その日、セノがガンダルヴァー村にあるティナリと蒼月の家にやってきたのは日が暮れて夜も遅くなってからのことだった。
レンジャーの仕事は特別な事案がない限りは夜に活動することはほとんどない。雨林の夜は熟練のレンジャーにとっても危険なのだ。夜は誰しもが家でゆっくりと休む。そのため早い家ではもうすでに家の明かりが消えているところもある。
セノは闇に紛れる様な深い紫色の羽織を被ってガンダルヴァー村を迷うことなく歩いていく。過去に一度、普段通りの格好でガンダルヴァー村を訪れたところティナリに「ここは砂漠と違うんだ!」と盛大に怒られた。それ以降、ガンダルヴァー村を訪れるときは自分が大マハマトラであることを隠す意味も合わせて肌の露出の少ない服を着るようにしている。ティナリと蒼月曰く砂漠と違って雨林はヒルが怖い、そうだ。
とはいえセノの頭にぴょこんと生えた大きな耳は誰が見ても一目で彼が大マハマトラのセノであることを周囲に示してしまうことに、セノ自身はあまり気づいていない。大きな耳のような飾りはあくまで飾りであるが、セノにとってはとても重要なものだった。
静かなガンダルヴァー村を支える巨木の幹の上を歩いていけばやがて明かりのついている二階建ての家に辿り着く。暗闇が頭上からのしかかるようにベールを降ろしている中で、この家だけは煌々と明かりが窓や戸口の隙間からあふれ出しているのだった。セノはその家の前に立ってゆっくりとドアをノックしようとしたとき、ふいに扉が開いて「いらっしゃい」とティナリが笑顔でセノを迎えた。
「遅かったね。仕事が長引いた?」
「ああ、片付けなければならない書類が思っていたよりも多かったんだ。遅れてすまない」
「構わないよ。僕もユエもそのために明日は休みをとってあるんだ。あー……いやでも何かあったら僕は出かけるかもだけど」
ティナリの大きな耳と大きなしっぽは深緑色に染まって雨林を茂らせる葉の緑いろに溶け込むようだ。その一方でティナリの後ろから顔を覗かせた蒼月の翼と髪の毛は鮮やかな青と赤でその存在を強く主張している。
「いらっしゃいセノ、待ってたわ」
草神・クラクサナリデビの救出作戦が終わり、アーカーシャ端末がクラクサナリデビ本人によってその運用を停止され、スメールが混乱に陥ったのはわずか一週間前のことだ。多くの変化がスメールに訪れ、一部の学者はスメールシティと教令院を去って行った。一方で学問の門戸が大きく開かれ、今まで教令院が拒絶してきた砂漠の地域にも知識を広めていく様々な計画が走り出したという。アーカーシャ端末は非常に便利なものだったが、気づけばスメールの人々はあっという間にアーカーシャ端末のない生活に馴染んでいた。
これら一連の騒動の中で、セノは一時的に大マハマトラの地位から離れていたが、草神・クラクサナリデビと他の者たちの後押しもあって改めてセノは大マハマトラの地位に復帰することになった。
今日、セノがティナリと蒼月の家にやってきたのはティナリと蒼月の二人がセノの復帰をお祝いしたいと言い出したからであった。それ以前にも実は祝いの席はあったのだがティナリと蒼月はガンダルヴァー村での仕事が忙しく参加することができなかったのだ。そのため改めて、というのが今回のお祝いと言うことになる。
とはいえティナリも蒼月もセノも比較的昔から馴染みがある。今更かしこまってお祝い申し上げる……などということはなくもっと気楽なものになるはずだ。その証拠に机の上に並べられた料理はどれもティナリと蒼月の手作りで、スメールシティに数多いる有名な料理人の手を使ったものはほとんどない。机の上に並んだ料理はティナリと蒼月の手作りだ。
「さ、座りましょ。料理はちょっと冷めちゃったけど問題ないわ」
蒼月は笑って言った。
* * *
木材を主軸に作られた家はある程度使っていると湿気にやられてくる。それを前提に組み立てやすく分解しやすく作られているのがスメールの家であった。現に戸口や窓に掛けられている大きな葉っぱは少し歩けばすぐに手に入るものだ。それに撥水加工をして少し長持ちするようにしてやれば立派な仕切りの完成となる。加えてスメールの織物を合わせて使えば、年中高温多湿なスメールの雨林で生活するのにぴったりな家が完成する。
ティナリと蒼月の家もそのように作られている。シンプルで、何度も作り直された跡があって、唯一家の主軸となる柱だけがこの家の歴史を物語っているのだ。
わずかにドーム状になった天井の一番高いところから降り注ぐ明かりは、まるで花が咲き誇るかのように光を部屋に広げている。古い机はそれなりに傷や痛みこそあるものの作りが頑丈なためかもう何年も使っているのだという。
「折角だしお酒開けちゃおうか」
三人が席に着くと蒼月は机の下から大きめの瓶を取り出した。背中から生えた青い翼をパタパタと揺らしながら瓶の口に詰まったコルクを開けようと奮闘するがぴくりとも動かない。途中からティナリが代わってようやく開いたお酒は随分と熟成を重ねたのか濃く、それでいて柔らかな香りがした。
「ところでこれっていつのお酒? こんなの家にあったっけ?」
ティナリは蒼月に質問しながら三つのグラスを並べてそこにお酒を注いでいく。濃い葡萄の赤紫色が光に輝いている。
「家にあったわけじゃないのよ。必要な物をオルモス港に買いに行ったときに馴染みの商人がよく熟成が進んだいいお酒があるよって教えてくれたの。たまにはいいかなって」
「へぇ、相変わらず人脈が広いね。僕がオルモス港に言ってもそんな気軽に話しかけられないよ」
「ふふっそれが私の特技よ」
蒼月は嬉しそうに笑う。学生時代からそうなのだ。友人からは「コミュニケーションお化け」と呼ばれるほど蒼月は顔が広く、さまざまな知り合いがいる。学派を超えて年齢も超えて教令院の中に友人がいるのは勿論、オルモス港やアアル村、そして今ではなんとモンドや璃月にも文通をする友人がいるというのだからその幅の広さにはティナリもセノも感服せざる得ない。
実のところ一時期教令院の学生であったティナリのことを調査していたセノは、蒼月についても調査をしていた。あまりにも人との交流の幅が広くティナリとはまた違った意味で危険視されていたのだ。しかしその疑いがあっさり晴れたのは、蒼月の交流はあくまで研究におけるネットワークを広げるだけにすぎないと判明したからだろう。人を集めて扇動するわけでもなく、ただ情報を貰ってお返しになにかする。時には誰かを紹介してもらって、仲良くなって自分の研究に関する情報を貰う。その情報を精査するのは蒼月自身だが、研究のとっかかりになる情報を貰うのだ。そうやって様々な形で情報を得た蒼月の研究は、実に幅広い視点で調査と考察が行われており非常に評判が高かった。
「どこのお酒だったかしら。モンドのアカツキワイナリー? ってところだったかな。モンドではすっごく有名な酒造家らしいんだけどスメールの方にはあんまり流れてこないわね」
「確かに。そもそもスメールでは果実酒はあるけど葡萄酒って限定するとわりと少ないよね。そもそも葡萄農家が少ない。研究では一部取り扱っているけど……寒暖差がある程度必要だったりするし、スメールはちょっと葡萄を育てるには湿度が高すぎるから……うん美味しい。セノはどう?」
「ああ、酒はあまり飲まないがいいと思う」
「そうなんだよね。僕も酒は普段から飲まないから、美味しいとは思うけど具体的にって言われるとちょっと困るな。ユエはどう?」
「香りだけで言うならとってもいいと思う。舌触りも滑らかで、結構アルコールが強めね」
蒼月はそう言いながらコップに注がれた葡萄酒をあっさりを飲みほした。
「確かに、アルコールは結構強いね。あんまり飲みすぎると二日酔いになりそう」
「そんな二人のためにお水も用意してあります」
「相変わらず準備がいい」
「そうでしょ?」
ティナリが笑えばつられてセノも笑う。蒼月は二人の反応に満足そうに、同時に少し自慢げな様子で水をコップに二つ注いでティナリとセノの前に出した。
蒼月は別に水はいらないのだ。ティナリがかつて砂漠にいた動物を起源とするように、蒼月は璃月の仙獣である鴆の子孫である。鴆は翼に毒を貯めるのだが、この「毒」という認識の範囲は非常に広く基本的に蒼月の体に必要ないものは全て毒になるらしい。食べすぎればニンジンだって毒になる。ただ本当に正確なところは蒼月自身もわからないらしい。その時の体調によって変化する翼の毒は調査と研究が非常に難しいのだ。蒼月にとってはアルコールも毒の一種になるらしく酔うよりも早くそれは翼に蓄積される。そのため蒼月は過去に一度も二日酔いになったことがない。それどころかどんなに強いアルコールを飲んでも酔うということがないのだ。蒼月にとってはアカツキワイナリーのお酒はアルコールの香りの強い葡萄酒とさして変わらないのである。
「ま、お酒は二人に任せましょ。他にもいくつか飲み物を用意してあるし。そういえばティナリ、あれ出したら」
「ああ紅茶きのこ?」
「紅茶きのこ?」
ティナリの言葉にセノの言葉が裏返る。一度も聞いたことがない言葉であったが「きのこ」とついているあたりティナリはまた何か開発したのだろう。
ティナリは一旦家の裏の倉庫に出てそれから戻ってくると瓶に入った不可解な茶色い物体を机の上に置いた。
「見た目がすごい」
「きのこ……?」
「正確には僕たちのよく知るきのこを紅茶に漬けたとかお酒に漬けたとかではないよ。説明が難しいんだけど、こう培地で栽培しておいたきのこっぽいものをね」
そう言いながらティナリは手でうにょうにょと変な輪郭を描いた。それはどう見てもきのこではなく、瓶の中身は茶色く濁った半液体の何かに満ちている。
セノはまさかこれを飲むのか、とばかりに蒼月を見ると蒼月がにこっと笑う。
「飛ぶわよ」
「何が」
「舌とか、あと、ほら、なんか色々感覚が」
「どういうことだ」
セノは尋ねるが全く有用と思える情報は引き出されなかった。その間にもティナリはこのきのこにも見えるゲル状の何かの栽培について語っている。多分、ティナリはすでに酔っている。さっきから培地の話を三度繰り返しているのだ。いっそ寝るまで語ってくれ、と思わずにはいられないセノであったがその直後ティナリはとてもいい笑顔で「じゃあ飲もうか」と言い出したのでセノはついに観念したのだった。
20221129 サイト掲載
20221211 加筆修正