特に鶴丸と事細かに約束を交わしたわけではない。だがそれから皇室御物の特別展示が終了するまでの間どうにも動く気になれなかったは特に何をするでもなくいつも通り時間をすごしていた。大学に行き講義を受けて、帰って寝る。博物館を訪れる気になれずほとんどを家ですごしていた。そして展示期間満了を迎えたその日の夜、は浅野から次の日の予定について連絡を受けた。結局神社には行かなかった旨を伝えると車を寄越してくれるということであった。




 
 「あれ、鶴はその格好は__」
 『ん?ああこれで俺もお飾りじゃなくなるわけだからな。これが戦刀としての本来のカタチだ』
 鶴丸はついこの間博物館で展示されているときに見た、まるで白無垢のような衣装ではなく、が夢で見た当時の格好をしていた。つま先から頭まで真っ白なのは変わりないが、薄い灰色の袴と金色の縁取りのある草摺、そして紺色の脚絆に高い下駄を履いて、ふんわりとした白い羽織をまとっている。胸元から背にかけて兵庫鎖の金色が輝いていた。動くたびに細い手首が見える。
 が車に乗り込むと、鶴丸も席を詰めろとを急かした。
 「あーえっとあのすみません、もう一人座りたいそうなので___鶴は車の上とかじゃだめなの?」
 『できるかできないかでいえば出来るが、俺はそんな驚きは求めてないぜ!』
 君、仮にも神様に向かって遠慮がないな!と鶴丸が笑いながら言うのでは少し肩をすくめる。なんとも、既知の友人のような感覚があってなかなか立場の違いというものに馴染めない。付き添いで来てくれた政府の役人は少し驚いたような表情をして首をかしげながらも色々と事情を察してくれたのか、一人分空間を空ける。鶴丸はそこにちょこんと収まった。
 特に話すこともない。車内は静まり返ったままであった。約二時間ほど車は走り、先日が手渡された名刺に記載されていた神社へとたどり着く。
 ゆっくりと止まった自動車の中から外を見れば、ほんの少し標高が高いその場所から周囲の様子がよく見渡せた。静かなところであった。木の間にひっそりと佇む鳥居と、そのさらに奥の本殿は古いものの、よく手入れされていることがうかがわれる。鈍い色になった屋根瓦と、降り積もった落ち葉。石段は何度も何度も踏みしめられ磨り減っていた。
 は車から降りる際、鶴丸が収められた桐の箱を手渡される。
 『落としてくれるなよ』
 「今度は落とさないから」
 の切り返しに鶴丸は肩をすくめる。昔のことを思い出したのだろうか。
 政府の役人の案内はここまでだということではそのまま本殿に向かうことにする。ここいらの地に詳しいわけではない。話は宮司から聞けるということなので、ひとまずは先にそちらに向かおうと思ったわけだが、鶴丸国永という本体だけであればともかく、桐の箱の中に収められているとなるとどうも抱えにくい。四苦八苦しながら何とか安定する位置を見つけると、まるで赤子のように抱えて石段を登り始めた。
 『君にそうやって抱えられているとはなんとも不思議な気分だなぁ』
 「そ、そう?できれば手伝って欲しいんだけど」
 『そりゃ無理な相談だ』
 鶴丸がからからと笑う。
 滑りやすい石段を、つま先で足元を確認しながら悪態をつきつつ上りきって、は鳥居をくぐった。思った以上に広い境内の中に参拝者がちらほらと見受けられる。なんの行事もない平日などこんなものであろう。おみくじを引く外国人観光客を横目に参道を通ってひとまずは、境内を巡る。実のところこの先どうすればいいのかわからなかったのだ。は鶴丸を連れてあっちへふらふらこっちへふらふらとしていたが、そのうちにふと声をかけられて立ち止まる。
 「様でいらっしゃいますか」
 「ああ、ええっとはい。あの、ここの宮司さんにお話をお伺いしたいといいますか、あの政府の方から__」
 「お話はお伺いしております。私が宮司の長原と申します。立ち話もなんでしょう、もしよければ奥へ」
 長原と名乗った宮司は本殿の裏手を示した。はそれに頷きあとをついていく。神社の裏手など一度も入ったことはなかったが、この神社は考えていたよりも旧日本式、といったところで磨かれた木が足の裏に心地良い。
 宮司はとにかく広い板張りの部屋にを案内した。すっからかんのそこは道場のような雰囲気を持っているが、なにもない。はぁとはため息をつき、なんとなく静かな雰囲気に気圧されて首をすくめながら部屋の中に足を踏み入れると、なんとなく空気が変わった気がしたのだった。気のせいかなんなのか、鶴丸は顎に手を当てているだけで特になんの変わりもなく、宮司もどうしたのかとこちらを見ているので慌てて宮司について部屋の中央まで足を勧める。
 座布団を二つ、差し出される。
 『なんだ君、俺のことが見えていたのか』
 「あれ、見えていらっしゃるんですか」
 「多分貴女ほどでは、ないですが」
 は鶴丸と顔を見合わせた。
 「うすぼんやりとずっと貴女についてくる白い影が見えます。時折声も聞こえますが、何を言っているのかまでははっきりしません」
 『まぁこういうところにいる奴は視えるやつも多いからなぁ』
 鶴丸はそんなことをぼやいてから用意された座布団の上に胡坐をかいた。そもそも疲れもしないのだろうが用意されたんだからと鶴丸は言った。
 「詳しいことは他の方からお聞きになっていますか?」
 「ええっと、多分。その審神者になって欲しいというのだけは聞いたんですけど、他の・・・例えば具体的にどうしたらいいのかってのまでは、知らないです」
 の言葉に宮司は頷いてからしばし沈黙した。どこから話をすればいいのか迷っている様子だったが、時折奇妙に視線が揺らぐ。どうも鶴丸の様子を気にしているようなのだが、露骨に鶴丸の方を見るのも気が引けて、は居心地悪そうに体を動かす。
 「・・・・詳しい手順を省いて簡単に申し上げますと、貴女は神降ろしをし神と契りを結ぶことになります」
 「はいっ?」
 「神降ろしは、その、すでにすぐそばにいらっしゃるようなので必要ないと思いますが・・・・契りというのは・・・・契約と言い換えても構いません」
 宮司は少し言葉を切りながら非常に曖昧な説明を続けていく。
 「歴史修正主義者の話はもうご存知ですね?歴史修正主義者も多くは付喪神であり、また状況によってはあやかしといった類の物も含まれた者たちのことを示します。簡単に説明するときには人の歴史に住み着いた悪霊である、と呼ぶこともあります。これらを祓うことは帝の一族ならばともかく、ただの人ではどうにもなりません。このため神の力をお借りすることになります」
 輪廻の輪の外れた世界にいる神と契りを結び、肉を与え、神の力でもって歴史修正主義者を祓う、というのが大きな流れなのだという。肉を与えるのは、歴史修正主義者もまた魂だけのカタチではなく身体という形を持つ存在だからなのだそうだ。
 契約は血を媒介とする。色々と深い意味があるそうだが、大まかにいえば体内を循環する血を輪廻の世界に見立るのだという。
 「ただ神の力というものは非常に甚大であります。そのため契りを交わす際には何を与え何をもらいうけるのか明確にしなければなりません」
 「それはつまり肉を与えるから力を貸してくれ、といった?」
 「大まかに言えば。その契約に納得をすればよし、といったところでしょうか」
 それはにとっては未知の世界であった。鶴丸国永のような付喪神と日常的に会話をすることに違和感はなくとも、契りを交わすとなればまた意味合いもかわってくるだろう。ちらりと、隣に座る鶴丸に視線をやるとぷいとそっぽを向かれてしまった。
 「詳細は追ってお話をいたしましょう。その前に神降ろしの日と契約の文言を決めなければいけませんね」
 「今すぐにってわけじゃあないんですね」
 「ええ、日は選ぶべきです。また契約の文言も慎重に__」
 『今日で構わんだろう』
 宮司はそこでぴたりと言葉をやめた。には相変わらず普通に聞こえていたが、どうやら今の言葉は宮司にも届いていたらしい。驚いたように目を見開いた宮司が、の脇を見つめている。
 『何をするのかも話は聞いていたわけだし、理解もしてる。大体吉日だのなんだのは人の儀式的な要素だぜ。俺たちには関係ない』
 「・・・・文言もなにも必要ないだろう・・・ってことなんですけど」
 「しかし__」
 鶴丸のその後の言葉をが引き継いで宮司に伝えると、宮司は目を明らかに狼狽した風に泳がせる。慌ててに重ねて声をかけるものの、その言葉は急に尻すぼみとなってしまい、それきり黙ってしまったものだから、は首を傾げつつも、鶴丸の言葉に納得していたために「鶴がいいというなら」と口にするのだった。
 『いちいち人の儀式はまどろっこしいんだ。まぁ驚きもあるっちゃあるが、君にはもう俺のことが見えているし、いいだろう。そら、刀を鞘から抜け』
 鶴丸に口で手で促されて、慌てては桐の箱に手を伸ばす。ぴったりとはまった蓋を少しばかり力を入れて持ち上げれば、中には布につつまれた美しい太刀が横たわっている。改めてまじまじとその装飾を見たであったが、近くで見るとこれほどまでに繊細で、輝いている。白い鞘と白い柄。鈍く光る金色の鎖が美しい。美術品としてそれだけでも価値がある、と思える造形なのは、当初は戦刀であった鶴丸国永も時代を経るうちにその本来の遣い方をされなくなっていったからだろう。
 『全く斬るための刀をしまいこんじまったら何の意味もないってのになぁ。それならまだ大根でも切ったほうが幾分マシだ』
 「大根って」
 『鞘から抜いてみろ。血の契りは君の血を刃につければいい』
 えっ、とは驚いて鶴丸の方を見る。鶴丸は『別に失血死するほどじゃあない』と笑った。の心配事をよく見抜いているようであった。
 『血判ぐらいのものだ。よく切れるから刃にちょっと触れてみろ』
 「触れたぐらいじゃ・・・・っ!・・・・本当に切れた」
 「だから言っただろう?」
 宮司が息を呑む。空気が変わったのがこの場に居た誰にも明白にわかっただろう。
 の肩越しに手が伸びる。その手は今までが見てきたものと何一つ違いがなかったが、違うのは肩に触れられた手に確かな実体と熱が含まれていることであった。
 鶴丸は左手をの肩に置き、右手で半分ほど鞘から抜かれた鶴丸国永という太刀を拾う。の頬に鶴丸の首に巻いた鎖が触れた。
 「驚いたか?そんだけ驚いてもらえたんなら、長いこと生きてたかいもあるってもんだ」





 は今の世ではないものの、鶴丸国永と長い付き合いがある。だから今更彼が実体を持ったところでさほど驚かないと思っていたが、そう簡単なことでもなかったようだ。
 鶴丸とはあの後、神社の一画に用意された通称本丸と言う建物に案内をされ、今後は基本的にそこで生活をすればいいことを告げられた。過去へ遡り付喪神たちを過去に送り込む起点はこの神社であるというから、いっそ近くに住んでしまった方がよいということだろう。の一人暮らしの住まいより車で二時間もかかるのだから、もそれに納得をしてあれ以来ずっとこの本丸で生活をしている。
 「しかしなぁ・・・・驚きはあるが人の体はままならん部分も多いな」
 「例えば?」
 「体が重い」
 心底嫌そうな表情をした鶴丸鶴丸が太刀を腰に下げて億劫そうに肩を動かした。
 「それ獅子王も言ってた」
 が笑う。
 鶴丸は戦装束ではなく小袖に袴という簡易ないでたちでの部屋をやってくるとそのままどっかりと腰を下ろす。
 本丸に容易されたの部屋は離のような形で、他の付喪神たちに与えられた部屋のある母屋とは別の建物に存在した。まだ都内にもこんなに自然の残る場所があるのかと驚くほどに植物に囲まれた空間は心を落ち着けてくれる。ふすまと障子と木に囲まれた空間、椅子や机はないので慣れないうちは足が痛くなったり腰を痛めたりもしたが、ここに半年近くいれば慣れてしまった。
 この半年の間、はできる限り多くの刀剣の付喪神と契りを交わし、形を成してきた。鶴丸国永を最初の一口とし、その後皇室御物として名を連ねる、一期一振、平野藤四郎、鶯丸、身近であった獅子王、鳴狐・・・・・そうして集った刀剣はすでに30を超えるが、その全員が一同に集うのだから、騒々しさもまた並のものではない。何せ一人一人、一口一口が、名刀と呼ばれる素晴らしい刀である。皆、元の持ち主の影響かそれとも作った人間の影響か、非常に強い個性を持つ者たちばかりで、ははじめこれが神なのかと驚きもしたがやがてそれにもなじんでしまった。
 「大将!宮司から日程が決まったと言伝だぁ!」
 「んー」
 入り口から投げかけられた薬研藤四郎の言葉に、は曖昧な返事を返す。
 「なんだ鶴丸も居たのか。邪魔するぜ大将。次の望月だそうだ、どうだ?」
 文机に向かって口を尖らせているに薬研は苦笑しながら近づいてすぐそばに腰を下ろした。
 「私からすればなんでもいいからやるんだけど、さっぱりわからんできる気がしない」
 「そう気負うこたぁねぇさ。一度や二度の失敗なんて誰にでもあるからな」
 「君たちに言われるとすごく重たく感じる・・・・」
 が苦い顔をして笑えば、薬研も一緒になって笑ってくれて、しばしそんな戯れの後に、は改めてため息を吐き目の前に乱雑に広げられた紙の束に目を通すのであった。
 今が執り行っているのは、付喪神たちを過去へ送る、起点と終点の決定である。終点とは過去ののこと示し、起点とは今ここのことを示している。この二つの呼吸を合わせることで付喪神たちが過去にわたるタイミングを計るのだが、当然過ぎ去った過去は変えられないものだから、今のが過去にあわせて場所と呼吸を合わせなければならないのだ。そんなこといきなり言われても出来るはずもなく、宮司に言われたとおり色々と調べてはその方法を模索しているもののさっぱり検討がつかめないままもう一週間が経とうとしている始末である。
 「だけどよ、過去とはいえ、その生まれ変わりが大将なんだろ?だったらなんとでもならぁ」
 「薬研、あまりに難しいことを言ってやるなよ、は頭が悪いぞ」
 「それは失敬」
 「なんと失礼な」
 が憤慨をすればすまないすまないと薬研が笑いながら謝る。鶴丸は最初から傍観する気なのか目元口元に笑みを浮べての反応を笑っていた。
 「そういやあ対象は鶴丸とは縁が長いと聞いたな」
 「まぁ前世からの縁ってやつだ」
 鶴丸の言葉に薬研は少し驚いたようだった。何人かには話をしたが、その度に彼らは驚いて面白がる。確かに生まれ変わりはあるにしても、前世より付喪神の姿を見て、さらに今生でもまた会うことができるというのは非常に奇異な縁なのであろう。
 「元の主ってぇわけか?」
 「ううん、主は別にいて私は鶴の言葉の伝達役のような」
 「なるほどなぁ・・・しかしそりゃあまた本当に不思議な縁だな」
 俺も長いこと付喪神として生きているがそんな風な縁にはまだお目にかかったことがないと言って薬研は鶴丸とを交互に見比べた。
 「こういう縁は珍しい?」
 「いやぁ前世知り合った二人が現世で巡り合う、ってことはそれなりにあるもんさ。だからそっちはそう珍しいことじゃないんだが」
 薬研はそう言いながらちらりと鶴丸のほうに視線をやって、それからもう一度を見て言葉を続ける。
 「前世で知り合った付喪神と巡り合う、ってのは珍しいなぁ」
 「へぇ」
 「何せ千年越しのことだからなぁ」
 鶴丸の言葉にふっと薬研の表情が変わったことを、は気付いただろうか。いや彼女は今話をしながらも紙の上に目を落としているのだから、そんなことに気付くはずもない。鶴丸はそんな薬研の横顔を見ながら「そろそろ弟達が待っているんじゃないか」と声をかけ、薬研はしばし沈黙した後に「そうだな」といつも通りの口調で言って立ち上がった。
 「じゃあな大将。俺はもう行くがあんまり根詰めすぎんなよ」
 「はぁい」
 これじゃあどっちが主かわからんな、と鶴丸が笑いながら薬研を見送る。二人きりになればふっと静まりかえる部屋の中で、ふと鶴丸が口を開いた。
 「
 「ん?何?」
 「君は俺と会えて嬉しかったか?」
 それは突飛な問いであった。は驚いて顔を上げて鶴丸の方を見ると、彼はほんの少し口元に笑みを浮べていたから、それにあわせて「嬉しいんじゃないかな、特に・・・昔のは」と言った。
 「そうか」
 鶴丸の問いはそれきりであった。