説明が足りないのはどちらかしら
今日はほとんど人がいないらしい。曜子は頻繁に高専を訪れているが、横浜での呪霊騒動から呪霊接触の被害者を高専まで連れてきて次の日の高専は鳥の鳴く声が聞こえるだけで実に静かだった。一応東京にあるとはいえ東京とて都心を離れれば田んぼの広がる田舎もある。さらに人気の少ない山の上に建てられた名目上は宗教関連校である高専は人がいないときはまるで山の中の静養地のようであった。ほとんど使われていないため埃っぽいカーテンを開くと朝日が差し込んできて曜子は少し目を細めた。外は奇妙に連なる建物と緑が溢れる木々が見えるばかりで人の動く姿はどこにもなかった。元々人が少ない場所であるが今日は特に誰もいないらしい。
曜子は寝間着がなかったので下着のままベッドに潜り込んだのだ。下着は代えたいところだが、物がないのだから仕方あるまい。皺にならないように眠気と戦いながらハンガーにかけた制服に袖を通して、身支度に問題がないかだけさっと確認する。クローゼットに取り付けられた鏡は少しだけ端がかびていた。余談であるが曜子は中学までの勉強を全て家庭教師の下で終わらせている。本来ならば問題になるが、曜子は家が特殊な呪術師の家系であることから小学校や中学校に通わないことは家庭の事情として処理されているのだ。一応今も名前だけは中学校にあるが曜子自身は中学校に通って教室に用意されているであろう席に座ったことは一度もなかった。当然のことながら同級生の顔も知らない。曜子が着ている制服はその中学校のもので学生証もあった。シンプルで飾りのない制服には少し血がついているが黒い服であるため触れなければわからない。制服を着て高専の学生証を持っていれば何も言われないのは便利だった。ただ夜に動くときは警察に厄介になることもある。そのようなときも高専の学生証が効いた。曜子はまだ高専生ではないが次年度入学ということですでに学生証があるのだ。これは一応通っていることになっている中学の学生証とは違うものである。__不思議なことだがそれらの知識が曜子には全て揃っているのだ。鞄の中の学生証や自分の着ている制服に触れたとき曜子にはそれら全てを理解したのだった。理由は、わからない。
鞄の中に全て荷物が詰まっていることを確認して、曜子は部屋を出た。ガラケーにはまだ慣れないが使っていればそのうちなんとでもなろう。今は曜子が連れて来た客人たちをきちんと横浜に帰さねばならない。その後は借家に帰ってもうひと眠りするのもいいだろうと、その時点では曜子はそう思っていたのだった。
だが話はまるで違う方向に逸れていく。
「よ、横浜に? 私も? 何をしに行くんですか?」
「何って説明だろ。お前まさか突然現れてなんかよく分かんねぇバケモンと戦って危険です、病院はだめです、治療したのでハイサヨウナラで終わると思ってんの?」
灰谷蘭は今日は二つ結びの三つ編みではなかった。頭の下の方で一つに適当にまとめていた。竜胆は昨日と同じ髪型で、イザナもさして代わりはしない。すっかり元気になったらしい鶴蝶はあいにくとバイクがないので昨日と同じように蘭の後ろに乗っていた。
話がこじれたのは起きてきた四人をバイクが止めてある場所まで案内した直後のことだった。曜子はこのまま自分の足で歩いて下の町まで行って、その後公共交通機関を使って借家まで帰ろうという算段だった。なのでそれではお元気で、と挨拶をしようとしたところイザナが「乗れ」と言ってきたのである。曜子は何のことかさっぱりわからず首を傾げると蘭に頭をはたかれたのだった。
「昨日のことについてちゃんと説明しろってこと。だから今から天竺のアジトに戻んの。説明は曜子しかできないから曜子が来るに決まってんじゃん」
蘭の言葉を補足したのは竜胆だった。息がぴったりなところはさすが兄弟といったところだろうか。曜子は妙なところで感心して、確かにと少し思った。
「だ、だめですだめです! 呪霊のことは基本的には一般の方には秘匿されているんです! それなのに説明なんてしたら……天竺って……昨日の赤い服を着てる人たちですよね? あんなにも大勢の方に説明したら大変なことになっちゃいます」
「下のやつに説明するわけねぇじゃん。幹部だけに決まってんだろ。曜子ってバカ?」
「馬鹿じゃありません! 多分……」
「なんでそこ減衰すんの?」
イザナは曜子にさっさと乗れと無言で圧力をかけてくる。睨んでいるだけなのだが断りづらい雰囲気があった。曜子はそれでも断ろうとなんとか口を開けたがそこにイザナが今日初めて口を開いて言葉をかぶせた。
「俺ら、道わかんないから」
「それは確かに」
思わず頷いてしまった曜子の負けだろう。スマホがあれば調べてくださいと言えたがガラケーでは残念ながらマップも使えない。そもそも夜中に田舎道を走って風景も何も見えないのにその道を辿って帰れというのは土台無理な話だ。そして頷いた以上、曜子は最低でも道案内はしないといけないということになる。
「うう……じゃあ道案内だけですよ。皆さんが知ってる道に出たら降ろしてください……」
曜子は刀と鞄を背負い直してイザナの後ろに乗ろうとすると、蘭の後ろに乗ってる鶴蝶がひょいと曜子の鞄をとった。
「荷物たくさんあるとあぶねぇから」
「あっありがとうございます。傷はもう大丈夫ですか?」
「おう、もう痛くもねぇ」
鶴蝶があまりにも自然に言うので曜子は鞄を人質にとられたことについて気づかなかった。刀を背負ってイザナのバイクの後ろに乗るとイザナはどこから取り出したのかヘルメットを渡した。
「あっありがとうございます」
ポニーテールのままではヘルメットをかぶることが出来ないので曜子は一度髪をほどくと手早く頭の下の方で結び直して、そして恐る恐るバイクにまたがる。考えてみるとバイクに乗るのは今回が初めてなのだ。昨日は必死だったのでよく覚えていない。どうやってバイクに乗ってそしてどこに足をかければいいのかさっぱりわからない。そういえば昨晩イザナのどこに捕まっていたのか、それすら曖昧だった。曜子は困って鶴蝶を見る。鶴蝶は乗りなれた様子でタンデムステップに足を引っかけていた。曜子がイザナのバイクを見るとなるほどちょっとした棒のようなものが突き出ている。曜子はなんとかそこに足を引っかけてシートに跨るともう一度鶴蝶を見た。鶴蝶はシートのでっぱりに手をかけている。なるほどそこか、と思って曜子も同じようにシートのちょっとしたでっぱりに捕まってみた。どうにも安定感がない。
「ちげぇよ腰、腰に手回せって」
竜胆が声をかける。
「腰!? それは邪魔になるのでは!?」
「ならねぇよむしろ後ろが不安定でぐらぐらしてるとバイクも安定しねぇだろ。運転手となるべく距離が近い方がいいの」
「鶴蝶さんは……」
「鶴蝶は慣れてるからいいんだよ。ちゃんとカーブとかで体傾けたりできるし、バランスも崩さねぇし。曜子はだめ。しっかり掴まらないと大将のバイクごと転倒する」
「なるほど……」
先ほどから言いくるめられているのだが曜子もパニックなのであまりよく気づいていない。蘭が笑い出しそうになりながら顔を横に向けているのにも曜子は気づかなかった。
「お、お願いします」
「ん」
イザナは曜子がおそるおそる腰に手を回したのを確認すると驚くほどの勢いでバイクを発進させた。曜子は勿論悲鳴を上げた。
* * *
バイクに乗っている間の曜子はバランスを崩さないことに必死でそれ以上のことを考えている余裕はなかった。流れていく風景を見る暇もなく必死でイザナに捕まって刀を落とさないようにだけ注意する。言葉にしてしまえばたったそれだけのことであるが、それだけのことにひどく疲弊して全員のバイクが天竺のアジトに到着したころには緊張のあまり足腰がすっかり立たなくなっていた。そこでようやっと気づく。
「あっ、皆さん道わかってるじゃないですか!」
曜子がバイクに乗せて連れてこられた理由は高専からの道がわからないからのはずだ。しかし曜子は道案内などしている余裕はなかった。要するにバイクを運転している三人は道をしっかりと覚えており、曜子は別に必要なかったのだ。曜子は騙されたことに怒っていたがイザナはどこ吹く風という感じで完全に無視を決め込む。
「おーい曜子、行くぞ」
「行くぞ、じゃないです鶴蝶さんも早くバッグ返してください」
「いやこれは人質だから」
「そんな理由で持ってたんですか!?」
曜子はぷんぷんと怒っていたが誰も真面目には取り合ってくれない。
とりあえず中に入れよ、と鶴蝶が言うので仕方なく曜子も天竺のアジトへ入っていく。
今はまだ暴走族と呼ばれる集団として存在している天竺のアジトは横浜の埠頭近くにあるとある廃倉庫であった。昔はここで多くの荷物を管理していたらしいが今はその面影はほとんどない。背びれに腹びれに尾ひれがついた噂話によればこの倉庫であるときから事故が頻発し、以降徐々に使われなくなっていったそうだ。噂の始まりは必ず「子供が一人紛れ込み、崩れた荷物の下敷きになった」である。そしてその後機械の不調や積み上げた荷物が崩れるといった事故が起こり死者・重傷者含めると十数人に上るという。当然この倉庫の管理人は神社に頼んでお祓いをしたが結果は何も変わらなかった。事故は起こり続けついにはこの倉庫は完全に廃墟となった。荷物は大きなコンテナをいくつか残して運び出されている。外にもいくつかコンテナが残っているが、それらは事故にあった不吉なコンテナだとして引き取り手がおらず結果ここに残されたのだ。
倉庫は一階と二階に別れている。まるでロフトのような構造の二階部分はそれなりに広さがあり元々は従業員の休憩場所として使われていたそうだ。また昔はこの倉庫に住み込みで仕事をしていた者もおり狭いながらも個室がある。イザナと鶴蝶はこの個室に住んでいる。他のメンバーは倉庫以外に活動場所や家があるため休憩所に溜まることはあれど泊っていくことは少なかった。何せ随分古い建物なのだ。クーラーも暖房もなくこれからくる夏は一体どうすると言うのか、実のところイザナも鶴蝶もまだ何も決めていない。天竺という組織を立ち上げたはいいが、イザナと鶴蝶は相変わらず不安定な足場に立っていることに違いはなかった。水道は止まっているが電気は一応通っている。誰が管理しているのかは誰も知らないらしい。
二階には大体幹部たちが集まるため他のメンバーは下の適当な場所にたむろする。一部は残されたコンテナに適当なものを持ち込んで生活しているらしいが、イザナはそれらについてはあまりとやかく言わなかった。
曜子がこの場所へ来るのは二度目になるが、倉庫の中には入ったことがなかったので古びたコンクリートの打ちっぱなしの巨大な倉庫を興味深げに見回す。そこはひどく陰気な気に満ちた場所であった。曜子が顔をしかめると、蘭が舌打ちをした。
「おい」
「はい」
「なんか文句でもあんの?」
「文句はないです。でもやっぱりここは危ない場所です」
曜子は蘭に睨まれても動じずにはっきりとそう言った。
「皆さんはここを活動拠点として使っているようですが、できれば早急に引き払うべき場所です。ここで以前人死にがあったんですよね? その事実と今皆さんがいるという事実が__」
その瞬間曜子の体が吹っ飛んで、埃まみれの段ボールの中に突っ込んだ。蘭が思い切り拳を振ったのだ。細身の体ではあるが、蘭よりはるかに小さな曜子の体はあっさりと吹き飛んで、段ボールに重なった埃を巻き上げ咳をする。
* * *
「オマエさぁ、ふざけてんの?」
灰谷蘭という男にとって暴力というものは男にも女にも等しく振るわれるものだった。細身の体のために本人が女だと思われて舐められるのも、男だとわかっても舐められるのも嫌いで、理屈があろうとなかろうと気に食わなければ容赦はしない。一般的な倫理道徳の観念からすれば灰谷竜胆の方が幾分話をしやすいかもしれない。しかしこの年になって暴走族に身を置いている相手に一般通念を語ってもどうしようもないだろう。竜胆を止められるのは蘭とイザナで、そして蘭を止められるのはイザナだけだ。今イザナは曜子に向かって振るわれる暴力に対し、特に関心を見せなかった。
* * *
細い腕からよくあれだけの力が出るものだなと曜子は殴られて思う。初めて会ったとき殴られたのは彼らの活動の邪魔をした、と思えばそれなりに理解はできる。勿論曜子とて殴られることが好きではないが、彼らの気が済むのであれば多少は暴力も甘んじて受けることはできた。ただ今回に関してはイザナの方から事情説明と称して連れてこられ、かつこの廃倉庫の危険性に関して説明をするつもりだったのだ。殴られるいわれはないはずだが、蘭の行動があまりにも唐突だったために曜子は辛うじて受け身だけとったものの、口の中で血の味がした。
倒れる体は重みがある。下手に手を突けば腕が折れるので頭を守りながら曜子は体を丸めて地面に転がった。打ち身にはなるだろうが刀を振るう腕があるならば肋骨程度折れても問題はない。そう考える曜子も一般的な通年からは離れたところに精神性があるわけだが、呪術師に一般は通用しない。
曜子は段ボールの中から立ち上がる。しかし起き上がりざまにもう一発食らった。一度目に転がった際、蘭が近寄ってくるのが見えていたのでもう一発は予想できた。今度はちょっとだけ身を引いて拳を受けながらその威力を受け流す。それでも男と女の腕力には違いがありすぎる。曜子の体はふっとんで、倉庫の端に固められていた段ボールの中に再び突っ込んだ。埃が舞い上がる。曜子はむせながら立ち上がった。
「ふざけてはないです。この倉庫では一人死者が出ている。死という概念はそこにあるだけで呪霊の発生確率を大幅に上げます。さらに皆さんは少なからず一般人から恐怖を抱かれる存在です。その意識がこおに溜まっている。ここは危険です。今はまだ大丈夫かもしれませんがそのうちに呪霊は形を成し、先日見た通りのものかさらに悍ましいものが__」
「幽霊でも出るってか」
「いえここで死者が出た、ここは怖いところだという人の負の感情が呪霊を生むのです。その前段階に確かに幽霊はありますが、ここには霊的なものは感じられません」
歯が折れたかと思ったが意外と無事だった。とはいえ二度殴られて口の中を切ったので血が溜まっている。しかし床に吐き捨てるのは少々お行儀が悪いだろう。曜子は「ちょっと待ってください」と言うとポケットからハンカチを取り出してそこに口の中に溜まった血を吐いた。
「えーっと、はい大丈夫です。それで先ほどの話に戻りますが」
「……やめた」
「はい……え?」
「やめたって言ってんの。オマエの話はばっかみたいだし新参者がいきなりここから退去しろとか俺らを舐めてるとしか思えねぇ。でもオマエは頭おかしいからこれ以上殴っても無駄」
「はあ」
蘭は別段座り心地もよくないだろう椅子にどっかりと腰掛ける。ぎしぎしと鳴る椅子は近い将来壊れるだろう。曜子は何事だろうと首を傾げて蘭に近づく。それを止めたのは竜胆だった。
「やめとけって。兄ちゃんがやめるって言ったんだから終わりなんだよ。それともオマエ殴られたいの?」
「いえ殴られるのも痛いのも嫌いです。でも殴り合いが必要なら私もそれ相応に対処します」
「いや殴られっぱなしじゃん」
竜胆があきれたように言うと曜子は「致命傷はないです」と言う。
「大将ォ、こいつだいぶやばいと思うんだけどマジで入れんの?」
「いれる?」
曜子は竜胆の言葉に首を傾げた。「なにを」「どこに」「いれる」というのだ。
「面白いから」
「そ、ま大将がいいならいーよ。曜子だっけ」
「何を入れるんですか?」
「えっお前が天竺に入るか入らないかって話をずっとしてたんだけど」
「それは知りませんでした。入りませんよ」
「いやもうオマエ入ってるよ、よう新入り」
そこで初めて曜子は天を仰いだ。とはいえそこに広がるのは灰色の古びた天井だけだ。錆びた鉄骨がむき出しのそこを見上げても曜子が今聞いた事実は変わらなかった。
蘭の今までの行動はつまるところ新入りに対する教育だったというわけだ。困ったなぁとため息を吐く曜子、後輩ができたと喜ぶ鶴蝶、新入りバイクどうする? と言う竜胆。
「私バイクの免許持ってません」
「俺も」
「ええ」
曜子はもう一度ため息を吐いた。どうやらここは想像以上に厄介な場所だったようだ。
20220817