それからマチの携帯には時折
イヴァン
からの連絡があった。特に示し合わせたわけでもなく、何か二人でしなければならないことがあるわけでもない。
ただ、時折ランチに誘われたり、散歩に誘われたりした。マチの方は蜘蛛が動かない以上することもないので何となく
イヴァン
に付き合っていたのだ。他意も何もあるはずがない。マチからすれば
イヴァン
に対し何も思うところはなかったし、彼女本人は
イヴァン
も特に彼女自身に何か特別な思いを抱いているなどと思ってはいなかった。
そのことを偶然会ったパクノダに話したところ苦笑されたのだが、その理由を深読みするつもりはない。
「へぇ。製薬のほかにも警備ねぇ・・・・随分頑張るね」
「うーん、まぁあんまり研究成果よくないし、会社もそんなにお金くれないから自分で頑張らないと今の仕事なくしちゃうしね。警備は結構まちまちで、そんなにハードじゃないの選んでるから別に大したことない」
彼が製薬会社や裏病院への薬売りの他に美術館や博物館の警備のバイトまで掛け持ちしていることは、何度か一緒にご飯を食べて話をするうちに知ったことだ。通りで会うたびに眠そうにしているわけだ、と思いながらマチは
イヴァン
を観察する。
それなりに筋肉のついた体。この齢の男子からすれば当然と言えば当然、だが鍛えている節がある。度胸はこの間の裏社会への出入りからも分かる通り十分。そして上手く立ち回るだけの経験と頭脳もあるようだ。どこかクロロに似ている、と思ったときまた胸が痛んだ。もう随分前のことになるのに今だ未練が残っているようで、マチは自分のことなのに他人事のような不愉快さを感じる。
ため息を吐くと
イヴァン
が「どうした?」と心配そうに声をかけた。
「そういえばあんた左足どうしたんだい」
普通そういうことは聞かないもんだが、流星街出身となると自分自身が色んなものを背負っているから他者に対して無頓着にそんなことを聞けてしまう。答えたくないものは相手が勝手に答えない。何処まで踏み込んでいいかなんてものはさして考えずに話を進める。
イヴァン
はそんなマチの遠慮のない物言いに苦笑して、それから「昔から」と答えた。
「生まれつき足が悪くて、左足だけ成長しなかったんだ。適当な医者に言ったら法外な医療費でもってぶった切られておしまい。義足を成長に合わせて変えないといけなくて、その金が必要なんだよ」
まぁもう成長しないけど、でも整備費高いんだよね、と
イヴァン
はワイングラスを片手に言う。
イヴァン
がマチについて何か聞くことはなかった。
ある日またいつものメールアドレスから連絡が入って、今度はどこに行きたいと言い出すのだろうと思いながらマチはメールを開封する。だがその内容は、マチが想像していたものとは180°逆のもので、マチは携帯を持って立ち上がった。そしてそのまま以前一夜のベッドを借りた
イヴァン
の家に走る。
「
イヴァン
!」
鍵がかかっていないドアを叩きつけるようにあけると、入り口のところで荒い息をなんども繰り返しながら
イヴァン
がうるんだ瞳でマチを見た。
「や・・・・」
やぁとでも言う気だったのか、一目で分かるほどの酷い傷を負いながら
イヴァン
は笑っている。
「参った。警備の仕事でヘマした」
そう言っている間にも
イヴァン
の腹の傷からはどんどんと血が流れ出している。玄関口はすでに水溜りのように赤黒い血が溜まっていて、マチは慌てて
イヴァン
をその場に寝かせた。
傷は深い。服を切り裂いて、肌を露出させたマチは深く抉れた傷口を見て顔をしかめる。酷いのはその傷口の一部がぐちゃぐちゃに潰れてしまっていることだ。それらを繋ぎとめる方法がないわけではないが、丁寧にやるには時間がかかるのだ。とにかく大きな血管だけでも繋いでしまわないとまずい状態であることは確かだった。
「マ・・チ、金・・あ、る、わ、悪いけど・・・・」
「黙ってな」
口に服の切れ端を押し込む。痛みで朦朧として舌を噛み切られる方がもっと面倒だ。まだ意識があるからいいが、そろそろ視界も朦朧としてきているのだろう。血を流しすぎだ。
マチはいつも持っている針を懐から取り出して集中する。透き通った空気の中にきらきらと光る念糸がすぅっと現れた。
縫合の際の痛みなど、この傷口から比べれば微々たるものだ。マチはちらっと血の気の引いた
イヴァン
の顔を見てから傷口に集中する。わずか十数秒のうちに大きな血管を繋いでしまえば先ほどのような出血は収まった。後は毛細血管、筋肉、神経をこまめに繋いでいかなければならない。面倒なのはぐちゃぐちゃに潰れた組織だが、すでに死んだ部分を取り除きながら作業するしかない。マチはそこでようやっと玄関の明かりを灯して治療の二段階に入った。
マチの治療の最中に、出血多量で意識を失った
イヴァン
が再び目覚めたのはその日の晩のことだ。恐ろしく回復が早い。だがまだ体を起こすには不十分なようで、起き上がろうとした
イヴァン
の額に思い切り投げたやかんをぶち当てると彼は再び気絶してベッドの中に横になった。少々やりすぎだが、マチはあまり気にしなかった。
それから丸一晩彼は眠り通し、次の朝
イヴァン
が目を覚ますとベッドサイドのテーブルには簡単な朝食が用意されていた。
「・・・・・ありがとう」
イヴァン
が声をかけると、ごんごん、と二度壁をノックする音がある。
それからしばらくして玄関が開く音、閉まる音がして
イヴァン
の家の中から人気が途絶えた。
マチは
イヴァン
の家を去りながら一つのことに思いを馳せていた。それは
イヴァン
の傷口についてである。あの傷口の形状は、マチの推測が正しければクロロの持つベンズナイフのそれだった。同じシリーズのナイフなのかもしれないと思うが、一旦よぎった想像はなかなか頭から離れてくれない。
彼はクロロと関係がある?しかも戦った?
不可解なのは彼が生きていることである。もしも彼が賞金稼ぎか何かでクロロを狙ったのだとすれば、死んでいるか、生きているかの明確などちらかだ。実力が拮抗する相手を賞金稼ぎが狙うとは考えがたい。何故ならその行為は割りにあわないからだ。
そのとき携帯が鳴って、ポケットから携帯を取り出すと運がいいのか悪いのか、それはクロロからの連絡だった。
「何?」
『・・・・マチか・・・今どこにいる?』
「どこって・・・・カザハ地方だよ」
『運がいいな・・・悪いがすぐに来てくれ。少し困ったことになった』
ぷつんと切れた携帯はツーツーと不通を示すだけでマチは怪訝な顔をする。その後すぐ来たメールはやはりクロロからのもので、そこには簡潔に彼が今いる場所が示されていた。電車を乗り継いで十分ほど。マチが向かった先はマチが日銭稼ぎに働くのとはまた違う裏の病院である。こういうところは一見さんお断りが普通だが、そこで遠慮をする必要はない。住所が正しければ彼はここにいるはずだ。
立て付けの悪い扉は軽く力を入れた程度では全然開かず、結局マチはその扉を蹴破ることになった。部屋はこういった病院に共通するのか、汚く暗い。そしてその部屋の真ん中でクロロが椅子に座っている。
「遅かったな」
「最大限早く来たつもりだけど?」
「そうか」
本を読む手を止めずにクロロはマチと話を続ける。マチはそのクロロの姿に少々違和感を覚えた。
「・・・・足、どうしたんだい」
「何、ちょっと勧誘をしたところ盛大に断られただけさ」
そう言って、クロロは自分のズボンを捲り上げた。酷い切り傷・・・・いやこれはまるごとごっそりふくらはぎが溶けている。
「一体何をどうしたらこんなことになるのさ」
「足が動かん。神経を繋げてくれ」
「高いよ」
「好きな額を要求しろ」
クロロの傷口はまるで強力な酸でもかけられたかのように、組織が融解していた。何をどうしたらこうなるのだろうか。マチはむき出しになった組織の中から神経を探し出して念糸で繋げる。むき出しの念糸によって繋げられた神経はそれだけでニューロンとしての役目を果たすようになるので、これで問題なく動けるようにはなるだろう。ただ当分無茶は厳禁だし、皮膚の移植は必要かもしれなかった。
「勧誘?蜘蛛に?」
マチがそういう頃には、院長は絶命していた。正確に言えばマチが入って来た時点でこの部屋で生きているものはクロロだけだったのだ。話すのに遠慮はいらない。
「そうだ。懐かしい男を見つけてな。だが噛み付かれてこの様だ」
そういうクロロのシャツには彼の物ではない血が飛び散っている。なるほどそれなりの量だ。マチの頭にはその瞬間
イヴァン
の顔がよぎった。
「しかもお陰でお気に入りのナイフをなくしてな。あれは無理かなぁ・・・・」
時々子供っぽい表情を見せるクロロは、惜しいものをなくしたとばかりに空を見つめて少しだけ頬を膨らませた。
「無理って・・・どっちが?」
それはベンズナイフの話なのか、それともその勧誘した男の話なのか。マチが尋ねるとクロロは「どっちもさ」と軽く言い切った。
2013/04/30
→
いいね
応援してます
続きが気になる
送信
ありがとうございます!