そのあとフィンクス、が連れて行ってくれたのは、ちょっと怪しい繁華街の中にある店だった。確かにここなら何も言われないだろうし、そもそも繁華街よりも危ない匂いがする。フィンクスはちょっぴり良い人そうに見えてもやっぱり帰ろうかな、なんて思っている間に彼は半地下の扉にあっという間に入っていってしまった。一人繁華街よりも怪しげな通りに取り残されるのは嬉しくない。そうでなくても先ほどからちょっと離れたところにいる連中がずっとこちらを見ているのだ。まだフィンクスの方がマシそうだった。どの道帰るにも金も道も知らない。フィンクスとそれからこういう変なところに対するちょっとの好奇心に後押しされて、私はフィンクスの後を追って店に入った。
フィンクスは常連ではないようだが、こういったところであまり臆する様子はないようだった。ごく普通にカウンターに座るとこちらを振り向いてぽんぽんと椅子を示す。座れば、カウンターの年配の男性から「なんだ兄ちゃん、良い趣味してるな」と気持ち悪い表情で言われた。
「ちげーよ、女には困っちゃいねぇ。死にたくなきゃ黙ってろ」
あっ、そこは照れないんだ、と思いながらちょっとだけ身を竦めてフィンクスに近寄った。
タバコの煙が充満した店の中は、なんとなく薄暗くお互いの顔もわかりにくい。店内の音楽のせいで、近くにいる人間しか声が聞こえない。こんなところ入ったことがない。友人といつもいくお店は、構造は似ているものの、もっとカラフルなジュースが棚に並べてあって、周りにいるのも同い年ぐらいの女の子ばかり。お店の中は明るくてポップなミュージックは会話の邪魔をしないし、時には机の仕切りを越えて、隣の子と仲良くなることだってある。でもここは絶対にそんな雰囲気ではなかった。タバコの臭いはさほど好きではないのだが、なんとなく嫌だとか気持ち悪いとか言っちゃいけない気がして、きゅっと口を結んでいると、フィンクスがカウンターの向こうの男(多分店の人だ)に、「何か食えるもん、こいつに。あと酒」と言った。その後に続いた店主(仮)の言葉は小難しいカタカナが並んでいてよくわからなかった。
机はタバコのヤニがくっついていてべたべたしたから、手は膝の上に乗せていた。わたしが座ってすぐに隣に座った男の視線が気になって、バッグを膝の上に乗せるとあからさまにチッと舌打ちされる。やっぱり、来なければよかった。ちょっとした興味本位だったが、ここでフィンクスが唐突にいなくなったら、どうなるんだろうか。
だがそんな不安が伝わったのか、フィンクスは自分もタバコに火をつけながら「こんなところに置いていきやしねーよ」と言った。その一言に安心したのは事実だ。逃げて死にそうになったのも、ファミレスに入れなかったのも全部この男のせいな気もするが、それでも安心するものは、する。近くでタバコを吸われるとさすがにむせて、それを見たフィンクスはすぐに火を消した。やっぱり良い奴なのかもしれない。
出された料理は意外と美味しくて、部活のあとさらに走る羽目になったこともあってお腹のすいたわたしにはぴったりだった。ただ、口の端についた米を隣の男が「嬢ちゃんこぼれてるぜ」と言いながら手でぬぐおうとしたときだけはぞっとした。なんというか、死ぬという恐怖と同じような寒気と、それから生理的嫌悪が激しかったのだ。こいつには腕も捕まれたくないと思うような感じ。比較的身奇麗で、フィンクスのジャージよりはもう少しまともな格好をしていたが、まだフィンクスの方がいいと思った。本当はどっちもよくないんだけど、そう思えたものは仕方ない。すぐに自分で拭って「ありがとうございます」とそっけなく言うと、やっぱり舌打ちされた。できればフィンクスと席を交換したい。でもその向こうにもやっぱり生理的嫌悪感抜群の奴がいたから、テーブル席に移りたいと思った。
「なぁ嬢ちゃん、その制服ってさぁ・・・中央のちょい有名な学校だろ?そんなのがこんなとこに来ていいのか?ん?」
あ、これヤバイ。
「こんなとこにいるぜって言ったら、親も悲しむだろ。でもなぁ・・・やっぱり言わなきゃなんねぇよな」
何を狙っているのか、など世間知らずの私でもよくわかったが、それに対し何か思うよりもフィンクスが動く方が速かった。店主(仮)に出されて自分で注いでいた角瓶の首を、フィンクスは逆手につかんでそのまま私の頭すれすれで真横に振った。ガン、ガシャンというのが何の音かはなんとなくわかる。フィンクスが動いたな、と思った瞬間には音が聞こえていて、腕の動きがさっぱり見えなかった。ぽかーんとして振り返ると、血まみれの男が床の上で悶絶していて、フィンクスは特に何も言うことはない。多分、これだけで十分な脅しになっているのだ。ここの連中の誰一人としてフィンクスの動きなど見えなかったのだろう。先ほどまでちらちらとこちらを見ていた視線はぱったりと止んでいる。床に流れた酒と混ざった血を見ても、なんだか別の世界のことのようで実感がわかなかった。
「・・・・・あの、手当て・・・」
「はぁ?こいつはお前のこと脅そうとしたんだろうが。ほっとけ。死にやしねーよ」
フィンクスはそう言ってごく自然な流れで二本目の瓶を手に持っていた。それもぶつけるのかなと思ったら今度は普通に飲んだ。店主(仮)は慣れたことのように床に転がってうめいている男にタオルを投げたが、それきりだった。
「ところでひとつ聞きてぇんだが、お前の念ってなんなんだ?」
フィンクスはそのころにはもう四杯目のお酒を注いでいて、わたしも皿は空っぽだった。手持ち無沙汰になりながら、ちょっとだけ興味本位で周りを見回したりしている最中に唐突に疑問をぶつけられてどう答えようかと思った。自分の念は絶対に誰にも言うな、とじいちゃんとばあちゃんに言われているが、どうするべきなのだろう。相手は自分よりもはるか格上の念能力者で、黙っていても何もされないだろうか。
「あー・・・別にもうお前のことは追っかけたりしねぇよ。ただまぁ最初は確かに同じ念能力者で、強いかと思ったから・・・その一戦戦ろうかと思ったんだが・・・お前の念逃げるのに特化してんだろ」
「うん」
「強化系か?にしちゃ自分の体に違和感があったな」
「わかるの?」
「あの感覚は操作されてるときに似てた」
フィンクスはかなり的確にわたしの念を言い当てた。黙っていてもYes/Noの質問だけで結局答えにたどり着きそうだ。わたしはちょっとだけ迷ってから、答えることにした。
「わたしが逃げて、誰かが追ってくると発動するの。操作系で、えっと、相手の体感時間を操作して変えちゃうんだって」
「曖昧だな」
「うん、わたしもそれぐらいしかよくわかってないし、あんまりコントロールもできないし。じいちゃんとばあちゃんが教えてくれたんだけどー・・・」
「あー・・・お前な。それお前のじーさんとばーさんも念能力者だって言ってるようなもんだぞ。やめとけ」
フィンクスに指摘されてはっとした。慌てて口をつぐんで、必死で見つめるとフィンクスは居心地悪そうに視線を逸らして「別に誰にも言わねぇよ」と呟く。その言葉が嘘か本当かわからないけどやっぱり良い奴だ。
「でも最初は驚いたぜ。本気で追ってるってのに全然距離が縮まんねぇし、しかも一時間後にはオレも追いきれない速度で逃げたしな」
「あれも体感速度が変わってるからだもん。わたしじゃ、それぐらいしかできない」
「制限はあんのか?」
「わたしがペースを乱さずに走り続けないといけないってやつ。坂道でも平面でも絶対にペース変えちゃいけないんだ」
「マイペースってやつな。操作系らしいぜ」
何が操作系らしいのかなんてさっぱりわからなかったが、フィンクスは無駄に納得していた。