召喚 3

「思想鍵紋だって!?」

 全ての陣を見下ろせる、壁からせり出した高台の上にいるのは所長であるマリスビリーとロマニだけだった。この疑似聖杯戦争は、カルデア職員の中でもごくごく限られた人員にしか伝えられていない。マリスビリーが選出したカルデアでもっとも優秀なマスターに成り得る職員と、あと数名、そして秋穂だけである。ロマニに関しては当初伝えられる予定はなかったが、秋穂がカルデアにやってきた一年前の時点でで、ロマニはマリスビリーが秋穂を使って疑似聖杯戦争を執り行うことを予測していた。それ故に、時期を見計らって自分を見届け人にしろ、とマリスビリーに迫ったのである。本当ならこんな聖杯戦争は反対だったが、カルデアでは所長がすべてであり、そして秋穂はカルデアを頼った。その時点で全てが決定しておりロマニに口をはさむ隙はなかったのである。だからせめてその事実を最後まで見つめようとしたのだった。
 青年が高らかに発した言葉にロマニは思わず高台の上から叫んだ。西洋を中心として発達した西洋魔術と、東の大陸、つまり中国を中心に発達した思想魔術は相いれないものであった。思想鍵紋とは、思想魔術における特権領域への接続の文字通り鍵である。。マリスビリーもまたすでに察しているだろう。この聖杯戦争で呼び出されたライダーはどのような運命にあったのか、今まさに神仙級の魔術を行使しようとしているらしい。それも、今にも死にかけの少女のために。

「思想鍵紋、励起。崑崙山は元始天尊に奉る。魚尾金冠、鶴?を纏い、乾と坤を双つに結ぶ!」

 青年の口から朗々と語られる言葉は、彼が中国の、しかも神代の生まれであることを想起させた。

「仙風道骨、神清にして! 極楽神仙、陣に臨む! 我が諸手、雌雄の宝剣に相違なし! 地理天文を包含し、我が裡には八卦あり! すなわち我が身は神仙臨陣に似たり!」

 英霊召喚とはまた別の風が青年を中心に動き始めた。高く高く作られたこの地下空洞の天井からひらひらと光の花弁が舞い落ちる。それは魔力の結晶そのものであった。結晶はくるりくるりと舞遊び、この地下空洞全体に魔力が満ちていく。その様はひどく美しい。天上から降り注ぐ光の中で、青年は詠う。

「我、地上に於いては玉虚の体現者! 我、地上に於いては封神の実行者!」

 誰もがこのこの言葉で、ただ一人の人物を想像しただろう。かつての中国、殷の時代の終わり、妲己と呼ばれる妖狐を封神するために、文王・武王と共に周を興したその立役者。多くの人はその名を「太公望」として知る。

「__今ここに全ての言霊より出でし、数多の英霊に告ぐ__我が名の下に汝の願いを此処に封殺し、この意、この理に従うならば応えよ! 抑止の輪へと還れ、天秤の守り手よ__!」

 それは英霊召喚の詠唱を取り込み同時に全てを封殺するもう一つの詠唱であった。太公望が唱えれば、今まさに現界しようとしていた英霊は、光の粒となって宙に掻き消えた。召喚陣は力を失ったかのように急速に光が減衰し、渦巻く風はすべてを飲み込み中心となる太公望へと収束して消えていった。

「まさか……あそこまで進んでいた召喚を無理やり止めたのか!? そんなのめちゃくちゃだ!」

 ロマニは驚きを隠せずにいた。マリスビリーは「なるほど」と呟く。
 打ち出の小槌の魔力はすでにこの空間に満ちて、サーヴァントの召喚を九割方完遂していた。それを阻止した、ということは、自分を除く六騎のサーヴァントを一度に滅した、と言ってもいいかもしれない。勿論完全顕現していないサーヴァントであるので、あちらからは何もできないという事実があるとしても、それはとてつもないことであった。打ち出の小槌の魔力は行き場を失った。
 全てのサーヴァントが顕現することなく焼失したのを確認すると太公望は「ふぅ」と大きくため息をつく。そして太公望は再び秋穂の前にしゃがみ込むと「マスター」と詠唱とは打って変わった優しい声で語り掛ける。

「我が命運は汝の下に、そして我が剣は汝の剣である__マスター。僕はここに誓います。僕が存在する限りあなたを守ると。たとえそれが何であろうと、僕はあなたの剣となり盾となりあなたから脅威を退けましょう。そのために一つ、お願いがあります」

 秋穂はただぼんやりと太公望の言葉を聞いているようだった。

「令呪を一画、僕にください。勢いで英霊召喚を止めましたが、さすがに僕でも厳しいものがありました。大仙術の行使により僕の霊基は今にも砕け散りそうで、このままでは座に還るでしょう。その前に、マスターの令呪でもって僕の霊基を治してほしい。座に還ってしまっては、守るものも守れませんから」

 ね、と優しく笑いかける青年を秋穂の両目が追った。

 * * *

 赤く染まった世界はどうにも見にくかった。痛みはいまだにあったが、感覚が麻痺したのかそれとも脳が麻痺したのか、もうほとんど何も感じない。
 天上より降り注ぐ光の中に立つ青年を秋穂はただ美しいと思い、最後にそれを見れたことを嬉しく感じる。ああ、もうすべてを終わりにしよう。そう願うほどの痛みの中で、青年の言葉がぼんやりと秋穂の耳に届く。耳もほとんど機能していないに等しかったが、それでも聞こえた。青年は確かに秋穂を守るのだと、約束してくれた。
 自分が生きている意味はわからない。でもその言葉に秋穂は初めて死にたくないと思ったのだ。こんな美しい世界があるのならば、まだ目にしていたい。世界が秋穂を見捨てないのならば、もう少しだけ生きてみたい。
 秋穂は手を動かす。いや実際は頭の中で動かしただけであった。腕はもうピクリとも動かなかった。秋穂の全身は石のように重く、体の上には何かが乗っているようだった。唇も舌もまたひどく重たく、動かなかった。それでも突然目の前に生まれた希望にすがるように、秋穂は言葉を口にする。

「れい、じゅをも、ってめいずる__あな、た、のれいきが、なおり、ます、よう、に」

 ゆっくりと、はっきりと自分の意思を言葉に乗せた。何を言っていいのかなど秋穂にはよくわからなかったし、この言葉が正解なのかもわからなかったが、令呪は確かに命令を聞き届けた。
 服の端から消失が始まっていた、青年を纏う光の粒がすっと地面に落ちていく。そして秋穂の目の前で、青年は確かに実体を持ったかのように、その形の重みを増した。

「……素晴らしいですね。さすがサーヴァントに対する絶対命令権といったところでしょうか。ここまで完全に治るとは思ってもいませんでした」

 青年は少し驚いたように、そして同時に少しほっとしたように言葉を続ける。

「でもよかった。これであなたとの約束が守れる。今なら万全な状態であなたを守ることができるでしょう。さて__」

 秋穂に向けられた言葉はそこまでだった。青年はスッ、と立ち上がると、手に持った鞭をまっすぐにマリスビリーへと向ける。

「あなたが、この疑似聖杯戦争の首謀者といったところでしょうか。召喚の陣も、召喚も、そしてシステムも見事なものでした。僕にも願いがありました。それは確かです。ですが、今この場で、死にゆくマスターを見捨てることもできなかった。僕は結構甘い人間です。そんなわけで、横入ですが、召喚は全て破棄させてもらいました。そして僕の願いも今ここに封じます」

 マリスビリーはただ沈黙する。

「僕はマスターに誓いました。ですので、今後どのような形であれ、マスターを犠牲にするような聖杯戦争をもう一度おこそうというのならば__」

 青年はそこで一度言葉を切る。

「僕はまた全力全霊でそれを止めましょう。僕がいる限りそう簡単にいくとは思わないことです。僕の名は太公望、かつて殷王朝を惑わせた妖狐妲己と戦った道士。此度はライダーとしての霊基で現界しましたが、それでも十分でしょう。僕はなかなかやりますよ」

 秋穂が聞き届けたのはそこまでであった。じわじわと視界の端が黒ずんでいき、気づけば秋穂の意識は完全に闇の中にいた。しばらくの間闇の中でもがいていたような気もするが、それも一瞬のことで、それきり秋穂は意識は消失した。

20220207 サイト掲載