サソリと
ハルシャの旅は大抵気の向くままに進んでいくことが多い。気分の向くまま、足の向くまま、時には気温に左右されながら適当にぶらぶらと進んでいく。野宿も多かったが、それなりにきちんとしたホテルに泊まることもあった。サソリが傀儡作製の作業に入ると二三ヶ月、アパートなりホテルなりの一室を借りて一所に留まることもあった。何にせよ二人は定住地を持たない。
サソリに置いていかれ一人になった
ハルシャもそれは変わらず、ぶらりぶらりと気の向くままに動き回る。金は適当なところでかっぱらい、常に財布にお金がいっぱいであることはない。彼女にとって周囲の人間は常にある便利なATMと言ったところだ。はた迷惑な泥棒であるのだが、本人は小さい頃からそうして生きてきたから、そうすることに罪悪感を感じることはなかった。
傀儡を直すという目的はあるが、あえて急ぐ必要もないので、一人石畳の通りを歩きながら伝統的な造りの家を眺めていた。
サソリを探す目的もある。とはいえ彼が本気で姿を隠そうとしたなら、こんな風に情報も集めず、ただ気の向くままに移動していたのではとても彼に行き着くことはできないだろう。
夕日に照らされながらそんなところまで思い至って
ハルシャはため息を吐くと、本日の塒であるホテルへと足を向けた。
それから、徒歩だったりヒッチハイクだったりで
ハルシャが目的とするアテネという街にたどり着いたのは三日後のことだった。大きなビルが立ち並び、ガラス張りの窓に光が反射してやけに眩しい。見上げた空は狭かった。アテネは表通りは綺麗なれど、一歩裏道に入ってしまうと雑然としていて、いかにも怪しげな雰囲気が漂っている。
ハルシャはそんな裏路地を遠慮することなく奥へ奥へと進んで行って、最終的に一軒の古いアンティークショップへたどり着いた。
窓は埃がしっかりと付着し、最早雑巾で拭った程度では汚れが落ちないであろう。割れた植木鉢と、残った土から生えた雑草がどれだけ玄関の手入れがされていないかを雄弁に物語っている。分厚く重たい扉の小さな窓ガラス越しに店内を覗きこむが誰も居ない。棚に置き捨てられた人形のガラスの目玉がぎょろりと外から入ってくるわずかな光を反射するばかりだ。
ハルシャは一般人なら誰もが入ることを躊躇するだろうそのアンティークショップの扉を開けて、中へ入った。ベルは錆びついてかちんとも鳴らない。後ろ手に扉を閉めて、暗い店内のさらに奥へ進む。
床に溜まった埃には一筋の道が出来ていて、この店が廃墟同然でありながらも誰かに使われているという跡が残っていた。その足跡の上を器用に歩いて、そして足跡がなくなったところで
ハルシャも止まる。そして足元を軽くとんとんと叩くと、床板の一枚はあっさりと外れて、階段が顔を覗かせた。
「んー・・・・くさっ」
腐臭に思わず鼻をつまむ。これは何か腐っている確実に何か腐っている。そう思いながら、しかしここまで来た以上進まないわけにも行かずに階段の下へ降りると、足元の非常灯に照らされて、投棄された遺体がごろごろと転がっていた。いやはや趣味が悪い。だが
ハルシャにとってはこの程度の状況は日常茶飯事であるため、恐怖を抱くわけもなくその遺体の姿格好から、警察の連中であろうと予想をつけた。どうやら告発でもあったらしいが、彼らにはこの町に近づくだけの実力とコネがなかったというだけの話だ。
ハルシャは遺体をまたいで、地下水路を進んでいく。暗いが、円さえあれば汚いドブ水の中に落ちることもなく、また肝心の扉を見落とすこともない。錆びついた管理室の扉の一つで立ち止まって
ハルシャは取っ手に手をかける。あけてもその先だって暗かったが、臭いは幾分かましだった。そして今までの道よりよっぽど人の生活している雰囲気が漂っている場所だった。
半地下、半地上の構造をとっているそこは広大なアテネという都市の裏の顔である。アテネはとても大きな町だ。この国の主要機関が数多く集まり、当然人も集まってくる。しかし集まってくるのは金持ちだけではない、そして善人だけでもないのだ。金を持たない連中は、いつしかアテネの中心部から外れた裏っかわに自分達の住まいを造り、どんどんと拡大して、同じアテネという都市にありながらそこは完全な無法地帯だ。壁も明確な境界線もないが、なんとなく住み分けられた空間のさらに一画に、
ハルシャの向かった場所があった。
いくつもの怪しげな店頭にはぶらりと人体がぶら下がっている。いや、その人体の大半は模造品で、精巧な人体の一部を模しているものの触ってみれば分かるが陶器やプラスチックで出来ている。どこか別の国の有名な医療機関で見られるような義足もある。だが、奥へ進めば進むほど、模造品に見えるそれらは本物の人体のパーツとなり、雰囲気もまたどんどんと剣呑なものへと変わっていった。
アテネの一般人は決してスラム街に足を踏み入れない。そしてスラム街の住人は
ハルシャの向かったこの一画には絶対に踏み込もうとしなかった。その境界線は慣れたものでなければ見つけることはないが、一度見つければどこにでもその境界線を見ることが出来る。それだけ異質な空間がここに広がっている。
ゴォンゴォンと低く体のそこにまで響くような音がいつまでも追いかけてくる。何に使うのかもよくわからないパイプが縦横無尽に走り回っていて、足元に注意していなければ転び、かと思えば張り出した窓枠に頭をぶつける。幾重にも重なった建物は無計画な設計の賜物だった。
ハルシャはそんな建物の隙間を縫うように体を滑らせて細い細い路地を通り抜ける。いや、これは路地に見えてここのメイン通りでもあるのだから、道の左右に並ぶのは皆全て商品を扱う店ばかりだ。時々血の臭いが濃く漂ったが、この町にとっては今さら、だろう。
ここはバーンハート、またの名を人形師の町。裏の世界で名を馳せる操作系念能力者たちが集まる、表世界とは隔絶された裏の空間である。
2013/05/20
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