ある晩のこと、野営をしていた太公望がふと目を覚ますと月の光の中に、羽の生えた人間の姿を見た……というのが本人の談であったのだが、当然のことであるがそのような戯言を四不象が信じるわけもなく、不毛なやり取りを続けながら二人はコウモリ人間を見たという野営場に程近い町へとやってくるのだった。
その町は活気はあるもののどこか乾いた町であった。そんな町中を歩いていると人ごみができており、それはなんだと近づけば奇妙な書置きが真っ白な壁に残されていたのだった。
「空の兄弟?」
はて、なんのことやらと太公望が首をかしげていると、その呟きを聞きとめた町の人間が「仙人様はご存じないのですか?」と声をかけてくる。
「わしはまだ道士だぞ」
律儀に太公望は声をかけてきた女の言葉を正すが、女はさほど気にした様子ではなかった。
仙人とは修行を終え道を修めたもののことを指し、まだ修行中のものは道士と名乗る。さらに言えば仙人は徒弟制度をとっているために仙人と名乗るときには必ず弟子がその下につくものだ。太公望は未だ道士であり初めのうちは封神の書に書かれた365人の神界行きのものを倒す……という名目で人間界へ修行へきていたのだが、その話はやがてこじれにこじれ何れは全く意味が異なるものになる。だがその話はひとまずおいておこう。
ともかく太公望は仙人ではなく道士であるということが重要であった。とはいえ人間界のものにとって仙人界のそういった細かな区別というものはさほど重要視されない傾向にある。よって太公望に話しかけた女人が太公望のことを道士と呼ぶことは今後もないだろう。
殷の時代、人間界と仙人界は比較的近しいものであったが、人間界のものたちにとって修行を詰むものたちは皆等しく尊きものであったのだ。
さて、それはともかくとして、空の兄弟について女人は話を続けていく。
「空の兄弟は盗賊集団なんですよ__とはいっても欲張りな金持ちだけを狙う義賊なんですけどね」
「ほう義賊とな」
「ええ!その頭が雷震子というのですが、それがまた奇妙な奴でして、赤黒い肌に黒い翼を持つ化け物のような奴なんです。ですがか弱き民草には決して手を出さず、今のように金持ちやずるい連中から奪ったものを分け与えてくれるのです!だから今回もこの屋敷を襲って奪ったものを私たちに分け与えてくれるでしょう!」
「コウモリ人間!?」
「ほれ見たことか、わしの目は確かであっただろう」
太公望は四不象を小突くが、女人はきらきらとした目でそのような話をするのだった。太公望はそんな女人の話を聞きながらはてと首をかしげ一つ尋ねる。
「ふむ、その分け与えるというのは金のことか?」
「うーん……そうですね。お金のことが多いですが、今回は水じゃないでしょうか?」
「水?」
聞き返した太公望に答えたのは別の男であった。彼もこの書置きを見て興奮している町の者の一人で畑を所有している男だった。
「今年は水不足なんです。見てください仙人様、この町じゃどの畑もこの有様で」
「私は道士だと言っておろうに。ふむしかしこれでは確かに作物が死んでしまうのう」
「飲み水はなんとかかんとか確保はできたものの、農業用水が不足していてこのままじゃ俺たちは食いっぱぐれちまう」
「そうさこのままじゃ作物は全部枯れる、でもあの屋敷にはまだたくさん水があるんだ」
さらに口を挟んだのは別の男だった。
「それにつけ込んでこの屋敷の主の李伸は農家に水を高値で売ってるんですよ!」
怒り心頭の農家たちは雷震子の名を呼び彼らの来訪を歓迎する。
なるほどそういうことかと太公望は納得したときであった。ふと誰かが空を指して「白虎だ!」と叫んだのである。白虎(びゃっこ)とは四神・四獣に数えられる霊獣の一種である。この殷の時代、こういった霊獣は仙人との関係も深く、四不象のように道士らと行動を共にすることも多い。四神・四獣には白虎の他に青龍・朱雀・玄武もおりそれぞれ異なる方角を司ることから、長い長い眠りにつき人間界や仙人界にも現れないことも多い。それゆえにありがたがられもするわけだが、今回に限って言えばそういった事情、それにくわえて単純に白い虎というものは珍しいということもあって人の目を引いたのだ。
この時代仙人や道士との世界がそう遠く離れているわけでないため、空を飛ぶと言うこと自体はさほど珍しくはないのだ。むしろその容姿や覇気にひきつけられることの方が多いだろう。
「びゃっこ?」
珍しい名を聞いたと太公望も首を上げる。
「ごごごごしゅじんご主人!本当に白虎ですよ!!あわわわ」
白虎が現れるとはこれはまた何が起こるのかと慌てる人並み、今にもひっくり返りそうな四不象であったが、太公望はその白い虎とその背に騎乗する男が馴染みの姿であることに目を丸くしたのだった。
「ちょっとタイミングが悪かったかな」
白い虎は芭蕉の葉のような扇をくわえ、堂々たる姿で宙に浮かんでいる。その背に乗るのは青い髪の男性であった。彼は穏やかに笑むと太公望に向かって声をかけ、そのまま西の方を指差す。白い虎はそれが太公望に伝わったと思うや否や宙を蹴ってあっという間に西の山岳へとその姿を消してしまったのだった。白琥に乗る仙人をありがたがる人々の中、太公望はスープーをたたき起こすとスープーに乗って白琥の姿を追う。
「なななご主人知り合いっすか!?」
「うむ、あれは普賢と白琥じゃ、白い虎ではあるが伝説の四獣とは異なるゆえ……というかスープーよ、おぬしも一応霊獣なのではないか?」
「はっ!」
「はっ!ではないわ」
太公望は再びスープーの頭を叩くとため息を吐いてから「あの二人を追ってくれ」とスープーに頼むのであった。自身もまた霊獣であることを思い出したスープーは颯爽と空をかけ、西の山岳へと向かうのであった。
太公望とスープーが西の山岳を追うと、か弱いながらも川が流れ、それを辿ると滝にたどり着く。とはいえ普段は勢いよく水が溢れるであろう滝つぼは、大きくくぼみその中央にちょろちょろと水が流れるばかり。あの町の者たちが言うように水不足はどうやら深刻な問題であるようだった。
そんな滝つぼの側に一人と一匹、天使のような輪っかを頭に乗せた青い髪の男としなやかな胴体を持つ白い虎がたたずんでいる。
「ごめんね望ちゃん、忙しかったかな」
「いやはや驚いたぞ普賢に白琥よ。して崑崙十二仙に名を連ねるおぬしが人間界にやってきたのは一体何事か」
「こここ崑崙十二仙!?あわわじゃあご主人あの白い虎はやっぱり霊獣の白琥なんすか!?」
「落ち着けスープー、あの白い虎は霊獣ではない白琥という名の仙人じゃ」
「仙人!?」
「あら私まだ仙人になった覚えはないわ」
ツンと尖った声が聞こえて、改めて白い虎がいたところを見るとそこには先ほどの白い体毛赤い目の虎はおらず、代わりに赤い衣を纏った女が一人立っていた。背に負うは、先ほど白い虎がくわえていた芭蕉の葉のような大きな扇、髪の毛は二つのお団子がちょうど虎の耳のように上の方で結ばれていた。目つきが鋭く威圧する雰囲気を除けば美人であるといっても差し支えなかろう女人であった。
「私は確かに妖ゲツではなくなりましたけれども……あら妖精の場合はもう仙人を名乗ってよかったのかしら」
「うん、そうだね。白琥は僕たちとは出自が違うから、徒弟制度に縛られなくてもよかったと思うよ」
「じゃあ仙人ですわ」
「よよよ妖怪仙人!?」
「落ち着けスープー、おぬし先ほどから面白い顔しかしておらんぞ」
太公望の言葉にあわあわと手に持った玉を振り回していたスープーは時々自身の出自を忘れているのではないかと思うときもあるが、それはさておき。普賢と白琥はそんな姿を見てくすくすと笑う。太公望はそんな二人に気負うことなく話しかけるため、スープーシャンもひとまずは落ち着き、改めて四名は顔を合わせる。
「久しぶりだね望ちゃん、そして四不象とは始めましてかな。僕は崑崙十二仙九宮山白鶴洞が主・普賢真人。そしてこっちは」
「白琥と申します。普賢の弟子ですわ。そして太公望とは同期という扱いになるのかしら。私のほうが十数年ほど早くいたので兄弟弟子になるのかしら」
「そう、僕も望ちゃんとは同期なんだ、よろしくね四不象」
普賢は柔らかに微笑む。所作も含めてどこまでも穏やかな人であった。しゃべり口調も威圧する雰囲気もない。太乙真人が初手でナタクを捕らえたような存在感があるわけでもない。ただそこに立つだけで自然体な、私たちが想像する仙人というものはこういった人物を指すのかもしれなかった。
太公望のことを望ちゃんと呼ぶ普賢は適当な石の上に腰をかけると、四不象や太公望を手招きする。太公望はそれが当然の流れであるかのように普賢の隣に座り、白琥はひょいっと軽く飛ぶと二人よりも少しばかり高い岩の上に腰をかけるのだった。スープーも太公望の隣で白琥を見たり普賢を見たりと忙しいが、妖怪仙人である白琥が目つきは鋭いものの、非常に穏やかな態度であることから落ち着きを取り戻したらしかった。
確かに、一番最初に出会った妖怪千人はダッキの手下であり、その性格も非常に荒々しい。またダッキその人も妖怪仙人であることから、どうしても出自が人ではない存在というものに緊張しがちになるのは当然ともいえよう。
だが元々喬族出身の太公望は元々虐げられる側にあったせいか、妖精や妖ゲツに対して特に意識して何かを考えることはないのであった。ダッキを相手にしても、彼女が悪さをしないのであれば憎悪も何も感じることはないだろう。ただダッキはあまりに多くの人間を虐げた、人間の世界を荒らした。それが太公望には許せぬのであり、ダッキが妖怪千人であることはさして重要なことではないのである。
「しかし久しいのう。普賢が十二仙になってからはほとんど会う暇もなかったからな」
太公望は懐から常に隠し持っている桃を取り出すと普賢と白琥に投げ渡して話を始める。その口調はどこか穏やかだ。むしゃむしゃと手元の草を食みながら四不象はそんなことを思う。
「そうだね、僕も弟子をとってからは忙しかったから」
「白琥も久しぶりではないか?」
「ううーんそうね、私からすると数十年はあっという間すぎるからあまり実感がないのだけれど」
もう千年は生きているわけだし、と白琥は言葉を続ける。
妖怪仙人と言うのはある種の蔑称であった。全ての存在が仙人になる可能性を持っている、だが人と人以外の存在では仙人になる過程が多少異なってくるのである。まず人が仙人になるためには仙人骨という特殊な身体的特徴を持つか、仙人と仙人の間に生まれた子供でなければなることができない。全ての存在が仙人になる可能性を秘めていることと、仙人になることができるのは別の問題なのだ。仙人骨を持つ人間は、年齢を問うことなく仙人によって仙人界への道を開かれることになる。まさに導かれるとはこのことであろう。普賢も太公望も同じように仙人骨を持つ故、元始天尊によってスカウトされたわけだ。
だが白琥の場合は少し異なる。白琥は今でこそ人の姿を取っているが、本性は真っ白な虎である。元々何らかの素質があったのであろう。千年という長い時を生き、月の光を浴びたことで魔性を帯び、「妖精」となる。これが人に変化できるようになって「妖ゲツ」に格上げされ、さらに常に人型でいられるようになることで「仙人」として認められるようになるのだ。本来ならば修行を終え、弟子をとることで洞府を開き仙人と呼ばれるようになるのだが、崑崙山では白琥のような場合は弟子をとらずとも仙人と呼んでよいことになっていた。このほかにも崑崙山には出自が人ではない道士が何名かいるのだが、それはまた別の話とすることにしよう。
桃を食べながら太公望はここしばらくのことを話していたのだが、ふいに普賢と白琥に尋ねる。
「しかしおぬしら本当に何をしにきたんじゃ」
「望ちゃんは今、原始天孫様の命で封神計画のお手伝いをしているだよね。……いずれ僕の弟子たちも望ちゃんのところへ向かわせることになるだろうし、そうなったときにはきっと話をする間もないだろうから、忙しくなる前に話をしにいきたいなって白琥と話をしていたんだ」
「ええ、私も普賢の一番弟子として貴方を手伝うでしょうし」
「なんだ、おぬし、普賢の弟子になったのか?仙人なのだからもう弟子になる必要もないじゃろう」
白琥と名乗る白髪の女は、大きな芭蕉の葉のような扇の柄で座っている石をコツンと叩いて妖怪仙人に弟子入りしたいなんて思う人は少ないのよ、と少し膨れたように言うのだった。
白琥は千年月の光を浴び、人の姿をとれるようになった元は妖であった。人の姿を常に取れるようになったらすでに仙人と名乗っても良いのだが、白琥はそれを拒んだのだ。自らの変化はあくまで術であるとしたい白琥の願いでもあった。弟子を取れば必然、自分の素性も明かすことになる。未だ妖怪仙人を残酷で恐ろしいというものもいるが、きっと真実を知ればソレは違うとわかるだろうに、というのが白琥を昔から知っている太公望や普賢の言でもあった。それゆえに太公望は白鶴童子とも仲がよいのだ。
「別にいいのよ、私は弟子をとるつもりはないし、弟子になりたい人もいないでしょう。かといって一人で仙人を名乗っていたら誰かが私のことを妖怪仙人と呼ぶから嫌」
「相変わらず卑屈な……今の崑崙山にも出自が人でない仙人はそれなりの数おるだろうに」
まぁ、それはそうだけど、と白琥はふいと目をそらす。それからふと思い出したように太公望に言ったのだった。
「ああそれと私、普賢と結婚したの。それを伝えにもきたのよね普賢」
「そうだね」
「なんじゃ、のろけにきたんかい。さっさと仙人界に帰れ帰れ」
しっしとうっとうしそうに手で追い払う太公望を白琥はころころと笑う。
「あらでもちょっとお困りなんでしょう?何でも雨が降らないとか」
「む、なんだ聞いておったのか」
「そして望ちゃんには少し策がある、だよね」
「うっ筒抜けではないか」
「長い付き合いだもの、顔を見ればわかるよ」
「まぁよいわ、人間界に折角降りてきたついでじゃ、少し手伝え」
2018.09.06