ハルシャがもう一度目を覚ますと、部屋は真っ暗になっていた。いつの間にか夜が訪れていたようだ。むくりと体を起こすと、まだからだの節々が痛んでいたが、動かせないわけではない。寝ている間にも身についたオーラコントロールが淀むことはないから、傷口の治りも一般人と比べればかなり早い。
ふと、
ハルシャ以外誰もいない医務室の扉の向こうに人の気配があって、
ハルシャは掛け布団をぱっと剥ぎ取るとベッドから降りて立ち上がろうとした。
だが、こけた。
しばらく寝てばかりだったから、少々感覚がおかしくなっている。どさっと額を地面にぶつけると同時に、医務室の扉が開いて、ゴンとキルアが
ハルシャの方を見る。
「・・・・なんだ、元気そうじゃん」
「元気じゃないわっ!」
痛いー、と赤くなった額をこすりながら
ハルシャは地面に座り込んだまま顔を上げる。
ゴンが電気をつけると、明るくなった部屋の真ん中で、布団を弾き飛ばした
ハルシャが立ち上がるところだった。
清潔感溢れる、と言えば聞こえはいいが、他のモノを排除しようとするようなイメージも一緒に付きまとう医務室の白さは少々居心地が悪い。そんな中で
ハルシャの黒と赤の髪は目立つ色合い故に、ほんの少しだけ見ていて落ち着くものがあった。
遠慮なく中に足を踏み入れたキルアはそのまま
ハルシャが座ったベッドに、
ハルシャと同じように腰をかける。ちょっとだけ軋んだベッドだったが、あまり質のよくないスプリングは硬い。ゴンは思い切りベッドに飛び込んだが、どうやらベッドの方は彼を気兼ねなく受け止めてくれるようなことはしなかったようだ。不服そうな顔で彼は座りなおす。
「失礼するっす!!」
ゴンとキルアに続いて威勢のいい挨拶と共に医務室に入って来たのはズシとウイングである。「元気そうだね」というウイングの言葉に
ハルシャは「さすがに死ぬかと思ったけど」と軽く答える。今の言葉は嘘ではなかった。
「ところで何の用?まさか単なるお見舞い?」
「何言ってるのさ
ハルシャ、お見舞いに決まってるじゃん!!」
「ワーオ、そんな人たちにお目にかかるなんて思いもしなかったわ」
半分ほど冗談を交えながら
ハルシャはそういった。少なくともここしばらくの間、怪我をしようが風邪をひこうがお見舞い、何て称して遊びに来る人間はいなかったわけだが(ヒソカはからかいに来ただけである)ソレよりもっと前、
ハルシャが小さい頃にはサソリが看病をしてくれたことだってあった。だがそれは
ハルシャの胸の中に仕舞っておいて、
ハルシャは包帯が巻かれた腕にナイフを当てて、器用に包帯だけ切ると床に落とす。包帯の下から現れた手にはもう切り傷の一つもない。
「
ハルシャもやっぱずっとオーラを纏ってるってわけ、か」
「なんだ、もう凝もできるようになったわけ?」
ハルシャはにやりと笑ってキルアの方を向いた。
「勿論、だけどさ、
ハルシャとヒソカが戦ってるときはヒソカのオーラしか見えなかったんだよねー。なぁなぁあれってどうやってるの?」
キルアがずい、と前に出てきて、
ハルシャは反射的に身を引く。そしてウイングの方を向き直ると「これが目的?」と目を細めて聞いた。ウイングは肩を竦める。
「
ハルシャさんのお見舞いがメインですが、彼らも
ハルシャさんの技が知りたいと言って聞かないもので」
そういうウイングもゴンとキルアとズシの三人に押し切られたのだろう。眼鏡の奥で苦笑しているのがわかる。ゴンは素直にお見舞いの気持ちもあるようだが、そもそも
ハルシャのことを強いと思っているキルアはやはり
ハルシャの念のほうが気になるようだ。あの人形を操るのって俺でも出来る?と聞いてくる辺り、まだ完全に念の本質を理解したわけではなさそうだった。
「んー・・・もう六行図はやったの?」
「うん!!俺は強化系!」
「それっぽい」
「俺は変化形」
「あー・・・・」
「僕は操作系っす!!」
「へー。水見式はとりあえずマスターって感じね」
「そのことなんですが」
ハルシャさん、と唐突に話しに割り込んできたウイングはすでにワイングラスと一枚の葉っぱを持っていて、ワイングラスの中にはコップの半分ほど水が注がれている。念能力者ならこれから何をしようとしているのかすぐに分かっただろう。
「つまり私の水見式を見せろってわけ」
「はい。なにぶん私も強化系に属するもので、特にズシには操作系の水見式がどのようなものか見せてやれないんです」
ハルシャはキルアを押しのけてからごろんとベッドに仰向けに寝転がった。縦長のベッドに直角に寝転べば、ベッドの向こう側にも手が届く。先ほどまでヒソカが座っていた丸椅子の足を掴むと、今度は腹筋だけで体を起こす。さすがにこれは少々痛かったようだ。
ハルシャは顔を歪めながら丸椅子を自分の目の前に置いた。
「いいわよ。それ、ちょーだい」
ウイングから水を湛えるワイングラスと葉っぱを受け取って、
ハルシャはそれを座面にすえる。
「ゴン、強化系なんでしょ?もうちょっといっぱいになるまで水増やしてよ。ただし零さないこと。コントロールしてね」
ハルシャのウインクに答えるようにゴンは頷いた。そしてワイングラスに手を翳し、練を行う。
ごぽっ、っと気泡がワイングラスの底から現れたと思った次の瞬間には、グラスの半分ほどだった水位があっという間に増えたのだ。
「わわっ!!」
「どんまーい、アウトー!!ゴンの目標はコントロールね」
くやしがるゴンを尻目に、
ハルシャは零れた水を拭くようなこともせず、手を翳す。
「いい。操作系の水見式はこうなるのよ」
ハルシャの瞳にいたずらっぽい色が浮かんだと思ったときには、水の表面に浮かんだと思っていた葉っぱが水中に沈んでいた。
「わっ!!」
「おおー!」
先ほどまで自分の掌を見つめて悔しそうに眉を寄せていたゴンも、グラスの中を見てあっという間に表情を変え感嘆の声を上げる。キルアは声こそ上げなかったものの、とても珍しそうに
ハルシャの手元を見つめていた。驚きの表情を浮かべているのはウイングも同じである。
ハルシャの手元のワイングラスの中で葉っぱはまるで魚のように体をくねらせ泳いでいる。ウナギの幼生、レプトケファルス幼生はその体が柳の葉のように見えることからそう呼ばれているわけだが、まさしく今の葉っぱは透明にするとレプトケファルス幼生そのもののようだ。
葉っぱは水族館の魚のように、時折ガラスの表面をつついては逃げ道を探しているようだ。ぱしゃん、と水を跳ね上げて葉っぱの魚が飛び上がる。
「・・・・・というのは冗談で」
「すごいよ
ハルシャ!!!今のどうやったの!!?」
ハルシャが手を上げると葉っぱはまた元の通り水面に浮かび上がって水の上に鎮座した。ズシもキルアも言葉がでないのか、ぱくぱくと口を開け閉めするばかりである。
「
ハルシャさん・・・今のは・・・」
「冗談よ冗談。さすがに操作系って言っても水見式であんなんならないんだから。今のは操作しましたー」
ハルシャは口元に人差し指を当てて笑う。
「普通はいくら鍛えた操作系でもこの程度でしょ」
そういってもう一度手を翳すと今度は葉っぱは水面を大嵐の中の船のように左右に大きく揺れ始めた。ズシが練をしたときとは全く違う、大きく、しかし安定したその揺れは、見た目の派手さこそないが、四人の目を惹き付けるには十分だった。
「最初のあれは、生命ならなんでも持ってるオーラに干渉して操作しただけ。勿論全体的に葉っぱが揺れてるのは私のオーラのせいだけど、操作系は鍛えれば鍛えるほど葉っぱが大きく安定した揺れになるのよ。不安定で小刻みに揺れるのはまだまだ駆け出しの証拠」
肩を竦めて言う
ハルシャの言葉に思い当たるところがあるのだろうズシは視線を泳がせる。まだまだこれからですよ、とそんなズシの視線に気付いたウイングがフォローに入ったが、先ほどの
ハルシャの水見式を見てしまうと落ち込むものは落ち込むだろう。
「まっ、いいじゃない。ゴンとキルアも水見式はできたって言っても、水見式だけじゃどうしようもないわけだし。これでどう?」
ウイングの方に向き直って
ハルシャが問いかけると彼は、ずれた眼鏡を直しながら「ありがとうございました」と律儀にお礼を言った。
「さすがに・・・・私も驚きました。操作系の念能力者には何人かお会いしたことがありますが、この若さでここまでの能力者とお会いしたのは初めてです。・・・・さすが、あのサソリの傀儡を持っているだけありますね」
「なんだ知ってんの?」
彼女自身隠すつもりはあまりないが、
ハルシャの養父であるサソリの評判は世間一般からすればあまり良いものではない。特にハンターでありながら、他のハンターから狩られるような立場となっているサソリのことを軽々と口にするとその火の粉が飛んでくるので、必要がなければしゃべらないのだが、気付かれているのならしょうがない。
「彼はとても有名ですから」
ウイングの言葉は要するに幻影旅団のようなA級の犯罪者として有名ということだろう。彼の言葉に
ハルシャは苦笑するしかないが、特に彼もそれ以上のことを追及しなかったので、
ハルシャもまたサソリのことをそれ以上言うつもりはなかった。
「さて、とそれじゃもういい?私これから別の用事があるのよね?」
「えっ、
ハルシャもうどこかに行っちゃうの?俺も
ハルシャに色々教わりたかったのに!」
「念を教えてもらうなら誰か別の人にしとけばいいじゃない。私だって用事があるの」
ハルシャは寝間着姿の上に、ベッド脇に置いてあるいつものパーカーを羽織る。もう不要な包帯は全部外してベッドの上に投げると、空っぽの財布をパーカーのポケットにねじ込んだ。
「
ハルシャどこに行くの?」
ゴンの言葉に
ハルシャはウインクする。
「いい加減私の武器を直さないと」
2013/05/19
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