召喚 5

「一つお聞きしたいのですが」

 ダ・ヴィンチの工房はしばしの間、秋穂の魔力を回す装置以外の音はなかった。今後太公望と秋穂をどのように扱うか、どのような立場の人間としてカルデアに所属してもらうかといったことを話し合った後は、秋穂の容体が安定するまで、やるべきことも話すこともなかったのだ。ダ・ヴィンチは秋穂と装置の様子にかかりきりで、ロマニも秋穂の容体が安定するまではここを離れるつもりはなかった。勿論太公望もそうだ。そんな静けさに包まれた部屋の中で、太公望がふとロマニの方に近寄るとこそこそと内緒話をするように声を潜めてロマニに尋ねる。

「ロマニ殿から見て、今回の聖杯戦争の主催者は悪い人なのでしょうか」
「ああ、マリスビリー所長のことかい」

 ロマニは突然話しかけられて驚いたようだったが、その言葉を聞いて手を顎に当てて少し考える素ぶりをする。太公望はロマニの中を覗いているのでもう知っていることなのだが、ロマニとマリスビリーの付き合いはそれなりに長い。太公望にとってロマニの返答はとても重要だった。

「そうだな……一般的な道徳、倫理に基づくならば非道な人であると思う。だけど魔術師という枠組みの中でみれば、マリスビリー所長はごく普通と言ってもいいだろう。ああ、魔術師の才能が、とかではなく考え方そのものの話だけど」
「……僕の知っている魔術師というか道士というか……それらとは随分考え方が変わっているようですね。もしよければ今の魔術師について教えていただけないでしょうか」

 太公望の問いにロマニは自分が見てきた現代における魔術というもの、魔術師というものの在り方について言葉を連ねた。太公望は基本的にその話を聞きながら、時折相槌を打ったり、質問をしたりする。そうして三十分ほどだろうか、二人が会話を終える頃、ダ・ヴィンチが秋穂の容体が安定したことを告げたのだった。

「彼女はおそらくもう大丈夫だろう。魔術回路に関しては特に異常はなく、その打ち出の小槌? とやらの魔力も安定している。身体的な負荷も大きかったから、当分の間はちょっと痛みが残るかもね」
「それは回復するものですか?」
「ああ、安心したまえ太公望、筋肉痛のようなものさ。大きな筋肉が切れたというわけじゃない、細かく傷がついた程度で済んでいるから、しばらくは動かすと痛むだろうが、一週間か二週間もすれば治る」
「そうですか」

 太公望はほっとした様子だった。

「それでは、マスターの様子もだいぶ安定したようですし僕は所長のところに行ってきましょう。何の話をしたいのかはわかりませんが、約束しましたので……ロマニ殿もう一つ質問をしても?」
「いいけど、なんだい」
「所長の部屋はどちらに?」

 ああ、とロマニは少しだけ笑った。

 * * *

 カルデアの廊下は近代じみたカーブを描いて構成されている。太公望にはなかなか見慣れない色使いは目新しく、だがしかしなんとも迷いやすいものだと思うのだった。何しろどこもかしこも似たような景色ばかりなのだ。窓の外を見れば降りゆく雪で真っ白に染まっており、廊下も、扉も、同じ配色とデザインである。ロマニは初めから太公望が迷うことを分かっていて、いくつめの角を曲がっていくつめの扉である、という形で教えてくれたのだろうと思う。恐らくは彼もカルデアに赴任したばかりの頃は苦労したに違いない。
 扉には名札こそないが、所長の部屋だけは少し周囲とは雰囲気が異なっていた。魔術師の工房となっていると言えばわかりやすいだろうか。魔力の流れが周囲とは少し異なっている。太公望は扉をノックするか迷ったが、とりあえず声をかけてみることにする。

「マリスビリー殿、いらっしゃいますか」

 あまり大きく張り上げた声ではなかったが、廊下によく響いた。周りに人はいないので特に気にすることはない。
 太公望の声が届いたのか、はたまた別の理由なのか、太公望の目の前の扉がひとりでにすっと開く。

「よく来たね」

 部屋の中から聞こえてきた声は静かだったがはっきりとしていた。太公望は暗い部屋の中に足を踏み入れる。太公望が完全に部屋の中に入り込むと、その後ろで扉が閉まった。廊下からの光がなくなって暗くなった部屋だが、しばらくその場に立っていると天井に用意されたわずかな光によって、存外部屋は明るく保たれていることがわかった。廊下があまりにも白く光を反射するせいで結果として部屋が暗く見えていただけなのだ。太公望は目の前にあったソファを避けて、マリスビリーが立つ机の前まで歩を進める。

「……今更聖杯戦争について聞く必要はないだろう。おおよそのところはロマニから話を聞いているね」
「ええ、はい。西洋の魔術師について、そして今回の疑似聖杯戦争について。正直なところあなたが悪者の方が僕としてはずっとやりやすかったですね」
「やりやすい、とは?」
「はじめはあなたを殺せばすべてが済むと思っていました。しかしどうやらそういった話ではないらしい。ロマニ殿によれば、あなたはあくまで西洋の魔術師の一般的な思考、配慮、倫理から外れることはないという話でしたので。仮にここであなたを殺したとしても、マスターの打ち出の小槌を狙う輩は次から次へと現れるのでしょう」
「随分と物騒な話だ。だが君の逸話を思えば当然の話か」
「ええ、まぁ」

 かつて殷の時代にはびこった妖狐・妲己はすべての邪悪の根源であった。太公望は元始天尊から妲己を討伐するように言われ、人間界で仲間を集め最終的には妲己を討伐したことになる。ここ、カルデアでも同じことをして済むのならばそれでもよいと初めは思っていた太公望だったが、ロマニの話を聞く限りそう簡単にはいかないことを思い知り考えを改めたのだ。

「僕はここであなたを害しようとは思っていません。むしろ、今回疑似聖杯戦争が失敗したことを身に染みてわかっているあなたがいる方が、マスターは安全でしょう。あなたがマスターのことを公表しないのであれば、カルデアはいい隠れ蓑になる」
「なるほど、君が召喚されてからまだ数時間のはずだが理解が早い。そして何より冷静だ。ロマニがいち早く君を確保するために動いたのは正しかったということだな」

 マリスビリーは少し笑ってから言葉を続けた。

「彼女のことは公表するつもりはない。今回疑似聖杯戦争には失敗し、次はないと思っている。だがそれでも私はみすみすと打ち出の小槌を逃すつもりはないんだ。ましてや他の魔術師にくれてやるなど、考えてもいない。いつか必ずや彼女を使い根源へと至る。私の考えはそれだけだ」
「それは必ず僕が阻止して見せましょう。僕はマスターを守ると誓いましたので、その誓いを果たすためならば、なんでもしますよ。それは僕の逸話を知っているのであれば、よくわかるでしょう?」
「その通りだ。君がいる限り何事も上手くはいかないだろうね。まさか一番最初に君のようなサーヴァントが召喚されるとは、思ってもみなかった。これは何よりの誤算であり、同時に彼女にとっての運命なのだろう」

 マリスビリーはそこで一旦言葉を切る。二人の間には妙な沈黙が流れ、どちらが話すこともなくお互いの思惑を探っているようだった。その沈黙に終止符を打ったのはマリスビリーであった。マリスビリーは少し笑う。

「そんなに怖い顔をしなくてもいい。現時点では私は彼女を利用するつもりはない。そもそも今、彼女も君もロマニの預りだ。そもそも太公望、君は私に忖度する必要はない」
「……」
「疑わしいかな」
「……ええ、まぁ、そうですね。ですが今日のところはこれくらいにしておきましょう。僕も召喚されたばかりでわからないことが多すぎる。かつては、倒す以外の選択肢はありませんでしたが、今はお互いを知る機会が与えられているようなので、もしかするともう少し良い妥協点を見つけられるかもしれません」

 ふぅ、と太公望は息を吐くとにこりと笑った。

「それでは失礼します。何事も良い結果になることをお互い祈りましょう」

 くるりとマリスビリーに背を向けて、太公望はそのまま扉をくぐって廊下に出た。太公望のすぐ後ろで扉が閉まる音がかすかに聞こえたのを確認してから、太公望は「んー」と首を傾げた。考えることは山ほどある。マスターの身を守るために必要なのはまずはこの世界の知識のようだ。召喚されたとき最低限の知識は打ち出の小槌から与えられている。これは聖杯戦争とある程度同じ仕組みになっているようだ。しかしそれでも太公望には知らないことが多すぎた。打ち出の小槌とはなにか、この世界でマスターの敵になるのは誰なのか、魔術師とはなんなのか、そして何よりロマニが恐れているものはなんなのか。けれども結局のところ始まりはいつだって同じである。敵も味方もなにもわからなくて、どうすればいいのかもわからなくて、そういう時にはとにかく行動してみるしかない。少なくとも太公望の経験ではただ座して待っていても釣れるものは限られてくる。そしてただ待つのであれば明確な目的がなければただ時間を浪費するだけだ、ということだ。

「ひとまずマスターのところに戻りましょう。ですが困りましたねぇ」

 道、忘れちゃいました、と太公望はぽつりと呟いた。

 * * *

 秋穂の意識はぼんやりとしたどこかをさ迷っていた。右も左もわからない、しかし暗闇のようでいて暗闇ではない。そして少し先に誰かがいる。初めは体を動かすのも苦痛だったが、意識を手足に向ければ思いの他簡単に体は動いた。そうしてその誰かに近づくと、その瞬間世界は懐かしい光景に切り替わって、思わず秋穂はたじろいだ。そこは秋穂が十三年の間暮らした、家であった。
 廊下を走る。古い木でできた廊下は、何百年と人が歩いたためにつるつるになっていた。軋むこともない廊下は、足袋で走ると滑りやすく転んだことを思い出した。大広間を超える。畳敷きのそこは、いつでも新しいイグサの香りがした。客人を大勢招くわけでもないのに、大広間は常に清潔に保たれ、畳も古いものから張りかえられている。そしていくつかの部屋を通り抜けると、その先は秋穂と姉妹たちがいつも暮らしていた小さな部屋に繋がる。秋穂たちは魔術師の家系に生まれたが、特にその行動を大きく制限されることはなかった。一人一部屋小さくはあるが部屋を与えられ、そこで自由に過ごしていた。襖を開けるとそこには姉妹たちがいて、皆が顔をこちらに向ける。

秋穂

 声がする。懐かしい姉妹たちの声だ。

秋穂、お帰り」

 名前を呼んでくれるのが嬉しかった。もう一度顔を見れたことが嬉しかった。秋穂は姉妹たちに駆け寄って抱きしめると、そこには温もりがあった。

「私、死んだの?」

 秋穂は泣きながら問うと姉妹たちは皆揃って首を横に振った。
 四姉妹だった。親は全員違ったが、打ち出の小槌の管理者となるべく魔術回路を持って生まれたために姉妹として育てられた。常に一緒で何をするにも一緒で、そして魔術の研究の苦しみも共に分かち合ってきた姉妹たちだ。魔術らしい魔術は使えない分、普通の子供のように育てられ、研究の時だけその魔術回路を酷使する、そんな生活だったがそれでもそこに幸せはあった。
 黒髪の美しい女の子がゆっくりと秋穂の頭を撫でて、言う。

「違うわ秋穂。あなたは意識の底にいるだけ。疑似聖杯戦争であなたの意識は打ち出の小槌に近づいた」

 桜色をした髪の女の子が言葉を引き継いだ。

「私たちは死んだときそのその意識と魂は打ち出の小槌の中に宿った。もう声を聞くことも触れることも叶わないけれど、私たちはいつもあなたと一緒にいるの」

 だから、と三人が言葉を続ける。

「ここにいられるのはほんの少しの間だけ。ここにいるのは疑似聖杯戦争によって秋穂の意識が打ち出の小槌に近づいたから。もう二度とここに来ちゃだめよ。あなたはあの人と一緒に生きていくの」
「待って、待って嫌、嫌、嫌! 私もここにいたい!」
「あなたは生きている。あなたは私たちの代わりに生きていかないといけない。私たちの代わりに生きて、秋穂。私たちはずっとあなたを見守っているわ」

 秋穂の両目からぽろぽろと大粒の涙がこぼれた。嗚咽を飲み込むこともできず、泣くと、三人の手が秋穂の頭を交互に撫でた。
 どのくらいの間そうしていたのだろうか。時間はわからないが、それでも秋穂の意識がふわりと浮遊するような感覚になる。それは姉妹たちと懐かしい風景との別れを示していて、秋穂は抵抗しようとしたが、どうにもならなかった。

「強く生きてね秋穂。あなたならきっと大丈夫」

 秋穂の意識が闇へと沈んでいく。姉妹たちの顔がぼんやりとし始めて、手を上げようにも体は重く、瞼は眠りを誘うように閉じていく。姉妹たちの名前を呼ぼうにも口は思うように動かずに、そして秋穂の眼前は完全に暗闇に閉ざされた。
 暗闇はわずかの間で、ぼんやりとした光が見えてくる。遠くにあるような近くにあるような、ぼんやりとした光は徐々に形を成していく。それが秋穂の自室の天上であることに気づいたのは、瞼が完全に上がってからだった。真っ白な天井と、いくつかの調度品。見慣れたものの中に、一人の青年がいた。青年は秋穂が目を覚ましたことに気づくと、ぱっと顔を明るくして座っていた椅子から立ち上がると、秋穂が寝ているベッドの脇にしゃがみ込む。

「マスター! 目を覚ましましたか」
「ます、たー……?」
「疑似聖杯戦争、覚えていませんか?」

 青年の穏やかな口調は、耳から頭に柔らかく伝わってくる。

「疑似聖杯戦争……」
「そうです。僕はその時に召喚されたサーヴァントです。マスターが起きないので随分心配しましたよ。ダ・ヴィンチ殿によれば数日で目を覚ますということでしたが……」
「私、寝てたの」
「ええ、今日で四日ですね。マスターからの魔力供給が途絶えていなかったので、生きていることはわかっていましたが、それでも気が気じゃありませんでしたよ。いやぁ生きていてよかった! 体は動かせますか」

 青年はよく喋った。秋穂の頭はまだぼんやりとしていて、青年の言葉の半分ほどは抜け落ちてしまったが、青年が自分を心配してくれていることだけはよくわかった。
 秋穂は体を起こそうとして全身がひどく痛むことに気づいた。手を上げるにも足を動かすにも疼痛がある。動かせないわけではないが、だるくて、痛くて、動かすのがひどく億劫だった。

「無理をしないでくださいマスター。ダ・ヴィンチ殿によるとマスターの全身は傷を負った状態なのだとか。ひどいものではありませんのでそう長いリハビリが必要なものではないそうです。でもできればまだ横になっていた方がいいですよ」

 秋穂は首だけゆっくりと傾けて青年の顔を見た。さらさらとした黒い髪、左目に少しかかった前髪が青年が話すたびに揺れている。詰襟の衣装は、日本でいうなら学生服に少し似ていた。細い手足とすらりとした指。細い目からは眼球の色がよくわからない。ただ、その声だけはよく覚えていた。疑似聖杯戦争の中で、自分を守ると告げてくれた声。雪のように降り注ぐ光の中で、朗々と語り上げたあの声。きっとあの時の人なのだろうと思ったけれど、しかし秋穂には名前が思い浮かばなかった。

「……誰……ですか……?」
「……ああ、そういえば自己紹介がまだでしたね。僕は太公望。この度はライダーの霊基で現界しました。もしよろしければあなたの名前も教えていただけますか」
「……秋穂
秋穂ですか。いい名前ですね」

 太公望はにっこりと笑った。

「あの時約束したことに違いはありません。僕はサーヴァントとしてあなたを守りましょう。これからどうぞよろしくお願いします、マスター」

 その言葉に頷くと、太公望はとても嬉しそうにふにゃっと笑った。

20220313 サイト掲載