No title
カレットはそのようにして月の聖杯戦争が終結を向かえ、月の支配者となる新王を選定するまでの間、レファレンス係として少なくはない相談を受け、それに答えていった。
今まで蓄えた知識を検索にかければ大抵の答えは見つかる。その書籍がどこにあるかも明瞭に覚えている。それはムーンセルの末端であるAIだからできる芸当だ。多くのマスターはそれを喜び、多くの知識を得て図書室を去る。そのほとんどはわずか数日後にはこの月から消えていたとしても、カレットが多くのマスターと接した時間は確かに存在する。
月の聖杯戦争がついに終わりを迎えたその日、校舎の電源はいつもより早く落ちたように思う。
電源が落ちる間際「ああこれで僕の役目も終わった」とカレットはなんとなく思った。次に与えられる役目もできれば今のような役割がいい、そして出来ることなら記憶をいっぱいひきついでたくさんの思い出と共に再び月の大地を踏めればいい……と思っていたのだが。
カレットが次に目を覚ました時そこはムーンセル・オートマトンの中枢であった。
ワイヤアートのような不思議な空間にカレットは一人たたずんでいる。全体が青い世界、自分の髪よりも濃い青が足元に広がっていてそこからぽこ、ぽこ、ぽこと時折泡が生まれて消えていく。頭上を見上げると巨大な立方体とその中枢に光り輝く核を持ったムーンセル・オートマトンが鎮座していた。
カレットは確かにムーンセルの末端ではあったが、ムーンセルとこのようにして対峙したことはない。いやそもそもAIであるカレットがこのようにムーンセルと向き合う必要はないのだ。カレットが月のどこにいようとも、それこそ廃棄されたデータの中で居眠りをしていようとムーンセルと接続している以上、ムーンセルはどこからでもカレットにアクセスできるし情報を書き換えることが出来る。だからわざわざ足を使ってムーンセルに向き合ったことなど一度もなかった。
「………」
沈黙したままムーンセルを見つめる。話しかけても無駄だ、何せムーンセルには耳も口も目もないのだから、必要なら勝手にこちらにアクセスしてくるだろうと考えて、カレットは静かにムーンセルを待ち続けた。
ムーンセルは時折核を強く光らせ、そのたびにムーンセルを覆う一部が砕けた立方体の点が、辺が、面が光り輝く。それは美しい光景だった。カレットはただひたすらそうやって様々な情報を処理している中枢を眺め続けた。
地球の時間にしておよそ七日が経過した。ムーンセルの核の近くは時間の進みが若干違う。というよりもムーンセルはありとあらゆる時間軸を観測しているから、『今』『どこ』に『いる』のかという問いは意味を成さないのである。だからあえて表現するならば地球の時間にして七日が経過した頃、ムーンセルはそばにただ、たたずんでいたカレットの情報を書き換えた。
カレットは成されるがままムーンセルの接触を受け入れる。
記憶領域が切り離され一旦バックアップのために中枢へと戻った。その間にカレットの体には過去地球に居た魔術師たちのような、そして現在のウィザードが持つ魔術回路のようなものが書き加えられていく。その構造の緻密さは過去地球上に存在した魔術師たちが歯噛みしてうらやみ、ありとあらゆる家財も名誉もなげうって欲しがるほどのものであった。
ムーンセルは最適化した魔術回路をカレットに書き込んだのである。
さらに、ムーンセルは次から次へとカレットを書き換えていく。バックアップの終わった記憶は再びカレットの中に戻され、人間で言う神経回路はより太くかつ多くの情報を瞬時にやり取りできるように光に変換された。人間で言うところの中枢神経である脳と末端は光の速度で接続され、末端部で得た情報は即座に脳へと引き渡される。拡張された脳、それはムーンセルの中枢と同じように光で構築された演算領域と化した。一人のAIが得るにはあまりにも大きな変化だ。だがそれもムーンセルが一から体を作り直していくとなると結果は異なってくる。
地球の魔術師であれ血の繋がった子でなければ受け入れることが難しい魔術回路も、一から作り直した体には好きなだけ刻むことが出来るだろう。
一子相伝で伝えられてきた神秘の塊である魔術刻印も、そうあれと定めたものがあるならいくらでも用意できる。
カレットはそうやって体を一からムーンセルに最適化されながら、これがムーンセルの管理を行うために必要なものであることを同時に理解していった。
演算領域の中でも情報もしくはデータを呼ばれるものを保存していく場所に次から次へとムーンセルに関する情報が書き込まれていく。それは今までの聖杯戦争でおおよそ知っていたものもあれば、まったく知らないものもあった。
その中の筆頭が未明領域と呼ばれる部分だ。ムーンセルが廃棄しようとして廃棄できなかった部分、ムーンセルの闇、そこに何があるのかムーンセルはカレットにデータとして与えることはなかったためソレが存在すること以上の情報をカレットは得ることはなかった。
だが未明領域だけが重要なのではない、カレットはどのようにしてかムーンセルの管理、つまり月のメンテナンス技師としての役割を新たに与えられたのである。
月の聖杯戦争の勝者はムーンセル・オートマトンという願望器を手に入れた。彼らは言い換えるなら月の新たな支配者であり、新王なのである。だが王の役目は地球上の表現をとるならば国を富ませ民を潤すことであり、その国を司るモノを管理することではない。ムーンセル・オートマトンはこれから新王の望むがままに領土を広げ、多くのNPCやウィザードたちを受け入れていくだろう。
新王にとってムーンセルとは国における法律のようなものだ。これがなければ政は上手くいかないが、かといって王が一人で決めて管理するわけにもいかぬ、そのための月のメンテナンス技師、それがカレット・マーレなのである。
何故カレットが選ばれたのか。AIとしての性能で言えば保健室の間桐桜や聖杯戦争の管理を行っていた言峰綺礼の方が適任ではないか、ともカレットは考えた。彼とて何もかもを気にかけずに月の管理者という役割に甘んじたわけではない。自分の体が書き換えられていく間ずっと考えていたのだ。そして最終的に得た結果は、元々最も下級なAIで特にこれと言った役割を持たないNPCが自我を持つにまで至った、その過程こそがムーンセルが月の管理者に求めたものだったのではないか。
ムーンセルの言うがままにしか動けないならそもそも管理者など用意する必要はない。ムーンセルはこれから新王の作る新たな国と地球の観測に再び徹するものと思われる。新王と新たな国土にまつわる細かな調整は、ムーンセルから切り離されるわけだ。その役割を下級のAIが己から自我を獲得した、そのノビシロにムーンセルは価値を見出したのではないだろうか。もっと人間的な表現をするならば大器晩成型の存在であると期待されたわけである。
と、まぁ、カレットはそんな風に考えていたのだが、結局のところそれが真実であるのかそれともカレットのただの妄想であるのかはわからない。カレットはその点についてムーンセルに問うことはしなかったし、おそらくムーンセルは特にこの点について返答をしなかっただろう。強いてわかることを言うならばカレットがこの役目を拒めば、他のAIをこの役目に持ってきてカレットは廃棄と言う扱いになったことぐらいだろう。
2017.09.13
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