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No.53

SS

狂気とは

#カンクロウ

 忍連合軍が結成されるほどの大決戦となった第四次忍界大戦が終結してから十年の月日が経つと、生活は様変わりした。
 そんな中、カンクロウは一つの傀儡を前にじっと思考を繰り返していた。広い作業台に寝かされた一体の傀儡はかつて天才造形師と謳われたサソリの作ったソレである。サソリの死後、回収されたいくつかはまだ使える状態であったために、砂隠れの里の傀儡師が回収したのだ。
 傀儡の劣化を防ぐために傀儡工房は大抵窓のない部屋だ。暗く、陰気な部屋の中でカンクロウは小さな明かりを頼りに傀儡の仕込みを観察していく。
 傀儡とは造形と操演の二種の演目から成り立つと言っても過言ではないだろう。操り手がいても造り手がいなければ無意味な術だ。傀儡とは金と時間と人手がかかる術なのである。しかして、大抵の操演者はたった一体の傀儡を操るのに人生を費やすこととなる。一人の人間が一体の傀儡、なかなか割に合わない計算だ。それでも人材の乏しい砂の国ではこの傀儡が潜入操作に役に立った。仮に捕まったところで物言わぬ傀儡はなんの役にも立たないからだ。
 実のところ操演者はそれなりの数がいる。訓練は難しいがそれでも一体操るのであればなんとか人は揃えられる。問題は造形師だった。
 傀儡を造るには熟練の技が必要だ。全身が淀みなく動き、そこに仕込まれた忍具の数が傀儡の性能を決めていく。忍具が必要に応じて、あるいは操演者の望むがままに放たれていく。時には潜入のために陽の光の下ですら傀儡か人間かわからないほどの質を、時には戦闘に特化した仕込みの数を求められる。これらが激しい動きの中でもなお壊れることなく機能することまでを考えると、途方もない技術であることがわかるだろう。
 カンクロウは操演者としての道を選んでいた。しかしサソリに傀儡を託されてから考えが代わり、今は造形師も片手間にやっている。十年の月日を経て今は一体の傀儡を造るレベルに至ったが、その全てはカンクロウが望むそれとはまるで異なるものだった。長らく愛用していたサソリの傀儡はカンクロウが望むままに自由自在に動いた。修理をし仕込みを自らの手で仕込み直すごとに傀儡は己の体と一体になっていくような、そんな錯覚すら覚えたほどである。
 しかし己の造る傀儡はどうだろうか。確かに見た目も仕込みも十分だ。だがふとした時に関節が軋み、違和感を覚える。カンクロウはこの分野において十分な才があったのだろう、仕込みが壊れて動く頻度は少なかった。それでも時折壊れるのだ。千本が全て思ったように発射できなかった時に自分の造形がいかに甘いかを思い知らされた。サソリの傀儡を使っている時にこの違和感は一度たりとて感じなかったのだから。
 何度サソリの傀儡をバラして組み立て直してもそこに至る解は見出せず、加えてサソリの傀儡の耐久年数の問題もある。サソリから託された父と母は今や各パーツに限界がきており、新たに組み直さなければならなかった。
 だが、それができないのだ。
 母の腕を開いてわかる、そこに使われた部品の精緻なこと。
 父の腹を開いてわかる、必要十分な空洞とそこに埋め込むに足る部品の精巧なこと。
「……これを……十に満たねぇ子供が造ったのかよ……」
 カンクロウは思わず呻いたきり言葉を発せなくなった。
 各部品は恐ろしいことに全て手作りだった。歯車は手で切り出されたのに歪みもなく、歪みを見つけたと思ったとき、それが意図的であると思い知らされるこの絶望にも似た感覚をどう表現したらいいのか。
 サソリの傀儡はまさに狂気だった。一寸の狂いも見逃さぬ目、それを頭の中で構築するだけの頭脳、指先は狂いなく部品を削り、傀儡に収まる。彼は里にいくつかの設計図を残している。だが今基準とされているような詳細な書き物ではない。恐ろしいことに今からするとそれはほとんどメモ書きのような状態なのだ。彼の技術は彼の頭の中にのみ残っているのである。
 今はただ、狂気の宿る傀儡がカンクロウの前でもう一度起き上がるのを待っている。これから先自分はこの傀儡を本当に修理することができるのだろうかと悩むほどに、カンクロウは今やこの傀儡が空恐ろしかった。

 時折夢を見た。あの人が生きて傀儡の術を教えてくれる夢だった。
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