No title
間桐桜の手助けもあって、次の日、カレットが目を覚ますとそこはいつもの図書館ではあったが、幾分の変化があった。
廊下側には本をいくらでも置けそうな頑丈な本棚、窓側には利用者がじっくりと本と向き合うために用意された長机がある。普段カレットはこの窓際に並んだ机の真ん中、前方の扉からも後方の扉からも離れた場所に座っていた。そこが一番人に邪魔されず、あまり使われていない場所だったのか、それとも他に理由があったのか。ムーンセルに用意されたNPCであるカレットにはそのあたりの細かいところはわからない。
しかし、今カレットはちょうど図書室のカウンターの目の前、前方の扉に一番近い机にいた。目を開けて最初に感じた違和感はこれだろう。教室の一番奥の壁側の本棚が遠い、そんなことを思いながら自分の手元を見回すと、レファレンス係という簡易な立て札がそこには立っていた。
「レファレンス係……」
桜が言っていた、中級AIとしてマスターたちのために行動する、役割を与えるとはつまり図書室における中立的な存在としてどのマスターにも平等に情報を与える係りになれということであったのだろう。
最初の利用者はやはりこの聖杯戦争のマスターだった。五回戦まで進んでいるのであれば、それなりに敵対するサーヴァントに関する情報も手に入れているのだろうが、確たる証拠はつかめないのだろう。そのマスターはカレットの存在を認識するとすぐそばにやってきて、「これこれこういう状況で、こういう反応をして、こんなものを持っている」と敵対するサーヴァントの情報をずらりと並べ上げた。
「……今のに該当するサーヴァントって誰かわかる?」
「それなら三番の棚の一番上、左から何冊か本を引っ張り出して読んでみるといい。きっと貴方の役に立つと思いますよ」
カレットが言いたい言葉はそうではない。カレットは今の情報で『どこの英雄で真名は何か』はっきりとわかったのだ。だからそう言おうと思ったのだが、口をついて出てきたのは違う言葉だった。
人間の中には息をするように嘘を吐くことが出来る者がいるという。頭で考えていることとはまったく違うことをすらすらと述べられ、かつそれが嘘に思えない、ということなのだろうが、今のカレットはまさにその言葉の通りだった。勿論嘘をついたわけではない。ただ答えようと思った言葉は、喉を通るうちに違う言葉になって舌は思っていることとは見当違いの言葉を連ねている。
ああ、とカレットは納得する。これが中立性という奴なのだろう。
この聖杯戦争では情報収集もまたマスターにとって重要な役割を持っているとみなされる。そしてその情報を組み立て答えを得ることも、また一つの能力だ。つまり情報を掠め取るのが上手いだけでも知識だけがあるのでもムーンセルは良しとはみなさない。両方をそろえてこそムーンセル・オートマトンを得るにふさわしいとみなされるわけだ。
カレットはあくまでこの月の聖杯戦争の参加者の補助が役割である。直接答えを教えてはいけない、その結果が先ほどの答えだ。たとえカレット自身がどこの英雄であるかすぐにわかっても、真の意味で答えを見つけるのはマスターでなければならないのだ。
カレットはほんの少しつまらないと思う。だが同時に今まではただ図書室の簡易な案内をするだけの存在であった自分が、マスターが勝ち残るためのかなり直接的に近い間接的なサポートを出来るようになったのは、喜ばしいことであった。
それはエゴかもしれない。誰かのためになることをする、自分を制してまで誰かのために何かをする、結果得られるものは他者からの感謝か、もしくは何もないか。そこに喜びを見出したということはカレットは未だAIに近い意識を持っているのかもしれなかった。
本を読むごとにオリジナル性を高めているものの、その一方で、誰かのために生まれた存在であるNPC、今は特別な役割を与えられた中級AI、彼らは人の役に立たなければ何の価値もない。だから嬉しいと思うのかもしれない。もしくは先ほどのマスターが告げた「ありがとう」という言葉がただ嬉しかったのかもしれない。後者だとするならばそれはAIの存在意義を越えたところにある自我の誕生だろう。
その日カレットはどことなく浮ついた気持ちで図書室にこもっていた。元々どこか行きたい場所があるわけではないので、図書室から出ないことは苦痛ではない。ただ先ほどの「ありがとう」と言う言葉がなんとなく心を浮つかせるのだ。
暖かくて、やわらかくて、そして安心するような、ああまるで「自分の存在を認めてもらえた」ような。この世界に「自分の価値を見出せた」ような。そんな気持ちだ。たとえ声をかけてきたマスターが、次の日にはすでにこのムーンセルから居なくなってしまったとしても、カレットにその感覚は残り続けた。
2017.09.13
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