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No.4

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海の約束

サイト未掲載裟羅連載夢。裟羅の兄が裟羅の結婚を巡ってひと悶着おこし、稲妻を飛び出た後の話。
初出 20220831

 これは裟羅と裟儀理がまだ幼く、天領奉行の見習いとして訓練に参加するようになったばかりの頃の話である。
 天領奉行の見習いになった頃から、裟羅はほとんど笑わずただひたすらに訓練に邁進していた。裟羅も裟儀理も弓を扱う天性の才能があったのだろう。陸に固定された的だろうと船の上で波に流される的だろうと二人が弓を引いて的を外すことはほとんどなかった。
 通常天領奉行に所属する兵はまずは訓練生にあたる見習いとして天領奉行の様々な雑務に関わりながら武芸の訓練をする。天領奉行の仕事にも事務仕事書類仕事は数多くあるが、治安維持組織である以上戦闘は切っても切り離せない。そのため見習いは天領奉行所の掃除や簡単な事務仕事から初めて毎日のように厳しい訓練を積んでいく。全ての武器を完璧に扱えなければいけないわけではない。訓練の中で特に得意な得物があればそちらを中心に訓練していく。裟羅と裟儀理は特に弓が得意だったのだ。
 見習いは日が昇るよりも早く起きて奉行所を掃除し、その後指導官の指示に従って厳しい訓練を積んでいく。夜になる頃には皆心身ともに疲れ切って少しの事務仕事を手伝うとすぐに宿舎に帰って寝るのが通例であった。
 天領奉行の見習いは半年に一度程の感覚で募集がある。裟羅と裟儀理は九月に入り、そして今日は大晦日であった。明日は正月であり稲妻では各家庭で新年の祝いをするのが通例であるが、治安を維持する天領奉行には当然のことながら大晦日から正月にかけても勤務する人間がいる。しかし見習いは大晦日の日は早く稽古が終わり、正月は丸一日休みとなるのが通例であった。
 裟羅と裟儀理はそのことを告げられた後、二人はそれぞれ割り振られた寮の部屋に戻った。いつもであれば他の見習いがいるがすでに全員が家に帰っているようで、騒がしい部屋の中は静まり返っている。きれいにたたまれた布団は押し入れの中にあり私物もほとんど綺麗に片付けられていた。裟羅と裟儀理は九条家の養子であるはずだが、二人は新年の祝いには呼ばれていない。
 古くなった畳がささくれ立ち、小さな穴の開いた障子の部屋は何人もの見習いが訓練期間をここで過ごしたのだろう。他にも多くの部屋に隣接し囲まれているような状態なので寒いとはあまり感じない。しかしどこかぽっかりと穴の開いたような寂しさが胸の奥にあって、裟羅はそれをどうにも言葉にできず布団の中に潜ったままごろりごろりと何度も寝返りをうってその気持ちを振り払おうとした。隣の部屋からも人の気配はない。どうやらこの宿舎には裟羅一人だけのようだった。
 もう何度目かも忘れた寝返りを打った時である。聞きなれた声で「裟羅、裟羅」と呼びかけられて、裟羅は体を起こした。少し乱れた寝間着を正してそっと襖を開けるとそこには裟儀理が立っている。男が女の宿舎に来ることは禁じられているが、人がいないため誰にも咎められずに来たらしい。
「裟羅、海へ行こう。朝日を見るんだ」
 裟儀理は楽しそうに目を輝かせている。
 九条家ではきっと今は家族と多くの親戚が集まって温もりに包まれた賑やかさの中に居るのだろう。裟羅は絶対にそれを羨ましいとも自分が寂しいとも口にはしなかった。しかし心のどこかでそのように思いながらほんの少しだけ傷を痛めている時に、裟儀理は必ずやってきて裟羅をどこかへ連れて行ってくれる。裟羅にとって唯一の本当の家族である裟儀理は、常に裟羅のことを分かっているようであった。
 裟羅はすぐに温かな着物に着替えて宿舎を出た。
 見習いの宿舎は崖際に建てられており、脱走は難しいはずだったが天狗の翼のある裟儀理と裟羅にとって崖を飛び降りるのもまた上るのもさほど難しいことではない。二人は寒風にもみくちゃにされながら海辺にまで降りる。裟儀理は懐から瓶を取り出して栓を引き抜くと中身をひっくり返した。
「それはなんだ?」
「海馬。この間捕まえた」
「かいば?」
「うん。水元素生物らしい。稲妻には人がいない浜とか海藻がたくさんある岩場とかに行くとたくさんいるよ。色々試していたら瓶に入ったからいつも連れ歩いてる」
「危なくないのか?」
「普通の人が触ったら危ない。でもちゃんと鞍を乗せればそんなに怖くない」
「鞍?」
 裟儀理は見習いで寝る時間以外ほとんど何もできない間のどこで海馬を捕まえて瓶に押し込むなどということをしたのだろうか。裟羅は驚きながら裟儀理がひっくり返した瓶の中から出てきた水色の馬とその背に鞍を乗せる裟儀理を見ていた。
「その鞍はどうしたんだ」
「壊れたやつを捨てるっていうから俺にくれった言ったらくれた」
 裟儀理はあっさりとそう言うと手慣れた動作で鞍を海馬に取り付けてその背に飛び乗った。
 海馬は水スライムのように完全に水で出来ている。形だけを見るならばそれは馬であったが、鬣から尻尾まで全て水色でありさらにわずかに透き通って内臓のようなものが見えた。
「この間から馬に乗る訓練があっただろ。海馬も同じだから、後ろ乗って」
 海馬は触れると力を入れた分だけへこんでしまい、なかなか形を掴むことができなかった。乗るまでに多少苦労したがなんとか裟儀理の後ろに乗ると、裟儀理は手綱もハミも頭絡もないまま軽く手で海馬の首のあたりを叩いて走らせた。いきなり動き出したので裟羅が慌てて裟儀理にしがみ付くと裟儀理は慣れた様子で水の上を走っていく。
 海馬は様々な国で説話のように伝わっている妖怪の一部である。彼らは海岸沿いに現れ興味を持った子供たちが海馬に乗ると海馬はそのまま子供たちを海に引きずり込んでしまう。それ故に浜で海馬を見かけたら絶対に触ってはいけないと稲妻の子供たちは教わる。しかし裟儀理はそれは正しくあり間違ってもいるという。
「海馬は好奇心が強いんだ。ただその体は水で出来ていて食べ物に接触するとまるで水のように溶かして吸収する。海馬の表面はべとべとで普通の人間は触ると離れることができなくなるんだ。海馬は別に子供を海に引き込みたいわけじゃない。子供に興味があって触れたら子供は離れることができなくなって海馬は海が楽しいから海へ行く。そうすると子供は死んでしまう。神の目を持っているかもしくは適切な処置を施した海馬は海上の移動手段として価値がある」
「……それを、調べたのか?」
「うーん調べたわけじゃない。眠れない夜とかに浜に行くと海馬がいるから遊んでいるうちにわかった」
 天領奉行でも海馬によって子供が海に引きずり込まれたという案件が今でもあることを裟羅は知っていた。天領奉行に届けられる陳情の中にそのようなものがあったのだ。今の裟羅にはそれをどうすることもできず、子供の捜索を行いそして海の底で死んでいる子供が見つかるだけの仕事であった。悲しいことであるが、元素生物と接触することは必ず危険が伴う。故に海馬による事故があった浜辺はしばらくの間封鎖される。そして何年後かに封鎖が解かれるとまた事故が起きる。
 裟儀理が手綱も持たずに走る海馬は潮風切って疾走する。どこへ向かっているのか暗くてよくわからなかったがやがて黒く塗りつぶされたような島がずっと遠くへ消えて見渡す限り海ばかりの場所へやってきた。
「裟羅、朝日だ」
 裟羅は半分眠っていたのかもしれない。裟儀理に揺り起こされてはっと気づくと水平線から今まさに日が上ろうとしていたところであった。
 海は静かに日の光を反射してきらきらと輝いている。小さな波が光を反射しているのだ。海馬に光が当たって透き通った水色が美しく見える。
 たった二人しかいない海の上は寒かった。しかしこの美しい初日の出を見ると寒さも寂しさもどこかへ行ってしまったようだ。裟儀理も裟羅もただ静かに日がゆっくりとその姿を現す瞬間を眺めている。暗かった空は徐々に明るくなり、夜の帳はいつの間にか姿を消していた。

 九条裟羅はその日いつもより早く起きると、いつもより早く訓練場へ行き弓を五回引く。そして衣服を改めると奉行所を出て浜辺へと向かった。
 今や天領奉行の大将となった裟羅に休みというものはない。仕事上は休みであったとしても裟羅は常に非常事態に備えている。しかし毎年正月の朝だけは警備担当の兵に「少しだけ海に行く」と伝えて海へ行くことにしていた。
 奉行所の管理する厩へ行けばそこには陸を走る普通の馬と、海を走る海馬が管理されている。海馬を一頭借りると言って厩担当の者に鞍と手綱を用意してもらい、裟羅はさっと海馬に跨ると海へ走り出た。
 冬の寒い風を切って走るのは初めこそ寒いが徐々に慣れてきて冷たい風が心地よくなってくる。あの日、裟儀理が初日の出を見に連れてきてくれた場所へ、裟羅はその後毎年来るようになった。裟羅は裟儀理のように上手く海馬に乗れない。裟儀理は鞍も手綱もなしでそこいらの野生の海馬に乗ることすらできたというのに、裟羅にはどうにもそれだけはできなかった。
 裟羅の双子の兄である裟儀理は昨年、裟羅の結婚の話を巡り九条家を勘当され同時に天領奉行の副将の座から追われた。裟羅は今年結婚を控えている。相手は九条家の当主が定めた政略結婚の相手ではない。裟羅自身が選び生涯を共にしたいと思った男である。裟儀理は裟羅の結婚を巡って騒動を起こしたわけだが、はじめから天領奉行を止める心づもりでいたらしい。九条家の当主から副将の座を解任されてすぐ裟儀理は姿を消した。その後の行方は誰も知らなかったが__初日の出の水平線の向こうから一頭の海馬が現れて裟羅は目を見開いた。
「裟儀理」
「ようなんだ来てたのか」
「お前、今まで一体どこに」
「いや璃月にちょっと」
「__馬鹿者!」
「怒るなよ裟羅。もう俺は天領奉行の副将じゃないし海馬騎兵隊の隊長でもない。自由になったから折角だし璃月と他の七国でも回ろうと思ったんだ。まぁ璃月で色々あって初日の出を見ようと思ったらすぐにとって返すことになったんだが」
 裟儀理は笑ってそういった。裟儀理が身に着けているのは白の厳正浄衣ではなく浅葱色の着流しであった。裟羅と同じ髪の色、同じ瞳の色、そして天領奉行に所属していたころには頭につけていた天狗の面は今は腰からぶら下がっている。裟儀理は天領奉行をやめても裟羅の記憶にある通りの男で、何一つ変わっていなかった。
 海は時折白波を立て、その波が朝日を反射してきらきらと輝いている。それは裟羅が見習いであったころと何一つ変わっていない、何年たっても変わらない美しい風景だった。この風景は常に裟羅の心の中にある。兄と共にした何よりも大切な景色なのだ。
「裟儀理、私はふた月後に結婚することになった」
「そうか」
「お前にも……式に、参列してほしい」
「そうだな。何よりも可愛い妹の願いだ、そう言われては参列しないわけにはいくまい」
「約束だ。誰にも行く先を告げずに消えて、連絡も取れなくなるようなことは二度とするな」
「悪かったよ。もうしない」
 裟羅は下を向いている。裟儀理は海馬を近づけて裟羅の頭を撫でた。
「泣いてるのか」
「泣いてなどいない。お前の馬鹿さ加減に呆れているのだ」
「そうか、ならもっと呆れろ。俺はこれからは馬鹿なことしかしないぞ」
「あまりにもどうしようもないときは私が牢にぶち込んでやろう」
「それだと海に出れなくなるじゃないか。加減してくれ」
「私は天領奉行の決まりに従うだけだ」
 いつの間にか水平線に少し顔を出していただけだった太陽は完全に姿を現して稲妻を照らしている。皆がこの初日の出を見て、再び始まる稲妻の一年に思いを馳せているころだろう。
「さて俺は次はどこへ行こうかなぁ。そういえば鶴観の霧が消えたらしい。ちょっと行ってくるか」
「鶴観へ行くのならば状況を知らせろ」
「わかったわかった。それじゃあまたな、裟羅」
「ああ、また」
 裟儀理は足で軽く海馬の腹を蹴る。すると海馬は慣れたように不思議な鳴き声で答えると海の上を走っていった。その姿が見えなくなるまで裟羅はじっと裟儀理の去った方向を見つめ、そして裟羅もまた海馬の頭をくるりと帰路へ向ける。
 海に囲まれた稲妻は様々な問題を抱えている。山林を守り稲妻を守るのが天領奉行であり天狗である裟羅の責務だ。それを全うするために、その気持ちを揺るがぬものにするために毎年ここへ来る。誰もいない海の上心を新たに、今再び新しい一年が始まろうとしていた。畳む


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