逆に恐ろしいほどに静かな金鰲島の内部でじりりりりんとけたたましく鳴った呼び鈴は、疲労した太公望たちの頭によくよく染み渡った。これ以上がんがんと騒がしくされてはたまらないとばかりに慌てて太公望が受話器をとると、受話器越しに聞こえてきたのは元始天尊であった。
はっきりと頭が巡らないままに太公望は「今は他の者と合流を」と簡潔に答えようとするが、元始天尊が連絡をしてきたのには全く異なるわけがあった。
「楊ゼンがいなくなったのじゃ!」
その言葉に太公望は目を見開く。
「望ちゃん?」
電話越しに言葉は届いてないだろう。だが太公望の反応で何かがあったのだと察した普賢は、受話器を置いたまま沈黙する太公望の背に問いかけた。
「普賢! 白琥! 楊ゼンが王天君のところへ向かっているらしい! わしらも行くぞ!」
太公望の言葉には普段にはない焦りがいくぶん見え隠れしている様子だった。その焦りがただ単純に崑崙側が落とされかかっているという存亡の危機に由来しているものではないことは明らかだった。それは、おそらく__
「……望ちゃん、こんな時に楊ゼン一人のためにどたばたしてていいの?」
「!」
普賢の言葉は明瞭であった。控えめな性格であることは確かだが、太公望や白琥に対しては同期ということもあって、遠慮がない。それは崑崙十二仙としての立場からの言葉ではなく太公望の友としての言葉であろう。
普賢の言葉に太公望は一瞬、言葉に詰まる。普段ならすらすらと出てくる言い訳もごまかしも普賢相手には意味がないとわかっているからか、そもそも王天君のダニに寄生されている今そこまで頭が回らないのか、太公望は答えなかった。
「崑崙山のエネルギーがからっぽな今、この黄巾力士は僕たち地震の力を使って動かしているけど、もう崑崙へ帰る分くらいしか力が残ってないんだよ」
「じゃあこのまま楊ゼンを放っておけと?」
太公望の言葉はまっすぐだった。もしこれが、雷震子やナタクや他の誰であってもきっと同じように返しただろう。
太公望の焦りは出来ることならば誰一人として死んでほしくないという気持ちから生まれるものだ。それが恐ろしいほどまでに難しいことであることも頭で理解しながら、それでもなおこれ以上の犠牲を出したくない。本音を言うならば金鰲島側の仙道にだって犠牲を出したくはないのだ。戦う必要がないのならば十天君とも聞仲とも戦わない__それは太公望の「恐れ」ではなく「願い」である。だからこそ太公望はこの仙界大戦が始まる前には通天教主と和解を臨んだのだ。
それが今、裏目に出ようとしている。思考は滞り、吹き溜まりに固まった落ち葉のようにからからと「誰一人死んでほしくない」という願望ばかりが空回りしてしまっている。
普賢はふいっと顔を逸らしてそれからはっきりと太公望に告げた。
「楊ゼンが捕らえられた辺りから望ちゃんはおかしくなってる。失敗ばかりしてるようにみえる」
太公望にもその自覚はあったのだろう。ぐっと手を握り締めたまま普賢を見つめていた。何も言わなかった。
「望ちゃんの気持ちは分かるよ。この戦いが始まる前には通天教主のところに言って和解を申し入れようとしたんだって聞いたときから、なんとか誰も殺さずに勝ちたい……とそう思ってるんでしょう」
でも、と普賢は続ける。普賢の言葉は痛快に太公望の滞った思考の上に響いていく。
「虚栄心も大切だけど今の望ちゃんにそれは不要でしょ?今は……僕たちを犠牲にしてもこの戦争を終結に導く。それが求められていることさ」
長年連れ添った友の言葉は他の誰よりもはっきりと太公望に響いたであろう。普賢とて何も考えていないわけではないのだ。太公望と長い時間を共有したからこそ、太公望が望むことも、その望みがあまりにも困難で手が届かない場所にあるとわかってなお手を伸ばしていることもはっきりとわかっている。それ故の言葉ははっきりと太公望の中に新たな風を吹き込んだのであった。
とはいえふふ、とよどんだ思考ごと何かを吐き出すように笑い出した太公望の変貌は普賢にも幾分予想不可能な部分があって、突如笑い始めた太公望に一瞬普賢は何かやってしまったかと思わずかける言葉を見失ったが、太公望は突如笑い出したように、突如表情を切り替えて「良くぞ言ってくれた!」と叫んだのであった。
「こんなところでちまちま十天君と戦ってもどうしようもない!」
「?」
「太公望?」
さすがの変貌に白琥も顔を上げざる得ない。聞仲と通天教主の周りに十絶陣を引き守護に撤する十天君を倒してから、通天教主そして聞仲を倒すというのが当初の案ではなかったか、それ自体は決して間違ってはいないように思うが、と白琥が言うよりも早く太公望は「聞仲を叩くぞ!」と言い切ったのである。
これにはさすがの普賢も白琥も驚かずには入られない。
「ぶ、聞仲を? それはちょっと突飛すぎない?」
「いや! 今こそがチャンスやもしれん、普賢おぬしも気づいておろう。この金鰲島はどこかに向かって動いておる」
「ええ?だって普賢が崑崙山と金鰲島で戦う場所を決めたんでしょ?その上で、動くって」
白琥の疑問はもっともなものであった。わざわざ力を使ってまで金鰲島を動かす理由が白琥にも普賢にもわからない。しかし太極符印は確かに金鰲島がずっ西の方へと向かって動いていることを普賢は確かに確認していた。
「つまり、聞仲の目的は崑崙山そのものではなかったってこと?」
「おそらくのう。わしにも何の目的があって動いているのかはわからん。だが一切方向を変えぬところを見るに聞仲の本来の狙いは崑崙山をも超えた先にある何かと言っても間違いないじゃろう、つまり」
太公望はいつもの口調に戻ってすらすらと言葉を吐き出していく。切り替えた思考はいつの間にか迷路を抜け出したようだった。
「つまり聞仲はわしらを十天君に任せて「何か」をしておるのだ。わしにもそれが何かはわからん。だがわしらに目が向いておらぬことは確かじゃろう」
「そのスキを狙って叩くというの?」
「ふふふ、頭のかせが外れたようにさえてきたわ!この金鰲島をめちゃくちゃにして奥で余裕をこいてる聞仲を引っ張り出してくれよう! 普賢! 金鰲島の動力炉の位置は割り出せそうか?」
「うん、ずっと星の軌道を計算しているから、かなり不規則な動きになっているけど予測値点は絞られてるよ」
「動力炉ほど大きなエネルギーを持っていれば太極符印に一発でひっかかりそうなものだけど」
ふと思いついたように言った白琥の言葉に普賢は首を横に振った。
「おそらく金鰲島のそれぞれの星にも特殊な亜空間が存在するんじゃないから。あくまで推測の範囲を出ないけれども。そこに存在するものに対し、全く同じ位置に違う空間が繋がっている」
「? つまり?」
「簡単に言えば十天君が作るような亜空間がこの金鰲島内の星全てにあるってことだよ。動力炉もそこにみえるようでいて実は亜空間の中に閉じ込められている。それなら太極符印が動力炉やおそらく星の中に隠れているだろう金鰲島の仙道を探知できない理由がわかる」
「でも袁天君のときは空間にひずみがあるって言ってたわよね」
「そう、あの時はあそこに特殊な空間が追加されていたといってもいい。でも星や動力炉を隠す亜空間は現実のものに一枚膜を張ったようなものなんじゃないかな。十天君が使うような高度な宝貝じゃない。もっとシンプルなものなんだ。それでもレーダーにひっかからないようにするには十分なほど、むしろそういう方向に特化した宝貝なのかも」
「うむ! その辺りの考察は普賢に任せるとしてわしらはまっすぐに動力炉に向かうのだ!」
太公望はあっさりとそういってのけると普賢の太極符印を見ながら黄巾力士の方向をすいと変えるのだった。
「まさか、望ちゃん……金鰲島を崑崙山ごと落とそうというの!?」
「その通り! こんなものいらぬいらーぬ!」
太公望が物欲に乏しいのは昔からであったが、まさか故郷ともいえよう存在を落とすと誰が予想できただろうか。とはいえ崑崙山はすでに完全に金鰲島にめりこんでおり、これを帰る場所といっていいのかは怪しいところである。太公望は両方とも落としてしまえー!とあっさり言い切るとそのまま言葉を続けていく。
「よいか! まず金鰲島の動力炉を落とす! そうすると中に浮いている星が落ちて道士が死にまくり、王天君も巻き込まれて死ぬ!」
「そうかなぁ?」
やや疑問は残るところだが、今の太公望にとってはそれは些事であるようだった。
「最終的には金鰲島自体が落ち聞仲はめちゃくちゃに怒る! そこをわしら全員でフクロにするのだ!」
なんという完璧な作戦!と笑う太公望に対し普賢は今直面しているもっとも大きな課題を口にした。
「でも僕たちにはもう動力炉を壊す力すら残ってないよ望ちゃん」
「ほれ、コレを食え!」
そういいながら太公望が懐から取り出したのは最高級の仙桃であった。
「他の十二仙は四不象に任せておけばよい、わしらは直接聞仲のところに向かい、聞仲を一時的にひきつけて置けばすぐにでも残りの十二仙がやってきてくれるであろう! ゆくぞ普賢! 白琥! ここからが本当の戦いじゃ」
普賢はいつの間にかいつもの調子を取り戻した太公望を見てくすりと笑いながら、渡された仙桃を三つに綺麗に割った。その一つを太公望に、一つを白琥に渡して食べると全快とまではいかないが幾分動くのも楽になってくる。ずっと寝ていた白琥もようやっと体を起こすと、芭蕉扇を手に取った。
太公望はまっすぐに黄巾力士の飛ぶ先を見つめている。その少し後ろで普賢がそんな太公望をじっと見つめていることに気づいたのは白琥だけだ。
「ねぇ、普賢」
「……うん。大丈夫わかってるよ、僕たちがやらないといけないことは」
「あなたがそう決めたのならいいわ、でも私を置いていくなんてことだけはもう言わないで」
「うん、もう言わないよ」
「なんじゃ普賢に白琥よ、またわしのいないところでひそひそ話か?」
にぃ、と笑った太公望に普賢は曖昧な笑みを返すだけだった。
2018.10.13