢で仕込み武器を自ら調達にも動けない。
千枚通しが一人の両目を抉るとそのまま次の男へ跳躍する。そのままもう一度。人形を狙ったはずの銃弾が男を蜂の巣にした。跳ね回る殺人人形に男たちは恐慌状態に陥り、相討ちにもなりながら地面に伏していく。そのうちにまた何人かが表へ出てきて悲鳴を上げる。サソリは冷静なままそれを聞いていた。
最後の一人が倒れた時、サソリはうずくような喜びが血潮をめぐるのを感じた。心臓は今にも飛び出そうなほどに高鳴り、手足は震えてもはや立つことも難しい。久々の実戦、久々の殺し、その感覚は今も鮮明に残っている。激しい興奮が抑えようもなくサソリの体の中を駆け巡っていた。戦うことが好きかと言われるとそうでもないと思っていたが、あの戦場でのみ感じうる興奮は麻薬のようにサソリをむしばんでいたようだ。
サソリは次の獲物を探した。この騒ぎを聞きつけて別のところからも男が集まってくる。
そのうちの一人の男にサソリは目を引かれた。一人だけ動きが違う。歩き方、視線のやり方、銃の持ち方どれをとっても今までのごろつきとはまったく違うことが目に取れた。
男は血を吐いて倒れた男たちのあふれる石畳をゆっくりとこちらの家に向かってくる。上下ともに黒で揃えた黒髪の男。鏡越しにサソリの視線をはっきりと捉えている。
男はおもむろに銃を手にして人形に向ける。人形はすでに度重なる動きに耐えられず関節が壊れていた。サソリは跳躍の姿勢を人形に取らせるが、人形は膝から崩れ落ち姿勢を崩したところで銃弾に撃ち抜かれてしまう。
「てめぇら、他のとこいけ」
男の声が聞こえた。
「あの家にいるやつは俺がやる」
男はサソリが家にいることを知っている。なぜ?一般にチャクラの流れを見るには特殊な血継限界が必要になるはずだ。男の目はサソリの知るどの血継限界の瞳術とも異なる。あの男の視線を追うにサソリのチャクラ糸を看破したはずだが……しかしそれについて深く考える余裕はない。
男は鏡の範囲から消えて、白塗りの壁の小さな家の扉に手をかける。かちゃり、と鍵のかかった扉が音を立てたが次の瞬間に内側に吹っ飛んだ。可愛らしい緑の木の扉は今や無残な残骸となっている。サソリは窓のそばで鏡を片手にしたままじっとそれを見ていた。
「ガキじゃねぇか。随分な腕だな」
「……」
「なんか言ったらどうだ? その人形遊びは誰に教わった?」
「……砂隠れ、チヨ」
「寝るまで覚えててやるよ」
男が銃口をサソリに向ける。それよりもサソリの鏡が光を反射させて男の目を貫く方が早かった。痛みはないが視界がブレる。
「ッ! このクソガキがァ!」
「てめぇよりは年上だ」
サソリはブレた銃口が銃弾をぶっ放すよりも速く跳躍していた。壁を蹴って男の真上に到達する。
あいにくとこの世界のサソリは忍として訓練を受けていない。肉体は柔い子どものそれそのものでとてもじゃないが肉弾戦に向いていない。しかしそれは承知の上だ。自分を操って戦うのは十五で己の肉体をすべて傀儡にしたときから経験がある。生身のときでも腱が切れてなお強制的に自らを操ったこともあった。
男は瞬時に立ち直りサソリに銃口を向け直すが、サソリのチャクラ糸はすでに男の指に張り付いている。生身で抵抗の意思ある人間の操作はほとんどできない。しかし油断してる人間の動作を軽く歪ませることは可能だ。
指は引き金から外れ、男は一瞬驚いた顔をする。サソリの手に持ったせんまいどおしは間違えることなく男の急所を貫く予定だった。動きは悪くない、が、忍としての訓練を受けたサソリにとっては敵にもならない相手だった。
サソリは両足を男の肩に乗せ、眼窩より脳を貫く直前にピタリと手を止める。
「おい」
子どもの高い声から、老成した男の口調が吐き出された。
「てめぇの雇い主に伝えろ。この殺戮がどのようになされたかその詳細を伝え、復讐するならばオレにするがいい」
男は震えたまま動くことができない。
「オレの名は赤砂のサソリ。殺したければいくらでも人を差し向けるがいい。すべて返り討ちにしてやろう、ただしここの連中には手を出すな。そのときはオレがてめぇらを殺しにいく」
サソリはぱっと男の肩を蹴って宙に翻ると床に着地する。背の低い子どもだがその目つきは七つの子どもが他者へ向けるものでは到底ない。一城一国を落とした歴戦の忍のものである。
赤い髪、茶色の瞳は冷たく男を睨みつける。男の手には銃があり、まだ使える状態だった。可愛らしい調度品は壊れみるも無残な亡骸と化し、外も血に塗れた石畳が続く。緊張した空気の中で男はそれ以上抵抗する気力を失ったのか、震える足を叱咤して壊れた扉から外へ飛び出していく。やがて車が一台エンジンを吹かす音と男たちの困惑した声の中、町は静かになった。
「婆さん、出てきていい」
サソリは隣の部屋にこもっていた婦人に声を掛ける。
「サソリちゃん……」
「婆さん、あいにくだがオレはあんたの思うサソリちゃんなんて可愛い子供じゃねえ。オレは今日でここを出ていく。もし連中がやってきてオレの情報を求めたら全て差し出せ。写真なんかも隠すなよ、隠したところでいいことはねぇ」
「だめよ、サソリちゃん」
「構わねえ、もともとお尋ね者だ」
サソリはふん、と鼻で笑った。
「じゃあな婆さん、オレは二度とここには顔を出さねぇよ。達者でな」
サソリは尾を引くような感情もなく、家を出る。特別に痕跡を消すことはしなかった。むしろ連中が追手をかけるならば関連する情報があったほうが町人に尋ねるような余計な手間を負わずに済む。万が一そのようなことになれば、そのときはまとめて潰してやろう。
家を出ようとしたとき、玄関に飾られた両親に囲まれている自分の写真がふと目に入った。隣の老婦人が毎日のように水をやりにくるおかげで、母が大切にしていた花は大輪の花をつけている。父が木を組み合わせて作った写真立ての中で、サソリは生前では得られなかった両親からの愛を受けていることを感じた。
サソリは写真立てと植木鉢、それから最低限の荷物のみを持って外へ出る。写真立てと植木鉢は婦人の壊れた扉の前に置いた。
それから一人の男に会いに行く。この町へやってきた全ての元凶たる男は全身が蜂の巣になってさしたる形も残っていなかった。
サソリは男の荷物をいくつか漁ったが、男の身元を特定できるほどの何かは残っていない。しかし男の体には入れ墨の欠片があり、かろうじて残っていた部分を読み出し、記憶する。明らかに所属を表す印だった。
それきりサソリは振り返ることなく町を出た。
郷愁はとうの昔に捨てた。賞金を懸けられた首を晒して行きていくことにも慣れている。
この世界でただ一つの無念は、暁のようなはぐれものの集団が存在しないことだ。暁に所属した時間を思い起こしながら、悪くはなかったとサソリは思った。
さて、これからどこへ行くか。特別なあてはない。
20240918