刀剣の手入の仕方も、扱いもには何一つわからない。だからは審神者と言う、鶴丸国永と人の子との間を取り持つ役を与えられてから今の今まで一度も鶴丸国永と言う刀に触れたことはなかった。
 「鶴丸国永が何か言うことはあるか?」
 「・・・・いいえありません」
 は刀剣の手入を役とする男に屏風越しに答えた。男は頷いてから鶴丸を鞘から引き抜く。その様子を鶴丸はじっと見つめていたが特に何も言うことはなかった。
 よく晴れた日であった。だが空には雲が多く、太陽の光が時折途切れ途切れになっては地面に影を落としている。屋敷の奥まったところであれば、暗くもなってしまうため、は仕方なしに灯りを一つつけて作業の邪魔にならないよう再び屏風の裏に引っ込んだ。
 刀剣は使うことがなくとも錆が出てくるものである。そのために数日に一度はこうして必ず手入をするのだが、今まで刀に馴染みのないには当然できないために、刀の手入は別の者が担当をしていた。刀剣の手入中は唾が飛んでしまうとまたそこから錆が出る。そのためには必ず屏風越しに鶴丸国永から何かあれば男に声を掛けるのが役目であった。このときばかりは鶴丸も色々と気になるものがあるのか、沈黙したままじっと男の手元を覗き込んでおりに話しかけない。果たして男は肩越しに見られていることを知っているのか知らないのか、黙ったまま決まり通りの手入をおこなって、最後には元の位置に戻して終わりである。はそれを見届けてから維茂に届出る、というのが数日に一度の仕事であった。
 「足が・・・・」
 『またか。君本当に正座が苦手なんだな』
 「鶴は・・・・正座なんてしたことないくせに・・・・!」
 『まぁな』
 鶴丸が笑いながら磨かれたばかりの己を眺める。
 「何か不満が?」
 『いや、ないさ。だが自分で手入を出来たらここまで気を張らずとも良いとは思うんだがな』
 「?」
 はてっきり、鶴丸が単純にあの男が気に食わないだけであると思い、そんなにあの男が気に食わないなら、と口にしたのだが、その言葉にたいし君は馬鹿かと返されはむっと口をへの字にする。
 「字なんて都人ぐらいだろう知ってるのは」
 『別に君が字を書けるか書けないかじゃない、君俺の切れ味を知らないだろう。屏風ごと君を切りつけて、一太刀で君を殺すことも簡単だと言ってるんだ』
 あれが惑いを見せたら一瞬のうちに君が逃げれば、かろうじて屏風が盾になるかもしれないという話をしているんだ、と鶴丸に言われては思わず息を呑む。今度こそは口を閉じるほかない。野で生きていた頃は、近寄る人間皆全て敵だと思っていたわけだが、維茂に拾われてから人を信用することばかり覚えてしまっていた。維茂がつれてきた人間であるから、と信用していたは一瞬背筋に寒気が走る。
 『もう一度言っておくが俺は人を斬る為の刀だ。いくら名刀ともてはやされようと人の血を吸っている。そして名刀だからこそ、人を惑わしもする。維茂の命だから仕方はないがあまり気を抜くんじゃあない』
 鶴丸の言葉に頷く以外何ができようか。は屏風の向うでぞっと震えた体を押さえて「わかった」と小さく頷いた。
 「維茂様に手入が終ったことを伝えてくる」
 はそれだけ言うと立ち上がって部屋を出て行った。残された鶴丸はそれを特に何を言うでもなく見送り、それから改めて自分自身の本体でもある太刀に向き直った。
 『全く奇妙な話だが、なんでカタチを持って形は持てないんだろうなぁ』
 カタチ、とは魂のありよう、形とは人の器つまりは肉のことである。人は器に縛られて生きている。死んだらそこで開放される、ということはなくその魂は前世の行いによって次の道を選び次の器を選んで転生するのだ。それはすなわち六道輪廻に通じる考え方であった。人も草木も動物も皆この六道の輪の中に閉じ込められている。
 しかし人や動物であってもこの六道の輪から抜け出し、神やあやかしといったものの類になる場合が時折ある。一つ目は修験者や僧侶があまりにも神と近づきすぎた場合。長いこと神の世界に触れているとやがて現世と交われなくなり、そのまま肉体を失ったときに神へと位を上げてしまう。そうなることは非常にまれではあるものの各時代ごとにそれなりの人間がそうやってただの人から信仰の対象となっていくのである。そして二つ目は神に魅入られて嫁入りをすることであった。美しい物に人が見入られるように、美しい者を神は愛でる。美人薄命とはよく言ったもので、神と交わった者はそのまま魂まで奪われて人の肉を失うのであった。だが逆に神を人の世にとどめる術もまた存在する。犠牲は大きいもののその犠牲が受け入れられれば神は現世に人の肉を得て形を成し、そして人の子の願いを叶えるのであった。
 『何事もままならん』
 ぽつりと鶴丸が呟いた声、誰にも聞こえない。鶴丸はそれをほんの少し寂しく思いながら、すっとその場で姿を消した。





 「顔色が悪いが・・・・」
 「いえ・・・なんでもありません維茂様」
 「そうか、鶴丸は何か言っていたか」
 「特には__」
 平維茂は傑物である、とは思っていた。が持つ人ならざるものを見る才を見抜いたこと、そして出自も知らぬ子供を身の内に引き入れる豪胆さ、手のつけられぬ自分のような野の餓鬼を人になしたことには感服していた。自分で物を考えられるようになってからは、生涯この方のために仕えようと思っていたというのに、審神者の役を与えられてからそのカタチが揺らごうとしていた。
 鶴丸国永は付喪神だ。人ではなく、神の域にいる存在ならば、維茂の上の存在と考えても決しておかしくはないのかもしれなかった。しかしにとっての全ては維茂であってほしいと思っていたからこそ、この微妙な変化に戸惑いを覚えてもいた。この心の変化にが気付くまでに相当の長い時間を要するわけだが、今はただの心のしこりであった。維茂が鶴丸の名を発するたびに微妙な気持ちの変貌と揺らぎを感じつつ、何事もなく手入が終ったことを告げて下がる。
 珍しいことに鶴丸はその日はの前に姿を現さなかった。





 季節はめぐり新緑がやがて葉を落とす季節に入る頃であった。そろそろ昼間の熱気が薄れ夜は肌寒くなり始めたある日、はふと目が覚めて体を起こした。
 「・・・・?」
 普段寝つきが良いは、夜中に目が覚めるときは必ず何か理由がある。だが今宵に限っては厠でも何か物音がうるさいわけでもない。障子をそっと開けてみても、庭は静かに闇を湛えるばかりで人の気配はない。時折キジの鳴き声がケーン、ケーンと響く。
 「・・・・キジ・・・・?」
 『!!』
 こんな夜更けになぜ、とが首を傾げたときであった。屋根の上よりとんと鶴丸がいきなり闇夜に姿を現しては肝をつぶすほどに驚いた。
 「鶴!だからそうやって___」
 『静かにしろ馬鹿者。盗人だ、早く維茂に知らせてこい』
 「は・・・・・だってこっちは何もない___」
 『狙いは俺だ。ありゃあ三条の元の弟子だな、どうするつもりかは知らないが、徒党を組んできている。人斬りもいる。君じゃどうにもならん』
 だから早く維茂を、とまで鶴丸が口にしたときにはすでにの体は動き出していた。待て!そっちに行くな!という鶴丸の静止の声も届かずは己の寝所から庭を走りぬけ鶴丸国永が置かれている一室へと飛び込む。
 自室に居たときは今宵も静かなものだと思っていたが、ここまで来ると夜闇にまぎれた人の呼吸をいくつも感じることができた。ひそひそと言葉を交わす声が確かに鶴丸の置いてあるこの部屋に近づいてくる。迷っている暇はなかった。
はこのとき初めて鶴丸国永という太刀に触れ、その見た目以上の重さに驚きを覚えながらも部屋から走り出た。
 夜闇の中で灯りが瞬く。声が聞こえる。捕まえろと誰かが叫ぶ。今まで潜んでいた者たちがわっと声を上げて、維茂の屋敷は突如として人の喧騒につつまれ、屋敷の部屋と言う部屋に次から次へと灯りがついていく。
 はすでに家も同然の屋敷の中を悲鳴をこらえて走り抜けた。せめて門兵か、不寝番の下へたどり着ければと、ただそれまでに誰かに会えば必ずや切り殺されるだろう。だが事情を知らない者たちは走る足音を聞きつけての前に出てきてしまう。その者たちの腕の下をくぐりぬけて、背後に悲鳴を聞きながらは近をは使わずに庭を駆け抜けた。待ち伏せていた一人をすんでのところで避ければ、あとは門まで続く広い庭が目の前に広がっていた。
 「!!」
 がふと足を止めてしまったのはその声が聞きなれた維茂のそれであり、その声とその後ろに見えた明かりに安堵をしたからであった。決して何もかも維茂のせいではない。どの道走っていても間に合わなかったのだ。だがたとえそうだとしても、このときほど維茂は名を呼んだことを後悔したことはない。
 背に大きく一太刀を浴びる。鶴丸国永ほどではないが、三条宗近の弟子の打った刀は大層な切れ味であった。骨を裂いて胴をほとんど真っ二つにするほどに深く鋭い一撃は、ただ一撃で十分であった。
 は、背から振り下ろされた刀が腹に突き抜ける前に、体の前に抱えた鶴丸国永という太刀を維茂に向かって放り投げる。あの一撃を受けてしまえば鞘の美しい拵えは台無しになっていたであろう。の血を浴びることもなく、そして一つの傷を受けることもなく維茂の足元に放り出された鶴丸国永という太刀を、何よりもその魂が憎憎しげに睨み付けた。ただ沈黙し、自分のせいで巻き込まれていったものの行く末をじっと見守っていた。
 誰も鶴丸の心情など知るものではない。見えないものをどう信じろというのだ。
 の骸を足蹴にして盗人が前に踏み出る。振りかぶったもう一太刀が維茂に振り下ろされる。だがその一閃が触れるよりも、維茂が鶴丸国永を鞘から引き抜くほうが圧倒的に早かった。
 ざん、と骨をまるで豆腐でも切り裂くのと同じように簡単切り落とす。首と腕が丸々なくなった死体が崩れ落ちた。人々が手に持った灯りを受けて、鶴丸国永の刀身は白く輝き、その波紋は白く雪が降り積もったよう。魂のカタチである鶴丸国永の白と全く同じ美しさを持っている。それは人を惑わす美しさであった。そして同時にその美しさ故に人が惑い盗み暴き、そうやって人から人へわたっていく定めにあるものであった。
 もしもここでが鶴丸を持ち出さなければ、維茂が兵を整えるよりも先に鶴丸は盗み出されていたであろう。これほどの名品となればそう容易く壊されることもないだろうが、もしかするともう二度と維茂の手に戻ってくることはなかったのかもしれなかった。
 はそれを維茂のために、と思って持ち出したわけではなかった。ただ、鶴丸と離れ離れになってしまうのが想像するだけでひどく苦しかったのである。そうなるのならばいっそ死んでしまいたいと思うほどの恋慕を、は抱いていたのであった。
 盗人はその場で首を落とされて、まだ夜も深いというのに維茂の屋敷は騒然となった。死体の運び出しに屋敷の者たちが躍起になる中、維茂とそれに追随する鶴丸は、すでにほとんど事切れたの遺体の傍にしゃがみこむ。
 「・・・・鶴・・・・・」
 誰かが近付いてきたことに気付いたのか、最早あまりにも小さすぎる呼吸の中、が最後の空気と共に名を吐き出した。もう流れる血もないのだろう。胴から見える真白な骨がひどく生々しい。
 維茂がの手をとる。
 「・・・・・・鶴丸、そこにいるんだろう。声をかけてはやってくれないか。我には聞こえないがには届くだろう」
 『、見えるか。俺は雪のように真白なままだ』
 「・・・・・・鶴・・・」
 『、君が来世また人の世に生まれ変わったのなら、そのときは必ず君のことを守ろう。だから必ずまた人として生まれ変わってくるといい』
 最後の最後まで鶴丸の言葉がに届いていたかは定かではない。だがは最後にふっと小さく笑ってそのまま事切れた。