プロローグ 語り始めの物語

  さてゲル状の何かが押し込まれた紅茶きのこはセノが想像していたよりもまずくはなかったが、特別美味しいとも言い難い味だった。蒼月が飲む前に言っていた言葉はちょっとした誇張だったらしく、蒼月は酔ってはいないが雰囲気には酔っているらしい。紅茶キノコを口にしてわりとほっとした表情をしたセノの顔を見て蒼月はけらけらと笑っていた。
 ティナリのきのこに対するこだわりは蒼月にもたまによくわからないという。しかしながらティナリはこの紅茶きのこをいたく気に入っており、蒼月とセノが一杯飲みほしてもう満足という表情で二杯目を断ると、残念そうな嬉しそうな微妙な顔をした。

「ティナリが飲んで、好きなだけ」
「そうだな、それがいい」

 二人が口を揃えて言うとティナリはちょっと不思議な顔をしてから「それならそうするけど……」と言ってその後特に手放す様子なくずっと紅茶きのこを飲んでいたのでよっぽど好きなようだった。
 蒼月とセノはアカツキワイナリーの葡萄酒に切り替えて夜も更けていく。セノの復帰祝いという名目であったがそもそもそれ以前からこういった交流は比較的頻繁に行われていた。ティナリと蒼月とセノは教令院時代からの馴染みであり親友だ。大マハマトラ復帰の祝いというのは勿論重要な理由だったが、同時にこの三人が集まってただ酒や他の飲み物と合わせて語り合いながら時間を過ごすのに理由はなくてもいいのだ。
 会話はあっちへ飛んだりこっちへ飛んだりと忙しなかったが、基本的に酒はたしなむ程度というメンバーであるので気づけば酒も随分と抜けてきており話は学問的な内容を含みつつ、昔話が混じり始める。

「そういえば蒼月は教令院の制服はどうしていたんだ。翼があると着替えが大変じゃないか」

 セノが聞けば蒼月は「そうねー」と相槌を打ちながら答える。

「なんだろ、基本的にオーダーメイドなのよね。教令院の制服も見た目のデザインは同じだけど、背中がぱっくり空いてるっていうか、そういう構造にしてもらって大体首で全体を吊りながら腰で固定するのよ。それでうなじのあたりから背中に布を垂らしてぱっと見は翼用の穴をあけてるって感じにするの。ティナリは尻尾の穴あけてたよね。自分で」
「制服をオーダーメイドにするとそれなりにお金がかかるからね。ユエは仕方ないけど。僕もユエも教令院に入ったのが結構幼かったから制服もすぐに小さくなっちゃうんだよね。僕はキリとかでずぼって穴をあけてそこから鋏を通して三角形に切れ込みを入れてボタンをつけるんだ。市販の服は大体そうやって尻尾を通す穴を作って着てる。今もだよ」

 ティナリと蒼月の今の服装は普段のレンジャーとしての服装ではなく部屋着のような楽なものだ。ティナリは上下が別れたタイプで蒼月はワンピースタイプを着ている。しかし蒼月は先ほども説明した通り首回りにしっかりと布を回して、腰ひもでしっかりと縛っている。

「さすがにこれはオーダーメイドじゃないわ。自分で背中で割って、布を分けるの。ちょっとコツがあるけど慣れればそんなに大した手間じゃないし」
「なるほどな。それならば制服に関しては改めて見直す必要がありそうだ。今後砂漠の民も含め教令院の門戸は大きく開かれることになれば、ティナリや蒼月のように……ふむ……」
「一般人とは違う」
「気にしなくていいよ。あまり気にしていないから」
「そうね。ここでその言葉を使うのはあくまで私たちが少数派である事実を示しているだけだし」
「そうか」

 セノはそう言うと改めて「一般とされている制服だが、それらが学生の体に合わず負担になるという状況は避けるべきだろうな。これに関しては近いうちに議題になるよう調整する」と口にするのだった。

「学生ってお金ないしね。制服のオーダーメイドはやっぱり出費がきつかったなぁ」

 蒼月は椅子を傾けながら言った。

「オーダーメイドにかかる費用の一部を負担してくれるシステムでもいいかもね」
「確かに。専用の縫製や元のデザインとは変えずに構造を変えてくれるようなデザイナーがいてくれたら助かるわね。オーダーメイドをするにも縫製をしてくれる人を探すのも大変だったし」
「なるほどな……しかしティナリと蒼月は耳や尻尾や翼の関係で随分と生活が違いそうだが……幼い頃はどうしていたんだ」

 セノの言葉にティナリと蒼月は顔を見合わせる。

「どうしていたっけ。なんか私、自分も耳と尻尾が欲しいって泣き喚いた記憶はあるけど」
「父さんと母さんは随分苦労したって言ってたよ。聞きたい?」
「興味はある。俺には耳も尻尾も翼もないからな」
「じゃあ折角だし昔話でもしようか」

 ティナリはそう言って一度立ち上がると、ベッドの下から小さな箱を取り出した。蒼月はその間に長い話になるだろうことを予想して一度コップを下げて綺麗にすると改めて果実のシロップ漬けの瓶を開ける。

「ザイトゥン桃のシロップ漬け、ちょうどいい感じになってるみたい」

ザイトゥン桃はじっくりと砂糖の中に溶けだして濃いピンク色の小さな塊にまで縮んでいた。蒼月が両手で抱える程度の大きさのガラス瓶には日付が記載されたタグがついている。  そういえばこの家は色々な物に日付が入っているな、とセノがちらりと視線を壁にやれば壁に飾ってある標本にも一つ一つ制作の日付と飾り始めた日付の両方がわかりやすく記載されていた。

「日付はね~、あると便利なのよ」 「忘れるからね」 「いつどこで採った標本なのかとか、いつもらったものなのかとかそういうのは書くのが癖ね」 「アムリタ学院ではそう習うのか」 「父さんと母さんからだよ。まぁ二人はアムリタ学院で学んだのかもしれないけど。僕とユエにとにかくなんでもかんでも記録するときは日付を書く癖をつけなさいっていうのが、僕とユエが文字を書けるようになってから最初に学んだことかも。さてと……昔の話かぁ。写真も随分と古いし、写真機の性能も古いものだけど……」

 ティナリがそう言って箱の中から取り出したのは古い写真の束だ。それから小さなメモのような記録がたくさん貼り付けられている。

「僕の両親も学者でね。母さんは考古学者で父さんは昆虫学者だったんだ。それで_」

20221129 サイト掲載
20221211 加筆修正