過去へ遡るということには神の力を借りるので、そう大それた儀式は必要なかった。必要なのはが今と過去との起点と終点を繋ぐ道を繋ぐこと。
 は初めて鶴丸の形を成した板張りの広間で、正座をしてじっと目を閉じていた。場所に関してはすでに過去に用意された本丸に指定されている。あとは、が過去の自分と呼吸を合わせれば時を渡る瞬間を掴むことが出来る。宮司にはただそのときになればわかる、と言われたもののその瞬間がいつ来るかまではわからないものだから、その時を探してずっと占ってきたのだ。間違いでなければ今このときなのだが___がそう思ったとき、不意に奇妙な感覚に襲われた。ああ、ここだな、と妙な確信を持ってが目を見開くとすでに周りには誰一人としていなくなっていた。すぐ隣に立っていたはずの鶴丸も、獅子王も一期一振も、薬研も和泉守もまるで最初からその場に存在しなかったかのように、音も残り香もなく、は板張りの部屋でたった一人残されていた。
 「・・・・・」
 思っていた以上に寂しい、とぽつりとが呟くと、終ったことを気配で感じたのか宮司が声をかける。
 「お疲れ様でした。間違いがなければ十日で帰ってくるでしょう。その間はこちらに滞在されますか?」
 「・・・・・家に、帰ります」
 この半年で鶴丸たちと共にいる空間になじんでいたことをひしひしと感じる。は今の状態を笑う人すらもいなくなった場所で、ポツリと呟いてから立ち上がった。本丸は本来ならこんなにも静かで人の気配がない場所なのだ。今生にて鶴丸と会う前は、あの夢を見る前はたった一人のアパートで暮らしていたから今更だというのに、それが今はどうしようもなく寂しいことのように思われて仕方がなかった。





 突如目前よりの姿が消えうせた、と思ったときにはすでに鶴丸たちは過去にたどり着いていたのであった。先ほどまで暮らしていた本丸よか幾分造りの古い建物は今まで人の気配がなかったというのに、突如人の声に溢れかえる。
 足元にあるのはよく磨かれ使われてきた板の床。誰かが戸を開けば、ぱっと光が空間に入り込む。簡易な庭は果たして誰が手入れをしているのかしらないが、それなりに見栄えのする形に整っていた。
 「こりゃあ驚いた。本当に過去に飛べるとはなぁ。いやここは過去か?」
 「あいつがいなくなってるから過去なんじゃないのか」
 「あっ、ちょっと倶利伽羅くんどこにいくの!」
 「こんなうるさい場所にいられるか」
 板張りの部屋は確かに騒がしい。何せ一挙に十数名の人に溢れかえったわけで、しかも彼らが全員同時に何事か話をしているとなれば静かであるはずがないのだ。
 鶴丸はぐるりと周りを見回してから、確かに先ほどまで傍にいたはずのがいなくなっているのを見てから広間を出た。構造はほとんど同じようだったが唯一離がなくそこは土蔵に変わっており、ぴたりと戸の閉じられた土蔵がすこし物悲しい。
 出陣は日を選ぶ。今すぐに戦場に出るわけにもいかないために、それぞれ定められた日時まで三々五々散る者たち同様鶴丸もまた過去の本丸をふらふらと歩き回っていた。
 太陽の位置はほとんど変わらない。軒下から空を見上げれば、雲ひとつない青空が広がっている。
 「・・・じっちゃん!なぁじっちゃんてば!」
 「獅子王か。どうした」
 「なら探してもいないぜ?」
 ほんのりと口元に浮かんでいた鶴丸の笑みが、獅子王の一言でふっと消えうせた。怒っているわけでもなく、かといって機嫌を悪くしたわけでもない。そして獅子王の言葉に鶴丸は十分に間を置いて噴出す。
 「あっはっはは、なんだそんなことか、俺だってそれぐらいわかっている」
 「あれ?じっちゃんさっきまでずっとのこと探してたみたいだったから、なぁんだ違ったのか」
 「違うぜ、俺もそこまで馬鹿じゃあない」
 「そういう意味じゃねぇんだけど」
 まぁいいか、と獅子王は後ろ頭をかきながら歯切れ悪くそんなことを口にした。。肩に乗せた獅子の毛皮と面は、獅子王が動くたびに揺れてまるで笑っているようだった。そんな獅子王にねめつけるような視線を送ってふいと前を向く。
 「出陣は明日だろう。そういえば古地図の欠けていた部分を揃えないとまずかったな」
 「あっそのことなんだけどさ__」
 「あの」
 門より覗けば本丸の縁側の一画が一望できる。ちょうど獅子王と鶴丸が居た場所はまさにそのようなところであった。門扉はほとんど崩れて意味を成していなかったから、覗き込めばすぐに人がいることがわかる。逆に言えば二人が今、門から覗き込む人影に気付かなかったというのは不覚であったが、突然降って沸いたかのようなその声は、門の前に立つ女のものであった。
 「あの、いつからここ人入るようになったんです?」
 大きな荷物を背負って明るい色の小袖を着た女は、いかにも旅商人であるといった様子のすこしばかり汚い格好で、ぐるりと本丸の中を覗いてから人好きのする笑みを浮べる。
 鶴丸も獅子王も開いた口がふさがらない。何せその女、容姿がそっくりであったのだ。だが細かな表情や、しゃべり口調や格好は二人の知るのものではなかったし、にそっくりなその女も鶴丸と獅子王を見てもなんら反応を示さないから二人のことは全く知らないと見てとれた。
 女は律儀にも壊れて崩れ落ちた門の前で立ったまま「ここずっと人居なかったんですよね、驚いた。あっ門ならここから山二つ向うにすごく腕のいい人がいますよ。それよか薬はいりませんか、惚れ薬はないけどお兄さん方はあったとしてもいらないね」と言った。女からすればいつも通りの売り文句だが、二人があまりにも呆けた顔でいるもんだから、一旦言葉を切ってから「気付けのお薬の方が、いい?」と恐る恐るたずねたのであった。
 「君、か・・・?」
 「なんで私の名前知ってるんです?」
 、と呼ばれた女はほうと変な声を出して大仰に肩をすくめて驚いて見せた。ほんの少し演技染みた様子であったものの不審に思いもしたようで、怪訝そうに眉を寄せている。だが顔を見合わせた鶴丸と獅子王が一拍間を置いて薬を買うから、と言えばはぱっと顔をほころばせ、ありがとうございますと元気よく言って本丸に入ってくるのだった。
 もう雪はない。庭のそこここで新芽が芽吹き、春の訪れを知った鳥や虫が顔を出す。哀れにも水面に落ちた虫がぽちゃん、という音と共に鯉の餌食となっていった。「もう春ですね」などと言いながら、はちゃっちゃと商売道具を広げていく。
 鶴丸と獅子王が座る縁側のまん前の地べたに布を広げてしゃがみこみ、越後から持ってきた薬の話をするは、鶴丸の知るではないが何度も時代の中で生まれ変わるうちの一人、で間違いないらしい。生まれ変わる人間がここまで似ているというのは非常に珍しく、そのために獅子王も鶴丸も驚いたのだが、話し始めればその快活な話ぶりに引き込まれるものがあった。
 鶴丸の知る維茂のところにいたも、自分らを過去に送り出したも話すのはそう得意ではなかった。それを思えばやはり別人なのだと思いながら、鶴丸は薬を売り込んでいくを眺めていた。獅子王は差し出される薬のほうに興味があるのかあれはこれはとたずねては楽しそうにしている。
 「そうだ、。君ここいらの地理には詳しいか?」
 「地理ですか?まぁ私はこっちに知り合いが居て越後から必ずここいらに来ると決めてるんでそこそこは・・・・」
 は薬を扱う商人ではあるものの、病気と薬について精通しているわけではない。むしろまだまだ修行中の身と言ったところで扱っている薬の数も少なく、商売品の中の半分ほどは農作物の種であるということであった。ただ軽い話口調と、旅先のことを面白おかしくまるで目前のことのように話すその素振りは人を良く惹きつける。薬売りよりももしかしたらそっちの方がよっぽど向いているのかもしれなかったが、それはともかくも鶴丸の言葉に頷いたは「どこのことが知りたいんです」と座っていた場所を地面から鶴丸の隣に移した。獅子王より受け取った古い地図を見せ失われた半分を指差すとは手を打って笑う。
 「ああここなら割と近いですねぇ、わかりますよ。ちょいとまってくださいね」
 懐から墨と筆を取り出して、庭の水をちょいと拝借してはさっさと墨を磨ると細い小筆をちょんと浸す。は何事か歌を歌うように地名を読み上げ、紙の上に筆を滑らしていった。手の動きは淀みなく墨も途切れることなく続いていく。
 お世辞にも褒められた字ではなかった。それは昔のも今のも同じである。奇妙な縁に笑いを隠しながら、鶴丸はが描いた地図を検分していく。地図自体はが感じている空間を描いたものだから方角も距離も正しいものじゃないが、その要所要所にはきちんと目印が示されているので問題はないだろう。だがその中にいくつか奇妙に黒く塗りつぶされた場所があった。文字を書くわけでもなく、かといってまさか山を描いたわけでもない。井戸の底のような真っ黒な場所であった。鶴丸はまだ乾ききっていない墨が指につかぬよう、紙からほんの少し手を浮かせながらその黒塗りを指差してに問う。
 「・・・・・、この黒塗りはなんだ」
 「あっそこ私も踏み込んだことないんで。地元の人から絶対に踏み入っちゃいけない場所って言われてるんです」
 が指差しもう一度筆でバツ印を走らせたその場所は、鶴丸たちがいる今の時代よりもさらに遡れば戦場であった場所に重なる場所であった。
 歴史修正主義者は鶴丸たちと同じ付喪神の強い念であったり、その時代の人の願いや呪いが集まったナニカであったりする。そのものの持つカタチ(霊体)や形(実体)は非常に多岐に渡る。時には広く世間からに神と崇められるものもいて、未来から見ればそれらは歴史修正主義者ともなるがその当時の人たちから見れば祟り場に近い存在になっていることはよくあることであった。
 触れてはいけない見てはいけない近づいてはいけない場所、が各時代各時代に必ず存在する。それは時には単に未開拓であるということもあるが、口伝にされるのは過去に人が死んだ場所、忘れ去られた神社であった。本丸より鬼門の方角にあたるその地域は、かつての戦で多くの戦死者が出た場所であった。無念も募ればそれがカタチになる。そして人の血を得て今の鶴丸たちと同じ形を得る。
 今回の敵の本拠地はそこであろうと鶴丸と獅子王が目で示し合わせるも、地図を記していくはそれに気付かない。紙が足りないなぁ、などとぼやきながらは続き続きを描いていくが、鶴丸は笑いながらそれをさえぎった。
 「悪かったな、もうそこまでで大丈夫だ」
 鶴丸はもう墨でいっぱいいっぱいになった地図を拾い上げてから礼を言うとはそりゃどうも、と言って笑うのだった。それからあまり必要でもないが、最初に口にしたことなのでいくつか薬を手に取りそれから礼を含めて代金を支払いを見送る。はなれた手つきで手早く広げた物をしまうと、ありがとうございました!と言う一言とそれからいくつかの口上を二人に投げてそのまま門を出て行った。
 「あれがこの時代のか」
 「驚いた、すっげぇそっくり」