ティナリと蒼月の一番始まりの出会いの話をしてから二人は写真の入った箱の中から色々な写真やスケッチを取り出して「懐かしいね」と言葉をかけながらあれやこれやとセノに説明をした。
一枚目の写真はティナリと蒼月が木にぶら下がる網の中の閉じ込められてわちゃわちゃともがいている、そんな風景が目の前に浮かんできそうな写真であった。
「ユエは普通の人よりずっと風に敏感なんだ。だからちょっとの風でもあればすぐに飛び上がれる。この時はまだ僕もユエも風の翼を持っていなかったんだけど、僕も体重が軽かったからユエの手を掴んで高いところから滑空してたんだよね」
「そうそうそれで庭から見える下の峡谷__チンワト峡谷に飛び出したらきっとすごいだろうねって話になって」
蒼月は笑って言った。
チンワト峡谷はスメールシティを取り囲む峡谷の中でもとりわけ深く険しい岸壁に囲まれている。植物も豊富だがこの辺りにはスピノクロコやキノコンもいる。当然だが幼い子供が二人で訪れていい場所ではない。
「上から見ると水が綺麗で、花が綺麗で飛び込んでみたくなる場所だった。まぁそれで高いところに上ろうってなって、庭の柵を登ったら案の定父さんと母さんが作った罠に引っかかってこんなことに」
「お前たち……」
呆れたようにセノが二人を見たがティナリと蒼月は肩を竦める。
「だってまだ四歳よ。スピノクロコの口が空いてたらそこに首を突っ込んで口の中を見たくなる年頃なんだから」
「まぁこの年頃の子供に道理を説いても無理なものは無理だろうね。僕も父さんと母さんのトラップに引っかかった次の日にはもうトラップのことは忘れてまたひっかかってたし」
懐かしいなぁと言いながら写真をぱらぱらと机の上に広げていく。
ティナリが何やら文字の詰まった難しそうな本を膝の上に広げて眺めている写真。蒼月が壁一面の本棚のてっぺんまで登って怖くなってぎゃんぎゃん泣いている写真。二人が重たい本を引っ張り出して間にたくさんの植物を詰め込んでいる写真、これはどうやら押し花を作ろうとしているらしい。
「本に押し花の作り方が載っていてね。最初は父さんと一緒に綺麗な押し花を作ったんだけど、その後僕とユエは父さんと母さんに押し花をプレゼントしようってことになったんだ。それで覚えている限りで押し花を作ろうとして本に挟んだんだけど……」
ティナリはそれから少し頭を抱える。
「湿気をきちんと取り除く過程を踏んでいないから本がびしょびしょになったよ。しかもこの量、どう考えても挟む量が多すぎなんだ」
「そうそう。それでうまく挟めなくて重い本をたくさん持ってきたの。でもそのうちを一つを私が足の上に落としちゃって骨が折れて大変だったわ」
蒼月はもともとは璃月に居た鴆という仙獣を先祖に持つ。鴆は鳥であるため空を飛ぶことができる。しかし人の姿で空を飛ぶには体重を軽くする必要があり、蒼月の骨は陸上で活動する必要最低限の強度しかないためかなり簡単に折れてしまう。
「この一件で私の骨が折れやすいってことがわかって、でもこれは体質だからどうしようもないから相当気を付けるようになったのよね」
「……それは初耳なんだが。そういうことは早めに伝えてくれないか」
蒼月はあっけらかんとした表情で言い切りティナリも特にそれに対して何も言及しなかったが、そのことについて初めて聞いたセノは少し焦った様子で慌てて言葉を繋げた。ティナリと蒼月はむしろそんなセノの反応にびっくりして顔を見合わせる。
「私自身が気をつければいいかなって」
「言ってなかったっけ」
「聞いてない。それはつまりあまり強く手を握りすぎたりしても支障がでるということだろう」
「まぁ、そういうことになるかも」
セノは一つ大きなため息を吐いた。それから「今まで何もなくてよかったよ」と言う。
「ごめんね? 私の周りではわりと普通のことだったし、学生時代もそのことは周りの人たちも皆知ってたから重い荷物とかは皆が持ってくれてて知ってるものかと思ってた」
「…………他に身体的に大きく違いがあることはないのか」
セノは今までの蒼月への接触に関して大きな不安を感じたのもそうだが、そういった重要な事実を自分だけが知らなかったということに拗ねているようでもあった。ティナリと蒼月はお互いに顔を見合わせてそれから同時に噴き出した。
「僕は耳元で、突然大声で叫んだら耳がおかしくなるよ」
「私の翼には毒があるの。素手では触らない方がいいわ」
「僕の耳や尻尾は意外と千切れやすいんだ。握って引き上げようとか引きずろうとかされると困る」
「私……だけじゃないかな。ティナリもだけどダニの繁殖時期になるとどうしても完全にダニを駆除しきれないのよね。私たちはダニの媒介する病気に対しても意外と強かったりするんだけど、セノは気を付けて。ダニの繁殖時期は尻尾や耳、翼には触らない方がいいかな。家はなるべく綺麗にしているけどその時期は基本的に立ち入り禁止」
ティナリと蒼月はぱっと思いついたことを口にしていく。種族的に違うセノにとってはなかなかに新鮮な情報であったようで、セノはもう一度ため息をつくと「知らなかった」と言った。
「なんだか……俺だけ仲間外れみたいじゃないか」
セノの口調は明らかに拗ねている。ティナリと蒼月が互いに理解し共有できることがセノにはできないという事実にふてくされているようだった。
「そんなことないわ。それを言ったら私だってセノとティナリとは仲間外れになるし、ティナリだって仲間外れよ。あっそういえば」
蒼月はそう言いながら机の上に広げた写真を一枚一枚見ながら探し物を始める。
料理の数も減って汚れた皿は片付けた。幾分広くなった机の上には今は写真がたくさん置かれている。飲み物を零さないように注意しながら、コップを手でひっかけない場所に置く。
しばらく写真をあれでもないこれでもないと探していた蒼月だったがついに一枚の写真を見つけ出したようで「これこれ!」と声を上げた。ティナリは蒼月の見つけた写真を見て眉を顰める。
「その話、するの?」
「するでしょ」
蒼月は面白そうに笑ってそれからセノにも見えるように一枚の写真を見せる。
写真にはまだ幼いティナリと蒼月が写っている。ティナリの耳は今のようにぴんと立っているわけではなく片方がまだ少し力なく垂れている。身長に対して大きすぎる尻尾は地面を引きずっており、その隣に立っている蒼月も羽の様子から非常に幼さを感じさせる。
蒼月の頭には不格好な葉っぱで作られた耳のようなものが生えていた。いや生えているわけではない。カチューシャのようなものに無理やりテープなどで葉っぱを貼り付けて耳のように見せているようだ。また足の隙間から白っぽいもさもさとした尻尾のようなものも見える。
「偽造」
「模造って言ってよ」
セノの一言に思わずティナリが声を上げる。蒼月がけらけらと笑ってそれから「私ね、昔すごく耳と尻尾が欲しかったの」と言葉を続けるのだった。
* * *
ティナリの家に引き取られた蒼月は初めのうちこそぼんやりとした表情で常にどこかを眺めていたが、その一方で何も見ていないということがしょっちゅうあった。声をかけても無反応、食事も口に運べば咀嚼して飲み込むことができるが、そうしなければいつまでもその場でじっとしている。
心の問題だ、とビマリスタンの医者は言った。ティナリの父と母もそうだと感じていた。
まだ三歳の幼子が直面した極度の恐怖から逃れるには忘却しかないのだ。この時点でははっきりとしていなかったのだが、後の調べて蒼月は両親と共にあの船に乗っていたことが判明した。つまり目の前で両親が殺されるのを見たのだろう。ティナリを見ていればわかるが色々なところに好奇心が溢れてあちこち歩き回っているものの、まだ親にべったりな年頃である。蒼月が目の前で両親が死ぬのを見て平気でいられるはずがない。
時間が解決してくれるとティナリの父と母は思い、ただゆっくりと蒼月のことを見守っていた。ティナリと同じように声をかけ、世話をして、本を読み聞かせ、散歩にでかける。それらのほとんどに対してなすがままの蒼月であったが、きっかけは突然訪れた。
ある日ティナリの母が蒼月を起こそうと蒼月の部屋に行くと彼女は自分で起きて鏡を眺めていた。そして頭を触ってその上に何かないかと小さな手でつかもうとしていたのだ。
「おはよう蒼月。どうしたの」
ティナリの母がいつものように声をかけると蒼月はくるりと母の方を向いて。
「ない」
と一言悲しそうに言った。
その一言が一体何を示しているのか、ティナリの母は一瞬わからなかったが蒼月は再び鏡に向き合うと頭の上を触ってティナリの母を見て「ないない」と言うのだ。ティナリの母は同じように自分の頭を触ってそこにある耳に触れてハッとした。
「お耳のこと?」
蒼月がこくりと頷く。
「てぃありもままもぱぱもおみみあるのにユエはない」
蒼月は長く使っていなかった唇でゆっくりと言葉を紡ぐ。頭を触っておしりを触ろうとして手が届かずその場でぐるぐると回りながらティナリの母を見つめて「ないない」と悲しそうに言った。
「なんで?」
蒼月のその問いはもっともなものだろう。ティナリの父も母もそしてティナリも立派な耳と尻尾を持っている。父の尻尾は少しばかり色が薄く明るい色合いだが、ティナリはかつて草神の恩恵を受けたという言葉に相応しく耳と尻尾は深緑に染まっている。ティナリの母はどちらかと言えばティナリのように深い緑色をしていた。
蒼月は家族だ。ティナリの両親は何度もそう語りかけてきた。しかしそれは精神的な意味であって、血の繋がり種族としての系譜を蒼月が受け継いでいるということではない。ただそれを今の蒼月に理解させるには様々な問題がある。その一つが蒼月の本当の両親は死んでいるという事実が付きまとうという点だ。
ティナリの両親は少なくとも蒼月の心が落ち着いて現実を受け止められるようになるその時まで、蒼月の両親の話は避けようと話し合っていた。この時点では蒼月の両親が船に乗っているかもわからなかったが、幼子である蒼月一人を船に乗せてスメールへ送る理由がわからなかったためティナリの両親は、蒼月の両親もあの船に乗っておりバフルシャーに食われたのだと考えていた。
蒼月は自分たちの本当の娘である。ティナリの両親は心からそう思っている。けれども身体的な明らかな差があることは事実として受け止めなければならない。実のところティナリの両親はいつかこの質問が来ると予期していた。ティナリはすでに「ぼくもとりさんになる」と口にしておりなぜ自分には翼がないのか、蒼月にはあるのにと両親に尋ねていた。その時に両親はティナリには包み隠さず本当のことを言ったのだ。けれどもその時には蒼月にどう説明すればいいのか、その答えはすぐには出なかった。
「ユエもおみみほしい。おみみおおきくなったらある?」
「蒼月」
「ユエもおみみとしっぽほしい」
「蒼月、あのね。お耳と尻尾は蒼月が大きくなっても生えてこないのよ」
「なんで?」
蒼月の瞳にはみるみるうちに涙が溜まって大粒の雫がぽたぽたと床を濡らした。
「ユエもいっしょがいい! ユエもおみみとしっぽほしい!」
わんわんと泣く蒼月をティナリの母はただ抱きしめて頭を撫でてやる。までふわふわの雛の羽毛が残っている翼も悲しそうに地面に垂れていた。
20221217 サイト掲載