友人
竜巳が傑に話しかけるようになると、自然と傑の周りには人だかりができるようになった。元々竜巳は人当たりがよく、友人が多かった。そんな竜巳が傑と話していて何もないのだから大丈夫だ、と子供心に判断した結果なのだろう。傑にはいつしか友達ができて、家に帰って静かに泣くことはいつの間にかなくなったのだ。
竜巳は傑がまず第一に困っているのが、自分が今見てているのが呪霊なのか人間なのかわからない、ということだということをよくよく理解していた。なぜなら竜巳もとても困ったからである。竜巳の家は幸いにして呪術師の家だったので、変なものが視えると言っても怒られることも悲しまれることもなかったが、近づけば当然危険なので怒られた。竜巳が幼い頃は近くにはベビーシッターと同時に戦える人が必ず傍について、いつでも竜巳を守ってくれた。そんな中で竜巳なりに呪霊の見分け方を考えたのだが、その一つが呪霊の足元にはなんとなく黒い靄が張り付いている、と言うものである。残念ながらこれは全ての呪霊に当てはまるわけではなかったが、足元を見て、なんとなく薄汚れたような靄が張り付いているものには近づかないことにすることで、問題は確実に減った。二つ目は呪霊には背後から立ち上る何かがある、というものである。これはかなり役に立った。呪霊から立ち上るもの、それは体の中に留めきれなかった呪力の残りかすのようなものなのだが、相当強い(等級の高い)呪霊でない限り、この呪力の残滓は呪霊から尾を引いてそして残穢となる。(等級の高い呪霊はあえて残穢を残さない、もしくはあえて残穢を残すと言ったことができるようになる)たまに人間の中にも多すぎる呪力をセーブできず、残穢を残すものもあるが、幼い子供が呪霊と人間を判別するのにこれほど便利なものはなかった。
竜巳はこの秘儀、と本人が呼んでいるものを早速傑に教えると、傑の顔が明るくなる。そして二人で帰るときは必ず、呪霊の残穢を探したり、あれは呪霊、あれは人間、と橋を通る人間を区別して遊ぶようになった。
そうして傑が少しだけ呪霊を見分けることができるようになって、傑は今までのように呪霊を見分けるのに失敗して両親を悲しませることも友人を困らせることもなくなり、いわゆる一般的な人間関係を築けるようになったのである。
夏の日差しが強くなり、煌々と照り付ける太陽がアスファルトの地面を焼いて、その照り返しで、小学生たちは登下校にうんうんと唸るようになる。黒いランドセルは光をよく吸ったので、朝日に焼かれて学校にたどり着く頃にはすっかり熱くなっていた。どっちのランドセルが熱いか、なんて競争をするあたりまだまだ子供は子供らしいが、傑にもそんな友人ができたことは行幸であろう。そんななんでもないことで笑いあえる友人がいるということはとても大切なことだ。
もうじき夏休みだ。傑の家では毎年夏休みにはどこかレジャーにでかけていたが、今年はどこへ行くのだろうと授業が終わって帰り支度をしながらぼんやりと考えていた時だった。すでに帰り支度を終えた竜巳が傑の袖をちょいちょいと引く。
「ねぇ、今度僕の家に来ない?」
傑は始め何を言われたのかわからず、首をきょとんと傾げた。さらさらとした手触りがよく細い髪の毛が頭が傾ぐのに合わせて零れ落ちようとする。
「今度僕の家に来ない?」
竜巳は嫌な顔一つせず、もう一度同じことを言った。
傑の頭がその言葉を理解した途端、傑の表情がパアッと明るくなる。そんなこと、今まで一度も言われたことはなかった。竜巳に会うまで、帰り支度をする傑の周りで「今日〇〇んち行こうぜ」という会話が繰り広げられていても、それは傑には関係のない話だったのだ。
竜巳はにこにこ笑っている。
傑は、少し迷って、自分のランドセルを見つめてそれからゆっくりと、はっきりと「行く」と言った。こういう時にどんな返し方をすればいいのかわからなかったのだ。だが竜巳はそれで充分だったらしい。
「うん! じゃあ夏休み入ったらね!」
「うん……あっ」
傑は少し言いよどむ。今まで友達の一人もいなかったので、何を聞いてよくて何は聞いてはいけないことなのかわからなかった。竜巳は時々傑とは帰らないで一人でさっさと帰ってしまう時がある。それは何か理由があるのか、傑は少し知りたかった。
「どうしたの?」
「あ、あのさ。竜巳はたまにすぐ帰るとき、あるよね……それって……なんでかなって……」
やはり聞かなければよかったかもしれない。言葉は尻すぼみになって消えていく。どこにも行く先のなくなった言葉は視線と共にふらふらと空中を揺らいで、そしてそのままぷつりと沈黙が舞い降りた。
帰ろうとしていた竜巳が傑のそばに戻ってくる。傑はやるせなくてただランドセルを見つめていた。まだこんなことを聞いてはいけなかったのかもしれない。またやってしまったのかもしれない。あーあ、折角友達ができたと思ったのに、また失敗しちゃったのかもしれない。そんな思考が傑の頭の中でぐるぐるして、ぐるぐるして、傑の目に涙が滲む。
「あのね」
だがそんな傑を知ってか知らずか竜巳は話始めた。
「なぎなたといけばなのお稽古があるの」
「な、なぎなたといけばな?」
どちらも傑の身近にはない言葉だった。
「そう! なぎなたっていうのは、こういう」
しゅっとした武器でー、と竜巳が説明を始める。すでに教室には誰もいない。竜巳は綺麗に消された黒板まで行くと、チョークを持って背の届く範囲で、しゅー、と音を立てながら黒板に絵を描く。
「こんなかんじの! とっても長いんだよ。それからいけばなっていうのはお花を使って、うーんなんていうのかな、こう、かっこよくする感じ!」
竜巳はわさわさと両手を動かして丸、のような物を描く。
傑はぽかんとした。
竜巳は黒板をきれいに消して、それから傑のそばに戻ってくると耳元で囁いた。今度は誰にも聞こえないように、傑にだけ聞こえるように。
「どっちもね、僕の家の呪術に関係することなんだだからごめんね。今日は帰るね」
竜巳はそう言うと傑から離れて、ばいばーいと手を振ると、教室を出て行った。竜巳のたったったっという駆け足が、徐々に遠くなっていく。傑は一人教室に置いていかれたが、なんとも表現し難い達成感、のようなものに満ち溢れていた。言ってしまえば友達の予定を聞いただけ。しかし今までの傑にはそういったことを共有する人すらいなかった。だから、竜巳からひそひそ話のように教えてもらったお稽古の話が頭の中でぐるぐるして、そして喜びとなって、口からこぼれた。
「ふふっ」
傑は先ほどこぼれた涙も忘れて、ランドセルの中に教科書やノート、宿題を詰め込んでいく。大きく開いたランドセルの口は何でも呑み込んでしまう、妖怪のような感じがした。いくら入れてもいっぱいにならないような気がしたのだ。ランドセルの口を大きなベロで覆って、金具を閉めて、それを背負うと、教室から出ていく。今日は竜巳はいない。でも竜巳から教えてもらった秘密がこそばゆくて、なんとなく嬉しい気持ちになった。
傑は学校を出ると、いつも竜巳と一緒に遊んでいる橋の下、河原に下りてみた。夕日を浴びてきらきらと輝く川は、浅く、子供でも簡単にわたることができる。だからといって油断は禁物なのだが。
傑は橋を下から見上げながら、適当な棒を拾ってぽちゃぽちゃと川面を叩く。魚が釣れるわけではない。ただ、竜巳と一緒にいるときはいつもこうしていたので、お気に入りの棒というものがいつものところにあったのだ。
しかし一人で川面を叩いても何も面白くはなかった。河原の、平べったくなった石を積んでみても、石をぽちゃんと川の中に投げ入れてみても、なにもかも面白くない。竜巳がいるときは、川面で水滴が弾けるだけで面白かったのに、一人ってこんな感じだっけ、と傑は思い出す。今日は、帰ろう。なんとなく先ほどまでの元気がなくなって、とぼとぼと歩く帰り道は、夕日が眩しかった。
「ただいま」
「おかえり傑。宿題先に済ませちゃいなさい」
「うん、あのねお母さん」
「どうしたの?」
傑の母はちょうど夕食の準備をしているところだった。だが傑が話しかけると、火を止めて、手を拭いて、そして傑の前にしゃがみ込んでくれる。
「あのね」
「うん」
「今度竜巳の家においでって言われて」
「あら」
「だから夏休み、竜巳の家に遊びに行く」
「よかったわねぇ」
傑の母は、竜巳の家に遊びに行く、ということを傑本人のように喜んでくれた。そうすると自然と落ち込んでいた傑の気持ちも、なんとなく上向きになるようで、傑は「うん!」と大きく頷いた。
母に話すとうつむいていた気持ちはまた上に上っていくような気がした。
部屋に入ってランドセルの中をひっくり返す。傑は比較的真面目な性質であったため、ランドセルの中は綺麗に整っている。やらないといけない宿題、それから親に見せないといけない書類、そういったものをわけて、ひとまず明日の準備をしてランドセルを机の脇のフックにひっかける。そうして机の上をきれいにするといつものようにやる気がわいてきた。だが気持ちはどこかうわの空で、気づくとカレンダーを見つめている。夏休みまであと一週間。夏休みのいつの日に竜巳の家に行くかは決まっていなかったので、どうなるのかはわからない。しかし毎年のレジャーよりも何よりも、竜巳の家に行くのは楽しいことのような気がした。何があるのかわからない。でも竜巳と一緒ならきっと何もかも楽しいだろう。
傑は、まだ傑の身長より少し大きい椅子から飛び降りて、机の上からマジックを一本引っ張り出すと、カレンダーの今日の日付に×印を付けた。これでいい。きっとカレンダーに×印をつけるたびに、この湧き上がるような嬉しい気持ちがいっぱいになっていくのだろう。それが、楽しみでしょうがなかった。
20211025