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NPCが擬似的ながらも自我を持つ、それによる影響はムーンセルにおいては大きいことではなかったが、聖杯戦争に参加しているマスターとサーヴァントたちにとってはかなり重要な意味を持っていた。
 まず第一にカレットマーレは圧倒的に知識が豊富なのだ。それはNPC故、コンピュータ故記憶という行為に非常に優れており、今までに読んだ本のほぼ全てを一字一句間違いなく覚えている。そして頭の中に叩き込んだその一字一句から、該当するワードを検索することができる。マスターが対戦相手のサーヴァントの真名や宝具を知るにあたってこれほど有能な存在は他に居るだろうか?通常は自らの足でアリーナを歩き回り、時に情報戦をしかけ、時に人海戦術を引き、勝つために動き続けているマスターが、カレットの存在を知ったら彼を確実に手の内に入れるか、もしくは彼を殺そうとするだろう。味方になればこれほど有用なNPCは他になく、敵に回れば恐ろしい。
 だがカレットは自分の知識がそこまで価値があるものだとはまだ思っていない。故に彼は散歩をするような気軽さで、生まれて始めて図書室から表へ出てみたのだ。図書室に並ぶ本棚と、窓から見える校庭以外のもの、それがたとえただの廊下であったとしてもカレットにはあまりにも新鮮な光景だった。
 勿論カレットがムーンセルの末端として校舎の作りを知りたいと願えば、末端ゆえにハッキングもクラッキングも仕掛けることなく情報を得ることは出来るだろう。だが自分の足で廊下に立ってみるのは知識として知るのとはまったく違う。カレットは濃い青の髪を揺らしながら何の変哲もない廊下に足を踏み出して、それからきょろきょろとあちらこちらを見回した。校舎にいるマスターの数は少ない。すでに五回戦まで進んでいるのだから当然だろう。誰も居ない廊下を見てからカレットはそっと歩き出した。
 特に行くあてがあるわけではなかった。カレットはマスターではないし、サーヴァントもいない。ただのNPCが少し散歩をしているだけ、本来ならそれはムーンセル・オートマトンにとっても想定外のことであったのだろうが、ともかくカレットは静かな校舎の探索を楽しんでいた。
 教室は人がいる、何を話していいのかわからないのでそこはパス。アリーナに繋がる扉の前も常に人の気配そしてサーヴァントの濃い魔力が感じられるからそちらもパス。出来れば一人で静かにしていたい。まだ何を話せばいいのかよくわからないから。
 カレットはそうした思考の結果保健室に向かうことを選んだ。保健室に向かう途中、この聖杯戦争を取り仕切る上級AIの言峰綺礼とすれ違った。その際彼がとんでもないものを見る目でこちらを見ていたのがとても印象的だったので少しだけ手を振り替えしてから保健室へ向かった。
 幸い保健室には今は誰も居ないらしい。誰も、というのはマスターとサーヴァントのことだ。扉が閉まっている保健室はしんと静まり返り音の一つも聞こえてこない。これはマスターの健康管理を司る上級AI間桐桜が、普段マスターやサーヴァントが保健室に居ない限りは機能を停止しているからだ。桜の役目は保健室でほとんど完結するためあえて表には出てこない。とはいえ出れないわけではないので、桜というAIはよっぽど職務に忠実なのだろうとカレットは思う。
 ノックすると突然扉の向こうに何かが現れた気がした。それは確かな感覚である。今まで使用者がいなかったため機能が制限されていた保健室に明かりがついたようなものだ。実際、扉の隙間からは常に明かりが洩れていたのだが、そういう外部に影響を与えるものと内部での活動は根本が異なる。
「ええっと、こんにちは」
 挨拶は、確かそんなものだったと思う。扉を少し開けて中を覗き込むと、保健室の上級AIである桜がまず「こんにちは」……と声をかけるつもりだったのだろうが、そのままぴしりと動きを止めた。カレットはそのまま中に入ると静かに扉を閉める。そして扉の前で少し居心地悪そうにしながら言葉を探した。こんな時に人は何を話すのだったか。
「……びっくり、しました。あの図書室のNPCのカレットマーレさん、ですよね?」
 桜の言葉はまるでAIではなく人間のように聞こえる。思考し選択するという高度な演算処理を行えるだけのハードを備えたAIなのだ、ムーンセルから情報をダウンロードして目の前の人物についての情報を得るのに何の苦労もいらないだろう。だから特に自己紹介もしてないカレットが桜に名前を当てられても別段驚きはしなかった。
「ええっと、こんにちは」
 どう答えればいいのか。
 カレットの自我は日を追うごと時間を追うごとに成長しているようだった。はじめはインプットした知識から最適解を選んでいたが、今は自分で考えた答えを探している。だがまだそれほどの演算は不十分で結局同じ言葉を繰り返すことになった。桜はそんなカレットの状態を理解したのか、頷いてから「こちらへどうぞ」と隣の席を指し示す。
 カレットが無言で桜の隣に座ると、桜はカレットがどう答えていいのかわからないのを知った上で「お茶をいれますね」と言った。不思議なAIだ。ただ話をしている、ただ向き合っているだけなのに自然と心が落ち着いてくる。これもまたカレットの成長の一つであったが、なんとなくふわふわとしていた気持ちが落ち着いていくようで、カレットはそんな自分にどこかむずがゆさを覚えながら、桜がお茶を入れる動作を見ていた。
 カレットの前に湯気の立つお茶と少しの茶菓子がならると、桜はカレットの正面に座って「ええっと、」と言葉をつむぎだした。
「正直なところ少しびっくりしています。カレットさんは、ムーンセルのデータベースによればNPCで私のような演算処理能力を与えられていないはずだったので」
「僕も、驚いている……というわけではないんですけど、ただどうしたらいいのかわからないです」
「そうですよね、少しいいですか?」
 桜はそういうと白衣のような白い衣服に身を包んだ腕を伸ばしてカレットの額に触れる。そうやって触れることで桜がカレットの中に入り込んでくるのがわかった。だがそれは無作法な訪問では決してない。あくまで優しく、丁寧に、カレットの今の状況を理解するためにカレットに生まれた自我に触れている。それはまるで母親に頭を撫でられるような感覚だった。
「……図書室で聖杯戦争の参加者の皆さんを迎えるNPC、権限は会話と読書……カレットさん……いいえ立場的には先輩ですね。カレット先輩は校舎の電源が落とされてもムーンセルによってNPCの記録の削除などが行われなかったため、図書室で本を読むたびに様々な人生を追体験した……その結果、擬似的ではありますが自我と思考能力を得た……」
「そうです、多分。追体験というのは要するに学習のことですか」
「そうですね。本を読む際に、本の中の登場人物になりきることで人生の追体験を再現する。私たちはAIだから追体験を正確に記録として残すことでより追体験と言う経験が発生しやすかったのだと思います」
 それは一般に学習と呼ばれるものですね、と桜は続けた。そういうものなのか、とカレットは思ったがかといってまだ何を言っていいのかいまいちわからない。
「その、何を話していいかわからなくて。今図書室から出てきたのもなんというか、なんでかわからなくて」
「そうですね、きっとカレット先輩は誰かの行動を真似したのだと思います。探究心が強い誰かの経験から周囲の状況を確認しようとする行動が発生した、と言えばいいのかもしれません」
 なるほどとカレットは思う。さすがに上級AIだけあって、理解も状況判断も早い。
カレット先輩は今の状況を楽しんでいますか?」
「え?」
 桜に聞かれたその質問は、理解しがたいものを含んでいた。楽しむ、とは心が弾む、嬉しいと感じる……たとえ方は色々あるが、カレットには今この状況が楽しいという状態なのかわからない。
「難しい質問でした。そうですね、言い換えるなら……カレット先輩は前のように図書室のNPCに戻りたいですか?」
 それは違う、とカレットは首を横に振る。今まで空っぽだった自分の中に色んなものがたまっていく、記録として同時に自分の感覚として。そうやってたくさんの情報を得れば得るほどさらにいろんなことが知りたくなる。そうだこれが楽しいということなのだ、とカレットは理解した。
「嫌です。僕は、もっと色んなことを知ってみたい」
「はい、わかりました。そしたら私の方からムーンセルにカレット先輩の情報の書き換えを申請してみますね」
「えっとそれは」
カレット先輩のその状態は実はとても危険な状態なんです。マスターたちは対戦相手の情報を知りたい、カレット先輩は様々なサーヴァントの情報を記録として持ち検索することができる。こうなるとマスターはカレットさんに今まで得た情報を片端から投げ込み答えを得ようとするでしょう。それだけならいいですが、マスターによってはそれだけの情報を持つNPCを放置してはおかないかもしれません」
「それ、は」
 背筋に寒気が走る。怖いという感情を理解した。それは自分が消されるということだと頭が理解した。
「そうです、カレット先輩がいなければ対戦相手にも情報が洩れることはない。としたらカレット先輩を消してしまえばいい。すでに聖杯戦争は五回戦まで到達しています。ここまで到達するほどのマスターでしたらカレット先輩をただのデータの塵にすることも、記録だけを削除することも簡単に出来ると思います」
 桜の言葉にひどい悪寒を覚えた。
 自分が蓄積してきたものが簡単に消されてしまう?今自分が経験していることが全てなくなってしまう?それは……それはとても怖い。何も考える必要がなかったNPCであった頃にはなかった感情だ。
 怖い、怖い、嫌だ。
「助けて……ください」
 どうしたらいいのかわからないんです、とカレットは桜に言った。桜はしばし考え込むように口元に指を当てて、それからわかりました、と言う。
「先ほどムーンセル側にカレット先輩の除法の書き換えを申請するといいました。私は…マスターにカレット先輩の情報がいきわたらないように隠蔽をするつもりだったのですが、逆に手を出せない形にしてしまえばいいのかもしれません」
「手を、出せない?」
「はい。聖杯戦争では正式な場所以外でのマスター同士の戦闘は基本的に禁じられています。でもNPCを殺したりNPCからデータを盗み取ってもムーンセルはその点には関与しません。ですが私や言峰神父のような聖杯戦争を管理する立場にある上級AIにそういったハッキングやクラッキングは禁止されています。だから」
 桜は言葉を続ける。
「現時点でのカレット先輩の状態は中級AI程度の演算領域を獲得し、擬似的な自我と思考能力を得ています。この状態をムーンセルに報告した上で、カレット先輩を図書室のレファレンス係という新しい立場を作るんです」
「レファレンス、係」
「そうです、マスターが何か尋ねてきたときに、具体的な答えを与えるのではなくあくまでヒントとなる情報を与える、多分そのような立ち位置になると思います。カレット先輩がただのNPCからマスターをサポートするAIになれば、マスターもサーヴァントもカレット先輩を害することができなくなります」
 ああ、なるほどと納得がいった。ようは桜のようなAIになってマスターの手助けをすればいいのだ。それならきっとできる。きっと難しいことではない。
 カレットは頷くと桜はわかりましたではそのようにしますね、とにっこりと笑った。彼女もまたムーンセル・オートマトンが観測し記録していた誰かの姿形を反映させたにすぎないが、どこか落ち着く声音、穏やかな笑み、そして相手を安心させるような言葉選びからは彼女以上の適任がいないのではと思わせるほどだった。
「もうじき、保健室の電源が落とされますね。カレット先輩はこちらにいても大丈夫ですよ。一時的に私の管理するAIに含めますので……今晩のうちに書き換えを行えば、明日にはきっと反映されてマスターにも情報が届くと思います」
 暖かな夕日が保健室の窓から差し込んでいる。夜の間はマスターとサーヴァントは基本的にムーンセル側が用意したマイルームに居ることが定められているので、保健室にも図書室にも来ることはないだろう。だから桜はここにいてもいいと言ったのだ。

 ぷつん、と頭の中で何かが落ちる音がした。
 それはカレットマーレというAIが誕生した音だった。



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2017.09.13
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