私が時の天皇に呼ばれたとき、すでに十八になろうとしていた。審神者として時の政府から命を受けて過去にさかのぼること数度。一度の戦乱を収めるのにただ一人では半年以上かかるとすれば、それでも随分と働いているように思う。
 私はその時すでに、和泉守兼定と堀川国広という二振りの刀を傍に置いておりこれ以上は私の手に余ると思っていた。だが時の天皇から勅令として命じられればそれに逆らう術もなく、私は結局三振り目の刀と対峙することになったのである。






 付喪神、とは元は器物、年月を経て想いを宿すもののことである。人が幾たびも手に取り想いを吹き込む、それを何十何百いや下手すれば何千年と繰り返すことでやがて物に吹き込まれた想いがひとつの形を成すのである。たいていそれが人の形を取るのは、長らく人に触れてきたからであろう。彼らは往々にしてその時の主人が願う姿となって現れ、ただひたすらに宿った想いを願われた想いを叶えようとする。物が持つ想いは付喪神が九十九神と書くこともあるように千差万別である。丁寧に丁寧に扱われた機織器は壊れる寸前にただ最後の主人に感謝を伝え、すばらしい織りの技術を伝えて消えたという。またある茶器は大切に扱ってくれた前代の主人が忘れられず、何の想いもなく売り払った今の主人を呪い殺したという。
 厄介な、と思うかは人次第だが、なんにせよ物もまた大切に扱われれば扱われるだけそれを主に返そうとする。ただその想いのベクトルは往々にして間違った方向に進むこともあり、たとえどんなに大切に扱われようとも主に執着するあまりに主を呪い殺すことすらあるのだ。この物をできる限り己の傍にとどめておきたい、と主人が願えば物もまたそれに答え、自分の主人を誰にも奪われなくないと思う。それは悲しきかな、主人の死と物の死を持って想いに決着をつけることが多々あり、そうして物に呪い殺され祟り殺されていったものも確かにいるのだった。
 刀はほかの器物とは少し異なった様相を見せるのと同時に、どちらかといえば良くない結果をもたらすことも多いのだという。刀は人を斬るために生まれる。どんなに美しかろうと、それが人を生かすことにつながることはほとんどない存在と言えよう。私が傍に置く二振りはかつては土方歳三の刀として戦場に舞った。どれほどの活躍をしたのかは本人たちにしかわからぬところだが、彼らが斬った数は片手ではとても足りないであろう。主人の想いを一身に受け、そして同時に斬られたものたちの想いも受け、刀が宿す想いは少し歪みがちだ。さらに加えて、刀はただ大切に扱えばよいという物ではない。大切に扱うのと同時に、適切な主人が刀の性能を適切に引き出さなければならずそれ故に、己の力を最大限引き出すことのできる主人と会った刀は圧倒的にただ一人の主人に敬服を示す。敬服、といえば収まりがよいが、それは執着だ。執着が強ければ強いほどその刀は主人を敬愛し、新たな主人を認めない。下手をすれば祟り神にも近い存在となって人を食い殺すようにさえなる。
 器物は、私のような・・・・つまり審神者、一部の特殊な力を持つ人間によって十分な年月を経て折らずとも付喪神として形をとらせることができる。だがそのようなことがなくとも、長い年月を経た器物はただ年月の力のみで形をとることすらもできた。時の天皇が、此度、まだ未熟な私を呼んだのはすでにその一振りが付喪神として変化を始めているからであろうと思う。主を持たずして付喪神に変化してしまった刀は、主を持つ刀以上に厄介なことが起こりかねない。それはすなわち、己の主としてふさわしい人間を探し歩いてしまうのだ。私の力を適切に振るえ、と。さもなくば切り捨てる。故に先んじて審神者によって形をとらせることで、審神者を主としその力の矛先を審神者に向けさせることができる。
 「人身御供になれと言っているようなものじゃねぇか」
 「兼さん、そういうことは時の天皇の御前では口にしちゃだめだよ」
 「でもよ」
 いい淀んだ和泉守兼定の言葉を結局堀川国広が止めた。兼定もまた、己の役割を知っているのかわかったよ、とため息を吐いてあきらめる。過去の主人が死に武士としての誇りは持てど、やはり主人の死は彼らに暗い影を落としている。私が果たして彼らにどの程度認められているのかは知らないが、どうあがいても土方歳三を超えることはできないと思う。いたし方ないと思いつつもため息が出てしまうのはしょうがない。審神者としての役割にまだそこまで大きな誇りを持つほどたいしたものではないが、やはり誰かに信頼されるというのは人でも物でも関係をつむぐ上で重要なことだ。
 和泉守兼定と堀川国広は、ある意味良い影響を前代の主人から受けたように思う。彼らは主人の意思を良しとした。主人が戦場で死んだことそのものを武士の誇りと思った。ゆえに彼らは歴史の改変を食い止める役割を担うのに扱いがたやすいのである。
 私の役割、審神者の役割とは歴史の改変を食い止めるとともに、刀たちが歴史の改変をする側に向かわぬよう注視することである。物に宿った想いに力を与えてしまった以上、その身をどのように振るか、新たな主人として彼らを導くのが審神者の最も重要な役割である。
 私には生まれながらの審神者としての才はあっても、彼らをどう導くかに関してはただひたすらに迷いばかりである。世間知らずの小娘が、果たして何百年と想いを抱えた刀に果たして何を言えるというのか。和泉守兼定と堀川国広は、ただかつての主人が誇りを持って死んだ世界を改変させることを良しとはしなかった。だが時には彼の生きた時代に想いを馳せ、深く沈みこむこともある。私はその時に幾度も迷い、そして時には過去の改変を止めるということそのものが過ちではないかとも思いもした。それでも、私は今の世界がなくなってしまうことは悲しいと思うのだ。私が審神者としてやっていけるのは、ただそんな思い一つがあるからだ。自分でも弱い、と少し思う。
 「でも僕は主さんのその思いは当然のものだと思いますし、前の主も歴史を改変してまで生きることは望まないと思います。僕たちと違って人は一生が短い。その短さの中で、後世に何を残すかが重要でしょうし、前の主は確かに後世に残すべきものを残しましたしね」
 「・・・・そういう、もの・・・?」
 「悩む期間がうん百年あったオレらと違って主はたかだか十八だろ。最初の百年なんてそんなもんだ」
 「人間には百年も長いよ兼定さん」
 私の言葉に、兼定は少し驚いたような表情をしてからそれもそうか、と言った。彼らは時々自分たちと主である私との間にある時間の壁というものを忘れる。おかげでとんちんかんなアドバイスなどもらったりもするわけだが、それでも彼らは私のことを慰めようとしてくれていることだけは確かなのでその言葉はすべてありがたく受け取った。
 「で、新しい刀ってのはどこの作だ」
 「三条宗近、十一世紀末・・・・かな。もうたぶん付喪神に変化が始まりつつあるんだと思う」
 私は先日受け取った命の内容を思い出す。あまりにも突然のことで細かいことを調べている暇がなかったが、十一世紀末ともなれば、今から千年以上前のことだ。確かにこれだけの年月があれば、何がなくとも想いをかき集め主も持たずただ一振りで付喪神へと変化を始めてもおかしくはない。しかしそのような刀がなぜこんなにも長期にわたって放置されていたのかは、わからなかった。もしも必要であれば別の審神者が主として過去に目覚めさせることもできたであろうに、なぜいまさらになって、と私も思わずにはいられない。
 「国宝、三日月宗近と言えば大層な一振りでしょ。主さん、しかしまたすごい大仕事に当たったね」
 「荷が重過ぎて肩が壊れそう・・・」
 「なぁにオレも国広もいりゃあなんとかなるだろうよ」
 「でもそれだけ長らく放置されていたってのはつまりどういうこと?」
 「・・・・考えられることはいくつかあるけど、長い間主に恵まれなかったのかもしれない」
 つまり?と堀川国広は首をかしげる。
 「つまり・・・・・物っていうのは使われて存在があるものでしょ。確かに祀られても祀られるということに意味があるのかもしれないけど、それでも特に刀は使われないと歪んじゃうことがあるってこと」
 長い間、主に恵まれず祭られた、つまり使われなかったということはその力を適切に使うものを刀自身が望む場合がある。その場合新しい主への執着がひどく強くそして歪む可能性があるのだ。ようやっと己をふるってくれる者をもう二度と放さないと強く思うがあまりに、主を殺してしまうもしくは主に乗り移ってしまい主の本質を殺してしまうことも付喪神には多々ある。
 私も含め多くの審神者は刀を握ることはできない。握ったところで持ち上げることもできないし、第一に刀の扱いなど知らない。審神者の役割はあくまで物の想いを目覚めさせる、付喪神として自分自身に触れることができる力を持たせることだけなのだ。審神者が死ねば、まだ年月を経ていない刀たちは通常付喪神としての形を失い元の刀剣に戻ってしまう。故に、刀は持たずとも審神者は確かに付喪神、和泉守兼定や堀川国広の主なのである。審神者という主を失った刀剣たちは再び刀剣として年月が経るのを待つか、新たな審神者を得るか、それとも審神者としてではなく刀を持つ者を得るかのどれかになる。和泉守兼定や堀川国広は、時の政府がはじめた過去改変阻止の大事の中で、和泉守兼定には二度目堀川国広には三度目の審神者として私を得たという。土方歳三とは異なる、新たな主を得たときに和泉守兼定や堀川国広が何を思ったのかしらないが、彼らが私を過去の主と比較しないのは幸いだった。ただ唯一「主さんは僕と兼さんを別たないでくれた」とだけ国広が喜んでいたことだけが印象的だった。
 「齢千年の刀なんてどうすればいいの・・・・!」
 新しい分権法が完全に実施されるようになった今や、東都(かつての東京を中心とした関東全域)は日本国の機能が一点集中した地ではない。経済の中心は関西に移り、大阪と京都の複合都市西都がその多くを担っている。東都に残るのは主に政に関する内容だ。特にそれは昨今新しく始まった日本国の過去と未来に関するものであり、過去改変阻止は東都の抱えるとても重要な案件の一つである。
 新しく建てられた東都の議事堂は、過去の国会議事堂をそのまま使っているために幾分古くも思える。私は事前にそこに連絡をし迎えをよこしてもらって刀の安置されている神社の本堂へと向かった。まさか帯刀した人間(実際は付喪神なので人というのはおかしいが)をつれて街中を歩くわけにもいかない。基本的に移動は時の政府によって管理された区画か、専用の車による送迎が多い。私は神社本堂までの送迎の車の中で、これから先のことについてぼやき、そのたびに兼定に背をたたかれた。彼らは私以外とあまり会話をすることを好まないのか、時の政府の者が話しかけても返答は味気ない。呼び起こした当初は、こんな状態でやっていけるのかとも思ったが、私と彼らだけであれば存外に饒舌で私はほっとしたものだ。どうやらその時点で主と認められているらしく、そんなことを心配するほうが馬鹿らしいと以前兼定に言われてしまった。そもそも主以外には深く想いを向けないのが刀としての物の性質にあるらしい。
 本堂は人気がない。神主がただ一人、案内のためにいただけであとは本当に人っ子一人いなかった。
 通常の参拝者が通る道とは異なり、あえて裏手より本堂へ入ると、蝋燭で照らされた広い部屋の中に一振りの刀が置かれていた。
 この暗さの中で、蝋燭の光を刃が反射する。三日月の打ちのけがひどく美しく私は一瞬、その刃に飲み込まれそうになった。国広に肩をたたかれてはっとする。あとで聞けば数分ほど時間がたっていたのだという。私はかすかに震えながら刀の前に立ち静かに触れる。すでにこの刀自身が付喪神になりかかっている。もう十年以上も前に土蔵でふっと梅の花に手を伸ばしてしまったときと同じように、私は刃に自然と手が伸びていた。
 「三日月、宗近」
 指が刃の上を滑って一筋血が流れる。声も手も震えていてきちんと発音できたかも怪しい。それほどまでに私は三日月宗近というあまりにも美しい刀に心を奪われていた。
 一筋傷のついた指先を兼定でも国広でもない手が包み込み、私がはっとして顔を上げるとそこにいたのは私の見知らぬ男であった。だけれどもそれが三日月宗近であるという確信が、幼少期梅の花古金襴に出会ったときと同じようにあった。光の反射によって青とも紺とも見える、黒い髪。細められた瞳は夜空にも似た黒を持ち、その目の中に三日月が見える。青い狩衣のような装束にも三日月と星が描かれていた。金色の胴の鎧の房掛けが頬をくすぐった。
 美しいというそれ以外に言葉もなく。私は瞳の中の三日月に魅入られたまま、彼の手が指先の血を拭い頬をなぜ髪に触れるがままになっていた。
 もしもあの時私があのまま三日月宗近に魅入られていたら、その時点で私は死んでいたように思う。年月という力のみですでに半ば付喪神と化していた三日月宗近は私の意識を決して離さず、一瞬のうちに飲み込み私はそれに抗う術を持たなかった。
 「付喪神に魅入られたら死ぬって言ったのはアンタ自身じゃあねぇか、しっかりしやがれ!」
 和泉守兼定も堀川国広も、決して三日月宗近の領分に踏み入ろうとはしなかったが、そのぎりぎりのところでじっと私を見つめていた。兼定の言葉に急に意識がはっきりして、私は三日月宗近の手を反射的に振り返る。宗近はそれに対し、ほんの少し笑んだだけで特に不機嫌になることはなかった。代わりについと目を落とし、しゃがんだままだった私の二の腕を掴んで立ち上がらせる。
 「太刀 銘三条名物三日月宗近 附 糸巻太刀拵鞘(たち めい さんじょう めいぶつみかづきむねちか つけたり いとまきたちこしらえさや)、俺を呼んだのは貴女か。はて、今は何時(いつ)かな?」
 「・・・今は・・・」
 私は西暦で答えようとして言葉につまった。また和暦で答えたにせよ、主を持たない期間があまりにも長すぎてわかるまい、と思い結局ただあなたが生まれて千年近くたったのだ、と答えるにとどめたのである。
 宗近は一瞬目を細めた。驚きか喜びか、私にはその時宗近が何を考えていたのかわからない。
 「はっはっはっよきかなよきかな・・・・ふむ最後に戦場に立ったのはいつだったかな。忘れてしまった」
 私は宗近のその言葉の中にぞっとするものを感じて慌てて足の力を入れると、宗近の傍を離れた。存外あっさりと二の腕を掴んだ手ははずれ、彼は兼定と国広に寄る私のことをとがめるでもなくただ見ている。
 「主、アンタ少し軽薄すぎるぞ。あのまま魅入られてたらどうする気だ」
 「ごめん、もう大丈夫」
 「どうだかな」
 兼定は私が一瞬でも宗近に飲み込まれたことが気に食わないのか、ひどく不機嫌そうによそを向いてしまった。それを国広がなだめるも一度ヘソを曲げると機嫌の直りが遅い。しばらくはつんけんと絡まれるだろうと思いながら苦笑すると、くるりと国広が振り向いた。
 「あっ主さん、早めに神主さんのところに行かなきゃ。三日月宗近呼んだら来いって」
 「・・・ッ・・・忘れてた・・・・。国広くん、あとよろしく。戻ってくるからここにいて」
 「わかったわかった」
 ちらと三日月宗近の方を見ると、彼はやはりにっこりと笑っていた。あいもかわらず美しいそのたたずまいに見ほれそうになるが、これ以上兼定の気分を損ねるのは後々が面倒である。私はついと目をそらした。その視界の端で、宗近が己の刀、つまりは彼自身を手に取るのが見えた。





 私たちは、過去へ行かねば改変を止められない。未来とは過去の結果であり、過去が変われば未来も変わる。私たちは、過去に入り私たちの知る(つまり今の未来を作る)過去が正しく進むように調整を行わなければならない。過去に行く方法は存外簡単だ。過去の改変は大規模なものこそ防げれど、すでに小さな過去の改変は起こりつつある。審神者の数も限られ、過去の改変を行うもの達に抵抗する手段も限られている以上、全ての過去の改変を食い止めることはほぼ不可能である。過去が改変されれば、「今」に影響が出る。突然誰かの意識から消えてしまった人間、あると思っていたはずの場所には何もなく、記憶の誤差・・・・上げればキリがないが、こういったオカルト現象として一般に扱われるものの中には、深刻な問題も含まれていることが多々ある。時の政府が管理するものはこういった過去の改変に関する事象だ。そしてその実行部隊が審神者と、審神者が形を成さしめた付喪神ということになる。
 過去に移動することはあまり難しくはない。「今」にある過去の改変によるひずみを見つけてやればいい。過去が改変されつつあるせいで、おかしくなりつつ「今」はこの世界に確かに存在するのである。時の政府はそれらを管理し、主に神社にその管理を任せ、その時空のひずみから審神者を過去へと送り込む。
 私が今回示された時間は、安土桃山時代。織田信長・豊臣秀吉が中央政権を握り天下統一が目指された時代である。織田信長や豊臣秀吉といった名はおおよそ日本国の誰もが知るほど有名で、それゆえに大規模な過去の改変が起こりやすい。日本の歴史の変わり目、ここにはさまざまな人間の死と生が絡む、歴史の改変を望むものたちはおおよそ無念のうちに死したもの達の生を願うことが多く、それゆえにこうした大きな歴史の改変を望むのだ。歴史の改変はおおよそ教科書を読めば見当がつけられるほど、そして同時にここが崩れてしまうとどんな変化が起きるかわからないと思われる場所に審神者が送り込まれる。私は比較的江戸時代以前に送り込まれることがおおかったが、これは私が今形を成している付喪神が、幕末に関連のある物たちであるからだろう。和泉守兼定も堀川国広も人の姿を取りながら付喪神、そこにはすでに人と同じように想いがあり同時に神に近い力をも持つ。彼らが歴史の改変の側に回れば時の政府にとっては大きな損失だ。それゆえに政府は付喪神たちと強い関連のある時代はなるたけ避けるように配置を行っている。
 私は一通り神主から話を聞いてから、再び兼定・国広・宗近の元に戻ると三人を連れて時空のひずみに向かった。
 ひずみは、突然に生まれうる。私達の見えない過去で、何かが起こって「今」が変わる。その瞬間が時空のひずみとして「今」に現れ、時には神隠しと呼ばれるものを生み出すのだ。それは、神社の本堂の一室に存在した。
 神主に案内されながら、ちらりと後ろを見ると相変わらず不機嫌そうな兼定と、それをなだめる国広、そしてじっとこちらを見る宗近がついてきている。宗近と目が合うとまた私を惹きつけて止まない瞳の中の三日月がほんの少し細められ、口元に笑みが浮かんだ。神主も、なるたけ触れたがらないのは、すでに神性が強く現れているからだろう。彼はあとほんの数年で、付喪神になり化生の物と呼ばれる存在に自力でなりえたはずなのだ。並みの審神者では御しきれぬ、というのはヘタをすれば付喪神に飲み込まれるからである。
 やはり、私は人柱のようなものなのか、と思うと落胆せざる得ないがそれを見かねたのか、また苛立ちを与えたのか、私は兼定に背中を小突かれた。
 「辛気臭い」
 「そうは言っても」
 「なんもかもアンタの気の持ちよう次第だ、しゃんとしとけ」
 これではどっちが主なのかさっぱりわからないが、私の人生経験などたかが知れているのだ。引きつった笑みを浮べると国広から「笑えてませんよ」という辛辣な一言をいただいてしまった。
 私達が踏み込むべき場所は、闇にしか見えぬ。ふすまを一枚隔てた向うは、奇妙な闇につつまれていて、相変わらず一歩踏み込むのを躊躇する。神主は何も言わずに一礼の後に去り、少し足踏みをしていた私は兼定に押されるようにして闇の中、過去に足を踏み入れた。
 闇の中に足を踏み入れてしまえばほんの一瞬のこと、瞬き一つする間に私は先ほどの神社ではなく見知らぬどこかにいる。大抵過去の移動先は、私達が過去での仮生活の拠点となる本丸の近くになる。私はしばらく竹林の中をうろうろと歩き回り、ようやっとのことで大きな家屋を見つけた。竹で編まれた生垣と丸い踏み石。私は祖父母の家のほかに正式な日本の家屋など見たことがないが、幾重もの襖と畳に板の間、教科書で見たままの形に私はほうと息をもらした。
 「ここが拠点か。人として家に住んだことはないが、すごしやすそうではあるな」
 ふっと突然後ろから声が聞こえて、私は一瞬息を呑んだ。落ち着いた声色はほとんど変化することがない。それは何を考えているかがわかりにくいということでもあり、私はそれが少し恐ろしかった。
 「はっはっは俺が、恐ろしいか」
 三日月宗近はひどく楽しそうに笑ってまたあの目を私に向ける。私は瞳の中の三日月が見える前に今度は目をそらした。
 「・・・・恐ろしいというか」
 「ふむ、呑まれそう、の方が近いか?付喪神は主に執着するものだからな。そう堅く構える必要もない」
 考えていた以上に落ち着いているというのが二度目の感想だった。一度目はひどく美しく落ち着かないというものだったが、それはあくまで私の勝手な印象であり彼が何かを直接的に与えてきたわけではない。元より天下五剣の中でももっとも美しいと呼ばれる一振りの太刀である。その付喪神が人を惹き付けぬはずもなく、だがその本質は非常にマイペースと言おうか、鷹揚な態度で物事に接するようである。
 私が堅くなりすぎてるだけか、とため息を吐くと随分と全身に力をこめていたことがわかって手足がほんの少し震えた。後からやってきた兼定と国広にまた小言を言われたのは、別の話である。



 中 





2015.02.03 執筆
2015.02.04 公開