さて、さて、さて。この物語の始まりは今より千年近く昔のことである。かつて鬼無里(きなさ)という地にいた一人の女が鬼となって、悪事を働いたという。それが真実かは今となってはわからぬことだが、ただその頃に人心荒み天は荒れ疫病がはやって大勢の人々が死んでいったという事実があり、紅葉という名のその女はもしやするとただ人がだれかを恨みたかったそれだけのことであったのかもしれない。鬼女のせいかそれともただの天の采配か、明日死ぬかもわからぬとある村にて、幼子が一人親に見捨てられひっそりと生きていた。これはそんな幼子と付喪神である鶴丸国永のお話。










 「鬼の住処はここか」
 「は・・・そのようであると・・・・」
 夏も終わりに近付き、寒さと暑さが交互にやってくるこの時節、家来を引き連れて戸隠山(長野県)までやってきた平維茂(たいらのこれもち)は馬のすぐそばにつきそう一人の男に尋ねた。
 舞い落ちる紅の葉は大層美しく、ただの物見遊山であればどれほどよかっただろうと維茂はため息をつきながら腰に帯びた刀にひっかかった紅葉を手に取った。掌の上にて美しい赤、腰に帯びるは鶴の掘り込まれた美しい白。真っ白な鞘と同じように白が美しく、縁を飾る金箔が映えるこの刀は銘国永、その美しい太刀拵から鶴丸と名を持つ一口の太刀である。そしてこの大層美しい太刀は、ただの刀にあらず。五条国永が打ったこの太刀は魂を持つ霊刀でもあった。
 人が想いをこめて作ったものには魂が宿る・・・・とは昔から言われていることであったが特に刀は魂を宿しやすいものであった。神社に祈願をし、世の太平のためにと何度も打ち叩かれるうちに、刀は作り手の思いによって魂・・・・つまりは神が宿る。付喪神というのは通常長い年月を経た物が変化してなるのだが、、一部の刀工によって打たれた刀は元から付喪神として生まれるのだ。五条国永の手によって打たれた鶴丸国永もまた、そんな刀の一口であった。人の強い想いによって生まれた彼らは神ではあるが人の姿をし、人と同じように振舞うのが常であった。肉を持たない彼らのことを見ることが出来る人間は少なくあったが、時にはただの人でありながらこの付喪神の姿を見ることが出来るものがいる。あいにくと平維茂はそのような人間ではなかったが、この刀を五条国永より預かりし時から、常に近くに不可思議な気配を感じているのだった。
 『いやぁ、まっこと見事なもんで』
 そんなわけで鬼女紅葉狩りに連れて行かれた鶴丸国永も、実のところずっと平維茂に付き添っていたのである。鶴丸は真白の羽織と同じほどに白い肌、白い髪。瞳だけが金色に輝く大変美しい男性の姿をしていた。首に回った鎖は鞘を飾るそれと同じ兵庫鎖。まだ作られて新しい太刀であるから、金色の輝きも曇ることなく日の光に輝いている。
 誰の目にも捉えられることのない鶴丸は、勝手気ままにそこらを動き回っては馬を驚かせてきゃらきゃらと笑っているのであった。馬をはじめとした動物は人と違ってそういった物をよく見るので、突然ばぁと白いものを振りかざされれば驚きいななく。
 長く伸びた列の一部でまたそんな騒ぎが起こったのを見て維茂はもう一度、今度は呆れも含んだため息を吐いてそちらに体を向けて口を開いた。
 「鶴丸、あまり馬を驚かしてくれるな」
 『はっはっは、いやぁすまんすまん。あまりに暇でなぁ』
 維茂は鶴丸の姿がいつも見えているわけではない。ただ月の光が一切ないような闇の広がる夜には時折、灯りの影にちらちらと白いものを見た。家来もまた同じものを見るようで時折騒ぎになったものの、そういうときに限って刀がかたかたと騒ぐ。またこうして声をかければまるでそれに呼応するように小さないたずらが頻発するために維茂は刀の魂である鶴丸国永が常についてきていることをほとんど疑っていなかったのである。
 今もまた、維茂の言葉に呼応するようにばさぁと紅葉が維茂の真上から降り注いで、維茂は肩を落とした。はっきりと顔を見たわけではないが、まるでいたずら好きの子供が笑っている様子が目に浮かぶようで、眉間に皺を寄せるほかない。
 さて当の鶴丸はと言えば、「暇だ」と一言言って、枝の上で胡坐をかいているところであった。一応は足もあり体のカタチも見えるものには見えるが、ただの魂であるために地を歩かねばどこへもいけないというわけでは決してなかった。刀が傍にあれば、別に天を地の変わりに歩くことすらできたわけだが、それをしても誰も驚いてくれないので今はこうして小さないたずらばかりしているわけである。
 ただの霊魂であるのでもっと落ち着いて構えていればいいのかもしれないが、さてどこでこんな幼子のような魂を得てしまったのか鶴丸国永は他の付喪神と比べても落ち着きがないと言ってもいい。常に何かしら驚きを求めてあちらこちらと歩き回り、見るもの触るものに大仰な反応を示しまたさまざまな手法で持って他人を驚かせることを至上の楽しみとしている。それはある意味では欲が深い、とも言った。
 『なんだ、今日はここまでか、つまらん。もう鬼女の霊地に入っているというのだからそのまま刀を振るって切り捨ててくれればまだ楽しいものを』
 人と同じように酒を嗜み、人と同じように寝起きをし、人と同じように水の冷たさを感じてみたいと鶴丸は思っていた。人の傍にあり、人しかしらないために人のように振舞って、そして何よりも鶴丸は人と話をしてみたいと思っていたのである。
 『話が出来るのはやっぱり三条のところの刀だけか・・・・・ほとんどの付喪神は人の姿を取るには霊格が足りないからなぁ・・・・・ん・・?おい、おい、おい君はさっさと帰れ帰れ。あまり長居するから切り捨てるぞ』
 鶴丸は木の根元でにんまりと笑っていた黒い影に向かってそんな風に言葉をかけると、その影はふっと風とともに掻き消える。さて、まだ形をとる前であったからそれがなんであるかは判然としなかったが、鶴丸はそれがおおよそ鬼女の放った遣いであろうと考えていた。戸隠山の山頂へ帰っていく影を見ながらもう一度ため息を吐く。
 この世には霊格と呼ばれる魂の位が存在し、さらにその中でも特に霊格の高いものは神と呼ばれる。この霊格というものは物事の善し悪しで決められるものではなく、地に根を張り、人に語り継がれることそのものを示していた。人が忘れれば霊格は地に落ちて魑魅魍魎となり、逆に多くの人が信ずるならば人に害なすあやかしもまた神となる。人の想いを集めて魂は力を増していく。それは人もまた同じ。時に人の中にも非常に高い霊格を持つものがいるが、そういったものはあやかしと渡り合い、人を救うことでさらにさらにと霊格を強めていくものであった。鶴丸は神に近いものである。一方で先ほどの黒い影や鬼女は高位のあやかしに近しいものであった。
 ただ霊格はどんなに高くなろうと、六道輪廻の輪の中に居る者は決して神にはなれぬ存在なのである。その輪をはずれたところに、あやかしや神がいる。鶴丸国永もまたその一人。六道輪廻の中にいるならば生まれ変わるということもあろうが、鶴丸はその本体である刀が壊れればそれきり消失してしまう存在であった。極楽浄土など夢も見ないが、そういった消失に恐れも抱いてはいない。彼らは神であると同時に物であった。物はいずれ壊れるが道理なのである。
 『___しかしこの世はまだ驚きが足りんなぁ・・・・せめて人と話ができりゃこんな退屈もないんだが』
 鶴丸は紅葉を指でくるくると弄びながら小さく呟く。暗い夜空で、一枚紅葉が奇妙に錐揉みをしていることなどわかりもしないだろう。ぱっと鶴丸が手を離せばそれはふわりと風に待って他の紅葉にまぎれて消えてしまった。
 『つまらんつまらん。いっそ鬼女がこちらに来てくれればよいものを』
 そう鶴丸が木の上で呟いたときにふいと維茂が鶴丸のほうを向いた。さて、鶴丸が何かまた阿呆なことを呟いていると察したのか、鶴丸は枝の上で笑って、それからそのまま枝から落ちたのであった。
 「せめて、あれの言葉だけでもわかるものがいればいいのだが」
 「維茂様?」
 「いいや、気にするな。独り言だ」





 鬼女紅葉狩りの詳細は史実に残るためにここではその仔細については省くが、霊刀鶴丸国永を携えての鬼女狩りは彼らが考えていたよりも早くに終ったといえよう。とはいえその犠牲も多く、維茂自身もそれなりの深手を負ってすぐには本拠地である越後に帰れぬ傷を負ってしまっていた。その結果、戸隠山のふもとの地で療養をすることになり、鶴丸はまた暇な日々をすごしていたわけである。
 刀として振るわれればそれなりに高揚するものの、一度鞘に収められてしまえば毎日手入をされたところで何の面白みもない。本体である刀からそう離れられるわけでもないので、結局鶴丸は屋敷の中で暇な日々をすごしていたわけである。
 『君も暇か?ん?』
 厩で馬をからかえば、馬の当番が突然いななく馬たちに困惑する。家の中でちょいと物に干渉すれば女中たちが悲鳴を上げて維茂に報告を上げ、それを受けた維茂がすでに鶴丸が居もしない部屋に向かってくどくどと説教をしているのはなかなか面白い風景ではあった。
 「・・・・全く・・・・一体何が言いたいんだ、我には何もわからんのだ、鶴丸」
 『そうさなぁ、言わせてもらえるんなら暇なんだ。せめて俺を持って連れ歩いてはくれないか維茂』
 「戦に出せとでもいいたいのか?」
 『いいや、そんなこと一言も言ってない』
 「だがそう頻繁に戦があれば国も滅ぶだろうよ」
 『だから言ってないって』
 維茂は目の前に掛けられた鶴丸国永という太刀に向かって話していたが、当の本人はといえば維茂の後ろで肘をつきながら寝転がって時折維茂の背中を蹴っ飛ばしている始末である。
 「お前のような・・・・五条国永殿の名作を表に出せば、こんな場所だ、いつ狙われてもおかしくないのだが・・・・・表に出てみるか?」
 『なんだわかるんじゃあないか!』
 ぱっと鶴丸が体を起こすと同時に風が吹き込む。幾分寒い風であったが、鬼女狩りよりすでに五つ月が巡る。冷たい風の中に春のにおいが混じる今の時期になれば、誰も彼も浮かれるのも道理である。そんな鶴丸の心中を表したかのような風に、維茂も笑いながら「わかりやすいやつだ」と言うのであった。
 さてそんなわけで、その日のうちにというわけにはいかなかったものの、数日後に維茂に伴って表に出た鶴丸は大層な浮かれようであった。ほとんど塀の向うへ出たことがないから、というのもあるが久々に外へ出るからというのが一番大きいのであろう。人と違い悠久とも言える時を生きる付喪神がこの程度で飽き飽きとしていてはこれから先が思いやられるが、それもまた各々が持つ資質なのだから仕方のないことであろう。
 維茂が療養にと用意した屋敷の外は、維茂が過去に見た京の都や自分の本拠地の越後ほどの活気はない。ここしばらく天災が続き、また少し前まで病がはやっていたというのだから当然なのかもしれないが、これから春を迎えようというのにどこか生気がないようにも見えた。しかしそれでも維茂がここを訪れたときよりは幾分マシになっているのである。維茂が惜しみなく金を落としていったために、幾分ここいらの人間の懐も潤ったのだろう。今年の冬は随分と生き延びた、と嬉しそうに話をしながら歩いていく人の言葉を聞きながら維茂は、それだけでもここへ来たかいがあったかと思いながら適当に歩いていく。
 しかしながらそう巡る場所があるわけでもなく、一通り人の居るところを歩きまわってみてもそう時間をかけて眺めたい場所もない。ただ久々に外を歩いたおかげで随分と体が重くなったが、一方で心は軽くなったようで、雪が解けたらそろそろここを離れるか、維茂が考えていたときであった。
 鶴丸が一人、崩れた塀の影にうずくまっていた子供にちょっかいをだしていたのである。維茂は当然そのことを知る由もないが、がら、とふいに塀が崩れたおかげでそちらを見ることになって、そして鶴丸と同じように影にうずくまる子供のことに気付いたのであった。
 『おい、そんなところで寝ていると死んじまうぞ。あったかくはなってきたっていってもほれみろ維茂だってあんなに着こんでいるんだ。まぁ俺にはわからんが』
 「・・・・ぃ」
 『ん?』
 鶴丸が人の言葉にあえて言葉を返すのは、そうするのが楽しいというただそれだけのことである。会話が出来るのではなく、会話をするように振舞うことそのものを楽しんでいるだけなのだ。
 だから子供が小さく呟いたのも単なる偶然であると思っていたし、それに対し鶴丸が問いかけなおしたのはいつもの癖のようなものだ。だから、次の瞬間子供が鶴丸に向かって飛び掛ったことには鶴丸本人もそれをなんとなしに見ていた維茂も大層驚いたのである。
 鶴丸からすれば明らかに自分の足を狙って錆びた刃物を持って飛び出した子供に心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。維茂は鶴丸の姿が見えないからこそ、明らかに「何か」を狙って飛び出した子供に驚いたのであった。
 『____こりゃあ驚いたぜ・・・・・おい坊主、君まさか俺のことが見えるのか?』
 子供の体は当然だが鶴丸を通り抜けて、そのまま地面に転がった。維茂の従者がさっと刀を抜き去るが、維茂がそれを推しとどめる。
 「やめんか。まだ幼子だ」
 「しかし維茂様」
 「いざとなればこの鶴丸で切り捨てる。あの幼子の動きを見よ。我を狙ったものではなかろう」
 子供はまだ若干雪の残る地面に腕をこすりつけ血を流した。しかし真っ赤に晴れ上がった手も腕も足も構わずにもう一度鶴丸に飛び掛って今度は瓦礫で足を切る。
 『おい維茂いい加減に止めてやってくれ!』
 そのときはもしやもすると維茂に鶴丸の言葉が届いたのかもしれなかった。突如子供は胃液とともに血を吐いてばたりとその場に倒れ付し、維茂が袴に血がつくのも構わず駆け寄る。
 凍えた手足と、もう何日も食べてないだろうやせ細った体。おそらくは維茂と鶴丸の裕福な身なりを見て金品を奪いとろうという算段であったのだろうが、その目論見は鶴丸によって見つかったことですっかり水の泡と成ったわけである。だが維茂にとっては、この子供は天の采配によって使わされたようなものである。なんとかして鶴丸の魂のカタチを見れるものがいないかと思っていた矢先の出来事だ。この子供を見捨てることはできず、即座に子供を連れて屋敷に戻り、その後必死の看病により子供はかろうじて息を繋ぎとめたのであった。